番外編 ヴァルラム⑥
「おじいさま。ここに、まほう使いさんがねむってるの?」
「そうだよ。フィオナ。命をかけて、この土地を守ってくださってるんだ。だから、お礼を言わなきゃいけない」
「おれい。ありがとうございます?」
前に見た青年が祖父になったのか、孫娘を連れてきたらしい。フィオナと呼ばれた女の子は、石碑に触れると、小さな手でゆっくりなでた。
「毎年、封印の儀式を行うんだ。フィオナも大きくなったら、頑張るんだよ?」
「ふぃおな。がんばるね」
フィオナはそう言って、祖父と手を繋いで帰り道を歩きながら、こちらを向いて手を振った。
小さな女の子。毎日のようにやってきて、野原に咲いた花や、いかにも自分のおやつのクッキー一枚を持ってきたり、石碑が汚いとハンカチで拭いたりする。
大きな黒目をぱっちり開けて、口をぽっかり開けたまま、石碑の文字を読もうと苦戦していた。よく分からないと言って、教科書を持って文字を調べようとしたこともあった。
この場所が好きなのか、時折石碑の前で寝転がり、本を持ってくるとこちらに読み聞かせをしてくる。
それがなんともおかしくて、暗闇に戻らず光の方へ留まっていた。
妹がいるようだが、数回嫌々連れてこられた程度で、その両親もほとんどここに来ることはない。
しかし、フィオナはよくここに訪れる。
体が弱いらしく、寒い日になると祖父が走って迎えにくる。そうすると数日ここには来ない。来ない日は体調が悪いのだと気が付いた。
「今日はパンを作ったのだけれど、失敗しちゃったの。少し焦げているけど気にしないで」
フィオナはあっという間に美しい女性に成長した。
けれど、どこか顔色が悪い。紙に乗ったパンを台座に置くと、小さく息を吐く。
成長してもフィオナの体は良くならなかった。むしろ、悪くなっている気さえした。
それでも活動的に子供たちのために食事やお菓子を作るなど、自分ができることを行なっていた。
こっそりここで魔法の練習をしていることも知っている。魔力が少ないことと、体が弱いこともあって、フィオナは魔法を使うことを禁止されているようだった。
(儀式の練習で倒れたことがあったからな)
長い黒髪に黒い瞳。少しだけ強気な印象があり、けれど子供たちを愛しむ、優しい心を持つ少女。
フィオナを見ていると、古い時代を思い出す。もう、微かにしか思い出せないほどの、記憶の片隅にある思い出だ。
(子孫といえば、子孫になるのかな)
そんな、短い時代ではないけれど。
「今日はドーナツを。砂糖と油まみれになって、もうこれは作ってこないで。って言われてしまったわ」
孤児院に持って行ったお菓子が子供たちには好評だったが、面倒を見ている先生たちに嫌がられたことを愚痴ると、フィオナは石碑の台座にそのドーナツを置く。
「動物が食べたら、体に良くないと思うけど」
魔力の注がれた食べ物に触れることはできていたが、口にすることができると気付いたのはつい最近。
ブルイエ家に封印を行う者がいなくなったからだと推測している。
祖父が亡くなり、ここに来るのはフィオナだけになった。
そのフィオナが成長していくのを見ていると、思い出す姿がある。
『ヴァルラム様』
自分が、もっと早く決断して、抵抗していれば、こんなことにならなかったのだろうか。
今さらすぎるほど、今さらなことを思って自嘲する。フィオナが彼女に良く似ているからだ。
ただ、顔色が悪すぎて、心配で仕方がない。胸を押さえて座り込んだ時はどうすれば良いのかと思った。
その時に、魔力があっても人間に触れることはできないのを知った。フィオナはヴァルラムの目の前で、何度も浅い息を繰り返して冷や汗を流す。
フィオナの祖父が昔ここで呟いていた。フィオナでは封印を守れない。あの子は長く生きられないだろう。
彼女のように、短い命でしかないのか。
そうして、起きた、あの夜。
(魔法陣!? どこかで見た)
突如現れた、見覚えのある魔法陣。前に見たものとは少し違っているかもしれないが、封印に穴を開けた魔法陣だ。
魔獣は未だ森の中でうごめいている。しかし、前に比べて数は減っただろうか。自分と同じく眠り、暗闇に入ったまま目が覚めないのかもしれない。
今回はあちらに現れることなく、ヴァルラムの頭上に現れた。
なんのための魔法陣なのか。どこに呼ばれるのか。空に浮きながらのんびりと構えていると、木々の隙間から光が近付いてきた。
『フィオナ、近寄るな!』
駄目だ。フィオナ、君はまだ。
フィオナが胸を押さえて倒れ込む。魔法陣は封印を壊し、そこにある魂を吸い込むように拾い上げた。
このままではフィオナが死んでしまう。
暗闇を猛スピードで移動する中、フィオナと離されないように抱きしめる。体に戻さなければ暗闇に留まることになる。
どこか。彼女を戻す体を。
暗闇に小さな光が見えると、それが大きく広がった。
魔法陣の真ん中で、床に倒れている女性。光の中は現実で、暗闇に追い出されている女性が見えた気がした。
(迷っている暇なんてない!)
フィオナの魂を光の中に下ろした。その瞬間、光は消えて、再び暗闇に取り残された。
その暗闇に、ふわふわと浮きながら仰向けになっている女性がいる。
自殺でもしたのか。ヴァルラムより透けているところを見ると、あまり持ちそうにない魂だ。
(本来ならば、こうであるべきなんだろうね)
ヴァルラムの鎖は解けて、封印は壊れてしまった。穴を開けるつもりが、封印が弱まっていて壊れてしまったのだろう。
(魔獣の魂はウヨウヨしてたんだけどね。あちらには穴は開かなかったから、呼ばれたのは僕ってことかな?)
けれど、あまりにも今さらだ。いったいあれからどれほどの時が経っていると思っているのか。
「さて、どこであの魔法陣を知ったのかな?」
女性は魂ながら顔を上げてこちらを見上げる。ひっ、と悲鳴を上げて飛び退いたが、体が浮いていたバランスが取れず、さらに悲鳴を上げた。
「誰か! クラウディオ様!!」
哀れな魂。ここが現実だと思うのだろうか。
「魔法陣がもう一度発動されれば、出られるかもしれないけれど、君はきっと戻れないと思うよ」
「な、なにを。ここはどこなの、あなたはなんなの!?」
どうして。どうして。
女は泣くが、暗闇から出ることはできなそうだ。ヴァルラムは暗闇と光を行き来できる。しかし、女はただ泣くだけで、ここから出ることはできなかった。
フィオナは新しい体で戸惑いながら、けれどなにが起きているのか、その体でどうにかしようと奮闘した。
もう大丈夫だろう。フィオナは命を断つような真似はしない。
さて、自分はどうしようか。
鎖がないためどこにでも行けるが、暗闇で啜り泣くセレスティーヌを放置すると、消えてなくなりそうだった。光の中に連れていっても、おそらく消えてしまうだろう。
(参ったね。どうしようか)
「君は次の世に行かないとダメなんだけれど、僕のせいでここに残ってしまっているのかな?」
セレスティーヌは嘆いてばかりだが、フィオナは活動的だ。アロイスの世話は楽しみながら行なっていて、気付かれないようにと言いながら、クラウディオへの接し方が容赦ない。
笑ってしまうのは、彼女が生き生きしているからだろうか。
(なんでもいい。彼女が生きていてくれれば)
自分よがりな考え方だ。フィオナはきっと嫌がるだろう。
けれど、フィオナの意思の強さと、行動力を甘く見ていた。
なまじセレスティーヌに多くの魔力があるため、セレスティーヌの体と魂を繋げようとしてくる。魂の残滓となっているのに、セレスティーヌを呼ぼうとする。
フィオナが眠れば、夢を見て繋げてくるのだ。
(無意識に繋げようとするのは、もう才能なんだよね)
死ぬだけの魂を戻しても仕方がないのに、フィオナはどうにかしようとしている。
現実を教えるべきだろうか。いや、教えて逆に生きる気力を失ってほしくない。
だが、このままだと、魔法陣を発動する。発動すれば、体を返すと言うはずだ。セレスティーヌは体に戻れる状態ではないのに。
すでに魂は透けはじめて、声も小さくなっている。生きていると思わせたいが、時間は少なくなっていた。
それでも、フィオナは次々と事実を明るみにしていく。
「君も、次の世では前向きにならないといけないね。まあ、僕もだけれど」
後ろ向きすぎて、多くを失った。後悔してもどうにもならないほど、遠い昔の話になってしまった。
「私はただ、家を出たかった。明るい家に憧れていたの。同じ気持ちなら、きっと大丈夫って」
「僕も、そんな家を夢見たことがあるよ」
それは夢で、叶わぬものだった。自分がなにもしなかったのだから、当然だ。
「羨むだけではどうにもならないね。選択をして行動するのはとても難しいと思うけれど、なにもしなかったらそのままだよ。さて、君はどうしたい? いつまでもここにいたいのかな?」
ヴァルラムの言葉に、セレスティーヌは涙を流す。もう少しなにかやりようがあっただろうに、けれど彼女の方法は失敗ばかりだった。
「次は、間違えないようにね」
魂の残滓は消えて、再び暗闇に一人になる。
フィオナはクラウディオとアロイスと三人で、本物の家族のように幸せそうだった。
『私は今、とても幸せだよ。でも、セレスティーヌは、あなたはどこへ行くの? ヴァルラム』




