おやすみやす
「こないだ見た夢の話なんやけどな、まあいきなり夢落ちやねんから大した話ちゃうわな。夢の中で俺は高校生やったんやけど、葬式行かなあかん言うて家族でバタバタ準備してるシーンから始まってん。でも誰の葬式かは全然分からへんねんな。誰の葬式に行くんか知らんのに、急いで準備せなって焦燥感に駆られるねん。で、ウチの間取りってこんな感じなんやけど」
そこまで言うと墨染は、注文用の紙と鉛筆で次の様な間取り図を描いた。
「玄関があって、廊下があって、真ん中左手にリビングとダイニングに繋がる扉、右手にトイレ、まあここはええねん。で、廊下の突き当りに洗面所と浴室があって、そこの右手に二階に繋がる階段があるねんな。そんで俺は高校生やから葬式行くには制服着なあかんさかい自室のある二階に上がろうとしたんよ。そしたら開きっぱなしの洗面所の扉の向こうを、黒い影がスッと動くのが横目に見えてん。気味悪いなーとは思ったんやけど葬式の準備急がなあかんから取り敢えず気にせんことにしてん。誰の葬式かも分らんのにな」
「家族全員の準備が整ってほな行こかってなって、俺が最後に玄関の段差に座って靴履いとってん。そしたら他の家族はもう家出てるはずやのに、頭のすぐ右後ろに何者かの気配を感じたんよ」
そう言うと墨染は、右手を挙げて耳の後ろ辺りを指し示した。
「直感的にさっきの黒い影やって思った。何故かは分からんけど後ろに居るのが女やとも分かった。絶対に振り向いたらあかんともな。でも夢の中のオレはそのまま振り返……ろうとしたところで目が覚めてん。ほんまにもうちょっとで見てしまうところやった」
「この時点ではまあ怖い夢見たなあぐらいに思っててん。この店来る前にでっかい寺通ってきたん分かる?ウチそこの檀家なんやけど、次の日犬の散歩してたら掃除してはった住職さんに呼び止められてん。『最近なんか変な事あったか』って。思い当たるのがその夢くらいやったから話したんやけど、そしたら住職さんこの話あんま他人に話さん方がええって言わはるねん。この夢は感染るから、もしこの話を聞いてしまったら、その人が俺の見た夢の続きから見てしまうかも知れへんねんて。つまり、振り向くところから」
「おい、それって」
思わず口を挟んだ。話してはいけない事をなぜ私に話すのか。
「ごめんな。もう三日もまともに寝れてへんねん。今だって背後に何かがおるような気がしてならへん」
「いくら幽霊を信じないと言ったからって、そんなタチの悪い話は聞きたくなかったな」
「この話を聞いた全員が夢の続きを見るとは思われへん。つまりより多くの人間の耳に入れば一人あたりの確率は下がると思うねん」
「まだ書いてんねやろ、小説」
なるほど。それで私が呼び出されたのだ。
「押し付けてしもて申し訳ないな丘野。でもこれでやっと少し眠れるわ。お代は俺が払っとくから。迷惑料やと思っといて」
そう言うと墨染は、伝票を持って席を立ってしまった。
会計を済ませた墨染は、店の扉を開けるとこちらを振り返ってこう言った。
「ほな、おやすみやす」
机に置かれた二杯目のビールは殆ど口を付けられる事なく、グラス一面に結露を蓄えていた。
腐れ縁、という言葉がある。
切りたいと思っているはずなのに何故か切ることの出来ない人間関係に使われがちな言葉であるが、果たしてそれは本当に人と人との縁だけであろうか。
それではみなさん、おやすみやす。