別れ
仕方が無いのだ。
どちらも待ってくれない。
だから、このままアルカスの武運を祈って、出立を見送らなければならない。
分かっているのに、そう思っているのに、どうにも身体が言うことを聞いてくれない。
森の魔女から手紙を受け取ってから、実季子の身体は上手く動かない。
まるで油の切れた人形のように、ギシギシと不快な音を立てているかのようなのだ。
やってきた12日。
実季子は、アルカスの執務室にいた。
「ミキコ、後少しで、スーパー ブレ エクリプス ムーンだな。
見送りが出来なくて、すまない。気を付けて帰ってくれ」
「ううん、そんなこと。
こちらこそ、ありがとう。
それから、お世話になりました。
アルカスや、エラトスや、シメオンにソフィアに、アピテに……。
皆が良くしてくれて、凄く、凄く嬉しかった。
アルカスこそ、怪我とか病気とかしないように気をつけてね。
それと、月の水を持っていってね。
アルカスが強いのは分かってるんだけど、戦場はストレスがたまると思うから。
だから、その……」
実季子は、喉の奥が詰まったようになって言葉が出てこない。
どうにか、大きく深呼吸をすると、掠れた声が出てきた。
「アルカス……、あの、私もついていった方が……
良いのでは無いかと……思うのよ。
その、私なんて何の戦力にもならないけど、邪魔にならないようにするし、もしも、アルカスの体調が不安定になったときに、私が居た方が良いかなと思うの。
だから、つい……」
「ならん」
低い声で一言否定したアルカスは、いつも以上に眉間に深いしわを寄せ、厳しい表情でギロリと実季子を見た。
-だから、ついていきたい-
そう続けようとした言葉は、シュッと立ち消えた。
「ミキコ、分かっているのか?
前回、スーパームーンでは帰れなかった。
次のスーパー ブレ エクリプス ムーンは、265年に一度だ。
それがどういうことなのか……、ミキコ、分かっているのか?」
アルカスに、2度目の分かっているのか?と言われた実季子は、もう何も言えなかった。
アルカスに付いて行きたい
もしもまた、狂狼化の兆候が現れたら?
現れなくとも、ただでさえ日頃から重責を負っている彼の体調が不安定になったら?
そう思うと、離れたくないと思ってしまう。
でも、元の世界に帰りたい
父や母、兄達に会いたい
どれ程自分のことを心配しているか……
そう思うと、胸が潰れそうになる。
泣きそうになって、ギュッと目をつぶり、固く閉じた手でスカートを握っている実季子の黒髪をそっと撫で、固く握りしめた手を大きな手が包む。
そろりと目を開けると、アルカスのアンバーの瞳が実季子の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫だ。ミキコは、私が狂狼になってしまうのを心配しているのだろう?
しかし、そうならないためにも今まで体を鍛え、精神も鍛えてきたのだ。
ミキコ、そんなに私は弱く見えるか?」
即座にブンブンと首を横に振った。
まとめていないふわふわの黒髪が頬にあたる。
「そんなこと無い!そんなこと……ないよ。
アルカスは、何時だって強いよ。
責任感が強くて、常に、国や民や自分の周りの人達のことを1番に考えて。
私のことにも、気を配ってくれて」
涙がどんどん盛り上がって、目からこぼれ落ちそうなのを、どうにか睫毛が目の内に押しとどめている。
もう、視界が滲んでアルカスがぼんやりとしか見えない。
「でも……、だから……、いつも強いから、………心配なの」
ハッキリ声が出なくて、掠れて小さく呟くように言った実季子の言葉が終わるか、終わらないかの内に大きな体に抱きしめられた。
途端、深い森の香りが実季子を包み込む。
今まで、瞳の淵でとどまっていた涙がボロボロこぼれて、アルカスの胸の辺りを濡らした。
アルカスにギュウギュウ抱きついて、こらえることが出来ない嗚咽が零れた。
やっと、自分の気持ちに気が付いた。
雷に打たれたり、突然目の前が色鮮やかに見えたり、コルクを弾き飛ばして想いが溢れたりしてないけど
ジワリ、ジワリと心の中に染み込んで、広がって、ドンドン溜まった気持ちが、いっぱいになって溢れ出る
アルカスが好きなんだ
暫く前から、気付かないように、見ないように目をそらしていたけど、もう見ないようにするには大きくなりすぎて、目を逸らそうにも実季子の視界いっぱいに広がっている。
でも、その気持ちを伝えることはない
帰るんだ
今度こそ元の世界に
愛しい家族が待っている世界に
「フッ………、ア……ルカス。
ヒッ……ク……、気を付けて……ね。
私……、いつも……いつも祈ってるから。
アルカスが……幸せでいてくれることを……祈ってるから」
アルカスの胸にしがみついて、実季子の涙声が聞こえてくる。
実季子が、可愛くて、愛しくて、抱き潰してしまいそうだ。
それでも、持ちうる限りの全ての理性を総動員して、握った手のこぶしに力を入れて爪を掌に食い込ませながら、歯を食いしばってアルカスは耐えた。
どうしても、何があろうともミキコを元の世界に帰すと誓ったのだ
こっそりと、夜一人になってから、泣きながら眠るミキコの、ミキコが願う思いを叶えてやると約束したのだ
今、自分の気持ちに流されて、ミキコに胸の内を打ち明けては決してならない
そんなことをすれば、情に厚いミキコは、元の世界に帰ることを悩み、罪悪感を抱くだろう
そんな思いはして欲しくない。
そっと、抱きしめ返すと、実季子の頭の天辺にキスをして、耳元に囁いた。
「ありがとう」
控え目に扉をノックする音が聞こえる。
「何だ?」
アルカスが応えると、アピテの声が聞こえた。
「陛下、出立の準備が整いました」
「分かった」
短く応えると、抱きしめていた実季子をそっと離し、頬にかかっていた髪を耳にかけてやる。
「ミキコ、気を付けて帰るのだぞ。
サヨウナラだ」
優しく言うと、扉を開けて出て行った。
バタンと、重い音がして扉が閉まると、実季子は膝から崩れ落ちた。
涙が止まらなくて、カーペットにしみを作る。
「くぅ……っ……ぅ……」
歯を食いしばっても鼻から抜けるように嗚咽が零れる。
何で、気付いちゃったんだろう?
こんなに、こんなにアルカスの事が好きになってたなんて……
このまま自分の気持ちに気が付かないまま、元の世界に帰ることが出来ていたら、どんなに楽だったか。
でも、気付いてしまった。
この先、どんなに時間がたっても、どんなに新しく楽しいことが起こっても、アルカスと過ごした時間以上に愛しくて、恋しい時間は持てない。
アルカスの事を忘れる事なんて、一生出来ないに違いない。
ペラスギアの兵士は皆、機動性を重視するため、精々鎖帷子位しか身につけない。
それも、ペラスギアの技術者達が開発した、一瞬で脱げる物のみだ。
いざとなれば狼になるため、簡単に脱ぎ着が出来ない物を身に付けると、狼化する際に困るのだ。
タブラの軍兵ら、千に近い数の者達が城の前庭に隊列を敷き、その身に付けた鎖がジャラジャラと鳴る音が響く。
ずらりと並ぶ軍馬たちの嘶く声がそこかしこで聞こえ、硬い蹄で地面を踏みならし、土煙が上がる。
アルカスは、愛馬ジュピターに跨がると、号令をかける。
「ペラスギア軍、出発!」
アルカスの低い声が響き渡ると、隊列を組んだ兵士達は、一路ラキアに向かって一斉に城を後にする。
その様子を、実季子は前庭の見渡せる城の渡り廊下から、じっと見下ろしていた。
お読み頂き、有難うございます。
やっと、自分の気持ちに気づけたようです。
頑固者にも程がありますが、それでも大きな一歩です。
今後もお付き合いください。




