003 七緒少年は目を逸らし、やっぱり戻す
「ナナオ、朝食ができたぞ」
「有難うございますフーリーさん。それじゃあ、お師さまを呼んできます」
七緒はムクリと起き上がると、己が火炎となるイメージを作る。
すると七緒の輪郭が朧気となっていき、子供の握りこぶしほどの火球となった。
それは俗に、人魂や狐火と呼ばれる代物である。
七緒は転生前と同じように、妖狐としての術が使えるのだ。
問題なく使用でき、むしろこちらでの方が調子良い。
青白い狐火が扉を開けずに台所へと入り、そのまま台所も素通りして、館の中庭へと抜け出る。
その中庭も横切って、館の北面1階にある“お師さまの作業場”へと向かった。
狐火は作業場の前でくるりと1回転し、元の七緒の姿へと戻る。
その際、シャツに付着していた血糊が、キレイさっぱり無くなっていた。
炎と化した際、表面に着いた物理的な汚れが、全てほろりと落ちるのだ。
七緒の着ているシャツや半ズボンは、全て自分の体表面を変化させたもので、その形は自由自在なのだった。
今は素足ではなく、革に似せたサンダルも履いている。
これらは、妖狐ならでわの特技と言えよう。
フーリーさんやお師さまからは、
「つまり化け狐とは、常に裸なのだな」と指摘されて、七緒は断じて裸でないと抗議している。
コン コン コン
七緒は、作業場の扉をノックした。
しかし返事はない。
もとより返事は期待しておらず、七緒はミスリル銀の重い扉を押し開く。
「お師さま、朝ごはんですよ」
室内へ入ると、正面には大きな作業台が見える。
台の上には様々な形の魔法具が、乱雑に置かれていた。
その作業台の向こう側。
部屋の一番奥には、七緒少年よりも大きい釜がどでんと鎮座していた。
左右の壁には食器棚がいくつもあって、そこには様々な紙箱、カンカン、ビン詰めが雑に突っ込まれている。
しっかりと項目ごとにしまわれているらしいが、七緒には全てゴミに見えた。
作業台を左へ回り込むと、左壁の食器棚の脇に長ソファーがあり、そこにはあられもない姿で獣人の女が眠っていた。
濡れたような艶を放つ、長い黒髪。
透き通るような白い肌。
身に付けている物は、レースのショーツだけ。
獣人の女は、己の黒い尻尾を抱き枕にして丸くなっている。
七緒は華奢な肩に触れて、軽く揺り動かす。
「お師さま、お早うございます。ご飯ですよ。
こんな所で寝ないで下さい。
自分の部屋で、寝て下さいよ」
お師さまと呼ばれた女は、獣耳をぱたぱたと動かすだけで、眼は開けてくれない。
「嫌よ、私の部屋、4階にあるのだもの。
面倒くさいわ」
「まったくもう」
七緒が呆れながら眺める、半裸の女。
この獣人の女こそが、七緒を引き取り育ててくれた魔導師だった。
七緒はお師さまに大恩を感じているけれど、この方の生活習慣は何とかして欲しいと思っている。
くんくんくん
お師さまの鼻が、ひくひくと動いた。
「あら血の匂いがする。
また、切り飛ばされたのね」
「今日はフーリーさんに、褒められました」
「……初めはただの、気分転換だったでしょう?
今じゃ、随分な熱の入れようね」
「やってみると面白いんです。
赤ん坊が歩くのを覚えるように、体の使い方を一から覚えていくのが。
ヒノモトでは随分と、自堕落な生活をしていましたから」
七緒は肩に手をやり、首をコキリと鳴らす。
七緒少年は中性的で、普段お人形さんのように可愛いらしいが、時よりオッサンのような仕草をする。
「ふ~ん……まあいいわ。
ねえナナオ、私の朝食持ってきてくれる?」
「駄目ですよ、こんな汚い所で」
「ひどいわ、汚くないもの」
「あの、良かったら片付けますけど」
「駄目、ここまで掃除されたら、私の領域が無くなってしまうわ」
お師さまはイヤイヤしながらソファーから起き上がり、う~ん~と唸って背伸びをした。
七緒の前で形の良い真っ白な胸が、ふるふると揺れる。
七緒はちょっとだけ目を逸らし、やっぱり視線を戻す。
「困ったものね。
ナナオが来てから、私の生活空間がどんどん健康的になっていくわ」
「いいじゃないですか」
「うん、いいわね」
「それじゃ起こしましたからね、ちゃんと服を着て食堂に来てくださいね」
手をひらひらさせるお師さまに口を尖らして、七緒は食堂へ戻っていった。
一人残されたお師さまは、ゆっくりと作業場を見回す。
この部屋以外は、七緒が掃除をしてしまって、館が見違えるほど綺麗になっている。
七緒は“ケガレ”と言う思想を持っており、自分が住む場所は“ケイダイ”と定め、いつも綺麗にしておかないと気が済まないらしい。
お師さまは寝ぼけた頭でそんな事を思い出しながら、一つ大きな欠伸をする。
「ふああ……あふん。
ナナオはとっても可愛いけれど、中身がおっさんなのが困りものねえ」
お師さまは肩をすくめて、床に散らばる衣服を拾い始めた――