27② ー混乱ー
モーリスは大きなため息を吐き出した。ため息しか出ない。主人が目の前にいようが気にすることなく、もう一度息を吐き出す。
「旦那様……」
「セレスティーヌは衣装や宝飾を好む人だった」
「ですが、今は違いますよね」
それには気付いているはずだ。すぐに言い返してくるあたり、分かっていたのに店の者を呼んだのである。
クラウディオは椅子に座ったまま、沈んだ顔をして、ただ唇を噛み締める。
「どうしていいか、分からないんだ」
クラウディオは苦悩を声に出すと、頭を抱えるようにして体を丸めた。
(悩んだのは奥様の方だろうに)
呼ばれた店の者たちを前にしても、セレスティーヌは自分の衣装を購入することはしなかった。代わりにメイドや乳母たちの衣装を購入し、彼女たちを喜ばせたのである。
もう、昔のセレスティーヌではない。自分の衣装ばかりを買い求め、美しく着飾ってはクラウディオに見せに来る彼女ではないのに。
クラウディオもそのイメージは薄れているはずなのに、それでセレスティーヌを喜ばせられるとも思っていないのに、セレスティーヌにそれらを贈ったのだ。
(今までは女性が勝手についてきていたから、振り向かせる方法も考えたことがないのだろう)
猫を保護し、アロイスと共に遊ぶことができたのだから、なにがセレスティーヌにとって喜ばれることか理解していたはずなのに、ここで悪手を打ってしまった。
感覚的にしか分かっておらず、頭では理解していないのがよく分かる。
(着飾って振り向かせようとする方しか、側にいなかったからな)
母親のこともある。昔のセレスティーヌも同じ。クラウディオに近付く女性たちは、多くが新しい衣装や宝飾を好み、男性に見てもらおうとする。
そればかりを見ていたせいか、いざ喜ばせようとしたら、それしか思い付かなかったのだ。
「お気持ちが変わったんですか? 奥様とは距離を置くのではなかったのですか。ダンスも踊られたと言っておりましたが」
クラウディオは泣きそうな顔を向けてくる。子供の頃ですら見たことのない、情けない顔だ。
「ダンスは、……私が踊りたかったからだ。どうしてそんな気持ちになったのか分からない」
混乱しているのは本人か。気持ちの整理ができておらず、ただ衝動的に行動してしまっている。それはセレスティーヌも面食らうだろう。二人が会っている間、結構な頻度でセレスティーヌが目を白黒させていた。
クラウディオは自らが女性を追い掛けることなど考えたことがない。だからなのか、今なぜ混乱しているのかも分かっていないのだ。
(気付かなかったが、ここまで愛に疎かったのだな。そして、こんなにも不器用だったか)
それが環境のせいであっても、大切な友人や好ましい女性がいれば変わりようがあっただろうが、変わることなどなかった。クラウディオには今までそんな人がいなかったことになる。
今回のことを喜んでいいのかどうか。
「奥様は随分変わられたと思います。旦那様は今の奥様ならば、今までのことがあっても許せるのでしょう」
借金については、セレスティーヌの両親が半ば強引に融資を申し出てきた。それで承諾しなければならなかったのは、彼らが手回しをして周囲からの融資や援助を抑えたからである。
どれだけの力を持ち始めたのか。王が警戒するだけあって、影響力は強かった。
セレスティーヌはそこで胡坐をかくように、結婚を迫ってきたのだ。
始めは断りを入れた。そのようなことで結婚など、馬鹿馬鹿しいと批判的だった。拒絶したのは母親のこともあったからだろう。セレスティーヌからの視線を苦々しく感じていた。
しかもその時のセレスティーヌの言葉に、クラウディオは憤りを感じていた。
クラウディオが嫌悪したのは、セレスティーヌが結婚を条件に融資を申し出てきたからだけではない。
『結婚をお約束いただければ、お金をお貸しします。クラウディオ様が優雅に暮らせるお金が、我が家にはありますから』
領民が家を失い病に侵され苦しんでいると言うのに、その融資を全て潰しておきながら、優雅に暮らせる金と言ってきた。
セレスティーヌはクラウディオがなんのために金を得たいのか理解しておらず、笑いながら結婚を迫ってきたのだ。
どれだけ馬鹿にした女なのだと、激しい怒りを見せていた。
王からそれなりに助けてもらい、なんとかしようと画策した。それでも、周囲は融資を拒んだ。デュパール公爵家も手助けをしてくれ、領土を立て直そうとしても、なにかしらの邪魔が入る。
薬、建材、食料。医師や復興に関わる人材。なぜかどこかで不足が生じ、一向に前へ進めない。
とうとう万策尽き、クラウディオはセレスティーヌとの結婚を受け入れたのだ。
(あの両親の目的が分かっていることもあって、奥様との距離を空けていたわけだが)
ここでセレスティーヌと手を取り合うとしたら、あの両親の影響力を滞らせる必要がある。
(それは、今言うことではないな)
「奥様は、ご両親についても冷静に判断されているようですし、王位に関しても今の奥様は望まないと思います」
「王位に関しては、彼女は元々興味がないだろう。王を怖がっていたし、そういった身分には興味がなさそうだった。母についても詳しく聞こうとはしてこなかったからな」
「興味があることは旦那様だけだったのは、確かでしたね」
セレスティーヌは他の女性と違い、元王女であるクラウディオの母親や、その弟である王について知りたがったりしなかった。
モーリスもセレスティーヌからそんな話を聞かれたことはない。
(それ以外も、ほとんど聞かれたことなどないが)
セレスティーヌが聞いてくることはいつも同じ。クラウディオがどこにいるのか、仕事はいつ終わるのか。クラウディオの空いている時間しか聞くことはない。そこに疲労はあるのか、余裕はあるのか。一度として聞かれたことはない。
借金についてもなんのためなのか理解していなかったのだから、当たり前に高額の衣装や宝飾を購入し、無神経に見せにくる。
セレスティーヌのクラウディオへの興味はとても浅いもので、クラウディオの内心を慮るものではない。
セレスティーヌもまた愛について疎く、相手の心を得ようとすることに対し、一方的な考え方しか持っていなかった。
両親に抑圧されてきたからなのか。両親はあれで、姉もヒステリックな人だと聞いている。
「セレスティーヌはなににでも言われたらそれに合わせなければならないと、常に怯えるような性格をしている人だった。私を好んだのも、両親からなにか言われたからだろう。その両親にああいった態度をするのならば……」
ここにきて、性格は一変し、セレスティーヌはなにもこだわらなくなったのである。
常に自然体で、クラウディオには執着せず、両親にも素っ気ない。
「今は、アロイスに対してだけ、目に見えるほどの愛情を注いでいる」
「そう思うのであれば、旦那様は奥様の身になってお考えください。やり直したいのならば、奥様のためになることを行い、それを常に問い、奥様の反応を理解しなければなりません。そうでなければ、奥様の心は離れていくでしょう。今までの態度を鑑みて、よくよくお考えください」
「……分かった」
クラウディオはやっと納得したのか、大きく頷いた。
まるで子供に諭しているようだ。幼い頃からなんでも上手く行っていたから、心が成長していないとは気付かなかった。
物心つく前から母親に虐げられ、両親を亡くすのも早く、若くして公爵を継いだ。そのせいでか他人の心に疎く未完成な心のまま成長してしまった。
この年でやっと心に留められる人が見付かったのかもしれない。
だが……。
(問題は、奥様がこだわらなくなったのは、旦那様へも同じ。奥様の心がもうとっくに離れてしまっていたら)
そう考えながら、頭の中でかぶりを振る。
クラウディオを嫌っているようには見えなかった。遠慮している風はあるが。
モーリスはただただ息を大きく吐き出す。
(旦那様の考え方を慮ったのは、奥様の方だったのだろう)




