散歩
ある日、夕食が終わった後に、珍しく時間が取れたというアルカスに誘われて、城の中庭に散歩に出た。
月明かりが、庭に咲いている花をボンヤリと照らし、影を濃くしている。
風が吹く度に、ふんわりと優しい香りが匂い立つ。
隣に立つ背の高いアルカスは、月明かりに輝く銀の髪を後ろでひとまとめにし、白いシャツに、ブリーチズだけを着たくつろいだ格好だ。
「どうだ?少しは慣れたか?困っていることはないか?」
「ありがとう御座います。大丈夫です。何も困っていることなどありません。
いつも陛下やシメオンさんが、気にかけてくれるおかげで、着る物もあるし、ご飯も美味しいし。
とても、感謝しています」
「いや、そうではなくてだな……」
笑顔で答えたつもりなのに、アルカスは少し眉間に皺を寄せて実季子を見てくる。
何か、言い方がおかしかっただろうか?
感謝の気持ちを込めたつもりだったんだけど……
庶民の実季子は、当然王族との交流なんて今までの人生で経験したことなどない。
先ず、どんな言葉を使えばいいのか分からない。
エラトスから注意を受けたから気を付けているが、あまり敬語ばかり使っていると、アルカスがなんだか機嫌が悪そうにするし、かと言って友達のようにフランクに話してはいけないのだと思う。
何と言って答えるのが正解だったのか分からなくて、実季子は段々と眉が八の字になってしまった。
アルカスは、小さく吐息をこぼすと、苦く笑う。
暫く考え込むように空を仰ぐと、手を握ったり開いたりした後、ホウっと息をついた。
「……私の言葉が足りなかったようだ。
私は、幼い頃から周りが気を使って察してくれることが多い立場なので、つい言葉を端折ってしまうことがある。
そなたを……ミキコを、困らせたいわけではなかったのだ」
そして、ほんの少し実季子を見る目が優しくなった。
初めて、アルカスに自分の名前を呼ばれて、実季子はふわりと体が浮いたような気分になった。
今まで、短い言葉の中にも実季子に対するアルカスの気遣いは感じていた。
でも、名前を呼んでもらったことは一度もなかったのだ。
実季子は、肺の中いっぱいに空気を吸い込み、何だかソワソワする気持ちを落ち着かせようとした。
アルカスは、そんな実季子に一歩近づく。
「そなたのことを知りたいのだ。
月の乙女のことは、調べてはいるが、残念ながら、まだそなたの……ミキコの世界に返してやれる算段が付くほどではない。
ミキコが我が国にいる間、故郷が恋しくて、泣き暮らすよりは、なるべく楽しく過ごして欲しい。
だから、ミキコの事を沢山話して欲しい。
そうすれば、そなたが楽しめることは何かが分かるだろう?」
アルカスは、少し体を傾げて実季子を見つめる。
「そうだ。仕事の終わりに川に落ちたと言っていたな。
仕事とは何をしていたのだ?
夜だと言っていたが、ミキコの世界では夜暗くなるまで女性が仕事をするものなのか?
それから、ブドーとは何だ?武術とはどう違う?
私はミキコに聞きたいことが沢山あるぞ。ミキコも、聞きたいことがあれば私に質問して欲しい」
アルカスの勢いに押されて、目をパチパチ瞬かせていたが、アルカスが実季子と気持ちを通じ合わせようと懸命に話しかけてくれているのが分かって、嬉しくて、笑みがこぼれる。
アルカスも実季子が、笑っている顔を見て、ほんの少し口角を上げる。
「陛下。ありがとうございます」
アルカスは、実季子の顔にかかった髪に落ちてきた花びらをそっと取った。
実季子は、アルカスを見上げる。
「あの……本当は、ちょっと寂しかったんです。
皆さん、この世界のことが分からない私のことを気にかけてくださって、親切にしてくれる。
食べ物も美味しいし、お腹もいっぱいになって、寝るところもちゃんとある。
こんな、環境を整えて貰ってるんだから、これ以上贅沢を言ってはいけないって思ってて……。
でも、正直に言うと、勉強は為になるし、有難いんだけどそれだけでは、物足りなく感じていました。
侍女の皆さんにも、どうしても壁を感じて。それで……、ちょっと寂しかったんです。
陛下と一緒に食事ができる時間が嬉しくて。毎日、心待ちにしてました。
陛下が、私のことを理解しようとしてくれているって分かって、……うれしいです」
最後の一言が小さくなって、実季子の目を涙の膜が覆った。
アルカスは、子供にするように袖口でその涙を拭ってやる。
「私は、皇帝だからな。どうしても、忙しい。
だが、そなたの……ミキコの話を聞けるくらいの時間はあるのだぞ。
だから、……ミキコは、色んな話をしてくれるか?」
実季子は、コクコク頭を上下させた。
その夜は、仕事の話をした。
実季子は、大手通信機器企業に勤めていて、パソコンのマザーボードの設計開発をしている。
「パースコン?とは何だ?」
商会という概念はあるので会社について特に多く説明する必要はなかったが、当然、パソコンなんてものは無い。
「えーっと……、私達の世界では、文書の作成、画像や絵画の編集や作成、計算や計算書の作成、また、離れたところにいる人との連絡手段においてもパソコンで処理できるようになっています。
例えば、陛下への陳情も手描きで紙に書きますよね?
それを、パソコンで作成すれば箱の中の記憶する媒体の中に保存できて、いくらでも同じ物が作成できて、後で修正、編集することも出来ます。
計算も、紙面上でしますよね?
パソコンを使えば、計算式の無数の条件を覚えさせておいて、パソコンに計算させます。
それを、紙面に表記させることも出来ます。それから……、」
「ちょっと待て。
つまり、人がいらなくなって、その、パースコンとやらが全てやってくれるという事か?」
実季子は首を横に振る。
「いえ、そう言うことではありません。
沢山の時間が必要な作業も、短い時間で行えると言うことです。
それによって、今までの人手で、沢山の処理が1度に出来るようになると言うことです。
でも、どんなに便利になっても、人がいらなくなったりはしないと私は思っています」
「そうか……ミキコの世界は、凄まじいスピードで動いていたのだな」
アルカスは、近くのベンチにドカッと腰掛けた。
その隣にそっと座ると、小さく頷く。
「でも私は、この世界のスピードが好きです。
元の世界と違うところもあって、元の世界が良かったなと思うこともありますが、人の手で作り上げてる仕事が見えて、ホッとします」
実季子が、そう言うとアルカスは、大きく頷いた。
「そうか。ミキコにそう言って貰えて、誇らしいよ」
アルカスがベンチの背もたれに両手を広げて置いている所に、チョコンと座っているので、アルカスの腕の中にいるような錯覚に陥る。
大きなアルカスの体の内側にいるようで、安心する。
右側にいるアルカスを顔を上げて見上げていると、アルカスも首をぐっと傾げて実季子の顔を覗き込んできた。
「ミキコ、その話をわが国の技術者に聞かせて貰っても良いか?
それとも、良く分からない者に説明するのは疲れるか?」
「私の話?」
アルカスは、一つ頷く。
「私の話を聞いて、何か良いことがあるの?」
「そうだな。直接、何かが大きく変わることは無いかもしれない。
しかし、大きな刺激になることは間違いないだろう。ミキコが嫌でなければだが。
どうだ?」
「嫌じゃないです。私にやりがいを作ってくれて嬉しい。
陛下、ありがとう御座います」
アルカスの腕にすがってぐっと首を伸ばした実季子の笑顔を見ながら、アルカスが一言言った。
「ただし!ミキコが疲れない程度だ」
「分かりました」
「明日にでも、人をやろう。ミキコの話を沢山聞かせてやって欲しい」
実季子の頭をポンポンと撫ぜながら、アルカスがほんの少し広角を上げる。
月は天高く昇り、二人の影が足元に落ちていた。




