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おつかい道中記  作者: Ash Rabbit
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絶望の淵(1)

 ビーは痛みに耐えながら、かろうじて立ちあがることができた。


 広場には、ビーと夢魔以外誰もいない。


 傷ついた足を引きずり、石膏で固められたように動かないムーデナールに近づく。


 静かすぎて怖いくらい、広場はしんとしていた。

 ずる……ずる……、と自分が歩く音と荒い息づかいがやけに耳に響く。


 自ら仕掛けた術の影響を考慮しなかったわけではないが、さすがに身体への負荷は凄まじい。

 乾坤一擲の賭けに勝利したものの、これ以上無茶はできないとビーは思った。


 手持ちのビー球はすべて尽きた。

 魔力は残っているが、それを使うための体力が身体に残っていない。


 ムーデナールがこのまま動かずにいてくれれば――


 地面に倒れた姿を、注意深く観察する。

 何年も漂流していたかのような流木にも似た足は投げ出され、何かを求めるように、指を失った両手は天を向いている。あの底の見えない沼のような黒い眼は見開かれ、その顔は恐怖で歪んでいた。


 夢魔は仇敵が近づいても、時が止まったかのように変わらずそこにあるままだ。


 ビーは胸を撫でおろす。

 それと同時に足元がふらついた。

 安堵の思いから、力が抜け座りこみそうになったのを何とか堪える。

 膝をついてしまえば、もう一度立ちあがることはできないだろうと思ったからだった。


 生命の危機という恐怖から解放されて、もっと気が抜けるかと思ったが、不思議と頭は冷静だった。

 苦戦したとはいえ狙い通りに事が運び(自分の技を自ら受けることになったのは計算外だったが)、

 上手くいきすぎて恐ろしくなったのかもしれない。


 少し時間を置いてみても、ムーデナールに動く気配はない。


 猫女の気配も一向に感じられなかった。


 ――ようやく終わった……。これで、帰れる。


 左手に握った銃を眺めた。祖父母の顔が頭に浮かぶ。

 腰に収めた炎の短剣が忘れるなと言わんばかりに、少し熱を持つ。


 ――行こう。シャイナとエチルスが待ってるはずだ。


 ビーは踵を返して、またゆっくりと歩きはじめる。


 黒猫を追いかけて広場へ入ってから、どのくらいこの場所にいたのだろうか。

 天井の穴から差し込む光は、だいぶ角度を変えていた。

 ビーの背中を押すように、光はやさしく道を照らす。

 その光に応えるかのように、黄金色の銃がきらりと輝いた。


 一歩、また一歩と出入り口へ向かう。


 出入り口は猫女が爆破し塞がれたままになっているが、ビーにとってそれは些末なことだった。

 向こうに行ったエチルスが、きっとシャイナを治療してくれている。

 そして、二人が助けを呼んでくれるだろうとも思っていた。


 カシャン……


 乾いた音を立てて、腰からシャイナの短剣がすり抜け落ちた。

 反射的に少し後ろを振り返る。


 視界を白い何かが走った。






 ドガシャァガラララーー!!


 激しい音を立てて、ビーの身体は壁に打ちつけられる。

 そして再び地面に転がった。


 喉の奥から熱く嫌な臭いとともに塊が逆流し、口から血を吐く。

 呼吸音にいびつな音が混じる。

 体の中のあちこちで何かが剣をふるって暴れているかのように、全身を耐えがたい苦痛が襲った。

 何が痛くて、どこがおかしいのかもわからない。


 ビーは、身体を動かすことに恐怖を感じた。


 ――何が起きた!? 痛い、苦しい、つらい、何で……何が――


 状況を知りたくもないはずなのに、ビーの思考は加速する。


 雄叫びか、はたまた金属音か。

 心をえぐられるような咆哮が広場を埋め尽くす。


 その叫びで、顔を動かさなくともビーにはわかった。


 ――ムーデナール! あいつ、あいつがまだ生きてる!! 死んでない!


 ようやく登りきった崖の上から再び谷底に突き落とされたような気分だった。


「ぞッビかりダァアダだアアぁあああだぅぐウ!!

 ヴァのドギイイィイどおがィッーーー! ブるずがあぁあヴぁあッ」


 横たわるビーの紅い視界の中で、黄金色の銃が存在を主張する。

 感覚だけで左腕を動かした。

 痛みのせいか戦慄のためか、その手は小刻みに震えていた。


 もうビー球も残っていない。

 ビー球がなければ、この銃は意味をなさない。

 それをわかっていても、ビーは愛銃に手を伸ばさずにはいられなかった。


 瓦礫とともに、ビーは再び空中に放り出される。

 なすがままの身体は、まるで糸の切れた人形のように軽く宙を舞い、地面に落ちた。


 ムーデナールは異様な早さで近づくと、牙のない手でビーを殴りつけた。

 枯木のような足で憎々し気に小さな体躯を踏みつける。


 ビーにはその足を払いのける力も、抵抗する心ももう残っていない。

 ただ手に馴染んだ感触を放されまいと、本能的に身体を縮めるので精いっぱいだった。

 それほどまでに、ムーデナールの復活は、ビーの心を砕いた。


 それは同時に、ビーの負けを意味する。

 一方的に受ける苦しみと痛みと狂気から、この現実から逃げ出したい


 ――すべてを手放せば楽になれる。そう思考は変化していた。


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