26話 決意
魔女は泣けない。
『泣かない』のではなく『泣けない』。
だから、私は涙を流せる人間が羨ましかった。
悲しいことを吐き出して、再び前を向けるその姿が眩しかった。
でも、アンジェリカに抱きしめられたとき、私は泣けたのかもしれない。
たとえ、涙は流せなくても。
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ようやく顔を上げたセリスの顔に、アンジェリカは虚を突かれた。
慰めたい、と感情のままに抱きしめてしまった相手。震える肩から、泣いているのだとばかり思い込んでいた相手の顔には、涙の跡さえない。
けれども、どこか吹っ切れたような、晴れやかな表情は泣き明かした後特有のものとしか見えなくて。
そのちぐはぐさに、アンジェリカの咽喉から言葉が滑り出ていた。
「泣いて、いたんじゃあ、ないの・・・・・・・・・・・?」
責めているかのような言葉に、ハッと手で口を押さえるアンジェリカ。
セリスは、気にしないと伝えたかったが、自分の表情にほろ苦さが加わることを隠せなかった。
「魔女には、涙を流すことが許されていません。だから、泣かないんです。」
(正確には、涙を流せないから、泣けないんですけどね。)
自嘲を隠せず、そんな顔をアンジェリカから隠すためにうつむく。
それでもアンジェリカがうろたえている気配を感じて、微笑が浮かぶ。
目を閉じて、気持ちを切り替える。仮面で装う訳ではないから、簡単だ。
よし、と顔を上げるその表情はうつむく前の晴れやかなもの。
アンジェリカのホッとした表情に、思考の隅で、可愛い人だな、なんて思ってしまった。
「泣かないけれど・・・・・なんだか吹っ切れました。ありがとうございます、アンジェリカ。」
「・・・・・・・・・・・どういたしまして。」
思わぬ謝礼に戸惑って、晴れやかな笑顔に照れて、色々と複雑な思いを抱えつつも、その笑顔の無邪気さに、アンジェリカは気付けばそう返していた。
今日はよくよく、人に呼び出される日らしい。
雲ひとつない空(砂漠なので当たり前と言えば当たり前だが)を見上げながら、セリスはぼんやりとそう思った。
そうして気まずい空気からの逃避を行いながらも、握られた手を引かれれば、大人しく無言で足を進める。
ぼんやりしていると、砂に足をとられて転びそうになる。そのたびに、気付かれないようにバランスを取り戻す。
何度かそんなことを繰り返して、現実逃避を諦め、前を歩くジークの背に目を向けた。
・・・・・・・・やっぱり気まずいので、改めてジークの観察をしてみることにした。
背は、伸びた。自分が縮んでいるせいでもあるだろうが、もう元の姿でも見上げないでいることは出来ないだろう。
それに合わせて、出会ったばかりの頃は子供の面影を存分に残していた細い体は、鍛えられ、引き締まった『男』の体として完成されている。
一週間近い旅の間に、少々長めだった黒髪はさらに伸び、今は邪魔にならないように首の後ろで適当に紐で括ってある。砂埃のためか艶のない髪は、手入れさえすれば、いや、旅塵を落としさえすれば女顔負けの美しさであることを知っている。(かといってセリスも日頃から最低限の手入れしかしていないのだが。)
セリスと異なり、砂に足をとられることの無い乱れの無い足取りは、バランスよく鍛えられた肉体と卓越したバランス感覚によるものだ。しかし、そのゆるぎない足取りは経験に裏打ちされた自信を感じさせる。
(格好良く育ったんだなぁ。)
セリスはなんだか感慨深く思った。失ってしまった自分に、不安を抱いていた少年はそこにはいない。
いるのは、自分の足で力強く前に進む、一人の剣士。
(の、はずなんだけれど・・・・・。どうして親離れできないのかしら・・・・・?)
つらつらとそんなことを考えていると、ジークの歩みが止まった。
「貴女は、自分の代わりを探していたのか。」
背を向けたまま、ジークは背後のセリスにだけ聞こえる声量で尋ねた。
その内容に、思わずセリスは動揺する。
どうして、ジークが知っている?
「また、俺から離れる気なのか。」
どうやってそのことを知った?
「ふたたび、一人でいる気なのか?」
答えはひとつしかない。
「・・・・・悪い子ですね。盗み聞きなんて。」
はぁ、と息を吐く。
とたん、ジークは振り返る。その顔には、気まずい、ばつが悪いとしっかり描いてある。
「すまない。 けれど、これだけは言いたい。」
キッとこちらを見据える視線。
そして、次の言葉にセリスは息を呑んだ。
「“私の幸せをあなたが決めないで”・・・・・・・昔、貴女が俺に言った言葉だ。今、貴女にそのまま返そう。」
それは、ジークが旅立つ数日前。
子供の浅知恵から出た言葉に、彼女はそう返した。
そして、彼女はジークに師として、親として、最後の課題を出した。
『幸せとは何なのか、世界を見て答えを見つけなさい。』
「あの課題の答えを、俺はまだ見つけていない。ただ、その答えがひとつではない事位は、今の俺でもわかる。」
セリスは目を伏せた。
「あなたに勝手なことを言っているのは理解しています。子離れできない親の戯言と思ったっていいですよ。」
「貴女にとって、俺は今でも『子供』なのか?」
思わず、ジークはそう溢していた。
「え?」
「俺は、貴女を恩人と思いはしても、『母親』として見たことは、一度として無い。」
漆黒の視線がセリスへと真っ直ぐに向けられる。
ジークにとっても予想外だが、口から飛び出た言葉は戻らない。ならば、いっそ言いたいことを言うだけだ。
「貴女の傍にいたいと思っていた。貴女をを支えたいとも。それは、貴女が俺を育ててくれたからでも、助けてくれたからでもない。」
互いの視線がぶつかる。
だが、こればかりはジークも譲れない。ここで引いたら、自分の思いを否定することになると理解しているから。
だけど、続きを言うのが早すぎることも理解していた。
だから、本当に言いたかった言葉を飲み込んで、当たり障りの無い、けれど本心からの言葉で締めくくる。
「それだけはわかって欲しい。そして、少なくとも、『現在』貴女の傍にいる事を、認めてくれ・・・・。」
切ない声音を、セリスは拒否することができなかった。
そうして、セリスとジークは今まで通りに振舞った。
僅かに生まれた波紋を、見ないようにしながら・・・・・・。