萌芽(1)
斯くして、刃は振り下ろされた。
それは、壁に突き刺さる。
シャイナたちが声を上げる、未だ塞がれたままの洞窟に。
ビーは、不思議に思った。
――まだ死んではいない。
最初、死ぬときは痛覚も何もないのかと思った。
しかし、そうではないと気がつく。
意識はまだあるし、全身を巡る痛みも消えていない。
更に疑問も浮かんだ。
金属音はここではない場所で聞こえ、そして夢魔の動作音と思われる軋みがなぜか遠ざかっていく。
――……?
疑問を感じて、目を開けた。
霞んで滲んだ視界にムーデナールの背中が映る。
――なぜだ? あいつはさっきまでこちらを睨んでいた。
ビーの疑問に答えるかのように、夢魔の呟きが漏れ聞こえる。
「……ジャまだぁアア……、ブルうるザァいいいいい!
ダたのジミィをダまさせナァアアアイイイイイ―――」
「こっちにこい、悪魔やろうっ! オレが相手だっ!!」
「あ、あなたなんか、目じゃないんですからねー!」
――シャイナ……エチルス……なん、で……。
二人の挑発は確実にムーデナールを刺激していた。
ビーの頭は再び、高速で状況把握を始める。
夢魔は今手負いの獣のようなものだ。どんな底力を出してくるかわからない。
シャイナが復活を果たしていたとしても、万全な状態であるはずはない。
そして、あの深手を治癒したエチルスの魔力もほとんど無いに等しいはずだ。
二人が瓦礫を押しのけてこちらに来ないことが、それを証明している。
――このままじゃ二人が危ない……。ダメだ、それはダメだ。やめろ――っ!
ビーは銃を強く握りしめた。
再び身体が熱を帯びる。
自分の命は惜しくなかった。
――動け、体! 立て、今やらなきゃ二人が殺られるんだぞ!
痛みがなんだ。
こんなもの、何てことないだろうがっ!!
だめなんだ、もういやなんだっ!
激痛に耐え、ビーは気力だけで身体を動かす。
地面を這いつくばり、四肢で身体を支えた。
――だが、どうする!? ビー球もない。
一撃、一撃だけであいつを倒す方法は?
その時、きらりと地面が光った。
地面が光るはずはない。何かが降り注ぐ陽射しを反射したのだ。
ひび割れた大地に転がっていたのは、無色透明のビー球。
精霊宿しもされていない、何の力も込められていない、ただの水晶球だった。
――これは、確かあの時の……。
シャイナがいたずら心で持ち出し、洞窟内でビーが受け取ったものだった。
ビーは小さく輝く水晶球に手を伸ばす。
その瞳は力強く敵を睨んでいた。
「――ムーデナール!!」
広場にビーの大きなかすれ声が響いた。
その声を受けて、枯木のような白い脚がぴたりと歩みを止める。
「ビー! ばかっ、今起きんな!」
「も、もう無茶しないでくださいっ!」
シャイナとエチルスの悲痛の叫びがビーを奮い立たせた。
荒波にもまれた大型船のような軋みとともに、夢魔がふり返る。
その表情は、今まで以上の狂気に満ちていた。
それでも、ビーはもう臆することはなかった。
自分が引いた瞬間、大切なものの命は塵のように消し飛ばされてしまうのだから。
――何もかもぶっつけ本番か。嫌になるな……。
荒い息を整えようとしても、身体がもうついていかない。
穴の開いた管に風が通り抜けるような、へんな音がしている。
この期に及んで、万全の状態なぞ望めない。
いつものように球を補充する。
腕が折れてはいないのは不幸中の幸いだった。
いつもの慣れた動作のはずなのに、やけに時間がかかる。
舌打ちさえも、痛みを伴った。口の中は鉄の味だ。
その間もムーデナールの呪詛のような呟きが漏れ聞こえてくる。
やせ細った肢体は不安定にふらふらと揺れ動いていた。
――これでいけるのか……?
「はぁ、はぁ……ムーデナール。お前の相手は、俺だ。……そっちじゃねぇ!」
銃を構えて狙いを定めると、ガチャリと小気味よい音がビーの耳に響いた。
――左手を支えてやらなきゃ銃さえ持てねぇか。
身体は死ぬほど痛ぇし、ヤツの攻撃ひとつかわせやしない。
ムーデナールは、その場に留まっている。
思考回路は理解不能だが、かなりの重傷を負っているのだろうと思われた。
敵を見据えながらも、ビーは頭の中で自問自答を繰り返す。
――うまくいくのか?
こんな思いつきで、ヤツを倒せるのか?
もし失敗したら?
ビーはわかっていた。
考える間に、時間も体力も奪われることを。そして、そんな猶予もないことも。
――他に手はない。
わかってる、それでもあいつに奪われるわけにはいかねぇんだ。
この一撃に、全部つぎ込め!
心を決めた。チャンスは今しかない。




