実季子の誕生日4
しどろもどろに尋ねた実季子の前に足音も立てずに衝立の後ろから出てきたのは、体高が1、5メートルは超えるだろう狼だった。
仄かに青白い銀の毛並みが波打ちながら身体を覆い、濃いヘーゼルから、外に向かうにつれ透き通るような輝きを放つ金の瞳。
静かに実季子の足元にやってくると、くるりと尻尾を内に巻いて座り、実季子の顔を見つめる。
立っている実季子の顔の位置とほぼ変わらない位置に顔がある。
狼など初めて見た実季子は、その大きさに圧倒された。
「ア……アルカス?」
名前を呼ばれて、金の瞳を細めた狼は実季子の頬をベロンと舐める。
「キャッ……アルカス。
もう、どうしてオオカミになるって一言言っておいてくれないの?ビックリするじゃない」
実季子にそう言われて、肩をすくめるように首を低くすると、キュウンと小さく鼻で鳴いて上目遣いに実季子を見やる。
その仕草が可愛くて、そっと鼻先を撫ぜてみると、狼は、実季子が持っている外套をグイグイ押しつけてくる。
そう言えば、外套を着ておけと言われていたんだった。
外套を羽織りながら、アルカスに向かって話しかける。
「何処かに行くの?どうしてオオカミになったの?」
勿論、狼なので喋れない。
そのかわり体を低くすると、顔を後にヒョイッと向けて何かを訴えているような仕草をする。
「えっと……乗るの?」
大きな頭をコクリと縦に振って、実季子が乗りやすいように更に体を低くする。
馬なら未だしも、狼に乗るって……
またしても、昔見たアニメを思い出して暫くボンヤリしていたが、ハッと我に返ると、どうにかアルカスの身体によじ登って跨がった。
若しかして、アルカスに乗るためにアンダーウェアもパンツ状だし、ドレスも動きやすいデザインだったんだろうか?
実季子を背に乗せるとゆっくりと立ち上がったアルカスは、スタスタと外に出る。
空はもう濃い藍色に変わっていて、無数の星が瞬き、明るく照らす月が昇っていた。
実季子の手をそっと甘噛みして、首に手を回すように促すと、トッ、トッ、ト、トトトと踏み出す足のスピードを上げる。
「わっ!」
スピードが上がって身体のバランスが崩れそうになった実季子は、更にギュッとアルカスの首元を掴んだ。
「ワオゥ」
もっと手を回せと言うように、アルカスが短く吠えるので、実季子は乗馬の障害物競技の時のように、上体を倒してアルカスの首にギュッとしがみつく。
すると、ぐんぐんスピードが増し、周りの木々が飛ぶように過ぎていく。
風が顔の横をビュンビュン過ぎていき耳元でヒューヒューと音を立てる。
城の裏手の森を斜めに抜けると、急な斜面が見えてくる。
後ろ足をぐっと曲げてジャンプすると、どうにか前足が引っかかるほどの足場に足を引っかけながら、ジグザグに崖を登っていく。
「ア、ア、ア、アル……こ、こ、こ、ここをのぼ……登るの?」
身体を揺さぶられながら、どうにか話しかけた実季子に、
「ガウ!」
と、短く吠えた。
どうやら、黙っていろと言われているようだ。
仕方が無いので、そのまま口をつぐみ、更にアルカスの身体に抱きつく。
すると、いつもの立ち上るような木々の香りと、それを包むような湿った空気の匂いが混じったアルカスの匂いが鼻腔に入り込んできた。
スーーーゥッと、肺いっぱいに森の匂いを吸い込むと限りなく垂直になっていた身体が、水平に戻り、視界が開けた。
どうも頂上に着いたらしい。
"ハァーーーーーー"
実季子は、肺の中の空気を一気に吐き出した。
感嘆詞も感嘆符もない。
今、目の前に広がっている景色を前にして、言葉は出てこなかったのだ。
明るい月は、もう、かなり高いところまで登っていて、此方を照らしている。
眼下には、先程走ってきた森や城が手前に見える。
小さな灯りがチロチロと動いていて、まだお祭り騒ぎは終わっていないようだ。
そして、城の向こう側には城下の街並みが広がっている。
家々の窓から優しい灯りがこぼれていて、その小さな光が点々と輝いている。
瞬きもせずに、見入っていた実季子をふんわりと森の匂いと共に、大きな厚地のマントが包んだ。
「アルカス……」
「寒くないか?」
小高く、開けているこの場所は風もよく通る。
「寒いのなんて……全然、気になってなかった。
でも、アルカスが暖かいって事は寒かったのかも」
実季子が答えると、アルカスはギュッと実季子を抱き寄せる。
狼の時は、毛皮が実季子を包んでくれて全く寒さを感じなかった。
と言うか、落ちないようにしがみつくのに、いっぱい、いっぱいで、寒さを感じている暇が無かった。
でも、今はアルカスの高い体温で暖かい。
「綺麗だね」
首を後に向けて、呟くと、上から覗き込むようにアルカスが見てきて、フッと息を吐くように笑う。
「ミキコ。誕生日、おめでとう」
そう言われて、始めて今日が自分の誕生日なのだと思い至った。
「え?あれ?」
目を瞬かせる実季子に、アルカスがフフっといたずらが成功した子供のように、無邪気に笑う。
「なんだ。覚えてないのかなと思っていたが、全く気付いていなかったのか」
「うん。今日は、お祭なんだと思ってた。
若しかして、あの屋台や大道芸も私がお誕生日だから?」
アルカスは、それには答えず、ゆるりと口角を上げるだけだ。
「ミキコに、楽しい時間を過ごして欲しかった。
この景色を覚えておいて欲しかった。
ペラスギアで過ごした時を忘れないで欲しかったのだ」
「うん。ありがとう。凄く楽しかった。ずっと覚えてるし、絶対に忘れないよ」
アルカスを見上げながら、近く元の世界に戻ろうとも、この景色を生涯忘れることはないだろうと思った。
そして、思い出すときはきっと、森の香りも一緒に思い出すのだろうと確信を持って思う。
お読み頂き、ありがとうございます。
お誕生日会は、お祭り騒ぎ……じゃなくて、本当にお祭りでしたが、これで本章は終わりです。
次章からは、不穏な空気が漂い始めますが、よろしくお付き合いください。




