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おつかい道中記  作者: Ash Rabbit
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解放(3)

 青い顔をした三人を尻目に、頬に手をあて、のんびりした口調で女性がつぶやく。


「あら、まだうまく力が制御できないかしら」


 彼女が直前に口にした言葉が、ビーの頭のなかで反響していた。


 ――……あいつらは、もしかして――っ!――


 考えたくない。

 そんな事態になるなんて、全く想定していなかった。


 その考えを否定する自分と、答えを出している自分がいる。


 迷っている時間は少しも残されてはいない。


 正直受け入れがたい事実だった。

 否定してくれる者がいるのならば、喜んで歓迎したい気分だ。


 只ならぬ気配、プレッシャー、魔獣以上の身体能力の高さ、奇妙な出で立ち――

 すべてが彼女の一言に集約されている。状況は最悪だ。


 ――夢魔だ――


 世界創成期からの魔王の配下と呼ばれる存在。


 かつてこの世界は、大地の覇権をかけて最初に生まれた神である聖王と魔王が戦いを続けていた。

 対として生まれた王たちは、互いが互いの存在理由であるがゆえに争った。

 長く続いた戦いの終止符は、聖王と魔王が互いを封じることで決着がつく。

 この地上からを去り、直接関わることができなくなったといわれている。


 しかし、ともに戦っていた精霊や一部の神、魔獣や夢魔は地上に残り、戦いのあとの大地からはひとが生まれた。


 それは大昔の神話だ。


 精霊たちが存在しているように、夢魔は確かにいる。


 しかし、それはこんな偶然訪れた旅先で出会うようなものではないはずだった。


 彼等の存在に行きついた時、ビーは名前の由来が少しわかった気がした。

 目の覚めない悪夢のなかにいる。

 何もかもがケタ違いだ。


 ビーの頭はフル回転して答えを導き出す。

 三人とも生き残ることが最優先で、最低ライン。


「逃げろっ!!」


 ビーの渾身の叫びに、シャイナの身体の縛りがとける。


 先にビーが動いた。

 放心状態のエチルスのそばに駆け寄ると、力任せに脇の下に腕を入れ、身体を持ち上げようと試みた。


「座りこんでる暇なんてねぇぞ!」

「……あ、ぁあ、うまく力が、ははいらなくて……」


 シャイナもすぐに合流し、二人でエチルスを引っ張る。





 手ごろな岩に腰かけミニスカートから伸びた脚をぶらつかせながら、女は三人が動き出すのを楽しそうに眺めていた。

「あら?」


 ムーデナールの黒い血がこびりついたような色の身体は、まだ壁に張りついたままだ。


「いいのかしら、獲物が逃げちゃうわよ」


 ガゴッと大きめの音がして、ムーデナールが頭を壁から引き抜く。

 嫌な動作音を伴って、首を不思議そうに傾げた。


「……ァあ゛あ゛、……う?」






 ビーは、シャイナとともにエチルスを何とか立たせながら、ムーデナールの動きに神経を尖らせる。


 壁にぶち当たったというのに、ダメージは無いに等しい。

 衝撃で岩肌はへこんでいるというのに、傷らしい傷はなかった。


 ――もう一度、あの速さで移動されたら……――


 初撃は運よく当たらなかっただけだ。

 あの女性のいう通りならば、封印から目覚めたばかり。

 うまく動けないのか、目が見えていないのかはわからない。

 どちらにせよ、まだ動きが鈍いうちがチャンスだ。


 エチルスはようやく立ち上がった。


 すぐにシャイナがエチルスの手を取り、出口へ向かって走り出す。

 ビーも大地を蹴った。


 ――洞窟に入ったら、天井を破壊して少しでも時間を稼ぐ――


 左手に持った銃に自然と力が入る。


 しかし、一足遅かった。


 三人が出口まであと数メートル、時間にしてほんの数秒あれば通り抜けられる距離にさしかかったとき、ムーデナールが跳ねる。


 どぉぉおおおおおぉぉぉん――――!!


 再び山が揺れた。

 砂埃が舞う中、ヤツは立っていた。


 嫌な赤だ――と、ビーは感じた。


 なまっちろい肌をキャンパスにして、ひたすらに赤だけ浴び続けたような、酸化して茶色くなった赤が積み重なって黒になったような色の身体だ。


 身長は、優にエチルスの倍はあるだろう。

 ひょろ長く不自然に伸びた手。

 光を映さない虚ろな瞳。より近くでその存在の不気味さに触れ、身の毛立った。


 三人は、無意識のうちに数歩下がる。


 出口はヤツの向こう。到底通り抜けられるような隙はなかった。


 ビーは、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。


 ――このままでは、逃げられない……!――


 目の前に立ちふさがる相手と戦うか。

 夢魔と対峙したことなどない。


 戦うとしても自分たちの攻撃は通用するのか。

 あのスピードについていける自信は到底なかった。

 攻撃を当てることすらできないかもしれない。


 仮に応戦できたとしても、残りの球数が気がかりだ。

 荷物は、予備のビー球は三叉路に残してきてしまった。

 今持っている分だけでは心もとない。


 戦闘に不慣れなエチルスをかばいながら、相手にできるか。

 他に逃げ道はないのか。


 ビーは素早く、視線をめぐらせた。


 背後にはあの女がいる。


 今は座って傍観しているが、いつ参戦してくるとも限らない。


 彼女もおそらく夢魔だ。

 片手間でしのげるような相手とは考えられなかった。


 赤黒い夢魔との戦いに集中したいところだが、そういうわけにもいかない。


 ――どうする、どうする、どうする!?――






 シャイナもビーと同じことを考えていた。

 戦って相手を制する、という希望はすぐに選択肢から消した。

 消えたといってもいい。

 そんなことは、天地がひっくり返るか、余程の幸運が積み重ならない限り、あり得ないと思った。


 相手が何なのか、難しいことはわからない。


 ただ、直感が、本能が勝てる相手ではないと告げている。


 これまでビーと二人、村で起きる事件をたくさん解決してきた。

 旅の間だって、大変なことはあったけれど対処できたのだ。

 エチルスにも褒められ、二人でかかればできないことはないという自信を、さらに強固なものにしてくれた。


 それが今はまったく感じられない。


 あの猫だった女性の死の宣告のようなプレッシャーに、壁のように立ちふさがる巨体に、明るい未来を見ることを断ち切られたような気分だった。


 特に、あの赤黒い色には寒気すらする。


 何かはわからないが、よくないものだということはわかる。


 ビーと二人で、逃げる隙を何とか作らねばならない。


 エチルスは、おそらく戦いの経験が少ないのだろう。

 こんな圧倒的な力を前にして、まともに動けるとは思えない。


 剣を握る手に自然と力が入った。






 エチルスは、何が起こっているのかわからなかった。

 いや、理解したくなかったのだ。


 頭では、どういう状況で、戦力差がどのくらいあるのかを考える。

 そして、これからどうなるのかも、最悪のケースを想定した。


 それは、到底受け入れられるものではない。


 頭は、脳は、「これから」を考えることを拒否した。

 

 なぜこんな事態になっているのか、それは誰にもわからないことだ。

 しかし、箱をひっくり返すように、過去の記憶がどんどん溢れてくる。


 今までに恐怖を感じたことはあった。


 しかし、こんなに喉元に迫るような恐怖はあっただろうか。


 どうするべきだったのか、どこかで引き返せたのか、何度も自問自答する。


 足が震えて、呼吸もままならない。

 息をしているはずなのに、酸素が全く巡らない。

 膝を折った身体は、少しも動かなかった。


 視界には、巨大な血なまぐさい色をした何かが、この世の最下層へ続く門のようにそびえ立っている。


 目の前が真っ暗になりかけた時だった。


 二つの小さな影が、動く。 



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