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森の匂い 〜月の乙女の謎と、逆魔術の呪い〜  作者: 静寂
第11章 魔法円
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魔法円7

 実季子が目を覚ますと、すぐそばの椅子に座って、アルカスが何やら書類をめくっている。

 眉間に深い皺がより、睨みつけるように紙を見ている。

 紙に穴が開きそうだ。

 

 私の大事な人は、忙しいのだな。

 こんな怖い顔をして、仕事をしなければいけないんだと、切なくなった。

 アルカスの名前を呼ぼうかどうしようか迷っていると、睨みつけていた書類の束から、アルカスが顔を上げて実季子の方を向いた。

 そうして、深かった眉間の皺は消え失せ、目尻が下がり、安堵したかのようにフワリと笑う。

「ミキコ、目が覚めたか?気分はどうだ?」

 優しい笑顔を見ていたくて、じっと見つめていると、今度は心配そうに体を前のめりにして実季子の顔を覗き込んでくる。

「どうした?気分でも悪いか?」

 持っていた書類の束を、ぞんざいにベット脇のチェストの上に放り投げると、椅子から立ち上がり、長い足で実季子のすぐ側まできて額に手を当てて熱を測る。

「大丈夫だよ、アルカス。アルカスの笑顔を見ていたかっただけなの」

 額に当てられたアルカスの手に自分の手を重ねて、ふにゃりと微笑む。

 泣きながら眠ってしまったためか、喉が渇いて声が掠れてしまった。

 すぐに、近くに置かれた水差しから、コップに水を入れると、そっと実季子の背中に手を入れてゆっくりと起こし、水を飲ませてくれようとする。

 もう、至れりつくせりだ。

「あの……、ありがとう。自分で飲めるから」

 そう言ってコップを受け取ると、入れてもらった水を一気にゴクゴクと喉に流し込んだ。

 思っていたよりもずっと喉が渇いていたようで、とても水が美味しい。

 体の隅々まで水分が行き渡って、渇いていた細胞の一つ一つが潤うようだ。

 アルカスは、実季子が空にしたコップを受け取ると、黙ってもう一杯水を注いてくれる。

 それを、今度は少しずつ口に含んで飲む。

「ミキコは、魔法円で元の世界を見ている間、緊張していただろう?

 喉が渇いていて疲れているだろうからと、森の魔女が疲労回復の魔法をかけた水を持ってきた。

 あの魔女は、私にはえらく尊大だが、ミキコには優しいな。

 ソフィアもだが、ミキコにこちらの世界で、味方がいてくれて私も嬉しいよ」

 少し眉間に皺を寄せて、難しい顔をしているが、とても優しい口調でアルカスが語りかける。

「そもそも、ミキコはこちらに来てからずっと緊張の連続だったのだろうな。

 人種も文化も違って、今まで当たり前にそばにいた人たちとも離れて。

 ミキコが取り乱したり、泣き言を言わないから、ついつい大丈夫なのだと勝手に思い込んでいた。

 ミキコが、こちらに残ってくれる決心をしたと連絡を受けた時も、他人が慮る以上の覚悟が必要だっただろうに、私は容易くその覚悟を理解していると思ってしまっていたのだ。

 ミキコ、許せ。

 もう決して、ミキコを放っておいたりなどしないと、誓う」

 遠慮がちに実季子の手をそっと握る。

 初めてみるアルカスの不安そうな顔。

 眉と目尻は下がり、唇は硬く結ばれている。

 握った手の親指だけが忙しなく実季子の手の甲を撫でる。

 ああ、私はこの人に愛されているんだなと感じた。

 人がいる場所では、おおらかで器が大きく、時に尊大な態度で、抗い難い威圧感をまとって他者を従わせている皇帝陛下だけれど、そのことに疲れたり、悩んだりもする。

 本当は、不器用な優しい人なんだ。

 私は、そんなアルカスが好きになったんだ。

 そして、彼も私のことを、同じように思ってくれているんだ。

 こちらに残って、本当に良かった。

 この人と一緒に歩いて行ける道を諦めなくて良かった。

 実季子は泣きながら、アルカスの手をギュッと握り返す。

「アルカス、大好きよ。

 そんな風に、私のことを一生懸命考えてくれて、とても幸せ……

 ありがとう」

 実季子の言葉を聞いて、アルカスはホウッと大きく息をつくと、ベットに腰掛けて、大きな体で優しく実季子を抱きしめた。


 その日も、その翌日も、そのまた翌々日も、ふっと席を外すことはあるが、基本アルカスは、実季子のそばにずっとくっ付いていて離れようとしない。

 朝起きて着替えると、軽く剣の稽古をして、その後一緒に朝食をとる。

 侍従がせかせかと運んできた書類に目を通したり、何かを短く書きつけたりはしているが、実季子が遠慮して席を外そうとすると、構わないからそばに居ろと言われる。

 一緒に庭を散歩したり、厩に行ってジュピターに餌をやったり。

 気持ちが通じ合って始めて、二人でいられる時間が、とても楽しい。

 けれど、流石に数日にもなると、実季子もおかしいと気づく。

「ねぇ、アルカス。

 どうして、一日中私にくっ付いていられるの?

 政務はどうなってるの?戦の状況は?

 今後の方針は固まったの?

 息抜きは必要だけど、ずっと私にくっ付いてる暇なんてないはずだよね?

 一体、どうなってるのよ???」

 実季子に問い詰められて、言葉に詰まったアルカスは、言いたくないようで口を一文字に結んで目線を外した。

 仕方がないので、実季子はどんどんアルカスに詰め寄る。

「アルカス!」

「ミキコ、怒るな……。

 執務は行っている。

 戦の状況も把握しているし、今後の方針も決まった」

「え?だって、この数日ほど、殆ど私と一緒にいたよね?

 一体いつそんな時間があるの?」

 そう言って首をかしげる実季子の顔を、金色の瞳がチラリと見るが、またすぐに視線を外される。

 実季子は、肺いっぱいに大きく息を吸い込んで、勢いよく吐き出した。

 そうして、アルカスに向かって何か言おうと口を開く。

「分かった、夜だ。

 ……夜に、諸々を終わらせている。

 会議は、エラトスに出席させて、夜に報告を聞いている。

 決済しなければならないことも、全て夜のうちに終わらせている。

 ウピロスに来てから、詰めて会議を行っていたから、殆どは決まっていたが、ミキコにくっついていた何日かは、最終的な詰めをするだけだったから。

 私は、昼間はミキコと……その……一緒にいたかったし……」

 最後の方は、だんだんと声が小さくなる。

 

 夜?夜は、いつも実季子が眠るギリギリまでどちらかの部屋にいる。

 じゃあ、その後から働いてたの?


「アルカス!じゃあ、一体いつ寝てるの?もしかして寝てないの?」

「いや、少しは眠っている。

 それに、ミキコと一緒にいると、気持ちも落ち着くし、そばに居るだけで体も軽くなる。

 離れて、一日中仕事をしているよりも、成果が上がるのだ」

 

 ええーーーーー。

 どうにも、納得いきがたい。


 しかし、そう言い放った本人はドヤ顔だ。

 小さくため息をつき、困惑が隠せない実季子を、アルカスはそっと呼び寄せた。

 そして机の上に地図を広げ、ペラスギア帝国の左上にあるウピロスを指さす。

 そこから真っ直ぐ右に指を動かした。

「現在は、ここウピロスにいる。

 このまま西に兵を進めて、アッティーハーのヴェーレーに入り、更にその西のラキアとの領境で小競り合いを起こしているプレギアース軍を押し返す」

 次に、地図上のラキア領の上、プレギアースの右横に位置するラウル公国を指さす。

「それと同じタイミングで、ラキアの北西にあるラウル公国から出兵してもらい、ラキアの西側からラウル公国軍に攻めて貰う。

 プレギアース軍にとっては、我々には、東から。

 ラウル公国には、西から挟まれ攻撃されることになる。

 ラキアの南側は海だから、プレギアース軍は北にある自国に進路を取らざるを得ない。

 その国境で、プレギアース軍を本格的に叩く」

 アルカスは実季子を見る。

 実季子が頷き返すと、アルカスは、横長のラキア領の真ん中あたりに位置するコモニの街を指さす。

「ラキアの領主館があるコモニの街は、プレギアースによって略奪や破壊が行われ、悲惨な状況になっているようだ。

 私は、そのままラキアの領地で戦いを行なって、これ以上ラキアの民を巻き込みたくないし、土地を荒らしたくない。

 そこで、プレギアースとラキアの国境沿いにあるペルク台地に目をつけた。

 ここだ。ここは何もないからな」

 アルカスは、地図上のラキアとプレギアースの境を指さす。

 ペラスギアとプレギアースの国境沿いには、中程度から高程度の山脈が走っており、ペラスギアからプレギアースへも、プレギアースからペラスギアへも攻め入るのは簡単なことではない。

 ただ、唯一ラキア領とプレギアースの境にあるペルク台地のみが、木々が生えて鬱蒼としてはいるが、緩やかな高台になっていて、陣営を敷くのに困らない場所なのである。

「我々は東側に集結しており、帝国の最西端にあるラキアを占領しているプレギアース軍を西側から攻めるのは困難だ。

 そこで、西北に位置するラウル公国に援助を頼んだのだ。

 戦準備に時間がかかったのは、単に大軍をまとめるのに物理的な時間が必要であったのも一つの理由だが、ラウル公国に打診した参戦要請の返事を待っていたからだ。

 私は、この戦いでプレギアースを完膚なきまでに叩きのめす。

 そうすることは、プレギアースの西に位置するラウル公国にしてみても悪くいない話だ。

 まぁ、戦が終わればさまざまな取り決めを行なって双方に益があるような決着付けをしなければならないがな」

 アルカスは、地図を睨みながら険しい表情を崩さない。

 この人が険しい顔をする時間を少しでも短くしてあげたい。

 優しい顔ができるように側で支えたい。

 そのためには、もっともっとこの帝国のことを、周辺の国々のことを学ばねばならないんだなと、実季子は気を引き締め直した。

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