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 天界の白く巨大な建物を見て、オブラドスはため息をつく。

「どうした兄妹、ため息などをついて」

 兄の太陽神であるカヴァンナが、笑みを浮かべる。彼はいつも、機嫌よく笑っていた。冥界神である陰鬱な自分とは大違いである。

「なに、ここは、冥界とあまりにも違うのでな……」

 冥界は暗く、じっとりとして、美しい物など何一つ無かった。あるのは、毎日止まる事なくやって来る死人の魂だけだった。

「オブラドス、恋でもしたらどうだ。そうしたら、少しは笑顔も出て来るぞ」

「恋……か。実は、その事で相談に来た。私は嫁を貰いたいいと思っている」

「へぇ!? 堅物のおまえが嫁か!! いきなりだな!」

 オブラドスは兄を睨む。

「私だって、妻が欲しかったさ。だが、冥界の王である私が冥界を離れれば、魂達が迷う。だから、冥界から離れられなかったんだ」

「ほーん、そんじゃ今は離れて来ても良かったのか?」

「サルベールにしばらくの間を頼んだ」

「おぉ! 万能神サルベールか! なら、安心だ!」

「……ただ、彼の力を持ってしても長い間私が冥界に不在でいる事は出来ない。猶予は、五十日だ。その間に、妻を娶り冥界に連れて帰る」

「五十日か……長いようで、短いな。おまけに、一生の伴侶を見つけるとあっては難しかろうな」

「それでも私はやらねばならぬ」

 オブラドスはなんとしても、妻を冥界に連れて帰りたかった。三兄弟の神達は、天界・海・冥界をそれぞれを司り管理する神となった。その責務を嫌だと思った事は無い。ただ、三兄弟内で妻がいないのはオブラドスだけだった。三百年間ずっと独身である。それと言うのも、冥界には死者の魂しかいないせいだった。出会いが無いのだ。なので、なんとしてもこの五十日のチャンスを使って妻となる女性を見つけなければいけない。でなければ、これから数百年再びオブラドスは独身のままだろう。

「絶対に、見つける……!」

「おぉ、燃えておるなオブラドス!!」

 カヴァンナが呼応するように吼える。

「ならば、俺も力をかそう。よし、早速天馬の馬車に乗って女を探すぞ!! おまえの冥馬はちと、女を口説くには不向きだからな」

 カヴァンナに手を引かれて、外に出る。彼が指笛を吹くと、すぐに天馬がやって来る。

「ほらほら乗った! 乗った!」

 オブラドスは馬車に押し込まれて、カヴァンナと馬車で空を駆ける。

「どんな、娘が好みなのだ!!」

 空を駆けながら、カヴァンナが尋ねて来る。

「わからん……!!!」

 神以外の生きた女を見るのも、数百年ぶりだった。 

「そうか!! それじゃ、手当たり次第だな!!!」

 カヴァンナが鞭を馬に走らせて、加速させた。

 大きな都市部に住む女達を見る。彼女達は、みな洗練されて美しかったが華美過ぎた。都市から外れて、田舎街に住む女を見る。都市部の女より素朴で、そして元気だったが少し粗暴過ぎた。森に住む女を見る。ひっそりと森に住む女達は、自然の恵みを糧に慎ましく生きるが、少し逞し過ぎた。

「どうだ兄弟! 好きな女はいたか?」

 カヴァンナが尋ねる。

「わからぬ。どの女も美しく、みな魅力的に見えるが、同時にどうしても欠点があるように思う」

「ははっ、欠点の無い人間なんていないさ! 神でも無ければな!」

 数百年陰鬱な冥界に居たオブラドスは、神嫌い・人嫌いの気もあった。

「本当に愛する者が見つかれば、欠点の一つや二つなど目を瞑ってしまうさ!」

「そうだろうか……。この俺に、妻となる女など見つけられるのだろう……」

「大丈夫さ! たった一人の女と出逢えば、まるで雷鳴に打たれたとうな衝撃が走るんだ!」

「雷鳴に……」

 オブラドスは、半信半疑だった。

「しかしそんな女が見つけられたとして、どうやって妻になって貰えば良いのだ」

 長く生きては居たが、恋愛経験は0のオブラドスにとってそれは大変な試練に思えた。

「なに、好いた女が見つかったら、後は攫ってしまえば良い」

「おまえの女好きが過ぎて、確か神は人を攫ってはいけないと言うルールになったのでは無かったか」

 太陽神カヴァンナは、女好きの神だった。大陸中に彼の女がいると聞いている。

「おう、そうだったか? それじゃ、無理やりにでも相手をうんと言わせば良い」

「そう言うものか?」

「おい、そう言うものだ! 天界に連れて来ちまえば、観念するさ。俺の時はいつもそうだ、最初は嫌だと言うが神だと言えば喜んで体を差し出す」

「……そう言うものか」

「そら、もっと女達を見るぞ! きっと、おまえの運命の女が必ず見つかる!!」

 カヴァンナが鞭打ち、天馬がいななき空を駆けた。


 あれから大陸を駆け続けたが、残り期限が一週間になっでも、オブラドスは未だに妻となる女を見つけられずにいた。今日もまた、カヴァンナに借りた天馬で空を駆ける。空から見る女はみな美しかった。しかし雷鳴を受ける程の衝撃は無い。

「はぁ……」

 オブラドスはため息をつく。ため息は、冥界の主人オブラドスの呼吸の一つのようなモノだった。

「やはり俺には、妻など分不相応だったか……」

 優れた大神二人を兄に持つオブラドスは、自分が神として兄二人に劣る事を知っていた。あと、一週間もすれば再びあの暗い冥界に戻らなければいけない。空を見る。青い空だ、そして明るい大きな太陽がある。大神カヴァンナが司る太陽は、大地を照らし恵みをもたらした。なんと美しい世界なのだろうと思う。オブラドスはこの世界の欠片を持って帰りたかった。そうすれば、暗い冥界でも心を慰めるモノになってくれると感じたからだ。

 妻探しをやや諦めたオブラドスは、大地を見て回り、地と海のまじわる海岸を見た。海岸には美しい貝が落ちていると聞く。それを見ようと思ったのだ。

「!」

 その時、オブラドスの胸が跳ねる。頭の中にはまるで雷鳴が轟くような衝撃があった。海岸に一人の女が立っていた。ふわりとした黒い髪に、白い肌の美しい女だった。オブラドスには、その女がまるで輝いているように見えた。胸を押さえる。彼女を見た瞬間からオブラドスの胸は始終、早鐘を打っている。

「あれが私の妻なのか……」

 呟き、確信したオブラドスは天場を駆けて海岸に降り立った。

 

 娘は、海岸で貝を拾っていた。砂の中に、鍬状の道具を差し入れてはポロポロと出て来る小さな貝を拾って籠に入れた。その時、不意に雷鳴が轟いた。娘、ベアは顔を上げて空を見る。青い空を駆けるようにして、何かが下りて来た。それは、空を飛ぶ馬車のようだった。ベアは目を見開き、それを呆然と見ていた。馬車は海岸に降り立ち、黒衣の男が一人馬車から下りて来る。こちらへと歩いて来る男は、長い黒髪の男で、驚く程美しい人だったが同時にまるで闇をまとっているような暗い陰鬱さも感じた。彼は、少し離れた場所で立ち止まりベアを見つめる。ベアも、男を見返した。いや、見惚れていた。こんなに美しい男性に今まで一度も会った事が無かったからだ。そして、彼は『人』では無いのだろうと思った。

 男がベアに手を差し出す。

「私と一緒に来い」

 彼の言葉には魔力でもあるのか、一瞬ベアの体が動きそうになる。それをベアは踏みとどまる。

「何故……ですか」

 彼に尋ねると、男はやや驚く。

「私がおまえを見初めたからだ」

 男は熱っぽい瞳でベアを見る。しかし、彼を見つめていた視線をベアは反らした。

「誰とも知らぬ方に付いて行く事は出来ません」

 彼は一度手を下ろす。

「私は、地の神のオブラドスだ」

 ベアはもう一度男を見る。美しく、威厳のある男が『神』と言われて納得出来た。なにより彼が天を駆ける馬を連れている事こそ、その証だろう。

「私は名を名乗ったぞ。おまえの名を聞きたい」

「……私の名はベアと言います」

「ベアか……良い名だ。では改めて言わせて貰う。ベア、私と共に来い」

 彼は再び手をこちらに差し出した。

「いえ、私は行けません」

「何故だ」

 オブラドスは眉を寄せる。

「私には、心に決めた恋人がいます。彼を裏切る事は出来ません」

 ベアには、既に愛した人が居た。モンディ号の船員のジエルである。

「……その者は人か」

「はい、人間です」

「ただの人と神とを比べて、人を取るのか」

「はい……」

 ベアは目を伏せる。

「……良かろう」

 オブラドスは手を下ろし、ベアに背を向けて馬車に乗り空へと去って行った。ベアはその後ろ姿を見て、ほっと胸を撫で下ろした。神に見初められ、天界に連れて行かれた人の話しは旅の吟遊詩人からよく聞いていた。しかしまさか、自分がその当事者になるとは思わず、ベアは恐怖に震える体を押さえた。神に逆らえば、殺される事もあると聞く。ベアは運が良かったのだ。

 しばらく恐怖に震える体を抱えた後、籠を持って家に帰った。

 家に帰ると、予定よりも少ない貝を使って夕飯を作った。

「おかえりベア」

 農作業をしていた父が、家に入って来る。

「ただいま、お父さん。もうすぐ夕飯が出来るからね」

「あぁ、すまないね」

 茹でた貝のスープと、生野菜のサラダ、それからパンが今日の夕飯だった。村はけして実りの多い土地では無かったが、父とベアが日々食べて行くだけの食物はもたらしてくれていた。

「明日には、ジエルが帰って来るね」

「えぇ、楽しみだわ」

 ジエルは長い船旅に出ていて、帰るのは三ヶ月ぶりだった。

 次の日、ベアは朝からそわそわした気持ちで待っていた。家の中を掃除して、今日はとびきり綺麗な服を着てお化粧をして彼の事を待っていた。食事の準備だって出来ている。それなのに彼は、いつまで経ってもやって来なかった。ベアは不安に思い、港の方へ向かった。もしかしたら、何か事故があって船が予定通りつかなかったのかもしれない。ベアは重い足取りで港に向かい、そして停まっている船を見てほっとする。それはジエルの乗った船だった。荷降ろしをする船員に声をかける。

「あの、ジエルを知りませんか」

 船員はベアを見て、少しだけバツの悪い顔をした。彼は、ベアの事を知っていた。

「あージエルの奴なら、ちょっと出てまして」

「買い出しですか?」

「そ、そうっす」

「いつ頃、戻りますか?」

 男の視線が泳ぐ。

「今日は戻らなねぇかもしれねぇです」

「別の島にでも行ってるんですか?」

 ベアは眉を寄せる。そこに、ヒラリと黄色の布が落ちて来る。ベアはそれを拾い上げる。それは、ジエルの巻いていたスカーフだった。ベアの、拙い刺繍が目印に入っている。

「貴方がベア?」

 船の上から女が見下ろして来る。ふんわりとした金の巻き髪の見た事の無い美しい女性だった。

「そうよ、貴方は? 新しい船員かしら」

「ふふっ、いいえ。私は昨日、この船に助けて貰ったの」

 ベアは隣に立った船員に視線で尋ねる。

「へ、へいそうです!」

「このスカーフはどうしたの?」

「ふふっ、それね。私の恋人の昔の女の物だったから捨てたの」

 ベアは自分顔にカッと血が集まるのを感じた。

「それはどういう事かしら!!」

「頭が悪いのかしら。ジエルは、今はもう私の恋人なのよ」

 女が不敵に笑う。ベアは、女を睨み付けた後に船に乗り込んだ。船の中にある、ジエルの船室に向かう。扉を開くと、服を着ていなジエルがベッドの上で大いびきをかいて眠っていた。床に酒の瓶が転がっている。そして、右手に女性の下着を握りしめている。

「ジエル!!!」

 ベアはジエルの頬をひっぱたく。

「ふがっ!!!!」

 ジエルは目を開けて、驚く。 

「これはどういう事なの!!!」

 彼は驚きつつベアを見て、青い顔をした。

「べ、ベア!! 違うんだコレは!!」

「何が違うの!!!」

「い、勢いで……!!」

「勢いで、私の事を抱いてしまったのよね」

 いつの間にか、女が後ろに立っていた。

「ロ、ローリー……」

 どうやら彼女の名前は、ローリーと言うらしい。彼女はそっとベッドに近づき、ジエルにいやらしく抱きつく。

「安心なさいベア。この人は私が愛してあげるわ。私、浅黒くて静観な顔つきの体のがっしりした人が好みなの」

 青い顔をしていたジエルは、まんざらでも無い顔をしていた。なにしろ彼女は美人だった。

「ジエル! 貴方はどちらを選ぶの!! 決めて!!」

 ベアはジエルを睨む。ローリーも彼をじっと見る。

「お、俺は……」

 彼は震える手でローリーの手を握った。

「!」

 ベアは両手を握りしめる。怒りで、毛が逆立つようだった。

「ありがとうジエル」

 ローリーは彼に優しくキスをする。ベアは見ていられず、部屋を飛び出した。

船を飛び出し、村を走り海岸へと辿り着くとそこでうずくまって涙を流した。

「うぅ……」

 突然現れた女に恋人を取られて悔しいのか、彼に捨てられて悲しいのかわからなかった。ただ巨大な感情が胸の中で渦巻いて、ベアに涙を流させた。

「ねぇ」

 そんなベアに誰かが声をかける。ベアは目を開ける。すると、ベアの足元に蛇がいた。

「きゃああ!!!!」

 後ろに飛び退いて尻もちをつく。

「逃げないでよ、襲ったりしないから!」

 再び声が聞こえた。驚く事に、その声は蛇から聞こえたのだ。

「ヘ、蛇が喋ってる!」

「そうだよ、僕が喋ってるんだ!」

 蛇が頷く。

「ねぇ、僕の話しを聞いてよ」

 ベアはやや離れた位置で、尻もちをついたまま頷く。驚いて、腰が抜けてしまったのだ。

「あのねベア、君の恋人を奪ったのはオブラドス様なんだよ」

 ベアはきょとんとした顔をしてしまった。それは、昨日会った神様の名だった。残念ながら神様に詳しくない、ベアには彼がどんな神なのかわからないのだが。

「ベアを手に入れようと、君の恋人にローリーを差し向けたんだ」

「本当に!?」

「本当だよ。僕は、かわいそうなベアにその事を教えに来たんだ」

 先程まで悲しみの渦巻いていたベアの胸の内に、今度は怒りが沸いて来る。

「なんて人!! なんて嫌な人なの!!!」

 ベアは涙を流して顔を覆って叫ぶ。

「かいそうなベア……」

 海岸は静かになり、蛇はどこかへ行ってしまったようだった。怒りと悲しみに涙を流すベアの側に、誰かが近づいて来る。

「ベア……」

 それは陰鬱な低い男の声だった。ベアは顔をあげ、男を見る。闇をまとった男が、ベアを見下ろしていた。

「おまえの恋人はもういない。これで憂いは無くなったはずだ」

「いいえ、私の恋人は貴方に奪われたのです! 酷い人!!」

 ベアは叫ぶ。

「……確かに私はあの者に、美しい女を差し向けた。しかし、おまえを裏切ると決めたのはあの男自身だ」

 ベアは目を見開く。確かに、それはその通りなのだ。ベアは唇を噛み、涙を拭いて立ち上がった。

「確かに貴方の言う通りです。でも私は、貴方と一緒には行きません」

 彼に背を向ける。

「何故だ」

「こんな酷い事をなさる方の元になど行きたくないからです」

 ベアは砂浜を歩き、男から遠ざかって行った。男がベアを無理に引き止める事は無かった。

 家に帰って、ベアはベッドで泣いた。父に心配されたが、涙は止まらなかった。それから三日三晩泣いた後に、ベアは外に出て驚いた。三日ぶりに、村へ行くと村人達が顔を突き合わせて暗い表情をしていたのだ。

「どうしたんですか……?」

 近くの仲の良い村人に声をかける。

「あぁベアぁ。具合は良いのか。しばらく病に伏せていたと聞いたが」

 狭い村だ、噂はすぐに広がる。

「えぇ、もう大丈夫です。それより、みなさんどうなさったんですか」

「……実はな。最近、森や畑や海の様子がおかしいんだ」

「森、畑、海がですか?」

「三日前まで元気に育っていた畑の作物が急に枯れ始めたり、海では不作が続いて小魚一匹、貝の一つも捕れやしない。おまけに森に入れば、果実やキノコは腐り落ち獣は姿を見せない。このままいったら、俺達は餓死しちまう」

 ベアは目を見開く。

「しばらくは、冬用に作っていた保存食の貯えで乗り切れるが……これが一月、二月も続くようならまずいだろうな……」

「そんな……どうして突然」

 実りの多い村では無いが、作物が一つも採れないなど初めての事だった。

「今、巫女様が占っている。これで、原因がわければ良いんだがなぁ……」

 村の皆は、一様に暗い顔をしていた。村で配られていた少ない保存食を貰い、家に帰る。父と二人わずかな食料を分け合って食べた。

「村はどうなってしまうのでしょうか……」

「わからん。だが、もしかしたら生贄を立てる事になるかもしれぬなぁ」

 父は悲しそうに、そう呟いた。不作の土地が、神に豊穣を願う為に生贄を立てる事は稀にある事だった。この村にも、随分昔の大飢餓があった時にそれが行われた。ベアは、臓腑が冷えるような気持ちになりながら具の少ないスープを飲み込んだ。

 次の日、朝早くに誰かが尋ねて来る。激しく叩かれたドアに驚きつつベアはドアを開ける。そこには、村の屈強な男が立っていた。彼は巫女に仕える、神官だった。

「リードの娘のベアだな。巫女様がお呼びだ、神殿に参られよ」

「み、巫女様が!?」

 村人が神託を告げる巫女に直接呼ばれる事など殆ど無い。あるとすれば、余程の事である。

「む、娘がどうかしたのですか」

 父が眉をすぼめて心配そうな顔をする。

「詳しい話しは神殿で話す。さぁ、早く来い」

 べアは強引に男達に連れられて、神殿に向かった。神殿に行くには、村を通らなければいけない。神官に連れられて歩くベアを、村人達が遠目に見ていた。彼らの視線は、一様に哀れみを浮かべていた。

 神殿に付き、奥の聖なる部屋へと通される。石で出来た部屋の奥には、火がごうごうと燃えていた。そして、火の前に一人の老婆が立っている。

「……ベアか」

 巫女である老婆が振り返り、ベアを見る。齢い一〇〇を超えるしわくちゃの老婆は、瞳だけは鋭かった。神官は出て行き、部屋にはベアと老婆だけがいる。

「ベア、此度の不作を解消する為に、村は生贄を立てる事にした。神託はおまえを選んだ」

 ベアは目を見開く。

「私に、死ねとおっしゃるのですか……」 

 ベアは震える。

「死ぬのでは無い。村の為に生贄になるおまえの魂は、きっと天界へと召し上げられる」

 しかし、五十年まえの生贄は、崖の上から落とされたと聞く。それはやはり、死ねと言う事だった。

「嫌です……死にたくなどありません」

「ベア、聞き入れておくれ。神がおまえを望んでおられる。それに応えねば、村は飢餓で滅びる」

 ベアは恐怖でガタガタと震える。自分一人が死ねば、村は救われるのだと彼女は言う。しかしそれは、ただの娘一人が背負うにはあまりにも大きな責任だった。

「死にたくありません……どうかお許しください……」

「おまえの父も死ぬのだぞ」

 ベアは目を見開く。

「子は親を大事にするものだ。親を思うのなら、己の運命を受け入れなさい」 

 ベアは涙を流す。

「……はい」

 本当は嫌だった。納得などしていない。それでも、もう頷くしかない。老婆が手を叩くと、神官の男が入って来る。

「儀式の日まで、地下の部屋に入れておきなさい」  

 男に腕を掴まれて、ベアは聖なる部屋を出て地下の薄暗い石室の部屋へと入れられた。鉄の扉が閉じられ、鍵がかけられた。まるで、罪人のようだった。ベアは、簡素なベッドに体を預けて泣いた。

「うぅ……」

 このところ泣いてばかりいる。恋人にふられ、今度は生贄になれだなんて。

「ねぇ」

 その時、誰もいない牢屋に高い声が聞こえる。顔を上げると、部屋の中に蛇が居た。

「貴方は……」

 海岸で見た蛇だった。

「ねぇねぇ、僕の話しを聞いて」

「今度はなぁに?」

 ベアは涙を拭って、蛇に尋ねる。

「あのね、村を不作にしてベアを生贄に望んだのはオブラドス様だよ」

 蛇の言葉にベアは目を見開く。

「そう……なのね……」

 少しだけ予測はあった。

「なんて人なの……」

 ベアは顔を覆う。その事実に力が抜け、もはや悲しみも怒りも湧いて来なかった。呆然としている間に蛇はいつの間にかいなくなっていた。そして入れ替われるように、部屋の中に別の気配を感じる。

「ベア……」

 顔を上げると、オブラドスが部屋の隅に立っていた。薄暗い部屋には、蝋燭が一本しかないので、黒い彼は闇の中に溶けこんでいるようだった。

「オブラドス様……」

「私の物になってくれる気になったかい」

 ベアは彼を睨む。

「いいえ、私は貴方の物になどなりたくありません」

「何故だ」

「恋人を奪い、村を不作においやる貴方のような人の物になる気など起きるはずがありません!!」

 ベアはオブラドスに叫ぶ。

「……これ程、愛しているのにか」

「愛などと、貴方のそれはは愛ではありません! ただの身勝手なわがままです!!」

 オブラドスが顔を歪め、自らの胸をきつく押さえる。

「おまえを見れば、早鐘のように胸は鳴り、声を聞けばいつまでも聞いていたいと感じ、一生共にありたいと思うこの想いが、おまえは愛では無いと言うのか」

 ベアは目を見開く。

「最初に出会った時、どうしてそうおっしゃってくれなかったのですか」

 彼に愛の言葉を述べられたのは初めての事だった。

「……言っていれば、来てくれたのか……」

 ベアは目を伏せて首を振る。

「私に愛する者は裏切る事は出来ません……ですが、貴方の印象は変わったでしょう」

「……今から心を開いてくれれば良い」

 ベアは目を開け、再びオブラドスを睨む。

「貴方が神様だと言うのなら、私を強引に攫えば良いではありませんか!!」

 数々の非道な仕打ちを行ったオブラドスにベアの心はけして、彼に開かれる事は無いだろう。

「……それは、出来ない」

「何故ですか」

「神と人の恋にも取り決めがあるのだ。人が、付いて来ても良いと思った者しか神の世界に召し上げられない」

「……!」

「私の元に来ると言ってくれ、でなければ生贄となったおまえを天に召し上げる事も出来ない」

 ベアは唇を噛みしめる。

「酷い人、脅して愛が得られると思うのですか!」

「……神に愛されて、喜ばぬ女はいないと聞くがな」

 その傲慢さにべアは怒りを覚えた。『神』とは身勝手な存在だ。天と地と海を司り、この世界のああらゆる物に神はいる。しかし彼らは時に、非常な理由で戦争を起こし人間を殺す事もあった。神と人は違うのだ。けして、相容れぬ考えを持つ存在だった。

「私を召し上げたいのなら、お好きになさってください」

 ベアを目を閉じる。

「……よかろう。では儀式の日に迎えに行く」

 部屋の中に、男の気配が無くなった。ベアは目を開けて、薄暗い部屋を見る。手を握りしめ、己の運命と身勝手な神への怒りを心で燃やした。

 儀式の日、空は曇り今にも雨が振りそうだった。ベアは、後ろで腕を縛られ神官達の運ぶ籠の乗せられて村の中を運ばれる。村人達が、不憫そうな顔でベアを見ていた。

「ベア!!!」

 そこに父が飛び出して来る。

「やめてくれ、ベアを連れて行かないでくれ!!」

 父が叫ぶ。

「離れろ、これはもう決まった事だ!」

 神官が籠から父を引き離す。

「お父さん……」

 ベアは父を見つめる。

「お父さん、私は大丈夫よ」

「べア……」

 父を見つめ頷く。再び、籠が進む。村を抜け、崖に連れて来られた。籠から出されて、崖の上へと歩くように背を押される。崖の下では、海が広がり波しぶきを上げていた。ベアは足がすくむのを感じた。

「さぁ、行け。神はおまえを望んでおられる」

 べアは目を閉じて、くずれ落ちるように崖から身を投げた。落下の途中に意識が飛ぶのがわかる。体が、冷たい何かに包まれたような気がしたが、もうその時にはベア意識は無かった。

 


つづく

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