番外編 ヴァルラム⑦
『封印が解けて自由になったとはいえ、なにをしていいか、分からないねえ』
ヴァルラムは風に流れる綿毛のように、ふわふわ空に浮いて進んでいた。
(どのみち封印の間、時が止まっていたような状態だったのだし、自由になった代わりに時間が動くのだから、そんなに長くはないと思うけれど)
ふわふわ浮き続けてたどり着いた、自分が繋がっていた場所。石碑の上に来て、座り込む。懐かしい場所だが、フィオナがここで倒れたことを思い出すと、複雑な気持ちだ。
だが、今のフィオナは幸せだと言う。彼女が幸せならば、それで良い。なにも気にせず、彼女が幸せであれといつまでも祈るだろう。
ヴァルラムはうーんと周囲を見回した。
『結構ひどい状況じゃないの? 封印を壊した反動と、魔獣が暴れたせい?』
フィオナが見たら悲しむだろうに。
いつも座っていた石碑は崩れ、それを中心にするように、円形状に木々が薙ぎ倒されている。それは崖下の森にも及んでいた。魔法で燃やされたのか一部は焦げ消失しているところもある。
移動すればフィオナの住んでいた屋敷が見えたが、こちらにも影響が出ており、建物が半壊していた。
魔法陣で穴を開けた際、封印が壊れて吹き飛んだのだろう。その余波で建物が崩れたようだ。もちろん周囲の木々も倒れて竜巻でもすぎたようだった。
『まったく、綺麗な景観が台無しだ』
そのまま封印が解けていればこんなに周囲に影響はなかった。穴を開ける際に弱まっていた封印が壊れて、圧縮していた場が弾けて周囲を壊してしまったようだ。
軽く見て回った限り、魔獣の影響は多いように見える。道を歩く者は少なく、馬車や馬に乗っていても必ず警備がついている。動物程度で良かったとは言えない状況だ。
『孤児院……は、さすがに誰もいないか』
孤児院は町の外れにある。フィオナの屋敷よりも城側にあるので、封印が壊れた影響はないが、魔獣が出て急いで逃げたのだろう。封印が壊れた際に爆発音でもしたのかもしれない。
孤児院にはフィオナの刺繍したクッションや指人形が落ちていた。
(急いで逃げたんだね。子供たちはどこに行ったんだろう)
城へ行けば壊れたところはなさそうだ。しかし、昔のように昼でも門を閉じている。魔獣が出なくなって開放していたのに、魔獣から逃げるために町の人々は城へ逃げ込んだようだ。
それでも、全員は入られなかっただろう。
(子供たちが城の敷地まで入られただろうか)
城の中は安全なのか、活気がある。
まるで昔討伐に来た時のように人がごった返していた。狭い土地に多くの人が住む。それでも土地が肥沃だから、狭い土地でも多くの野菜や果物が実った。
ふと城の廊下を歩いている、少々偉そうな男を見遣る。それの後ろをついていくと、領主の部屋に入っていった。
領主は少し丸目の身長の低い男で、フィオナに言い寄っていた息子の父親のままだ。
「魔獣ですが、国境まで広がっているようです。あの封印の中に、どれほどの魔獣がいたのか。当時の苦労を感じますね」
「国王からの援助は打ち切られそうだな。怒りの顔しか思い浮かばない。動物になっただけマシとは言われたが、主要の道に出るのはなんとかしないと」
討伐の人員を集めるのに苦労でもしているのか、領主はため息混じりだ。
(ちょっと、体借りれるかな)
「……、コホン。孤児院があったが、あの子供たちはどうしたんだ?」
「子供たち、ですか? 前に問い合わせがあったので調べた話の?」
「そう、それだよ」
「前にもお伝えしましたが、家に戻れない者たちが働いている間の預かり所として、子供たちは城の一角で育てることになったではないですか。孤児院の子供たちもそこにいます」
「ああ。そうだった。そうだった」
「??? えー、それからですね……」
ヴァルラムはそろりと領主の体から出る。思ったよりも簡単に乗り移れるようだ。
本人の意識を閉じ込めるため抵抗があると思ったが、意外にすんなり入られた。
(体を間借りするようだから、本人の意識は途切れるみたいだ)
領主が顔をぶるぶる振っている。一瞬寝落ちしたように思ったかもしれない。
申し訳ないと思いつつ、窓から外へと出ていく。
(フィオナは安心するかな。ずっと気にしていたしね)
フィオナは子供たちに守り袋を渡していたが、無意識にまじないをかけていた。食べ物にも同じく、なにかを唱えながら作っていたのだろう。
子供たちが健康に、問題なく成長できるように。そんなまじないをした物を毎回与えていれば、加護の効果が出てくる。怪我などはしにくいはずだ。
(魔力少ないくせにああいうことやるから、体調不良が増えるっていうね)
フィオナの作る食べ物には魔力が宿る。セレスティーヌの魔力で行えば、効果は倍増するだろう。子供たちに作るように、唱えて作ることは今は少ないだろうが。
城の中を歩かずふわふわ浮いて、辺りを見回す。
フィオナの家族は追放と聞いていたが、どこに行ったのだろうか。
少し考えて、次は男の体をお借りする。領主からは、知らん。の一言が返ってきた。かなりお怒りのようだ。
仕方がないのでもう一度領主の体をお借りする。男の答えは、よく分からない。だった。
この領土からは追い出されたため、隣の領土に住んでいるのでは。という答えだったが、財産なども没収されたので、そこまで遠くには行けないだろう。とのことである。
領を離れたすぐの町は人の多い町だ。その辺りにいるのかもしれない。
(フィオナは気にしていないと言っていたけれど)
道なりに進んで隣の領土へ入ると、検問がされていた。魔獣の魂が入った動物が入らないようにしているようだが、魔獣の少ないこの時代では町すべて壁で囲むような作りになっていない。せめて道からは入られないようにしている程度だ。
町の周囲には簡単な板のバリケードがされていた。動物相手なので、このくらいでも少しは防げるのだろう。魔法を使うものになれば話は別だが。
(妹の顔は幼い頃しか知らないんだよね。父親はなんとなく。母親はさっぱり分からない)
それで探せるとは思えないが、のんびりふわふわと飛んでは道を進み、屋根の上を飛んでは地面近くを進んだ。
その時、悲鳴が届いた。イノシシが入り込んだのだ。魔獣か、目の前にいる人に突き進んで噛みつこうとする。子供であれば吹っ飛ばされる大きさだ。
男たちが斧や鍬を持って対抗し、女性や子供は急いでどこかの家に入り込む。けれど人が多すぎて、人の合間を縫って走り出すと、逃げるのが遅い女性や子供を狙って突っ込んだ。
荷物を抱えた女性が人に押されて地面に滑り込む。悲鳴の中で男が体当たりをしてイノシシが横に飛ばされたが、すぐに体勢を元に戻して大口を開けて突っ込んでくる。
魔法は使わないためまだマシな方か。男たちはなんとかイノシシを倒したが、あれが大挙押し寄せて魔法でも使ってきたら、対処するのは難しくなるだろう。
(思ったよりも少ない被害だろうけど、それでも犠牲は出るだろうな)
先ほど転んだ女性はフードを深く被っていたが、転んだせいで髪が見えると、すぐに深く被り直す。そうして、逃げるように走り出した。
(あの髪の色)
赤い髪の癖毛をフードに隠して、女性は走り続ける。小道に入り、後ろを確認して、町外れの小さな家に入った。窓から中を伺うと、フードを脱いだ赤い髪の女性が見える。
フィオナの妹のジネットに似ている気がした。
家は隙間風が入りそうなボロ屋で、ブルイエの屋敷からは想像できないほど小さかった。家というか倉庫にも見える。
人が住むには古すぎだ。無人の家を勝手に使っているのではないだろうか。
家に住んでいるとなると、おそらく両親もいるだろう。
(これ以上見る必要はなさそうだ)
フィオナは家族の不幸を喜んだりはしない。特に興味がないだけだ。これを見たら、彼女は仕方なしでも援助をするだろう。
『まあ、知らなくてもいいことはあるよ』
ヴァルラムはふわりと浮いて、再びふわふわとさまよった。行くあてもないので、結局城まで戻ると、回廊をのんびり移動する。庭に果物がなっているのを眺めていると、すれ違った人がいた。
『えっ!?』
振り向いた先、黒髪を束ねて背中に流した男が足早に歩いていた。
それが、見覚えのあるメガネのような気がした。
(嘘でしょ!? こんなところまで来たの??)
メガネの黒髪。ノエルが回廊を抜けて建物に入った。
中は書庫で、ノエルはこの城の住人のように本棚を眺めて何冊か手に取ると、どさりと机の上に乗せた。
いつからこの城にいるのか。書庫にいる者たちはノエルを気にする風はない。
一人の若い男がノエルに気が付くと、分厚い本を運んでくる。
「すみません。こちら追加の本です。お部屋に持っていってくださっても大丈夫ですから」
「ありがとうございます」
ノエルの前に本が積まれた。これをすべて読む気なのか、ノエルは不敵に笑んでいる。
クマが少ないように見えるのは、ここまでの長旅のせいなのか。少しだけ日焼けをしたか、顔色がいつもよりずっと良い。それでも本を開くと集中して、一心に読み、持っていた紙に書き写す。
(あ、そこの文、変だよ。書き間違えたんじゃないかな? あ、そこもおかしいよ。その本、大丈夫!?)
「なんでこうなるんだ?」
読み進めていると、ノエルが顔をしかめた。それもそうだろう。ずいぶん古い本に見えるが、書き間違いが多い。魔法を習い始めた者が書いたのではないだろうか。古いからといって正しいことが書いてあるわけではない。
なんだかもどかしい。どうしてこんな本を与えたのか。いや、この土地では魔法を真面目に伝えていたのはブルイエ家ぐらいだろう。領主も封印の魔法陣についてよく分かっていなかったのだから、古い本を集めただけなのではないだろうか。
もう見ていられない。ヴァルラムは先ほどのちょっぴり気が弱そうな、若い男性に謝りながらも乗り移る。
「申し訳ありません。この本、少し記述がおかしいみたいで」
「やはりそうでしたか。この辺り、理解ができなくて。自分の学びがおかしいのかと」
「いえ、とんでもない。これが間違っています。あとこれとか、こことか」
ノエルは、ぱあっと顔色を明るくした。自分の知識が間違っていなかったことに安堵して、こっちはどうだ。とか、あっちはこうじゃないか。とか、色々聞いてくる。
「この魔法陣は、解釈を変えて、こう組み直した方が美しいと思います」
「確かに! こう描けば単純ながらも大きな威力が出せますね。勉強になります!!」
キラキラした目で魔法陣を見つめて、ノエルは急いで紙に記す。書くのも早く正確で、覚えも早いため、ヴァルラムも教えるのが楽しくなってきた。
その熱心さについつられて、本に載っていない魔法などを教えると、ノエルはふるふると震え出した。
「ご教授いただいても!?」
「は!? はは。いえ、これくらいしか、知らなくて」
「素晴らしいです! 魔法に詳しい方が自分の知り合いにもいますが、彼女は時間が決められていて、中々長く話し合うことができなくて」
(それはつまり、クラウディオがきっとうるさいんだろうねえ)
想像がつく。ノエルが屋敷に来るたびに、クラウディオが噛み付くようにノエルを牽制していた。早く終わらせろと部屋で待機していたくらいだ。集中できないからとフィオナがクラウディオを部屋から追い出すほどである。
クラウディオは締め出された子犬みたいになっていたが、次にノエルが訪問すると、また同じことをするという。
(新婚みたいなものだからね。二人きりにしたくないわけだろうけど)
クラウディオは嫉妬を隠しもしないので、フィオナも苦笑いだった。
微笑ましいものである。そのうちアロイスもやってくるので、ノエルの勉強はあまり進まなかった。
「ここの魔法陣の繋げ方ですが、種類によってはうまく繋ぎにくいではないですか」
「ああ、それはですね。簡単な繋げ方があって」
質問をされるのですぐに返すと、ノエルは真剣な眼差しをして言われたことをすぐに理解し、頷きながら紙に記した。
熱心な生徒に教えているみたいで、昔を思い出す。
(チェルシーみたいだね。自分で考えて、分からなくなったら聞いてきて)
彼女だけではない。ブルイエやヘクター、エニシャ、他の魔法使いたち。みんながヴァルラムの部屋に集まって、この魔法はどうやって威力を上げるのか。新しい魔法陣をどうやって考え出すのか。議論は朝になるまで続いて、皆がぼろぼろになるまで魔法について学び語り合っていた。
あの時は常になにかを覚えて考えだそうと、皆が同じ方向を向いて邁進していた。
幸せだった日々。大切な時間。
遠い昔の、当たり前で賑やかな日常。
「え……、だ、大丈夫ですか!? どこか体調でも!?」
「あ、いや、目にゴミが」
「そ、そうですか?」
頬をつたう涙を、ヴァルラムは無造作に拭った。
「では、僕はそろそろ」
「ありがとうございます! とても勉強になりました!!」
ノエルは律儀に立ち上がり、丁寧に礼を言ってくる。クラウディオと言い合っている姿からは想像できない、好青年ぶりだ。
椅子に座り直すと、ノエルは再び本に集中する。その姿はかつての皆を彷彿とさせた。
「フィオナによろしくね」
「え?」
ノエルは振り向いたが、ヴァルラムはそっと男の体から抜け出す。
城から出て辺りの景色を見つめて、石碑に戻ると、目に焼き付けるように周囲を見回した。
この場所でずっと生き続けなければならないと思っていた。生きているとは違うのに、その魂は消えずこのままなのかと。
(そうだね。次の人生は、昔のように魔法の談義をして、意見を言い合って。幸せな、あの頃のように)
もう、この場所に居続けることはない。自分は自由になり、新しく生が与えられるだろう。




