萌芽(2)
「――あまたの光とめぐる風
遠く蒼穹の彼方より 疾く駆ける
その力は大地を穿ち 天を分かつ
その声は万物の脅威とならん
彼の者よ
古より続く盟約に従い 縁を辿りて 我に応えん」
ビーを中心として、円を描くように風が吹き始める。
塞がれた洞窟の向こう側でムーデナールの気を引こうとしていた二人は、急に押し黙った。
シャイナとエチルスは、時間をかけて拡げた小さな穴から広場を窺う。
「……ね、エチルス。ビー何してんの?」
「わ、わかりません。唱えているのは、精霊宿しの時の呪文と似てますが……。
シャイナくんも知らない術ですか?」
視線はそのままに、シャイナは首を横に振った。
「見たことないよ。あんな術使ったことない」
穴の中で小さく佇むビーは、いつものように銃を構えてはいるが、その身体は満身創痍。
傷という傷からは血があふれ、足を引きずっている。
立っているのもやっとというところだ。
「まだ無茶する気なんだ、オレたちがいるから……。急がなきゃ、早くここどかそう!」
そういってシャイナは、拾った棒きれを岩と岩の隙間に押し入れようと力を込める。
エチルスも加勢した。
「こんな時にビー球が使えないなんてっ!」
「仕方ないよ。エチルスはオレの回復に魔力ほとんど使っちゃったし、くっ!」
「シャイナくんも無茶できる身体じゃありませんよ!」
差し込んだ棒に二人で体重をかける。
「わかってる……。あー、もー! ビーがピンチなのにっ!! こんな時剣があれば」
「あの剣の主人はシャイナくんなんですよね。こう、なんか呼び寄せたりとかはできないんですか?」
「できたら、とっくに、やってるよ!」
「そう、ですよねっ」
岩はびくともしないが、二人ともあきらめることはしない。
「急ごう、エチルス! ビーは絶対死なせない!」
「はい!」
ビーの呪文の詠唱は続く。
「遥か深淵 神聖なる星に傅く
忘却の果てに赦すものあり
森羅万象の礎にして
秩序と審判を司り
烈にして 厳かなり
汝に願い乞う
果てなる虚空より
再びこの地に相まみえん
紫電を纏い 闇を払う
一条の光持て――」
言葉を紡ぎ重ねるたびに、ビーを取りまく風は強さを増した。
広場のあちらこちらにあるクリスタルが反応しているかのようにちかちかと光る。
ビー自身、大きな力の流れを感じていた。
この呪文は精霊宿しの言の葉をアレンジしたもので、今の段階まではうまくいっている。
問題はここからだった。
本来ならば媒介となる水晶に、水や月の光など条件を整える。
併せて、呼び出す精霊に見合う対価を用意していた。
現状、環境は最悪、彼らをこちらの世界に引き込む対価がこれしかない。
「この血 この器 我が身を捧げん
粛々たる理を拝し
我は汝に仇なすものを断つ――」
広場は先程とは様相を一変させていた。
呪文の詠唱が進むにつれ、砂塵が巻きあがり、石つぶてがあちこち飛び回り跳ねる。
乱暴者のように、ゴウゴウと風がうねりを上げた。
天井から覗いていた青い空も、今や黒い曇天に変わっている。
ムーデナールは慌てることも逃げることもせず、ただ目を見開き、その光景を食い入るように見つめていた。いや、実際に見ているものはビーではなかった。
彼の頭の中で、かつての記憶と現在が、二枚の絵を重ね合わせるかのように符合し始めていたのだ。
それと同時に、夢魔のなかで小さな芽生えが起こる。
真っ白な紙に一点インクが垂れて白を侵食するように、じわりじわりと今まで感じたことのない感情が滲んでいた。
それは「恐怖」というものだった。
かつてその感情を抱いたのは、一度だけ――封印された「あの時」だ。
どんな凶行に手を染めようとも、彼の心は恐れることを知らなかった。
相手の恐怖は己を鼓舞し、その行いがまがまがしくあればあるほど彼の心は満たされたからだ。
死刑宣告を受けた時でさえ、怖いと思ったことはなかった。
あの時――女の目が真正面から自分を捉えた。
その輝きたるや、今まで見てきたもの、触れたものの中で一番美しく、のどから手が出るほど欲しく
なった。そして、それをもう見ることも触れることも叶わない、未来永劫自分のものにできないと
わかった時、初めて心が震えたのだ。
今再び、ムーデナールの前にあの時と同じ光景が広がっている。
「顕現せよ
汝の神命とともに――!!」
呪文を言い終えたビーの頭上に、先刻とは比べものにならないほどの重い空気がのしかかってくる。
一瞬でも気を抜けば、意識もろとも吹っ飛ばされそうな圧を感じていた。
――堪え、られるか――!?
指先は悲鳴を上げ、いつもの銃を掲げているだけなのに、とてつもなく重い。
黄金色は輝きを増し、周囲から小さな星が集まってくる。
おそらく呪文に呼応する魔術印があるのだろう、背中側が熱かった。
洞窟内は人がまともに立っていられるような状況ではなく、嵐のど真ん中にいるかのようだ。
集まった力は強大、術者が少しでも怯めば取って食われる――心臓をえぐる程荒々しい。
力の牙がビーの喉元に迫っていた。
――あとは引き金を引くだけだ。
そう思っていても、簡単に事は運ばない。
トリガーにかけた手が今にも引きはがされそうな感覚に陥る。
ビーは歯を食いしばった。
――敵を、標的を狙えっ!
銀と金の光が入り混じった瞳が、ムーデナールを捉える。
反射的に、ムーデナールは一歩、二歩とあとずさった。
その方向の先には、シャイナとエチルスがいる。
その動きが、ビーには後退ではなく、前進に見えた――シャイナとエチルスを先に始末するためだと。
刹那、ビーの中で何かを越えた。
ちらりと何かが脳内を掠める。
「うぅぉぉぉおおおおおおーーーー!!」
その叫びに周囲の空間が連動する。
バチバチと光の線が走り、風と圧力が重さを増した。
その異様な光景に、ムーデナールは身体を一度大きく震わせると、すぐさま大地を蹴った。
逃げ場を探し、天井へと壁を蹴って登っていく。
それを許すビーではなかった。
「逃がすかぁーーーっ!
雷帝の鉄槌――!!」
収束した力は、雷を纏った白い虎へと姿を変え、空気を震わす咆哮とともに一直線に夢魔へ向かう。
天井近くまでたどり着いていたターゲットを捉え、その歯牙にかける。
瞬間、大爆発が巻き起こった。




