終業式
学校は、周囲を森で囲まれた、少し小高い山の上にあった。
表門から校舎へ向かう坂道からは村が一望できる。
校舎は平屋作りの一軒家で、正面玄関の上に大きな時計塔があった。
時計塔の最上部には鐘が設置されており、その時々で刻限を知らせてくれる。
校舎には、大きく分けて二つの部屋があった。
ひとつは生徒たちが授業を受けたりや食事をする大きな教室。
ふたつ目は校長や先生たちの職員室である。
ひとつの教室に、この村の子どもたちが集まって授業を受けていた。
年齢は、まだ歩けない幼い子から、大人の仲間入りをする前の子どもたちと様々だ。
ビーたちと同世代も多い。
互いに幼い頃から同じ教室で育つため、村の中で知らない顔はない。
小さい子は兄姉が連れてくることがほとんどで、年齢が上の子が一緒に面倒を見てくれる。
勉強は先生に習い、生徒たち自身も互いに教え合う。
ケンカが勃発すれば、仲裁も仲直りも自分たちで解決する。
学校という枠組みの中で、皆兄弟姉妹のような関係を築いていた。
二人はぎりぎりではあったが、遅刻することなく学校に到着した。
教室に入るなり始業チャイムがなったので、そのまま席に着く。
先生が教室に来ると、あいさつから始まり、出席確認、連絡事項が伝えられた。
今日は終業式のため、授業もない。
明日からは春の収穫休暇だ。
心なしか教室の雰囲気は明るい。
この村ではほとんどの家が農業に従事しており、収穫期は猫の手も借りたいほど忙しいのだ。
シャイナの家も例にもれず、農業と酪農を営んでいる。
ビーの家は祖父が雑貨店を経営しているため、大きな影響はない。
そのため、この時期ビーはシャイナの家の仕事を手伝うことが多かった。
作物の収穫に駆り出され学校に来る子どもは少ない。
もともと家の手伝いをするために設けられた休みだった。
家にいても農作業に従事することになるのだが、学校が休みというのは子ども心にも胸躍るのだろう。
終業式を前に、生徒たちは学校とその周辺を清掃するよういいつけられる。
ビーとシャイナ、他数人が、校庭の掃除係に選ばれ外へ出た。
二人は外周をゆっくり歩いて回りながら、雑草を引き抜き、落ちたゴミを拾う。
シャイナは、右手に持ったゴミはさみをかちかちと鳴らしながら、前を行くビーに向かっていった。
「なぁ、ビー」
「なんだよ」
ビーは振り返らず、ゴミを探して左右を見回しながら答える。
その背中を眺めながら、こういう時もなんだかんだでまじめだな、とシャイナは思った。
「朝礼でエチルス先生のこと、何も言ってなかったな」
「そうだな。今日村長に会うとか言ってたから、まだ先生たちも知らねぇんじゃねえの」
「そっか」
「お前がそのことを覚えてたってことのほうが、俺は驚くけどな」
ビーは雑草を見つけかがむと、軍手をはめた手で軽く引き抜いた。
シャイナはビーの前にゴミ袋の入り口を開けて差し出す。
「え? なんで?」
「お前、そういうのあんまり気にしねぇじゃん」
差し出された袋に、ビーは引き抜いた雑草を入れる。
雑草はぽすっと軽い音を立てて、袋の奥に落ちた。
「えー、だってオレたちの先生だぜ。気になんねぇ?」
「授業まともに聞かないくせにか」
「それとこれとは別問題」
「そうか?」
軍手についた泥を払いながらビーが立ち上がると、反対方向から友人たちがやってきた。
「おーい、向こうは終わったぜ」
「早く戻ろう。はぁ、はぁ、そっちは?」
先に声をかけてきたのは、丸刈り頭で快活そうな背の低い少年だった。
その後ろに続いて、他の子どもたちよりも一回り横に大きい少年が歩いてくる。
坊主頭の少年マトが細いので、大きい少年ヨンは実際よりも巨体に見える。
ヨンの額にはすでに大量の汗が流れ、なぜか息も上がっていた。
二人はビーとシャイナの同年代で、学校外でもよく集まる遊び仲間たちだ。
今でこそ少し落ち着いたが、昔からつるんで村のいたるところでいたずらを仕掛けていたので、『悪ガキ集団』と呼ばれた時もあった。
ゴミばさみを持った手を上にあげて、シャイナは二人に合図を送る。
「おー、早いな」
そういってから、シャイナはビーを振り返った。
「もう終わっちゃおうよ、ビー」
「ま、いいんじゃねぇ」
もともと掃除など乗り気ではない。ビーもすぐに同意した。
四人は並んで歩きながら、教室に向かう。
道すがら、マトがからかうように両手で二人を指差しながらいった。
「二人、今日来るの遅かっただろ。ぎりぎりだったよな。な、ヨン」
「う、うん。めずらし、かった、はぁ、うん」
ヨンは、自分の発言を確認するように何度も相槌を打つ。
シャイナはマトとヨンを見ながら、少し意味ありげに答えた。
「実は、今朝いろいろあって大変だったんだって」
「え? なんかあったのか?」
知りたがりのマトから当然くるであろう質問に、シャイナは一度ビーに視線を送る。
――勝手に首突っ込んできたくせに、とビーは心で思っても、口には出さない。
彼がそういう性格なのは、当の昔から知っている。
ビーは特に何もいわず、シャイナを見返した。
シャイナはそれをビーの許しが出たと判断する。
「ビーのとこのじぃちゃんが階段から落ちてさ」
身を乗り出しながら、マトが大声で驚く。
「えー!? 大丈夫なのかよ」
「お、おじいさん、ビー、だいじょうぶ?」
祖父への不満が解消していないようで、ビーは慌てる様子もなくいった。
「いつものことだ。普段が元気すぎんだから、これで少しは大人しくしてくれんだろ」
「あ、その口調だと、じいさん、またどっか行く気だったんだろ。
ビーのじいちゃん、元気だもんなぁ」
「いつも走り回らされて、うんざりするよ」
何度も村を襲った危機のおかげ(?)で、ビーと祖父のやり取りは、シャイナだけでなく村中が知るところだった。何か変わったことが起きると、すぐビーへ連絡がいく。
大抵の場合、祖父がらみである。
祖父に悪気がないのを、ビーは重々承知していた。
しかし、祖父はどうしようもなく抜けている。
反省と学習という言葉を脳ミソに刻んでほしい。
よくもそうバリエーションがあるものだと、事件が起こるたびにビーは感嘆する。
そして、ありがたいことではあるが、村の人間たちも毎回の出来事に寛大すぎるのだ。
老人だからと、甘やかしすぎではないか。
祖母も穏やかな性格だ。
大概のことは、「あらあら」といって受け止めてしまう。
だからビーは、孫である自分が誰よりも祖父を怒ることにしている。
最初は身内の義務だと感じていた。
しかし、今は自分の不平不満を解消するほうにウェイトがあるのは気づかないことにする。
そして友人たちも、ビーの不機嫌の理由の大部分が祖父にあることを知っていた。
「後始末する身にもなれ」
友人たちに何度いったかわからない台詞を、ビーはため息とともに吐き出した。
ビーとシャイナの言葉を受けて、マトは納得したようだ。
「ふーん、それで遅かったのか」
「いや、まだある」
シャイナが食い気味にいった。
「お、まだ何かやらかしてんの」
事件の匂いを嗅ぎ取って、マトは楽しそうに尋ねる。
しかし、すぐにビーが否定した。
「いや、じじぃの件じゃない」
シャイナが、待ってましたとばかりに口角を上げて笑う。
「めっちゃ最新情報だぜ。 新しい先生が来るっ」
「うそっ、新しい先生来んの」
「はぁはぁ、それ、ほんと?」
ヨンも、汗を拭く手を止めて聞いてくる。
まだ誰も知らない様子に、シャイナが胸を張る。
「まじまじ。オレたち今日クルギ先生とこで会ったもん。な、ビー」
「自称だけどな」
「どんなやつ、男? 女? 街から来たのか?」
シャイナが三人の一歩前に出て振り返り、マトの顔の前に人差し指を立てて返答する。
「男。茶色の髪の背の高い、兄ちゃん。自分で、オレたちの担任っていってんだよな」
歩みが止まり、二人から驚嘆の声が漏れる。
「ほー、まじかよ。村の外からって珍しいよな」
「はぁ、今まで、ないと思う」
「すっごい情報だろ」
シャイナは勝ち誇ったように両手を腰に当てて、のけ反る。
両手でいがぐり頭を掻きながら、マトは唸った。
「うーん、それは知らなかったな。
普段外から人なんて来ないし、でも来たらすぐ騒ぎになりそうなもんだけど」
「う、うん。みんな、すぐに気が付く」
「昨日遅くに着いたっていってたから、みんなが寝た後とかじゃねぇの。
村長のとこにも今日行くっていってたぜ。ビーも聞いたもんな」
シャイナは、ビーのほうを向いて同意を求めた。
黙って話を聞いていたビーは、興味なさそうに答える。
「帰るころには村中に知れ渡ってるだろ」
たとえ彼が本当に教師だとしても、そんなに関わることはないだろうとビーは考えていた。
特に仲良くする理由も見当たらないし、彼がいないからといって特に困ることはない。
シャイナは他の誰よりも先に知り合いになったことがうれしかったようだ。
またいつもの面倒見のよさが発揮されそうだ。
「あ、パレットとか知ってそうだよな」
マトが思いついたようにいった。
「はぁ、パレット、教えてくれる、かな」
ヨンが不安そうに呟く。
「そうじゃん、パレットなら知ってんじゃね。あいつの父ちゃん、村長と仲いいし、村のお偉いさんだ
し。シャイナ、お前聞いて来いよ」
マトの提案に、シャイナはきょとんと不思議そうな顔をした。
「なんでオレが」
「お前が聞いたほうが話早ぇもん」
「えー、何でだよ」
不服そうなシャイナに向かって、マトは両手を軽く上げ、肩をすくめた。大げさにため息をついて、いかにも残念そうにシャイナを見る。
「お前、わかってねーよな。乙女心ってやつだよ」
「意味わかんねえよ」
「いけばわかるって。シャイナが適任だよな、な、ヨン」
ヨンは汗をぬぐいながら答えた。
「はあ、シャイナなら、だいじょうぶ」
マトは、ビーの方にも同意を求める。
「だよな、ビー」
「まあ、そうかもな」
視線を明後日のほうに向けながら、ビーは小さく答えた。
ビーの承諾も得られ、マトはシャイナの肩に手を置く。
「ほい、決まり」
「えー、ビーも?」
シャイナはビーに視線を投げるが、ビーは目を合わせてくれなかった。
パレットの話題になると、ビーは口数が少なくなる。
その理由をまだシャイナは知らなかった。
それに、なぜ自分に白羽の矢が立ったのかは腑に落ちない。
クラスメイトなのだ、他の子たちだってパレットに聞くくらいできるはずだ。
しかし、悪友たちはその役目を自分に任せることで意見が一致している。
シャイナにも断る理由はない。みんながそういうなら、別にいいかという気にもなってくる。
また純粋にエチルスが本当に学校の先生なのかどうか、自分の好奇心も手伝ってシャイナはその役目を請け負うことにした。
「ま、いっか。わかった、パレットに聞いてみるよ」
四人が校舎に戻ると、教室の掃除も終わっていた。
これから終業式兼終礼が始まるのだが、先生はまだ来ていない。
教室は、休みを前にしてはしゃぐ子どもたちで騒がしかった。
明日から何をするか、いつ遊ぶのかを話したり、家の手伝いに文句をいったり、暇を持て余して鬼ごっこやゲームに興じる子たちまでいる。
教室に入ると、マトはきょろきょろと辺りを見回した。
そして、お目当てを見つけると、シャイナの肩を叩いていった。
「ほら、あそこにいるじゃん、パレット」
マトが視線を送った先、教室の真ん中あたりに数人の女子が固まって話に花を咲かせている。
その中心に、パレットはいた。
彼女の家は、村の名家だ。
村で一番大きな家に住み、父親はこのあたりで街との交易を一手に引き受ける商人だった。
彼の仕入れるもので村は豊かになり、またこの地方独特の農作物や工芸品を買い集め、街で販売している。
パレットは、そこの一人娘だった。
手入れが行き届いた、長くつややかな黒髪のツインテールが、彼女のお気に入りの髪型だ。
いつも人差し指で、髪の先をくるくると回している。
ビーは、この少女が苦手だった。
いかにも女の子らしいということと、よく邪険にされるからだ。
パレットはシャイナのことを気に入っている。
しかし、シャイナは基本的にビーと一緒にいることが多い。
その為、シャイナと二人っきりでいたいパレットから、ビーは敵視されていた。
一方シャイナはというと、パレットの好意に全く気付いていなかった。
無頓着といったほうがいいかもれない。
マトやヨンたちに気付かれるほど、パレットは意思表示をしているにも関わらずだ。
シャイナにとって、パレットは単に女友達の一人にすぎないのだった。
マトはシャイナに、聞いてこいと目配せする。
わかってるよ、とシャイナがパレットの方へ行こうとした時だった。
彼女の方が先に反応する。
「シャイナ!」
嬉しそうに名前を呼ぶと、女子の輪を外れてシャイナの方に小走りでやってくる。
淡いピンク色の花柄フリルワンピースが可愛らしく揺れる。
他の女子たちも、彼女の後に続く。
パレットはシャイナのそばに来ると、両手を後ろで組んで上目遣いで訊いてくる。
「ねえ、ねぇ、シャイナ。休みの間、何してるの?」
「オレ? 家の畑の手伝いしてるよ」
「そう、シャイナの家は農業してるのよね。他に予定はあるの?」
「特にはないけど」
シャイナがそう答えるのを予期していたように、パレットは周囲の女子たちとアイコンタクトを交わした。にわかに周囲の女子たちが、盛り上がる。
シャイナの後ろでその様子を見ていたビーは、その気配に後ずさった。
マトやヨンも一歩距離を取る。
シャイナは女子に囲まれているが、それを気にする様子はない。
パレットは、女子たちに後押しされる形で、少し恥ずかしそうに話し始めた。
「だったら、ウチに遊びに来ない? あたしの誕生日パーティーがあるの。
お父様が街から、すごいお菓子やケーキを取り寄せてくれるから、一緒に食べない?」
「オレは別にいいよ。女子だけでやればいいじゃん」
「街ですーごく人気のおもちゃも買ってくれるの。シャイナも興味あるでしょ」
「そりゃ、なくはないけど」
「ね、マトたちも一緒に来ていいから」
「でも、オレ」
シャイナが何か言いかけた時、先生が教室に入ってきた。
「みんなー、席について。終業式を始めますよ」
先生が来たことで、子どもたちはバタバタと慌てて席に着く。
ビーやシャイナたちも、自分の席に戻った。
終業式では、まず校長の話があり、その後先生から成績表が配られ、子どもたちの歓声や落胆の声が教室のあちらこちらで上がる。
また、休みの間に注意することや連絡事項が伝達され、多くはないが宿題も課せられた。
そして、新任の先生が赴任するという話は、少しも触れられることはなかった。
「では、皆さん。
休みの間にはしゃぎ過ぎないように。家のお手伝いと、宿題も忘れないでね」
先生から締めくくりの言葉がでると、教室で一番年上の子が号令をかける。
ありがとうございましたといい終わるのとほぼ同時に、教室は一気ににぎやかになった。
早々に荷物をまとめ走り出ていく子もいれば、成績表を見せ合って騒いでいる子たちもいる。
ビーはカバンを机の上に置いたまま、教壇で生徒たちに挨拶をしている先生に近づいた。
「はい、さようなら~。風邪ひかないでね。あら、ビー君、どうしたの?」
「ちょっと気になることがあって」
「何かな?」
「……先生は、新しい先生がくるとか、聞いたことある?」
「新しい先生? いいえ、そんな話は聞いてないわね」
「そう……」
ビーは視線を落として、思案する。
――やっぱりまだ誰も知らないか……――
先生は首を傾げて、黙ってしまったビーに尋ねた。
「新しい先生が来るって誰かから聞いたの?」
「いや、なんとなく」
ビーが答えをごまかした時、せんせーいと幼い子の声が届く。
先生は、ちょっとごめんね、といって、教壇から離れて小走りで向かった。
目線だけで先生を見送ると、ビーは小さくため息をついて自分の机に踵を返す。
すると、後ろからグイっと肩を掴まれた。
怪訝そうな顔を向けると、背の高い少年が歯を見せて笑っている。
「なんだ、フォード……」
「そんな不機嫌そうな顔すんなって、ビー」
彼もまた、悪ガキ集団の一人だった。
メンバーの中で一番背が高く、年長の彼は何かと要領よくこなす。
掃除時間は別エリアの担当だったようで、外にはいなかった。
もしかしたら、ちゃっかりとサボっていたのかもしれない。
フォードは、ビーの肩を上から抱えてて引き寄せると、小声で問いかけた。
「何か面白いことでもあったのか」
「……マトから聞いたのか?」
「ああ、まあな」
ビーは特に驚きはしなかった。マトとフォードは席が近い。
終業式の間、おしゃべりなマトが、話さずにはいられなかったのだろう。
ビーは一つ息を吐くと、フォードの腕を押し上げた。
「まだ本当かどうか、わかんねぇぞ」
「でも、会ったんだろ?」
「自称のやつにな。先生も知らないってよ」
「ふーん」
「もし本当だったら、今頃村が大騒ぎになってんだろ」
「なかなか外から人が来るってことないからな。どんなやつだったんだ?」
「俺らも短時間しか会ってねぇけど、シャイナもすぐ打ち解けてたし。
悪いヤツには見えなかったけどな」
ビーは自分の机に戻ってくると、帰る準備を始めた。
フォードもついてくると、ビーの前の机にどかっと腰を下ろした。
「へー。どこで会ったんだ?」
「クルギ先生のとこ」
「帰りに寄ってくかな」
「あんまいじめんなよ」
悪ガキ集団でイタズラのアイデアを出してくるのは、いつもフォードだ。
そして、逃げ足も一番速い。
フォードは口をとがらせて、短く口笛を吹いた。
「お、珍しい。お前がそんなこというの」
「いや、なんか……」
カバンのふたを締めながら、ビーの頭の中では、今朝の出来事がリフレインされていた。
「……すごく真面目そうっていうか、ちょっと抜けてるっていうか……」
「ふーん、ま、いいや。もう帰んのか?」
フォードは、机に置かれたビーのカバンを指した。すでに帰り支度は終わっている。
「ああ」
「あっちはまだ帰れなさそうだぜ」
そういってフォードは、親指で教室の窓際を指す。
ビーがその方向に目を向けると、パレットがシャイナに詰め寄っていた。
先程中断された話の続きをしているようだ。
ビーは仕方ないとでもいうように小さく息を吐くと、カバンを肩にかけ、教室の出入り口へ向かう。
そのあとにフォードも続いた。
「待たないのか?」
「ガキじゃあるまいし、一人で帰れるだろ」
まだ残っている友人たちに、帰ると一言声をかけて、教室を出た。
ビーは、帰り際にクルギ診療所を覗くことにした。
今朝会った新人教師に会う目的というより、祖父の状態をクルギ先生に直接確認しようと思ったのだ。あの自称教師がクルギ先生にきちんと伝えてくれたどうかも気になる。
どうせ通り道だ。
家の方向は違うが、フォードも興味本位でついてくる。
「その先生一回見ときたいじゃん」
そういって、歯並びの良い歯を見せて笑った。
普段ならば、ビーはシャイナとともに帰るのだが、今はいない。
フォードを特段断る理由もなかったので、ビーはフォードと共にそのまま帰宅の途に就いた。
二人が村の広場まで来ると、少し離れた場所からでもわかるくらい診療所の前に人だかりができていた。
この様子だと、新任の先生が来ていること、もしくは外から人が来たということは村中に知れ渡っていると考えていいだろう。
フォードは遠くを望むように手を翳しながらいった。
「おー、みんな来てんな」
「行くか?」
「ビーは?」
ビーは小さく首を横に振る。
「めんどくせ。あの中にわざわざ入って行く気はねぇよ」
フォードは肩をすくめた。
「同感。家に帰ったら母ちゃんが何か知ってんだろ」
フォードとそこまで話したところで、遠くからビーを呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、ビー」
振り返ると、シャイナがこちらに向かって走ってくる。
フォードはそれを見ると、
「シャイナが追いついたな。じゃ、オレは帰るわ」
「ああ」
さっと方向転換すると、手をポケットに突っ込んで足早に去っていった。
フォードを見送ってすぐ、シャイナがビーの元にたどり着く。
シャイナはよっぽど急いだのか、軽く息が上がっていた。
「もー、なんで先に帰んだよ」
「……別に。お前パレットと話してただろ」
ビーは広場を横切るべく、歩き出した。シャイナも続く。
「だからって、帰る時ひと声かけてくれたらいいじゃんか」
「一緒に帰らなきゃいけない、なんて決まりないだろ」
「そりゃそうだけどさ、いつも一緒に帰ってるじゃん」
「……」
「オレ、めっちゃ焦った。気付いたら、ビーいないしさ。
マトたちに聞いたら、先に帰ったっていうし」
ビーは、答えない。
「ダッシュで追いかけたんだぜ」
前を歩くビーの背中に向かって文句をいっていたシャイナは、ビーの反応がないので、少しむっとした。小走りでビーの左隣に並んで、顔を覗き込む。
「なぁ、ちゃんと聞いてる?」
ビーの顔のすぐ横に、シャイナの顔があった。
「……わかった、わかった。てか、顔近いんだよ」
そういって、シャイナの頬を手で押しやる。
しかし、シャイナは簡単には引いてくれない。
少々おかんむりのようだ。
幼馴染とはいえ、いつも一緒にいるわけではない。一緒に帰らなかった日だってある。
しかも家は隣なのだ。
必然的にシャイナは自分の部屋に遊びにくるだろうし、その逆だってある。
何か気に障るようなことをしただろうか、何も伝えなかったのがいけなかったのか――
ビーは観念したように小さくため息をついた。
「……わかった。今度からちゃんというから」
「おし!」
満足そうにうなずくと、シャイナは普段の距離に戻った。
先程までのやり取りを忘れたかのように、いつもの調子で話してくる。
切り替えの早いやつ、とビーは心の中で思う。
「あれ? ビー、先生とこ行かねぇの」
「クルギ先生のとこか? さっき見ただろ。たくさん人が集まってただろうが」
「そうなんだ、オレ見てなかった」
あっけらかんと答えられ、ビーは、何を見てたんだと思った。
広場を通ればわかりそうなものだが、その時シャイナの関心は別にあったのはいうまでもない。
「マー先生のことが村のやつらにも知れ渡ったんだろ。あんな中をわざわざ行く気にはなんねぇよ」
「えー、みんな知っちゃたのか」
「たぶんな。あの集まり方は普通じゃねぇし」
「ちぇ、つまんねぇの」
シャイナは、足元の石ころを蹴飛ばした。
自分たちだけが知っているという優越感はもうない。それが少し残念だった。
「だから、帰るころにはわかるっていっただろ」
「じゃ、やっぱ本当だったのかな。新しい先生っていうの」
「さあな。ただ、朝会ったあのマーってやつが村に滞在してるっていうのは確かだろうな」
まだ他の村人に話を聞いていない。
どんな情報が広まっているのかは、まだ確認しようがなかった。
「ビーはもう関心ない感じ?」
「こっちで調べなくても、そのうち嫌でも耳に入ってくるだろ。
しかも教師だったら、いずれ学校で会う。
休みの間でも、村のどっかでまた顔合わせんだろ」
「そうだな」
「……パレットからは、何か聞けたのか?」
「あ、忘れてた」
関心がないのはどっちなんだか、ビーは心のなかで呟くに留めておいた。
2018年11月25日 修正しました。
2021年9月25日 修正しました。