22② ー帰宅ー
セレスティーヌに初めて会った時、彼女はこちらをじっと見つめるだけの、その辺の女性と変わらなかった。
クラウディオを公爵家の一人息子として扱う女性たちは皆同じ。次期公爵という色眼鏡でこちらに注目し、なんとか言葉を交わせないか、知り合いになれないか、いつもそれを見定めている。
セレスティーヌはその中の一人だった。遠目にこちらをじっと見て、なにを言うでもなくただ見つめ続ける。
セレスティーヌは伯爵家の次女で、両親に似た美しい姿をしていた。姉と共に現れると華がある。そんな噂を聞いたことはあったが、実際見た時になにか思うことはなかった。セレスティーヌは容姿が美しくとも、とても気が小さく、他の令嬢に比べておどおどとした、自信のなさが分かるような女性だったからだ。
令嬢たちが集まる中、セレスティーヌは一人視線を床に落とし、誰かの会話を耳にしているだけ。嘲笑されてもなにを言うこともなく、苦笑いをして過ごすような大人しい女性。
だが、婚約が決まれば、大人しさはあっても意外に頑固で、時折堰を切ったように喚き散らすような情緒不安定さを持ち、怒りを覚えるほど人の話を聞かない独りよがりな人だと分かった。
だから言ったのだ。あなたとは部屋を共にすることはない。
その時のセレスティーヌの顔を、今でも覚えている。
泣くのか、泣かないのか。悲しみを含んだような、複雑な笑み。
(ああいった顔は、今はしないな)
セレスティーヌはクラウディオの隣ですやすやと寝息を立てていた。この姿だって、今までのセレスティーヌなら有り得ないだろう。人前で泣いたりすがったりしても、セレスティーヌはクラウディオの前で眠ることはない。一緒にいる時間を睡眠などで無駄にはしない。それならばなにかを訴えたり、物欲しげに見つめたりする方が大切だからだ。
屋敷の中ですら、話し掛ける隙はないかと部屋の周囲をうろつくほどである。
(それが今では、こちらから会おうとしない限り、姿を見ることはない)
前のように予定を確認して待ち受けることはなく、遠目からのぞいたりもしていない。
本当に偶然会わない限り、会うことはなかった。
見掛けるのは、アロイスを散歩に連れて歩いている時くらいだ。
セレスティーヌはアロイスを中心に生活するようになり、今ではクラウディオに偶然会うと、逃げるように去っていく。
それが、計画的な、思惑のある避け方ではなく、気まずそうに退いて逃げていくので、こちらがなにかをしたのかと不安になるほどだった。
けれど、話をする時は毅然とし、時折クラウディオに注意をする。
この人は、こんな人だったか?
見たことのない、堂々とした態度。いつものように変に緊張した姿はない。人の目を真っ直ぐに見て、自分の意見をはっきりと伝えてくる。
狩猟大会では特に顕著だった。守りのハンカチを持つことはなく、興味がなさそうにクラウディオを見送り、ドレスを汚されても犬の管理に喚き散らすことなく、いつもならば泣き叫ぶほど嫌うデュパール公爵夫人への礼をクラウディオに確認した。
本当に、この人はセレスティーヌなのだろうか。
別人と言われた方が、よほどしっくりくる。
(王も、驚いていたな)
『随分と雰囲気が変わったのだな』
そう言われて、こちらも苦笑いしかできない。王ですら、まるで別人だと訝しんでいた。
『関係が改善せぬようならば、離婚も視野に入れるべきと助言するつもりだったのだがな』
離婚はできない。借金をする際に契約に入っているからだ。セレスティーヌから破棄の申し出があれば話は別かもしれないが、彼女がそれを選ぶことはない。両親と仲が良いわけではないが、両親の命令に背けるほどの勇気もないからだ。
だが、王は、このままであれば影響があると、眉を曇らせる。
セレスティーヌの父親が各界に影響力を高めており、今後面倒になるかもしれないからだ。
セレスティーヌの家は歴史ある家だが、父親が商才により一代で財を成し家を大きくさせた。高利貸しを行うこともあり、それによって癒着を増やし情報を集めるなどの画策をしているため、力を付けてきている。
現在王には子がおらず、後継者が決まっていない。このまま子ができねば次代の後継者をどうするのか。そうなった時の基盤を作り始めているという。
バラチア家は王族の血を引いており、クラウディオの母親が王の年の離れた姉だ。その関係もあり、王の次に後継者として相応しいと言われているのがクラウディオだった。
(自分が次期後継者など思ったことはないが)
もしセレスティーヌとの間に子供が生まれれば、セレスティーヌの両親が次期後継者として子供を祭り上げることは目に見えていた。
だから王は、現状目障りな動きをし始めている彼らを、どうにかした方が良いと考えている。
『もっと早く、お前の婚約を決めるべきだった』
そんな風に王は後悔を口にしてきたが、もしセレスティーヌとの婚約前に誰かと婚約していても、借金苦で婚約は破棄されていただろう。
それほどバラチア領は困窮し、先が見えない状況だった。
王はバラチア家だけを特別視できぬと言いながら、災害復興や病に関われる人手を送ってくれたり、多くのことを援助してくれたりしたが、それだけでは埒が明かなかった。
セレスティーヌとの婚約が決まり、王は一番に反対したが、どうにもならなかったのだ。
『奴らが少しでもおかしな動きをすれば、娘ごと排除することも考えている』
それならば公爵家も落ち着くだろう。
そう提案されたことは、セレスティーヌには絶対に言えない。
「お帰りなさいませ。旦那さ……」
屋敷に到着すると、モーリスたちがぎょっとしながらクラウディオとセレスティーヌを迎えた。
「このまま寝室に運ぶ」
眠ったまま起きぬセレスティーヌを抱き上げて屋敷に入ると、皆は慌てるように道を開き、セレスティーヌの部屋の扉を開く。
そっとベッドに乗せると、そそと皆が部屋から出ていった。リディまで出ていかなくて良いのだが。この衣装のまま、装飾品なども着けたまま寝させるわけにもいかない。
そう思ったが、呼びかける気も起きなかった。
「はあ」
ため息混じりでセレスティーヌを見遣ると、余程気を張っていて疲れたのか、一向に起きる雰囲気はなかった。
頬にかかった髪を直してやると、ううん、と顔を背けてくる。
その顔を見ているだけで、なんだか胸がドキドキしてくるのは気のせいだろう。
出ている肩まで毛布をかけてやって、クラウディオは唇を噛み締めた。
セレスティーヌに好意を抱いたことはない。
セレスティーヌを見ていると、母親を思い出す。母親は夫に異常なまでに執着していた人だった。
忙しさに放置されれば愛されていないと泣き叫び、屋敷を留守にされれば発狂するようにメイドたちに当たり散らした。
子供がいるせいで夫に相手にされないのだと、クラウディオを虐待するほどだった。
あれを思い出していたのに。
だが、心を入れ替えたように変化したセレスティーヌの態度に翻弄され、アロイスへの愛情あふれる対応に混乱させられていると、いつの間にかセレスティーヌを気にしている自分がいることに気付くのだ。




