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森の匂い 〜月の乙女の謎と、逆魔術の呪い〜  作者: 静寂
第10章 ウピロス領
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たくらみ3

 実季子を見つめて、鼻先にチュッとキスを落としたとき、大広間の扉の外側から、ヒステリックな叫び声が聞こえて来る。

「どきなさいよ!

 邪魔ねぇ。私が通るんだから、道を空けなさい!」

 キーキー耳障りなカサンドラの声が聞こえて、実季子は体を硬くした。

 ほんのりとピンク色だった顔から表情が消えて、無意識のうちにアルカスの首に回していた手に力が入る。

 そんな実季子の変化に目ざとく気づくと、アルカスは優しく実季子を抱きしめてやる。

 人々が道を空け、カサンドラが、中に入ってくると、アルカスが実季子を抱き上げているのを見て、彼女は柳眉をつり上げた。

 そして、低く恐ろしい声で告げる。

「陛下、何をなさっておいでですか?

 このような公衆の面前で、そのような何処の生まれとも分からないような怪しげな女を抱き上げるなどと、陛下の御名に傷が付きますわ。

 さぁ、そんな女はその辺の魔女にでも下げ渡して、お部屋に戻りましょう。

 今日は、私が陛下のお気持ちが落ち着くまでお側に侍りますわ」

 最後の言葉は、頬を染め上目遣いでアルカスを見つめて強請るように言う。

 しかし、人狼族は自分の大切な者を貶められて、黙っているような意気地のない者は一人としていないのだ。

 アルカスの目が濃い金色に光り、耳が生えて、抱きしめていた実季子をそろりと下に降ろすと、尻尾で覆うように包んで自分の背後に立たせる。

 鋭い牙を口からむき出し、低くうなり声を上げる。

 長い爪が伸びてアルカスがカサンドラに向かって手を振り上げようとしたとき、扉の外側から大喝(だいかつ)が聞こえた。

「この愚か者めがぁ!」

 空気がビリビリと震えるような大きな声に、実季子は思わずアルカスの尻尾に抱きついた。

 扉を抜けて入ってきたウピロス領の大公、エケモス・クセナキスは、我が娘に向かって更に、喝破(かっぱ)した。

「陛下と、その婚約者に対して、何という口の利き方。

 何も理解していない子供のようなお前に、口を挟むことは罷り成らん。

 今すぐ、この部屋を出て行くのだ」

 父に怒鳴られて、顔を青くしたカサンドラだったが、直ぐに顎を上向かせて鼻から息を吐くと、反論しようと口を開いく。

「でも、お父様。

 陛下には、私のような生まれの正しい……」

「黙らぬか!!!」

 エケモスの怒号と共に、黒い雲が星空を覆いかくし、冷たい風がビュービューと吹き荒ぶ。

 稲妻が斜めに空を切り裂くと、ドドーンと音を立てて、城の裏の崖側に落ちたようだった。

 カサンドラは、敬愛する父の怒りが相当な物だと、やっと理解すると、両手を握りしめて、唇を噛んで黙り込んだ。

「衛兵、西の塔にでも、閉じ込めておけ」

 城主に命じられた近衛兵達が、カサンドラの両脇を抱えて連れて行こうとしたが、アルカスがそれを止める。

「待て」

 アルカスの声を聞いたカサンドラは、頬にさっと赤みが差し、期待に満ちた潤んだ目でアルカスを見つめる。

「あぁ……陛下……。私……、」

 話し始めたカサンドラの言葉を遮って、低い声でアルカスが告げる。

「私の部屋から、盗んだ物があるだろう?

 それを返して貰おう」

 大きな手をカサンドラに差し出す。

 暫く、アルカスに言われた言葉の内容が分からなかったのか眉を顰めて考えていた。

 がしかし、ようやく意味を理解すると慌てた様子で、オロオロとし始め、その見事な栗色の髪を振り乱し首を横に振る。

 そして、両手を胸の前で組むと、更に言い訳をしようと口を開く。

「いいえ、いいえ、陛下。私は何も……」

 アルカスがエラトスに目で合図すると、エラトスは、彼女が何事かを言い終わらぬ内に、スタスタとカサンドラの方に歩みより、その豊満な胸元に入れていたチェーンをズルリと引っ張った。

 その先には、実季子がアルカスにあげたタッセルが付いていた。

 タッセルを見たエラトスは、カサンドラの首にかかっていたチェーンを引きちぎると、タッセルだけをチェーンから抜き、チェーンは床にうち捨てた。

 青いのを通り越して、真っ白な顔になったカサンドラは、胸元を押さえたまま小さく震えていたが、どうにか身の保身をしようと口を開いた。

「っ……陛下、お聞きください。

 これは陛下のお部屋の前で拾ったのです。

 愛しい陛下のものを身につけておきたかった私の気持ちをどうか、ご理解くださいませ」

 カサンドラは、両膝をついて祈るように両手を組むと、涙を流しながらアルカスを見上げた。

「カサンドラ、聞きたいことがある。

 私がいつ、そなたと婚約をすると言った?

 私がいつ、御守りだと言ってそのタッセルを与えた?

 私がいつ、ミキコの手紙に返事を書くのがおっくうだと言うのを聞いた?」

 アルカスの言葉を聞いて、カサンドラはだらだらと涙を流し、唇は紫色になって体を震わせた。

 そうしてただ、頭を垂れて何も答えなかった。


 カサンドラが、衛兵に連れられて部屋を出て行くのを見送ると、エケモスは、アルカスに向かって膝をつき深く頭を垂れた。

「陛下、ミキコさま。

 此度は、私の不肖の娘がしでかしましたご無礼の数々、心よりお詫び申し上げます。

 カサンドラの処遇については、陛下とミキコさまのお気がすむように如何様にして頂いて結構で御座います」

 実季子は、内心驚愕して声が出なかった。

 普通親とは、子供のしたことについて、子供の許しを請う物じゃないのだろうか?

 そう思った実季子の気持ちが分かったのか、アルカスは、耳や尻尾、出ていた諸々をスッと仕舞い込むと、エケモスに顔を上げるように声をかける。

「エケモス叔父。顔を上げて欲しい。

 カサンドラの行為は、行き過ぎたが、今後の処遇に関しては、貴公にお任せしよう。

 何せ私は、これから忙しいのでな」

 アルカスは、後ろに立って、アルカスの服の端を握りしめていた実季子を抱き上げると、側にいたエラトスに目で合図をする。

 エラトスは、ちょっと肩をすくめると、

「皆、夜も更けた。部屋に戻れ」

 集まってきていた観衆を部下を使って部屋に戻す。

「さあ、ミキコ。我々も引き上げよう」

 実季子に優しく声をかけると、長い足を捌いて部屋を去ろうとした。

「あっ!ちょっと待って。私、魔法円が……」

 実季子が部屋の中央に手を伸ばす。

 その手が伸ばされた先に立っているのは、魔女たちを束ねる大魔女。

 アッシュゴールドの、腰まで伸ばした豊かなストレートの髪を後ろに垂らして、縁と裾に金の煌めく糸で草花が刺繍されている、黒いベルベット生地のくるぶしまであるローブを着ている。

 深い緑色の瞳が優しく緩められ、赤い唇は弧を描く。

 美しくも怪しい容姿の彼女は、実季子に向かって頷いた。

「大丈夫ですよ。もう、この魔法円は定着しています。

 明日にでも、訪ねていらっしゃい。貴女様の望む物が見えるはずです」

 大魔女は、アルカスとミキコに向かって腰を落として挨拶すると、大広間に集っていた魔女達を従えて、続きの間に消えてしまった。


「ミキコ、聞いて良いか?

 一体、この魔法円は何をするための物なのだ?」

 アルカスに聞かれて、頬が高揚してピンクに染まり、涙で潤んだ目を瞬かせながら実季子は興奮気味に答える。

「この魔法円は、私の元の世界が覗ける鏡なんですって!」

 嬉しそうに、口角を上げて、感極まった感じでアルカスの首にしがみついてきた実季子を、溜まらなく可愛く思いながらも、暫く動けなかった。


 あれ?実季子は、元の世界に帰るんではなかったのか?

 その為の魔法円では?


「陛下、夜も遅う御座います。一先ず、実季子さまをお部屋にお連れしてください」

 しれっと、後ろから実季子を運べと言ってきたソフィアを見て、全てを悟った。

 きっと、この生涯頭の上がらない乳母と、あの胡散臭い森の魔女の仕業に違いない。

 自分は一杯食わされたのだ。

 しかし、そんなことはどうでも良かった。

 ソフィアと、森の魔女にしてやられた。

 それが何だというのだ。

 二人の企みによって、愛しい実季子から、ずっとそばに居ると約束を取り付けたのだ。

 これは、たんまりと好きなだけ、褒美を取らせなければならないな。

 顔の筋肉は動かないまま、心の中でニヤニヤ笑いながら、実季子を抱き抱えて城の廊下を部屋に向かって歩く。

 そして、そのアルカスの後ろに付き従いながら、幼い頃よりお育てした、自慢の主人の尻尾がでて、ゆさゆさと揺れているのをソフィアは、万感の思いで見ていた。

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