亡くなった夫が息子に遺したビデオレターを観たら、なみだなみだの展開を期待していた私たちの気持ちは、大きく裏切られた
『父ちゃんが生き返りますように』
新年。本宮で参拝を済ませた息子のマナブは、今年も絵馬にそんな無理難題を書いては、絵馬所に掛けるのだった。産土神を祀る地元の神社で、息子と一緒に初詣を終え、私たちは、例年どおり売店へおみくじを引きに行く。
「ねえ、マナブ。母ちゃん、記憶がおぼろげだから、念のために教えて。去年は絵馬にどんな願い事を書いたのだっけ?」
「父ちゃんが生き返りますように」
「一昨年は?」
「父ちゃんが生き返りますように」
「うん。てことは、あの願い事、今年で三回目だよね」
「そうだよ。悪い?」
「悪くはないけど……神様も出来る事と出来ない事があると思うよ。叶いっこないお願いは、もうしないほうがよくない?」
「なんだよ、母ちゃん。俺のやることに文句があるのかよ。神様にどんな願い事をしようが、俺の勝手だろう。だいたい神様も薄情だよ。この神社をピカピカにしてやった宮大工は誰だと思ってんだよ。世話になった大工を早死にさせてんじゃねえよ」
私の夫は、三年前に癌で亡くなった。夫は、この地方では有名な腕の良い宮大工で、老朽化していたこの神社の大規模修復工事を請け負い、高い精度で竣工をさせ、若くして国から賞賛をされるほどの人物だった。夫が死んだ時、マナブはまだ小学四年生。大好きな父ちゃんがこの世から去ったことのショックは大きく、春には中学生になろうとする現在も、現実を正面から受け止められずにいる。
売店でおみくじの箱を振り、箱から出た番号のくじを巫女さんから貰う。私のくじは小吉。マナブのくじは、なんと大吉だった。
「すごいじゃん、マナブ、大吉じゃん! どれどれ? 金運とか、恋愛運とか、なんて書いてあるの? 母ちゃんに読んで聞かせてちょうだい」
「う~ん、字が小さくて読めねえ」
「あんたは父ちゃんに似て、生まれつき目が悪いのよ。だからいい加減に眼鏡を掛けなさいって、いつも母ちゃんは言っているでしょうが」
「うるさいなあ! 毎年毎年俺の願い事を知らんぷりしてばかりの神様を祀っているこんな神社のおみくじなんて、どうせインチキなんだよ!」
いつものように突然癇癪を起すと、マナブは、私の目の前でおみくじを破り捨て、一人で家に帰ってしまった。
ねえ、あんた。最近マナブの悪態に歯止めが利かなくなっているの。反抗期だと割り切ってはいるけどさ。かつて自分がお腹を痛めて産んだ息子から、毎日のように罵詈雑言を浴びせられるのは、さすがに辛いものがあるわ。私、心が折れそうよ。
――――
「遊びに行くのはいいけど、何時に帰るの? 遅くとも夜7時には帰りなさいよ」
「ガタガタ言うな! くそババア、死ね!」
髪を金髪にしたマナブが、自宅の玄関を飛び出して行く。中学生になってから、マナブの素行は、さらに荒れた。地元の悪い友達と遊ぶようになり、深夜になっても家には帰って来ないし、喧嘩騒ぎで警察に補導されることもあった。ねえ、あんた、私、もう限界。無理かも。なんで私を置いて一人で逝ったのさ。こんなことなら私も連れていってくれたらよかったのに……。
そんな時、私は、ふと生前に夫から託されていた一枚のDVDのことを思い出した。
和室の箪笥の引き出しの奥に隠してあったDVDを取り出す。それは、亡くなった夫が息子に遺したビデオレター。夫は、一人息子のマナブの成長を見守るのが生きがいだった。だから余命宣告をされた時も、せめて中学生になったマナブの姿を見てから死にたかったと悔やんでいた。そして、人知れず病室で撮影したビデオレターを、その命が尽きる数日前、「マナブが中学生になったら観せてくれ。難しい内容だから、必ず中学生になってから観せるように」と私に託したのだ。
どうしましょう、マナブが中学生になって、もう半年が過ぎている。ごめんね、あんた。私ったら、うっかりしていたわ。このDVD、急いでマナブに観せるから、許してね。
こうして、私は、深夜に帰宅し自室に直行しようとする息子をリビングに呼びつけ、くどくどと事情を説明した後、ソファーに腰掛け、息子と一緒に夫のビデオレターを観賞することになった。
黒マジックで「中学生になった息子へ」と書かれたDVDをデッキに投入し再生ボタンを押す。しばらくすると、テレビ画面に生前の夫が現れた。夫は、病室のベッドに半身を起こし、度のキツい黒ぶちの眼鏡を掛けて、カメラ越しに私たちを無言で凝視している。ダサい眼鏡を掛けてはいるものの、あらためて見るとやっぱり丹精な顔立ちで、惚れ惚れするほどの色男。病気ですっかりやつれちゃったけど、若い頃はこの何十倍もハンサムで、まわりの女がほっとかなかった。
画面の中の夫と対面した途端、私の目頭は熱くなる。横をちらりと見ると、息子も目をウルウルさせている。亡き夫が三年の時を経て、画面越しに何かを語ろうとしている。やばい。これって、絶対お涙頂戴のパターンでしょう。カモン。号泣スタンバイオッケー。私は手の届くところにティッシュボックスを置いた。
しかし、夫が語り出した瞬間、私と息子の涙は一気に干上がった。
「こら、ガキ! クソガキ! マナブ! てめえ、まさか母ちゃんを困らせているんじゃねえだろうな! おい、図星か? おう? 図星だろバカヤロウ。父ちゃんは何でもお見通しだコノヤロウ。いいか、母ちゃんは俺の女だ。思春期だか反抗期だか知らねえが、俺の女を泣かす野郎は、息子だろうがただじゃおかねえぞ!」
……まさかの説教動画。その怒涛の語り口調に、なみだなみだの展開を期待していた私たちの気持ちは、大きく裏切られた。
「いいか、マナブ、父親がいないからって、拗ねてんじゃねえ! 寂しいからって、グレてんじゃねえ! しょうがねえだろう、父ちゃんは死んだのだから! それは紛れもない事実なのだから! 泣いたって、わめいたって、死んだ体は元には戻らねえんだよバカヤロウ!」
息子へのお説教の内容が極めてタイムリーで、それゆえにまるで夫が生きているみたいで、そして、まるで生きているみたいがゆえに、夫の言葉が生前に耳にタコが出来るほど聞いたただの口やかましいお説教にしか感じられず、私と息子は、いささか興ざめしてしまう。
「ただよお、体は無くなっても、父ちゃんは氏神となって、マナブや母ちゃんの暮らしを見守っているんだぜ。今だってそうだよ。目には見えないけれど、父ちゃんは、ずっとお前たちの近くにいるんだ。辛い時悲しい時は心で念じてくれ。そしたら、父ちゃんはいつでもお前の心に姿を現すぜ」
神道を信仰する宮大工の夫らしい生死観だわ。
「おい、母ちゃん。マナブの隣で一緒にこれを観ているか? お前も息子にやり込められてんじゃねえよ。だいたいお前は昔からマナブに甘かった。かつて俺が浮気をした時はトンカチを持って俺を追い回したじゃねえか。あれぐらいの意気込みで子育てをしやがれってんだ」
うるさいわよ、バカ。
「マナブよ、我が息子よ。どうせ今このビデオレターを観て泣いているのだろう? 父ちゃんの言葉に感動して涙を流しているのだろう? この大バカヤロウが! 男がメソメソと泣くんじゃねえ! 泣いている暇があったら、たくさん悩んで、たくさん学んで、一日も早く立派な大人になれ! そして母ちゃんを守ってやれ! 父ちゃんの言いたいことは以上だバカヤロウ。じゃあまたな!」
言いたい放題言いまくり、夫が、自撮りカメラを停止する。長いお説教が、やっと終わった。まったく、とんだビデオレターだわ。
「マナブ、これは、父ちゃんがあなたに遺したメッセージよ。どう思った?」
「ふん。こちとらあいにく泣いてねえよ。何だっつんだよ。今頃ひょっこり現れたと思ったらお説教かよ。冗談じゃねえ。俺は、ずっと会いたかったんだ。枕元でも、夢の中でも、ずっと父ちゃんが出て来るのを待っていたんだ」
マナブは、指先をソファーにもじもじとさせながら、画面中央で自撮りカメラを停めた姿勢で動かない夫に向かい、小さな声でそう言った。
――――
翌新年の初詣。本宮で参拝を済ませた息子が、例年通り絵馬に願い事を書いて、絵馬所に掛けている。
あの日を境に、マナブは変わった。髪を黒に染め直し、悪い友達との交際を断ち、将来は父ちゃんのような宮大工になりたいと、専門学校に行くための勉強を始めたのだ。勉強のしすぎで、元々悪い視力はさらに落ち、去年の暮れから度のキツい黒ぶちの眼鏡を掛けている。なんだかなあ、日増しに顔つきが亡くなったあの人に似てくるわね。
「ねえ、マナブ。今年は絵馬にどんな願い事を書いたの? 母ちゃんに見せてよ」
「嫌だよ。向こう行けよ」
「いいじゃん。見せてよ」
「見るなよ。恥ずかしいって言っているだろう」
はいはい、見ません見ません。――というのは真っ赤な嘘で、うふふ、息子が売店へおみくじを引きに行った隙に、私は嫌がる息子の絵馬を、こっそりと見てやった。
『母ちゃんがいつまでも健康でありますように』
「……なんだい、あの子ったら、泣かすんじゃないよ」
ねえ、あんた。この絵馬、見てよ。マナブのやつ、すごく成長しているよ。ありがとうね。あんたのおかげだよ。参ったね。こんなこと書かれちゃったら、私、そう簡単にあんたのところへはいけないね。私、がんばるから。がんばってあの子を育て上げるから。まあ、見ていなさいって。あんたの惚れた女は、ちょっとやそっとじゃ負けないっつーの。
息子が絵馬に書いた愛おしい文字を指で撫でながら、この神社のどこかで私たちを見守っている夫に、私はそう語りかけた。