乾杯
ソフィアは、自分のかわいい主人の元気がないことには気が付いていた。
それが、あの図体のデカい、真面目で堅物の、かわいくない方の主人が原因であろうことも、一目瞭然だった。
これは、早急にアピテ辺りに話を付けて、部屋にでも来るように算段を付けた方が良いだろうか?
そう考えていた矢先に、城の侍女から実季子の洗濯が終わったドレスを取りに来て欲しいと乞われて部屋を離れた。
戦を前に、各地から沢山の兵士や軍の上層部の面々が城に滞在しているため、どうにも手が足らず、城で働いている者達は常に忙しくしている。
ドレスを取りに行くくらいは当然だろうと思ったのだが、何やら行く先々で頼まれごとをされる。
思っていたよりも部屋に戻るのに、時間がかかってしまった。
やっと部屋に戻ったときには、実季子は本格的に様子がおかしかった。
どうかしたのかと尋ねてみたが、何でもないと返答が返って来るばかり。
このかわいい主人は、グチを言わず、周りに甘えず、目下の者をとても大切にする。
無自覚に、人をたらして回る天才だ。
余り人を信用せず、どうすれば上手いこと相手から利益を引き出せるか考えてばかりいる馬鹿息子が、心酔して忠誠を誓っているほどだ。
出来ることなら、もっと周りの者に頼って、甘えて、わがままを言って欲しいものだ。
そう思いつつも、もう休むという主人に着替えを用意し、静かに部屋を後にした。
夕方に、実季子の様子を見に部屋を覗くと、部屋の中は空だった。
外は薄暗くなって、雨も降って来はじめたと言うのに、一体何処に行ってしまったのだろう?
少し開いている窓を閉めようと、窓辺により、窓から中庭を覗くと、この雨の中誰かが中庭に立っている。
目をこらすと、なんと我が主人ではないか!
ソフィアは、慌てて大きなリネンを持って部屋を飛び出した。
途中で出会ったメイドに、部屋に湯の用意をするように言付け、中庭に着く手前で、なぜ実季子が一人雨に濡れているのかなぞが解けた。
アルカスの腕に嬉しそうにぶら下がっているカサンドラを見たからだ。
何と言うことだ!
ミキコさまは、陛下がお忙しいからと遠慮して、会いたいのも我慢しているというのに、あのケバくてオツムの足りないウピロス大公の末娘を腕にぶら下げて歩くなんて!
はらわたが煮えくり返って、アルカスを叱りつけようかとも思ったが、そんなことよりも先ずは実季子だ。
中庭で冷たい雨に濡れて、びしょびしょになっている実季子にリネンを掛け、部屋に連れ戻す。
何も言わない実季子に、ソフィアも何も聞かず、湯を使わせ、着替えさせるとベッドに押し込んだ。
翌日、実季子は熱はないもののベッドから起き上がれず、どうにか少し食事を取るだけで殆ど眠っていた。
無理もない。
アルカスを追いかけて、タブラからアッティーハーまで行き、敵陣で逆魔術師と相まみえ、その後このウピロスまで移動してきたのだ。
普通ならば、倒れたり熱を出したりしてもおかしくない。
それでも、このかわいい主人はどうにか起き上がってしまうのだ。
このままでは、いけない
自分の住む世界を捨ててまで、此方に残ってくれた我が主人を蔑ろにするなどと、以ての外だ
可愛くない方の主人に、ことの重要性を思い知らせる何かいい方法はないものか?
そう考えていたら、ちょうど魔女達がウピロスに滞在するという情報が入った。
しかも、この城にもう直ぐ到着するという。
ソフィアは、直ぐさま滞在予定の魔女達の詳細を、城のメイドに探りを掛けた。
そうして、森の魔女も滞在するとの情報を得たソフィアは、彼女の頭の中にあるシナリオを手紙にしたためた。
ソフィアの手紙を受け取った森の魔女は、怒りで爆発しそうになった。
可愛い私の月の乙女を、貶めて更に泣かせるだなんて!
あ〜の〜銀狼め〜……
死ぬほど後悔させてやる
ソフィアは、アピテやエラトスに、アルカスが食事の後、実季子の部屋に来るように、時間を空けさせて、実季子が食欲がないだの、部屋に籠もっているようだのと話をさせた。
森の魔女は、魔女達の会議の後に、実季子を呼び出し、大魔女とそれらしい話をして、若い噂好きの魔女達にわざと話を聞かせる。
そして、皇帝陛下が通る廊下で、彼女達が噂話をするように仕掛けた。
因みに、他の廊下を通らないように、魔法で決まったルートを通るように細工をしておくのも忘れなかった。
実季子に、元の世界の話をして、大魔女に元の世界が見れる魔法円を描いて貰う。
そうしたら、焦りまくったあの銀狼がやって来たのだ。
計画は、大成功に終わった。
ソフィアと、森の魔女は、その夜、カルヴァドスで乾杯したのだ。
***
ソフィアと森の魔女がグラスを合わせている頃、実季子の部屋でアルカスと実季子は、ソフィアが下がる前に淹れてくれたハーブティーを飲んでいた。
「あのね、カサンドラさんがアルカスの部屋から出てくるのを見たの。
スッゴいスケスケの夜着を1枚来てるだけで、月明かりでもう裸なんじゃ?ってくらい透けてるやつ」
お行儀悪く、ソファに両足をあげて膝を抱えながら座り、カップからチビチビと御茶を飲んでいる実季子が、恨めしそうにアルカスをチラリと見ながら口を尖らせて言う。
可愛いな……私のミキコは、拗ねていても可愛い
長い足を組んで、カップから上品に御茶を飲んでいるアルカスは、実季子を見ながら、うっすらと口角を上げて心の中で盛大にデレている。
「アルカスったら、聞いてるの?」
と、実季子が声を少し荒げる。
「もちろん、聞いているぞ。
ミキコは、それを見てカサンドラが私の部屋にそんな格好で来たのかと、嫉妬したのだな?」
嬉しそうに、聞いてくるアルカスに、実季子は頬を赤くしながら、ますます口を尖らせた。
「……可愛いな、ミキコは。
そんな格好で来たカサンドラを、私が部屋の中に入れると思うか?
そもそも、そんな時間に女性を部屋の中に招いたりしない。ミキコ以外はな」
絶賛、ふて腐れ中の実季子を見ながら、アルカスは、更に心の中で笑みを深くした。
「で?そんな夜更けに、ミキコは私の部屋に用があったのだろう?
ミキコは、何を着て来たのだ?」
「なっ……、なんか、その言い方だと、私が夜更けにアルの部屋にやらしいことしに行ったみたいじゃない」
「ほう……やらしいことをしに来たのか?」
ほんの少し眉を上げ、ニンマリと広角を緩めたアルカスにそう返され、真っ赤になった実季子は、近くにあったクッションに勢いよく顔を埋めた。
実季子が何をしても可愛くしか見えないアルカスは、とうとう、楽しそうに声を出して笑った。
「それで?どんな用だったのだ?」
「うん。
……手紙のね、返事が来ないから、直接話そうと思ったの」
アルカスは、飲んでいたカップをソーサーの受けに置き、人差し指で顎をなぞる。
「その手紙だがな、私の所には届いておらん。
ミキコの話の流れからして恐らく、カサンドラが、誰かに命じて握りつぶしていたのだろう。
で、内容は?」
「もう、カサンドラさんは嫌がらせしてこないと思うから、別に、良いんだけど……」
そこで話を切ったが、やはり話しておきべきと思い直した実季子は、ソファの上で姿勢を正した。
初日にカサンドラに言われたことや、その夜のトカゲのスープの件、庭での諍い、その後部屋に大量のムカデが置かれていて、ソフィアが刺されたことなどを書いたと話す。
「だから、ちょっと嫌がらせにしては過ぎるから、アルカスに調べて貰おうとお願いする内容だったの。
でも、あれだけエケモス様に叱られればもうしないでしょ?
でも、エケモス様は、カサンドラさんのこと庇わないんだね。
ちょっと、びっくりした」
そう言った、実季子にアルカスは頷いた。
「そうだな。あそこで、エケモス叔父がカサンドラを庇ったとしよう。
そうすれば、私は引き下がらなかった。
ミキコを馬鹿にされ、貶めた女を簡単に許したりしない。
私の怒りが相当なものだと察した叔父は、末娘の命や、ウピロス大公としての自分の地位も危ういと考えたのだろう。
まして今は、プレギアースとの戦を控えている。
各領地から代表や兵士が集まっている最中に騒ぎを起こしたとあっては、ウピロス領の分断も有り得る。
帝国の事を思うウピロス大公としては、あの場を一番に収める方法を優先したのだろうな」
顎に手を当てて、考えるそぶりを見せながら答えるアルカスを見て、実季子は目を丸くして、恐る恐る訪ねた。
「……本当?」
「いや、そうかもしれぬという話だ」
そう言って、優しく実季子の頬を撫でる。
アルカスが、エケモスがなんの対応も取らなかった場合如何するのかを、いちいち実季子に知らせなくてもいい。
今回は、そうはならなかったのだから。
「ミキコ、不安な思いをさせてすまなかった。
これからは、不安にさせないと誓う」
真剣な目でアルカスに言われて、実季子もクッションから顔を上げた。
「うん。アルカス、ありがとう」
頬を微かに染めて見つめてくる実季子の顔を、アルカスもしばらく見つめていたが、実季子の頭の後ろに手をやって、クシャリと黒い髪を乱すと、そっと顔を近づける。
アルカスの綺麗な顔が近づいてきて、キラキラと宝石のように光る金色の瞳が、ゆっくりと閉じられるのを見て、実季子も自然と瞳を閉じた。
暖かくてしっとりとした唇が、自分の唇に触れて、何度か角度を変えてゆっくりと啄まれる。
そうして、小さな実季子の唇をハムリと食んだあと、チュッと音を立てて離れていった。
ゆっくりと瞼を開いて、夢から覚めたばかりのように、ぼんやりとアルカスを見上げる実季子の頬をひと撫ですると、ソファから立ち上げる。
「さぁ、もうベッドに入れ。また明日な」
そう言って、音も立てずに部屋を出て行った。
実季子は、キスされた唇を押さえて、ソファに転がると真っ赤な顔で足をバタバタさせて暫く悶えていた。
ずっと、森の香りが消えない。
実季子を囲んで包んで、離さない。
実季子を、守って安心させてくれる香りが。




