彼ぴっぴしゅきしゅきビーム殺人事件
走り梅雨のぐずつく日の、暮方のことだった。
山奥の小径を、カラタチの生垣に沿って歩いていた。初夏だというのにやけに肌寒い。生温い煙雨はじっとりと肌にねばつき、濡れ透ける砂利道はつるつると滑った。
その殺人の現場は、竹藪の陰に蕭然と佇む一軒家だった。鑑識と機捜が立ち並び、警戒色のテープに囲われているが、野次馬などただの一人もいなかった。
「本部係検事の佐藤さんですね? 所轄署の市原です」
私が敷地に踏み入ると、一人の刑事が声をかけてきた。金縁の眼鏡をかけた、痩身の垢抜けない男だ。挨拶も手短に、さっそく説明を受ける。
「被害者は鯉野良雄、34歳男性。死亡推定時刻は本日正午ごろ。第一発見者は妻の鯉野好子で、買い物から帰宅した際に夫の遺体をリビングで発見したそうです。通報があったのは午後一時半。凶器は彼ぴっぴしゅきしゅきビーム」
聞き慣れない言葉に思わず立ち止まった。
「彼……何と仰いましたか?」
「彼ぴっぴしゅきしゅきビームです。ご存じありませんか?」市原は眼鏡を持ち上げた。「一昔前に流行したネットスラングで、男女の恋情が過剰に昂った際に放射される熱光線を指します」
「それが凶器なんですか」
「ビームですからね。凶器にもなりますよ」市原は肩をすくめた。「この光線を照射された物体はプラズマを放ちながら一瞬で蒸発します。観測上の最高温度は8000度に達し、かつていくつもの都市を根絶やしにしました。まあ、現場をご覧になればわかりますよ」
案内された居間は、爆心地のような有様だった。全ての家具が瓦礫と化し、土埃が舞い、焦げ付いた血肉の悪臭が漂っていた。
「彼ぴっぴしゅきしゅきビームは部屋の隅から対角線上に放射され、被害者と壁を貫通した後、裏手の駐車場を粉砕しました。遺体は上半身を吹き飛ばされ、遺されたのは膝から下だけです」
「どうしてそんなむごいことを」
「痴情のもつれは何が起きるかわかりませんからね」市原は悲しげに首を振った。「おそらく今回の捜査は難航するでしょう。なぜなら恋はいつだってラビリンス、迷宮入りするものですからね」
「……その、何とかビームが凶器に用いられたのは確かなんですか?」
「間違いありません。今の日本でこの規模の破壊が行えるのは、彼ぴっぴしゅきしゅきビームか米軍だけです」
「だったら、犯人は被害者の妻以外ありえないのでは?」
私の素直な疑問に、市原はやれやれと長い溜息をついた。
「鯉野好子にはアリバイがあります」
「しかし、第一発見者なんでしょう?」
「もちろん状況的には可能でした――しかし、この場合のアリバイは、少し意味が違います。実は鯉野好子は、夫と離婚調停中だったのです。ここまで話せばおわかりですね?」
まったくわかっていない様子の私を見かね、市原は分厚い本を取り出してぱらぱらと捲った。
「いいですか、佐藤さん。法医学書の定義にはこうあります。"彼ぴっぴしゅきしゅきビームは彼ぴに対するしゅきしゅきが臨界点に到達した際に放たれる熱光線である"」
「法医学書にそう書かれているんですか?」
「一言一句そのままです。そして今回のケースでは、鯉野好子と被害者の関係は冷え切っていた。つまり、彼ぴっぴしゅきしゅきビームは放射できなかったんです。そう、言わばこれは……"恋のアリバイ"」
市原はそう言って前髪をかき上げ、切なげに吐息を漏らした。
「……しかし、そうなると誰がそのビームを打ったんでしょうか?」
「今回の焦点はそこですね。実は先ほど、鯉野好子が取り調べを終えたところです。よかったら話を聞いてみますか?」
私が頷くと、市原は早足で2階に上がり、やがて小柄な女性を連れて降りてきた。
鯉野好子は少しやつれてはいたが、取り乱した様子はなく、市原の事情聴取にも落ち着いて対応していた。
「私が帰宅したのは午後一時過ぎです。そのとき、彼ぴはすでに灰燼に帰していました。朝はあんなに元気だったのに」
「失礼でなければ、お二人の離婚理由をお教え願えませんか?」
「彼ぴの不倫です。実は今日の午前も、彼ぴはその人と会っていたんです。まさにこの家で。私は知っていて席を外していたんです」
「そんな! それなら犯人は決まりじゃないですか」
「いいえ刑事さん、その人は犯人じゃありませんよ――彼ぴとその人が会っていたのは、別れ話をするためだったんですから」
市原を制止する鯉野好子の声色は、毅然として穏やかだった。
「数日前、彼ぴの不倫を知った私は、その相手――山田美智子さんと面会しました。美智子さんは彼ぴが既婚であることも知らなかったらしく、いたく幻滅したようです。『もう良雄さんのことはぜんぜんしゅきしゅきではない、週末に縁を切りに伺います』と、そう言っていました」
「そうか。山田美智子も持っているんですね……"恋のアリバイ"を」
「私も彼ぴのことはぜんぜんしゅきしゅきではありません。だから、私と美智子さんに犯行は不可能ですよ」
「くそ、完璧なアリバイだ」市原は頭を抱えた。「佐藤さん、これはただの完全犯罪じゃありません。"恋の完全犯罪"です」
「――――果たしてそうかな?」
唐突にそう言ったのは、背後から現れた謎の男だった。ベージュのコートに煙管を手にした、中肉中背の男だ。
「あ、あなたは?」
「名乗るほどの者じゃない――しかし人はぼくをこう呼ぶ、"恋愛探偵"と」
「恋愛探偵!? あの恋愛探偵さんですか!?」
「有名な方なんですか?」
私の疑問に、市原は目を剥いて口から泡を吹いた。
「ご存じないんですか!? かつていくつもの恋愛難事件を解決してきた、正体不明にして伝説の名探偵です。彼に解けない恋のロジックはありません。得意分野は、爛れた団地妻の不倫」
「すでに現場検証も事情聴取も終えているよ。そして判明した、真犯人が」
「さ、さすがは伝説の探偵。ぬかりない手際だ……!」
「大好きなのさ、他人の痴話喧嘩を嗅ぎ回るのが」
恋愛探偵は得意気に鼻を擦った。
「いいかい? この事件は一見、誰もが完璧なアリバイを持っているように見える――しかし君たちはもう一人、重要な容疑者を忘れていないだろうか」
「それは……まさか」
「そう。鯉野良雄、被害者本人だ」
息を呑む市原に、恋愛探偵はぱちりとウィンクを投げた。
「ぼくの推理はこうだ。良雄は美智子との別れ話で逆上し、彼ぴっぴしゅきしゅきビームを放射した――しかし、狙いを違えたか美智子が躱したか、命中しなかった。そして彼ぴっぴしゅきしゅきビームは鏡か何かに当たって反射し、良雄に直撃したというわけだ。すべての情報を整理したとき、導かれる結論はこれしかない」
「たしかに彼ぴは、美智子さんとの関係に未練があるようでした」さすがに鯉野好子は動揺しているようだった。「でも、そこまでしゅきしゅきだったなんて」
「恋はいつだって暴走機関車、誰にも止められないものだからね――そう、車掌さんにさえ」
傍で聞いていた鑑識たちが、うっとりとため息をついた。ぱらぱらと湧き上がる拍手に、恋愛探偵は帽子を取って一礼した。
「……いいえ、恋愛探偵さん。あなたの推理には矛盾があります」
そのとき反論したのは、意外なことに市原だった。
「ほう、市原くん。聞かせてくれるかな、君の考えを」
「確かに、良雄が美智子をしゅきしゅきだった可能性はあるでしょう。さすがは恋愛探偵、見事な推理です。――しかし、良雄がビームを放射できるくらい美智子をしゅきしゅきだった場合、美智子を殺害する動機も失われてしまうのです」
「……そうか。その通りだ」恋愛探偵は唸った。「しゅきしゅきでなければ凶器は得られない。しかし、しゅきしゅきであれば殺意を抱くことがない――もどかしいな。まるで、報われぬ恋のようだ」
「しゅきしゅきであればあるほど彼ぴっぴしゅきしゅきビームを犯行に使えなくなる――」市原はぶつぶつと呟きながら思考に沈んだ。「つまり、他の誰かをしゅきしゅきであればいい――そうか!」
天啓を得た様子の市原に、恋愛探偵は期待の眼差しを向けた。
「何か閃いたようだね、市原くん」
「はい、この恋の真犯人がわかりました」
「導いてくれないか。ぼくたちを、この恋の終着駅に」
市原はゆっくりと頷き、そして部屋の中を歩き回りながら語り始めた。
「この現場を見たときから違和感があったんです。いかに彼ぴっぴしゅきしゅきビームといえど、被害規模が大きすぎる――少なくとも、人一人殺すためにここまでの火力は必要ありません。つまり、彼ぴっぴしゅきしゅきビームは殺人とは別の目的で放射されたのです」
「待ちたまえ、市原くん。焦らすのはやめて、本題を早く教えてくれないか――つまり、彼ぴっぴしゅきしゅきビームを放射した人物は一体誰だというんだ?」
「いいでしょう。――この事件における当事者は3人。彼ぴっぴしゅきしゅきビームが放射されている以上、この中の誰かが誰かをしゅきしゅきだったことは間違いありません。しかし、好子も美智子も、良雄のことはぜんぜんしゅきしゅきではなかった。となれば、おのずと答えは一つに絞られます」
市原の眼鏡が煌めいた。
「彼ぴっぴしゅきしゅきビームを放ったのは鯉野好子です。しかし、彼女がしゅきしゅきだったのは彼ぴの良雄ではありません――その不倫相手、山田美智子だったのです」
「そんな馬鹿な!」恋愛探偵は頭を抱えた。「そんな――いや、しかし。恋はいつだって暴走機関車、その行き先は誰にも予測できないもの。旦那の不倫相手と恋に落ちてしまうことも、あるいは」
「自分の推理はこうです。良雄と美智子との別れ話は拗れ、口論になった。そして勢い余った美智子は、鈍器か何かで良雄を殺害してしまった。そこへ好子が帰宅した。好子は動揺する美智子を逃がした後、彼ぴっぴしゅきしゅきビームを放射した。血痕や凶器、その他の証拠になり得るものすべてを隠滅するために。自分だけ逃げなかったのは、自分の証言で美智子を庇うためです。そうですね? 奥さん」
「仕方なかったんです」鯉野好子は嗚咽を漏らして泣き崩れた。「美智子さんを守るためにはこれしかなかった。ひと目見たときからしゅきしゅきでした、死んだ彼ぴよりもずっと」
「恋は人を盲目にする」市原は鯉野好子の肩に手を置き、温かく語りかけた。「あなたと山田美智子は恋愛裁判にかけられ、恋愛刑務所に収監されるでしょう。しかし、離れていてもしゅきしゅきは伝わるものですよ。姿は見えなくてもね」
いつしか雨は上がり、空には虹がかかっていた。湿度の高い風が壁の大穴から吹き込み、入道雲の擾乱は真夏の到来を予感させた。
「お手柄だ、市原くん。完敗だよ」恋愛探偵はぱちぱちと手を叩いた。「きみは恋愛探偵であるぼくを越えた、初めての男だ――君に授けよう、"恋愛王"の称号を」
「ありがとうございます。私はただ、信じただけです――人が人を愛することに、理屈などないということを」
恋愛探偵と恋愛王は互いの健闘を讃えるようにがっちりと握手をし、衆人は拍手喝采をもってこれを祝福した。
「私も目が覚めました」ゆらりと立ち上がった鯉野好子は、吹っ切れたような笑みを浮かべていた。「恋に理屈はない。そして、走り出した恋を止めることは誰にもできない。そうですよね?」
鯉野好子は胸の前で両手の指先を合わせ、親指以外を撓ませた。形作られたそれは誰がどう見ても、紛れもなくハート型だった。
放たれた彼ぴっぴしゅきしゅきビームは桃色の閃光と共にリビングを爆砕し、恋愛探偵と恋愛王は切なげな悲鳴だけを残して、すぐに跡形もなく蒸発した。
あれから、恋人と海外逃亡を図った鯉野好子は、2つの国を地図から消滅させた後、米軍によって身柄を拘束された。すぐに国際恋愛裁判にかけられ、国際恋愛裁判長から無期恋愛懲役を宣告されたが、裁判所を土地ごと消し炭にして再び逃亡した。
私が知っているのはここまでだ。
鯉野好子のその後の行方は、杳として知れない。
お読みいただきありがとうございました!
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追記
ありがたいことに、本作がアニメイトブックフェア2021『耳で聴きたい物語』コンテストの一次選考を通過しました。ひとえに読んでくださった方々のおかげです、本当にありがとうございます。
二次選考は読者投票になります。ノミネート作品はアニメイトブックフェアの公式ページ(下記URL)から確認できます。
https://www.animate.co.jp/special/417988/




