余は魔王、人間界の夏祭りに行ってみたいと言ったら魔界一の美女サキュバスが「ついて行く」と言い出した
魔界──。
それはありとあらゆる悪魔が存在する闇の世界。
恐怖と絶望だけが支配され、そこに一切の快楽はない。
魔王城の最上階、玉座の間で椅子に座りながら余は隣でお茶を汲んでいるサキュバスに声をかけた。
「サキュバスよ」
「はい、なんでしょうかサタン様」
「知っておるか? 今、人間界では夏祭りというものが流行っているらしいぞ」
「夏祭り?」
「たくさんの屋台が出て、人間たちが踊りを踊ったり花火が上がったりするイベントだそうだ」
「なんと低俗な。やはり人間どもは知性も身体能力も我々悪魔の足元にも及びませんね」
「それでだな、サキュバスよ」
「はい」
余はコホン、とひとつ咳をしてポツリとつぶやいた。
「……………………………余も行ってみたい」
「は?」
「その……夏祭りに……」
その瞬間、ティーポットに注がれていたお湯が余の顔面に炸裂した。
「あっぢいいいぃぃぃぃーーーーッ!!!!!」
なにッ!?
何が起こったッ!?
顔面をおさえながら目を向けると、サキュバスはものすごい形相で余を睨み付けていた。
「サタン様、気は確かですか!?」
「な、何が……?」
「魔界の王たるお方が、人間界のイベントに行ってみたいなどと!」
「……だってなんか楽しそうだし」
すると今度は、ティーポットの中のお茶を思いっきりぶちまけられた。
「うあっぢいいいぃいぃぃぃぃーーーーーッ!!!!!」
「サタン様! お気は確かなのですか!?」
「いや、それ完全にこっちのセリフだよね!?」
「楽しそう、ただそれだけの理由で魔界の王が人間界に降臨なさるおつもりですか!?」
い、言われてみれば確かにそうだけども……。
「だ、だってどういうものか見てみたいし」
「見る価値もありませぬ、そんなもの! しょせん烏合の衆が寄り集まってバカ騒ぎしてるだけでしょう!」
「む! そんなことはないぞ。なにせ夏祭りには、たくさんいるらしいからな」
「なにが?」
「……………………………浴衣を着たねーちゃんが」
「地獄へ落ちろッ!!!!!」
「ぎゃふん!」
今度は、ティーポットごと殴られた。
あまりの破壊力にティーポットが粉々に砕け散る。
な、なんつー馬鹿力。
ていうか、地獄ここなんですけど……。
「やめて、サキュバス。これ以上やられると死んじゃうから、マジで死んじゃうから」
「死んでもらってけっこう!」
けっこうじゃないよ。
怖いよ。
誰だよ、サキュバスは魔界一の美女だから魔王の隣にいたほうが絵になるって言ったの。
彼女の方が魔王だよ。
「ああ、嘆かわしや……。魔界の王が人間界にうつつを抜かすなど……。嘆かわしや」
いかん。このままでは本当に殺されかねない。
余は慌てて適当な理由をでっちあげた。
「サ、サキュバスよ、いいかよく聞け。これは任務……そう、任務なのだ。楽しそうというのはあくまで建前で、本当の狙いは人間界の情報収集なのだ」
「情報収集?」
ピクッとサキュバスの長い耳が反応した。
よし、いいぞ。興味を示してくれた。
「そうだ、情報収集だ。夏祭りと言えば、多くの人間どもが集まる場。つまり人間界のありとあらゆる情報が一斉に入手できる場でもあるのだ」
「なるほど」
「とすれば、だ。魔界にとって有益な情報を手に入れられるチャンスではないか? どこそこで勇者が死んだだの、どこそこで賢者が瀕死の重傷を負っているだの。場合によっては人間界に攻め込める機会をつかめるかもしれない」
まあ、そんなことはせぬが。
にしても、こんな理由で騙されるだろうか。
普通に考えたら、よほどのバカでない限り騙されは……。
「ふむ。一理ありますね」
……よかった、バカな子で。
「だろう? というわけで、余は夏祭りに行く」
「仕方ないですね。かしこまりました」
よっしゃあああああああぁぁぁぁッ!!!!!
なっつまつり♪
あ、それ、なっつまつり♪
「では私もお供します」
「………」
「………」
……………は?
「情報収集ならお任せください。私の方がサタン様よりもお役に立ちましょう」
「………」
……………まぢでッ!?!?
え、やだちょっと、この子、ついてくる気!?
「サ、サキュバスよ。気持は嬉しいがお前まで出張ることはない。情報収集なら余に任せろ」
「私はサタン様の護衛でもあります。サタン様がお出かけになられるのであれば、ついていくのが道理!」
さっきその護衛に殺されかけたんですけどね……。
でもここで突っぱねると、怪しまれるかもしれない。
ていうか、殺されるかもしんない。
「う、うむ。わかった、そこまで言うのならばついて来るがよい」
「はっ」
余は観念してサキュバスがついていくことを許可したのだった。
※
人間界に降りるに当たって、余はサキュバスに浴衣を着させた。
普段は黒マントに黒レオタードという魔界スタイルだが、さすがにそれで夏祭りに行かせると目立ってしまう。
なので、余と同じく浴衣スタイルで降りさせようと思ったのだ。
「……似合ってますか、サタン様」
カランコロンと更衣室から下駄を履いて現れたのは、水色の朝顔のイラストがプリントされた涼しげな浴衣を着たサキュバスだった。
青い瞳に白い肌、金色の長い髪という西洋風の顔立ちが、逆にギャップがあってとても似合っている。
「驚いた。すごく綺麗だぞ、サキュバスよ」
「サタン様。からかわないでください」
うほう。
うっすらと頬を染める姿も美しい。
こいつ、こんなにも可愛かったのか。
魔界一の美女と呼ばれる所以がわかった気がする。
「これなら人間どもに注目されずに夏祭りを堪能……げふん、げふん。情報収集ができるな」
「そうですね、少し動きづらいですが、うまく潜り込めそうです」
「よし。では行くとするか」
「はい、サタン様。夏祭りで徹底的に人間どもをいたぶって吐かせてやりましょう」
「いや、しないよ!?」
いたぶるって何!?
恍惚な表情で言わないで!
「言っておくが、目を引くことはしないからな! 隠密行動が原則だからな!」
「ええ、わかっております」
……ほんとかよ。
人間界に降りる魔法陣の上に立ちながら、これから行く夏祭りが不安でしょうがなかった。
※
夏祭り会場は熱気に包まれていた。
辺りを埋め尽くすほどの人、人、人……。
そして香ばしい匂いが漂ってくる美味しそうな屋台。
何よりも、右も左も浴衣の美女、美女、美女……。
そ、そそる……!
「サタン様」
「ひいっ! ごめんなさい!」
「……? 何を謝っているのですか?」
サキュバスに声をかけられて思わず謝ってしまった。
条件反射って怖い。
「ご、ごほん。なんだ、サキュバスよ」
「これが夏祭りというものなのですか?」
「そうだ、これが夏祭りというものだ」
「さっきから周りからジロジロと見られまくっているのですが……」
気づけば、すれ違う男、男、男、すべてがサキュバスに顔を向けている。
どうやら彼女の美しさに目を奪われているようだ。
やはり魔界一の美女の名は伊達ではないらしい。
「気にするな。単純におぬしの容姿に見惚れているだけだ」
「見惚れて? ま、まさか! すでに我らを魔族だと見破っているのですか!?」
……なんでそーなる。
「違う違う。おぬしがあまりにも綺麗だから目がいってしまってるだけだ」
「おのれ人間め。サタン様、ここは先手必勝です。きゃつらが襲ってくる前に究極灼熱魔法で一気に片をつけてしまいましょう!」
「やめて!?」
何考えてんの、この子!
ここを焦土と化す気!?
「だ、大丈夫だ、サキュバスよ。そんなことはない。襲ってくることはないから」
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも」
「でも、やっぱり……」
「お、おお、見よ! あんなところにわたあめがあるぞ!」
ブツブツつぶやくサキュバスの手を引っ張り、余は初めて目にするわたあめの屋台に向かって行った。
こういう時は甘いものでも食べさせたほうが良い。
「おやじ、わたあめをくれ」
わたあめの屋台に着くなり、余は店主に声をかけた。
店主は一瞬、余とサキュバスを見てひるんだ表情を見せたがすぐに愛想笑いを浮かべた。
「いやあ、驚いた! これまたものすごい美男美女のカップルだねえ! ビックリしたよ」
「そ、そうか? カップルに見えるか?」
「そりゃそうさ。手なんて繋いで。くううう、羨ましい!」
言われて初めて、余はサキュバスの手を握っていることに気が付いた。
慌てて手を離そうとするも、サキュバスがギュッと握って離さない。
「サキュバス?」
「サタン様、今は隠密行動でしょう? ここはその設定で押し通しましょう」
その設定って……。
「う、うむ、そうだな」
確かにそのほうが良いかもしれない。
ここで他人行儀な態度を取ったら怪しまれるだろう。
余は店主に向き直ると言った。
「そ、そうなのだ。お互い初めての夏祭りでな。まずはじめに夏祭り名物のわたあめをいただこうと思ったのだ」
「嬉しいねえ! 最初にうちを選んでくれるなんてねえ。あいよ、出来たてだよ!」
店主は景気よく返事をすると、棒に刺さった白いふわふわの塊を差し出してきた。
「ほう、これが噂のわたあめ……」
余はすぐさま懐から財布を取り出し、代金を支払った。
すると、横で見ていたサキュバスが聞いてきた。
「サタン様、そのお金はどうされたのです?」
「これか? 返り討ちにした勇者どもから巻き上げた」
巻き上げたというと聞こえは悪いが、正確には勇者たちが置いていったのだ。
なぜか人間界には「全滅させると所持金が半分になって教会で目を覚ます」という謎の掟があるらしい。
そのため、魔王城に乗り込んできた勇者どもは、余が返り討ちにするとことごとく姿を消し、代わりに金だけが置かれているという謎のシステムが採用されている。
どうやら神の粋なはからいらしいのだが、正直うっとうしい。
なにせ魔界で人間界の金なんか使えるわけがない。
置いてかれても処分に困るだけだ。
そう思って何百年か前に神に抗議文を送ったら、
「ごめんね、気づかなかった。てへぺろ」
という手紙が返って来た。
もしかしたら神が一番ウザい存在かもしれないと思った瞬間だった。
まあ、そんなわけで、魔王城には歴代の返り討ちにあった勇者たちの金が腐るほどあるというわけだ。
しかし、こうして役に立つこともあるのだから、結果的には良かったのかもしれない。
余は店主からわたあめを受け取るとその場を離れ、近くの木の幹に腰かけた。
「どうだ、サキュバス。これが夏祭り名物わたあめだぞ。おいしそうだろう」
「なんだか気持ち悪いですね。刈り取った羊の毛みたいで」
……他に言い方ないの?
「ま、まあまあ。食べてみろ。きっとうまいぞ」
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも」
「嘘だったら殺しますよ?」
護衛が殺すな。
だ、大丈夫だ。
夏祭りのわたあめと言えば、天地がひっくり返るほどの美味と魔界の書物にも書いてあった。
きっと魔族の口にも合うはずだ。
余は震える手でサキュバスの小さな口にわたあめをちぎって放り込んだ。
「………」
「ど、どうだ?」
「………」
「どうなの?」
「………」
「まずいの?」
しばらく口を動かしていたサキュバスだったが、やがて蕩けるようななんとも言えない表情になった。
「お、おいしい……」
よっしゃああああああああぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!
セーーーーーーーーーフ!!!!!
危ない危ない、本当に殺されるかと思った。
「サタン様、すごく美味しいです、これ」
「そうだろう、そうだろう。これは魔界の書物でも至高のグルメとして紹介されていてな……」
サキュバスは余の言葉に耳をかさず、一心不乱にわたあめにかぶりつきはじめた。
少しは話を聞け。
「あの……サタン様」
「なんだ」
「全部もらってもいいですか?」
「よくないよ!?」
え、なにこの人。
いきなり独り占めしようとしてるんですけど。
「えー。けちんぼ」
子どもか。
ブースカ言ってるサキュバスをなだめつつ、余もわたあめを口に含む。
瞬間、口の中でわたあめが一気に溶けて、甘さだけが一気に口の中を駆け巡った。
「ふおおおおおお、なにこれ、めっちゃうめええええぇぇッ!!!!」
「ふふふ、でしょう!?」
なぜかドヤ顔をしているサキュバス。
ていうか、さっきバカにしてたよね?
なんだろう、このモヤモヤ感。
まあそれはさておき、こんなウマイ食べ物、初めて食べた。
魔界にもないぞ、こんな美味しい食べ物。
「人間界も捨てたもんじゃありませんね」
パクパクと余の手からわたあめを奪い取るように食べまくるサキュバス。
ほんと遠慮ないな、この子!
全部食べる気だよ!
「あのー、サキュバスさん? ちょっと食べ過ぎでは……」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないですし」
「いや、減ってるよ!? ガンガン減ってるよ!?」
気づけば、わたあめが突き刺さってた割り箸だけが余の手の中に残されていた。
結局全部食べやがったよ、こいつ……。
「あー、美味しかった!」
「よ、喜んでいただけて光栄です……」
相手がサキュバスでなかったら、超ド級の暗黒魔法をお見舞いしてるところだ。
やはり連れてくるべきではなかった。
「サタン様、素晴らしいですね、人間界の食べ物は。他にもこういうのが売ってたりするんですか?」
「うむ。余も書物でしか見たことがないからよくはわからぬが……あとは焼きそばにお好み焼き、たこ焼きというものもあるらしい」
「たこ焼き……。まさかクラーケンどのの丸焼きでしょうか!?」
「いや、クラーケンはたこというよりイカ……」
「こうしてはおれません、サタン様! すぐにクラーケンどのをお救いしましょう!」
サキュバスはそう言うとキョロキョロとあたりを見渡し始めた。
今わかった。
この子、ちょっと勘違いして突っ走っちゃうタイプだ。
「サキュバスよ、クラーケンは焼かれてはおらぬし、ここにはいないぞ」
そもそもクラーケンは魔界の海の怪物だ。
人間界のしかも陸地にいるわけがない。
「そんな悠長なことを言ってる場合ではありません! クラーケンどのはきっと魔界にやってきた人間どもに捕まって、ここに連れてこられたに違いありません! さあ、はやく!」
よくそこまで妄想できるな。
逆に尊敬するわ。
「あ、見てくださいサタン様! あそこにたこ焼きの文字が!」
キョロキョロ辺りを見渡したサキュバスが、ひとつの屋台を指差した。
確かにそこには大きな文字で「たこ焼き」と書かれている。
サキュバスはその文字を見るや、たこ焼き屋の屋台に突撃していった。
「へい、らっしゃ……」
「クラーケンどのを返せやあああああぁぁぁっ!!!!!!」
ひええええええ……!
たこ焼き屋の兄ちゃんに掴みかかっとるー!
「サキュバスーーーー!!!!!」
慌ててたこ焼き屋に向かい、兄ちゃんの首を絞めてるサキュバスを離す。
「げほ、げほ。な、なんなんですか、いったい……」
「す、すまぬ。連れが無礼をした」
サキュバスはなおも余の腕の中で「クラーケンどの、お返事をー!」と叫んでいる。
ああ、地獄へ送り返してやりたい……。
「お連れ様、だいぶテンションあがってますね」
「う、うむ。なにせ初めての場所だからな。いろいろわからなくて興奮してるんだ。すまんが、迷惑ついでにひとつくれ。金は倍払うから」
「いや、通常料金でいいッスよ。楽しんでくれてるならオレも嬉しいッスから」
そう言ってにっかりと笑うたこ焼き屋の兄ちゃん。
な、なんという好青年……!
眩しくて見てられないわ。
きらりと見える八重歯から爽やかな風まで感じる。
こういうのが将来、勇者となって余の前に立ちはだかるんだろうな。
「まいどー」
たこ焼き屋の兄ちゃんからたこ焼きを受け取ると、サキュバスを連れてすぐにその場から立ち去った。
まったくもう、ほんと疲れる……。
「すみません、サタン様。どうも勘違いをしていたようで……」
たこ焼き屋から離れてすぐにたこ焼きについて説明し、サキュバスをなんとかなだめさせた。
「……だからクラーケンはここにはいないし、焼かれてもいない。この中には人間界の普通のタコのぶつ切りが入っているのだ」
「そうと知っていれば、あそこまで騒がなかったのに……」
騒がれても困るけどね。
「それで、それが例のたこ焼きですか?」
「うむ、これが例のたこ焼きだ」
「まん丸くて気持ち悪いですね」
……意味がわからん。
「ま、まあ食べて見ろ。これもきっとうまいぞ」
「ではひとつ……」
わたあめで警戒心が薄れたのか、サキュバスはためらうことなくたこ焼きをひとつ掴むと、口の中に放り入れた。
「……熱っつ!」
どうやら見た目以上に熱かったらしい。
目を白黒させて口をバクバクしている。
「ど、どうだ……?」
「あっふふへあひはははひはへふ」
……なんて?
「お、おいしいのか?」
サキュバスは口の中を手でパタパタさせながら余の首を絞めてきた。
「ぐえ!」
な、なに!?
おいしくなかったの!?
「ほ、ほんはひおいひいはへほほ」
「お、おぢづけ……」
パンパンと腕をタップする。
しかしサキュバスはなおも首を絞める力を強めていった。
死ぬ!
マジで死ぬ!
サキュバスはごっくんと飲みこんで「はー」と息をついた。
「熱すぎて死ぬかと思いました」
「……ごっぢも死にぞうでず……」
「あっ!」
サキュバスが慌てて手を離す。
「げほ、げほ!」
「も、申し訳ございません、サタン様! あまりに熱くすぎて首を絞めてしまいました! 死んでませんか!?」
死んでませんかって、あーた……。
「げほ、げほ。……大丈夫だ、生きてる」
「はあ、よかった。これで死んでたら『たこ焼きが熱すぎて部下に絞殺された魔王』という汚名をサタン様に着させるところでした」
「余が汚名を着せられる方なの!?」
すごいわ、この子。
自分が悪いなんて微塵も思ってないところがすごいわ。
もうサキュバスが熱い料理を食べる時は側にいないようにしよう。
「で? どうだった?」
「はい?」
「たこ焼きの味は」
「はい、口の中で暗黒大将軍と闇の帝王がデュエットを奏でながら死闘を演じてるかのようなお味でした」
独特な感想!
想像が追い付かない!
「そ、そうか。暗黒大将軍と暗闇の王がねー……」
「サタン様、『闇の帝王』です『闇の帝王』。『暗闇の王』ではなく」
どっちでもいいわ。
っていうか魔界におらんわ、そんなヤツ。
「……で、うまかったのか?」
「はい、とっても」
とろんとした表情で、またもや余の手の上にあるたこ焼きをジーッと眺めている。
あ、これまた欲しがってるパターンだ。
どうしよう、また「全部欲しい」とか言うのかな。
やだなー。
この子、遠慮ないしなー。
「あの、サタン様」
「なんだ?」
「全部ください」
出たよ!
思ってた通りの言葉が出てきちゃったよ!
「全部って、これ全部ですか?」
「ダメ……ですか?」
ダメに決まってるじゃない!
なんで恥らう様に言ってんの!?
余だって楽しみにしてたのに!
でもここで断ったらまた殺されそうだしなー。
「じ、じゃあ一個だけ余にくれ。他は全部あげるから」
「仕方ないですね。一個だけですよ?」
「う、うむ。わかった」
なぜ余が譲歩しなければならんのかは置いといて。
待ちに待った人間界のたこ焼きだ。
どんな味なんだろう。
余は木製のピンのようなものでたこ焼きをぶすりと刺して持ち上げると、口の中に放り入れた。
瞬時に広がるタレの甘じょっぱさとピリッとした感覚。
同時にわき起こるねっとり感。
「ぬおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!!!! こ、これは!!!!」
これまた、わたあめとはまた違った味わいだ。
ふわとろの中に含まれるタコの食感がたまらない。
なんだろう、今まで食べたことがないほど美味しい。
「うますぎる。これは魔界でも作ってもらいたいレベルだな!」
「おお、サタン様もそう思われましたか?」
「サキュバスもか。うむ。これはぜひ魔界でも検討してみよう」
「そうですね。食材はぜひ、クラーケンどので」
……勝手にクラーケンを食材にすな。
っていうか、さっき「返せ」とか言ってただろ、おぬし。
「ま、まあ食材についてはおいおい考えるとして。サキュバスよ、このたこ焼きというものはだな。夏祭りでは欠かせない食べ物で、全国どの夏祭りでも……」
「サタン様、サタン様」
「ん? なんだ」
「サタン様、一個食べたから、残り全部もらってもいいんですよね?」
言ったけど!?
確かに言ったけど!?
今、余がしゃべってる最中だったよね?
それを遮ってまで聞くこと!?
などと思ってるうちに、サキュバスは余の手からたこ焼きのトレーを奪い取ると残りを一気に食べ始めた。
「はうう、美味しいですサタン様。……で、なんの話でしたっけ?」
「あ、もういいです……」
完全に話す気なくなったわ。
なにはともあれ、サキュバスは幸せそうな顔をしていた。
「サタン様、人間界ってなんでこんなに美味しいものが溢れてるんでしょうね」
「おそらく、こういう発明には長けているのだろうな。身体的には我らに劣るが、何かを生み出す能力は我らよりはるかに優れておるな」
「もしかして、人間界にはまだまだたくさんの美味な食べ物があるのですか?」
「うむ。かつて人間界を放浪したガブリエルの書物によれば、魔界にはない料理が何百、何千とあるそうだ」
「な、何千……」
その瞬間、キランとサキュバスの瞳が輝いた。
……やな予感。
「サタン様、いっそのこと私と一緒に人間界に移り住みましょう!」
「は!? 何言ってんの!?」
「私、この世界の料理を食べつくしたいです!」
「バカなの!?」
思わずツッコんでしまった。
ほんと、いきなりだなこの子。
「サタン様、おっしゃいましたよね? 情報収集のためにこちらに来たと」
「う、うむ……」
「だとしたら、人間界の料理の情報も魔界にとっては必要です!」
「そ、そうかな?」
「人間界の料理の味を魔界で再現できるのは、私しかおりませぬ!」
それ、ただ単にあなたが食べたいだけでしょ!?
「いや、そういうことはだな、よく考えて……」
「よく考えた結果です」
うそつけ。
「それに我々が人間界に移り住んだところでバレずに生活できるかどうかは……」
「大丈夫です、うまく化けれます」
……あ、この子本気だわ。
本気の目してるわ。
ここで突っぱねたら殺されるわ。
「よ、よしわかった。サキュバスよ、そこまで言うなら一人でやってみろ」
「は? サタン様もご一緒ですよ?」
なんで!?
「余も一緒なの!?」
「だって私、護衛ですし。近くにいてもらわないと……」
護衛の近くに主君を呼ぶなバカモノ。
「いや、でも余は魔界での仕事も……」
「いやいや、何を申されます。今まで全部部下に任せっきりでしたでしょう?」
い、痛いところをつかれてしまった……。
確かに仕事は全部部下に押しつけてた。
だって、面倒くさいんだもん。
「サタン様にはサタン様にしかできない役割を果たしてください」
「余に出来ない役割って?」
「私の側にいることです」
完全に立場逆転しとるがな。
「……か、かしこまりました」
結局、余はそのままサキュバスとともに人間界にとどまることとなった。
世界各地を放浪し、世界のグルメを堪能した。
のちに余とサキュバスは新宿歌舞伎町で魔界ラーメン屋を開業することになるのだが、それはまた別のお話。
おしまい
お読みいただきありがとうございました。
季節外れの内容でほんとすいませんでした。