もう一方の戦い(2)
その力強い声に、シャイナを包む膜はより一層輝く。
「……や、やった!」
術の発動は成功した。
エチルスのかざす両手の先には、白い半透明の繭のようなものがシャイナを包んでいる。
その繭状の光の中は穏やかな風が吹いているかのように、白い煌めきとともに太陽色の髪が緩やかになびく。心なしか、先程まで血の気の失せていた顔にも温かみが感じられた。
この術は二つの難しさがある。
一つ目は、まず術の発動だ。
あらかじめ用意しておいた魔術印があるにも関わらず、この術は呪文の詠唱に時間を要する。
本来であれば、きちんとした診療施設で使われるべき術だ。
またビー球もかなりの数を消費するため、旅先で使うのは緊急事態に限られる。
二つ目は、術の発動後だ。
一般的なビー球の技は、発動後の持続時間が短い。
しかし、この術は治癒に特化した術であり、受ける側の怪我の程度に応じて、継続時間を変えることができる。その継続時間は、術者の魔力と体力、そして気力によって決まるのだ。
術を継続する間、エチルスは魔力と体力を放出し続けることになる。
その分、治癒効果はかなり高い。
シャイナの命をこの世につなぎ留めておくために、彼は魔力と体力を削り続ける。
それは少しずつ身体が弱っていくことに似ていた。
シャイナの回復が先か、エチルスが力尽きるのが先か。
それはエチルスの精神力にかかっている。
「絶対、助けてみせます!」
エチルスは自分の魔力量が多くないことを知っていた。
だからこそ、治癒時間をできるかぎり長く保たせるために、力をコントロールする必要があった。
イメージは細く長く紡ぐ糸だ。
力を一気に流し込めば治癒能力は向上するが、すぐに自分の方がダウンしてしまう。
それでは、大怪我を負ったシャイナを助けるには足りない可能性が高い。
そうならないために、力を細く細く引き絞る。
ゆっくりと、焦らずに、必要最低限な一定量を注ぎ込む。
高い集中力が求められた。
エチルスは、自分の力を制御することだけを考えるよう努める。
助けられるのかという疑問は心の底に押しこめた。
彼の心にあるのは、目の前のことをただ続けるということだけだった。
……ピシャン
「はっ!」
洞窟のどこからか聞こえる水音でエチルスは我に返った。
一瞬意識が途切れていたらしい。
気がついたと同時にハッとした。
――シャイナくん! 術は!?
光の繭は、変わらずシャイナを優しく包みこんでいた。
その姿に胸を撫でおろしながらも、危機感も抱く。
意識が飛んだのは、おそらく魔力の放出量が限界に近づいているからだと思われた。
こちらまで痛みが伝わるほどだった少年の胸の傷は、ほとんどわからないレベルまで修復している。
太陽のような笑顔を浮かべていたその顔も普段と変わりないように見えるが、瞳は閉じられたままだ。
自分が力尽きるのが先か、彼が目覚めるのが先か――
もう手遅れだったのではないか、というネガティブな思考が集中を乱そうとする。
こうしている間も、もう一人の少年が懸命に戦っているはずだった。
エチルスは願う。
――どうか、どうか神様。彼を助けてください!
手が小さく震えはじめる。
視界が霞み、身体の中が空っぽになっていくような感覚が彼を襲った。
手から送り出している魔力の糸が、クモの糸のように細く細くなっていく。
エチルスは、魔力が尽きた後のことを覚悟した。
「シャイナくん、頑張って……起きてください! 彼が……ビービーが待っています!」
ピクリ
エチルスは目を見張る。
彼の身体がわずかに反応したように思えた。
嗄れた声で続けざまに呼びかける。
「シャイナくん! 聞こえてますか? お願いです、目を覚ましてください」
次の瞬間、エチルスの魔力が尽きた。
シャイナを包む光が霧散する。
身体の上に重い石をいくつも乗せられたような疲労感がエチルスを覆った。
思わず地面に倒れこむ。
這いつくばったまま、シャイナに手を伸ばした。
「……シャイ、ナく、ん……」
まぶたが強制的に下がってくる。
身体を動かす力さえも、炎にかざしたように氷のように、みるみる解けてなくなっていく。
「……くっ……、そんな」
それは、エチルスの視界が完全にブラックアウトする直前だった。
「…………ここ、どこ……?」
小さくか細いが、それは確かに聞き覚えのある声。
エチルスは降りかかる闇を吹き飛ばして、思わず顔をあげた。
今までそばで横たわっていた身体はむくりと起き上がり、大きく伸びをする。
何かを考えるようなそぶりをして、首を傾げた。
「あっ!!」
大きな声を出して、シャイナは跳ねるように立ちあがった。
「そうだ、オレ……! わっ、服すごいことになってる!」
「………シャイナくん、よかった」
「エチルス!? 大丈夫、どうしたの?」
シャイナはエチルスの身体に手を添えて、起き上がるのを助ける。
疲労感もさることながら、エチルスは喜びの方が大きく感じた。
いつものようにしゃべって、動いて、差し出された手が温かい。
「……よかった、シャイナくん。本当によかった……!」
「えーと、確かアイツにやられて……かなりひどい傷があったような。
エチルスが助けてくれたんだよね。もしかして、オレのせいで力使いすぎちゃった?」
「出し切っちゃいましたね。でも、シャイナくんが助かって、何よりです」
「また助けられちゃったね、ありがとう」
「いえ、ビービーにも頼まれたんです。シャイナくんを助けてほしいって……」
「ビー……」
シャイナはふと気づいて、この場にいない幼馴染を探した。
「エチルス、ビーは? ビーはどこにいんの?」
エチルスの口が重くなる。しかし、話さないわけにはいかなかった。
「ビービーは……、残りました」
「!!」
「あの時、シャイナくんはビービーをかばって瀕死の状態で、どうしても治療が必要でした。
僕たちを先に逃がすために、彼は今も一人で戦っているはずです」
「急いで戻らなきゃ。エチルス、動ける?」
「……ちょっと、難しいかもしれません。僕のことは気にせず、先に行ってください」
「置いてけないよ。うーんと、オレが回復術使ったら何とかなるかな」
「いや、しかし……」
「ほら、この前教えくれたじゃん。白球まだ持ってる?」
「あと少しだけありますが……」
「任せて、これはビーよりオレのほうがうまかったし」
シャイナはエチルスに向かってガッツポーズした。




