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森の匂い 〜月の乙女の謎と、逆魔術の呪い〜  作者: 静寂
第9章 戦の始まり
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シメオンの願い

 アルカス達が出立した次の日は、雨だった。

 いつも付いていてくれているソフィアは、城の人数が減ったため、細々とした仕事が増えたようで、今は部屋に居ない。

 実季子は一人、しとしとと、こぬか雨の降る窓の外を、ぼんやり眺めながら、アルカス達は雨に濡れて風邪を引かなければ良いけれどと、思いをはせていた。


 と、植物と木の実、柔らかい曲線を組み合わせた優美な彫りの意匠を施された扉をノックする音が響いた。

 急に現実に引き戻され、数回まばたきをした実季子は、応対のために扉を開ける。

 そこにはシメオンが立っていた。

 部屋の中に招き入れる。

「ミキコさまに、改めてお願いしたき儀があって参りました」

 シメオンは、部屋に入ってくるなり実季子に向き合い、固く引き結ばれていた口を開く。

 彼の薄いブルーの瞳が真っ直ぐ実季子を見据えている。

 シメオンは、常に慇懃な態度で接しては来るが、この日は特に緊張感が漂っているように見える。

「はぁ、何……でしょう?」

 実季子も若干、緊張しながら聞き返す。

 シメオンは、1つ大きく息を吸い、床に片膝をつくと真っ直ぐ実季子を見上げながら、一気に畳みかけるように喋った。

「ミキコさま。どうか、元の世界に戻るのは諦めて、我がペラスギアにお残りください。

 そして、陛下の番として、共に我が主君として、ペラスギアを治めていただきたい」

 言い終わるなり、低く頭を下げて臣下の礼をとる。

 アングリと口が開き、何度も瞬きをして、シメオンを見る。

 咄嗟には、何も、何も言えなかった。

 アルカスの事は言わずもがな。

 弟のエラトスや、部下であるシメオンにソフィア、アピテ。

 他にもこの国に来て、関わった人達の事を純粋に好きだと思うし、深く感謝もしている。

 最初、此方の世界に来たときは、不安が胸の中を渦巻くように覆っていたが、日がたつにつれその不安は霧散していき、今では残りたいと思う気持ちも芽生えるほどペラスギアに思い入れがある。

 しかし、先程シメオンに言われたアルカスの番として、共にペラスギアを治めるとは、つまりアルカスと結婚して欲しいと言うことだ。

 アルカスの事は好き。

 いつの間にか恋に落ちて、心の中の大半を占めるほど大切な人になっていた。

 でも、それと、アルカスと結婚すると言うことは違う。

「それって、この国の皇后陛下になるってこと?」

 ぼそりと口をついて出た疑問に、頭を垂れていたシメオンは、顔を上げて実季子と目線を交わすと、深く頷いて、肯定の意を示した。


 そんな事は無理だ

 どう考えても無理に決まっている

 

 そもそも実季子は庶民なのだ。

 今までの建国祭の会食も、舞踏会も、愛想と度胸と付け焼き刃の作法でどうにか乗り切ったに過ぎない。

 しかも自分は皇帝陛下のお客人と言う立場だったからこそ、フィルターがかかって許されていた部分が多いはずだと理解している。

 しかし、皇后と言う立場になればそうはいかないだろう。

 自分には、そんな立場に立つ自信はつゆほども無い。

 そもそも、アルカスが自分と結婚すると言わなければ、実季子が皇后になることもないわけで……。

 それはもっと、自信がない。

 実季子は、ゆるゆると頭を振った。

「シメオン、無理だよ。わかるでしょう?」

 困ったように眉を寄せ、口元を小さく緩ませて微笑を浮かべる。


 シメオンは、実季子に断られるだろうことは分かっていた。

 それでも、何も言わずに黙って実季子を帰す選択肢などなかったのだ。

 シメオンは、しばらく真剣な顔で実季子を見ていたが、フッと笑うように息を吐き出すと、実季子から目線を外し立ち上がった。

「お忙しいところ煩わせることを申し上げて、失礼いたしました」

 暫し、実季子と目線を合わせた後、薄く口元に笑みを浮かべる。

「どうかこの事は、お忘れください。

 そしてどうか、元の世界に帰られましたならば、健やかにお過ごしになられますよう。

 ペラスギアの地よりお祈り申し上げております」

 そして、暇の挨拶を述べると静かに扉から出て行った。

 実季子は、シメオンが出て行った扉を見つめて、胸の中で複雑に絡み合っている名前の付けがたい感情が、どうにか解けないものかと悩んだ。


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