きっかけ(2)
「何度いやぁわかんだ!
毎回毎回ろくでもない話に引っ掛かっては、気軽に旅に出やがって。
俺とばあちゃんが、どんっっだけ苦労してるのかわかんねぇのか!!」
ビーの怒鳴り声が、ビリビリと空気を振動させる。
「しかも帰る度に問題起こしやがって。外にはもう出さねぇぞ!!」
「い、いやじゃ! 今度の話は本物なんじゃぞ」
動けない老人は、被っていた青の毛糸帽子をビーに投げつけた。
帽子はビーの足に当たるが、痛みはない。
「うそつけ! 聞き飽きたぞ、そのセリフ」
「頼まれた仕事もあるんじゃ。行かなきゃならん」
祖父は一歩も引かない。しかし、その微妙ないい回しをビーは見逃さなかった。
「「も」ってなんだ、「も」って。
他にも何かするつもりなんだろうが、それが余計なんだよ!」
「ぐっ。お、男に冒険はつきものじゃ」
「わけわかんないこといってんじゃねぇ。
必要な道具や鉱石は、行商のおっさんに頼めば済むだろうが」
「わ、わしはプロの職人なんじゃっ! 自分の目でモノを確かめんと気が済まん」
座ったままビーを見上げて、祖父は両手拳を握りしめて反論する。
ビーもここで「はい、そうですか」と、折れるわけにはいかない。
「もっともらしいこといってるけど、ごまかされねぇぞ。仕事で使う物はもう知り合いのとこに用意してあんだろうが」
「うっ」
「やっぱり。何がプロだ、単に旅に出たいだけじゃねぇか!」
祖父の口はぱくぱくと動いただけで、言葉はなかった。
そして、そのまま口を真一文字に結び、視線を落とす。
これで勝った、とビーは心の中でガッツポーズをした。
こうやって説得するのはもう何度目、いや何十回目になるだろう。
ようやく祖父から「今回はあきらめる」というセリフを聞けそうだ。
しかし、祖父の次の行動はビーが期待したものから、大きくかけ離れていた。
祖父は、右手で自分の頭を軽く小突きながら、舌を出して、
「……ばれちゃった、てへぺろ」
ビーは自分のどこかの血管が切れる音が聞こえた気がした。
「なにが、『てへぺろ』だ! ふざけんのも大概にしろ――!!」
可愛らしく振る舞った祖父の態度は、ビーの逆鱗に大胆に触れる結果となったのだ。
ビーの叫びが終わるか終わらないか、その時だ。不意に背後から笑い声がした。
「はははっ、ビー、もうそれぐらいで止めときなよ」
庭に続く廊下の方から、誰か歩いてくる。
ビーが顔だけで振り返ると、そこにはよく見知った人物が立っていた。
「シャイナ……」
「おーす!
こっちまで音が聞こえてきたから、心配で見にきちゃった」
シャイナと呼ばれた少年は、軽く手を上げる。
「あらあら、恥ずかしいわ。心配してくれたのね、ありがとう」
「すまんなぁ、シャイナくん。あてて……」
「大丈夫か、ビーのじいちゃん」
少年は、祖父のそばまで来ると膝をついた。
彼の名は、グック・シャイナ。
年の頃はビーと同じ。幼さの残る端正な顔立ちで、少しぼさぼさな太陽色の髪を肩まで伸ばしていた。白の半そでTシャツから出た腕は、少し日焼けをしている。
人懐っこい笑顔が印象的だ。
家が隣同士で、年齢が近いこともあり、ビーとシャイナは小さなころから一緒に育った。
何をするにも行動をともにしてきた、いわゆる幼馴染。
人見知りであるビーが、心を許せる数少ないうちの一人だ。
シャイナは立ち上がると、きれいな太陽色の瞳をビーに向けた。
「じぃちゃん怪我してるんだろ。いい過ぎだよ、ビー」
まだ怒りがおさまらないビーは、シャイナを睨む。
「お前、俺がじじいの持って帰ってきたもんの後始末に苦労してんの知ってるだろーが」
「そーだっけ? 結構楽しかったじゃん」
「お前だけだ、そんなん!」
シャイナはビーの剣幕に動じる様子はない。
彼にとって幼馴染の機嫌が悪いことは日常茶飯事で、怒っている理由も常日頃から聞かされている。
「まぁまぁ、そんなに怒鳴るなよ」
ビーの祖父にちらり視線を投げてから、シャイナはビーに提案した。
「とりあえず、じいちゃんをベッドとかに移したほうがいいんじゃね」
祖父を睨むように(実際に睨んで)一瞥したビーは、大きくため息をついて、しぶしぶながら頷いた。
「あいたたたた……もう年なのかのぅ」
「いくつのつもりでいんだよ」
ビーとシャイナは、祖父に負担をかけないよう、慎重に一階寝室のベッドへと寝かせた。
祖母はベッド脇のイスに腰かけて、夫の様子を見守っている。
ビーは腕組みをして、祖父を見下ろしながらいった。
「これでしばらく無茶できねぇな。いい機会だ、お、と、な、し、く、してるんだな」
「しかし……わしのリ「そんなナリでどこに行く気だっ」
祖父の反論を許さず、ビーはすかさず突っ込んだ。
まるで獰猛な獣ように、外に行こうとするそぶりを見せようものなら、すかさずかみつきそうな勢いだ。
孫に叱られてしょげている老人をフォローしようと、シャイナが明るく励ます。
「そーだぜ、じぃちゃん。こういう時は安静だっけ? にしといたほうがいいよ」
「そうよ、おじいさん。無茶しちゃいけませんよ」
自分の妻からも優しく諭されてしまう。
老人は、突破口はないものかと枕元の三人の顔を順番に見る。
しかし、誰も自分の味方にはなってくれそうになかった。
首をがっくりとうなだれて、ううーんううーんと呻いてもみる。
ビーは祖父の様子を見て、確実に今日は動けそうにないなと思った。
階段から落ちた時に腰を強打しているため、少しでも体を動かすと痛みが走るようだ。
シャイナと二人がかりで運んでいる時も、まともに歩くことさえままならなかった。
祖父の年齢を詳しく覚えてはいないが、老人にしてはかなり活発なほうだろう。
今日のように、昔から一人旅に出ることが多かった。
幼い頃は祖母とともに「いってらっしゃーい」などと素直に送り出していたが、年々持ち帰ってくるものの影響がひどくなっている。
家が半壊したことが、何度あっただろうか。
シャイナを巻き込み、村の人たちに迷惑をかけ、自分は後処理に駆り出される。
村から出ようとするのを止めては、口論からケンカへと発展する。
最近では手口が巧妙になってきて、こんな風に気づかれないようにこっそり出かけようとする始末だ。
いい加減自分の歳を考えて行動してほしいと常々思っていた。
今日のようなことが道中起きないとは限らない。
待たされる方の身にもなってほしい。
祖母だって、いつも心配して、祖父が無事に帰ってくるのを日がな一日待っている。
まだベッドでうんうんと唸って何か考えているようだが、そのうちあきらめるだろう。怪我の功名ではないが、しばらくは大人しくしてくれと願う。
「さて、俺はそろそろ学校行く用意するよ。シャイナ、お前メシ食べてくか?」
「らっきぃ、食べる食べる」
「じゃ、ばあちゃん、じいちゃんの面倒頼むな。適当に朝飯食べてくし」
そう祖母に告げると、ビーはベッド脇を離れる。
「ビーちゃんすまないねぇ。シャイナくん、ありがとね」
二人の背中に、祖母は感謝の言葉を投げた。
「へへっ、気にすんなって」
愛想良く手を振り、シャイナはビーのあとに続く。
二人が部屋を出ようとした時、ずっと悩んでいた怪我人は叫びながら上半身を勢い良く起こした。
「決まりじゃぁぁっ!! ってあいたっ」
「おじいさん、そんなに急に起き上がっちゃだめですよ」
すかさず祖母が背中を支えて、祖父を再度ベッドへ寝かせる。
二人は思わずドアの前で振り返った。
ビーは祖父の発言に嫌な予感がした。自然と眉間に皺が寄る。
「……何を「決めた」んだよ? 旅はむりだってこと納得したのか」
「違うわいっ! あたたたた…」
ビーとシャイナは不思議そうにお互い顔を見合わせた。
二人の身長はほぼ同じで、目線がちょうど合う。
シャイナはビーの顔がゆがんでいるのが見えて、直感的にこの後の展開がいいものでないような気がした。
祖父は力強く孫を指して高々に宣言した。
「ビー、わしの代わりにお前が行くんじゃ! そうじゃ、それがいい」
「はぁぁぁっ!?」
思わぬ発言に、ビーは喚声をあげた。
ベッドで横たわる祖父は腕組みをして、自分の案が最良だと満足げに何度も頷く。
しかし、祖父の周り以外の空気は凍りついていた。
その空気の発生源であるビーの暗く淀んだオーラに祖父は一向に気づいていない。
隣にいたシャイナは、寒気を感じた。
このままでは、ビーの怒りが爆発しかねない。
長年の付き合いで、そういう雰囲気はすぐにわかる。
「じ、じいちゃん、さすがにそれは無理なんじゃね?」
「そうですよ、おじいさん」
老婦人もすかさずフォローをいれる。
がしかし、老人はそんなこと欠片も気にして(気付いて)おらず、好々爺然としていい放った。
「いや、ビーが適任じゃ! うんうん、こんな妙案思いつけるなんて、さすがわし」
場違いな明るい祖父の笑い声が部屋に響く。
二人の健闘空しく、ビーの怒りは再び爆発した。
「――ふっざけんな! なんで俺が行かなきゃなんねーんだ!!」
「そ、そうですよ、おじいさん。ビーちゃんには早すぎるんじゃないですか?」
祖父はひとさし指を口の前に持ってくると、カッコをつけて左右に振った。
「ちっ、ちっ、ちっ、ばあさんや。
うちの孫は、わしらが思ってるよりずっと強いぞ。
なんせこれまでの危険なことはみーんな片付けてくれとるからの。なかなかのビー球の腕前じゃて」
その妙に自己陶酔に浸った動作がビーの癪に障る。
「こんのくそじじい! 俺は嫌だっつってんだろうがっ」
「いやぁ、これで万事解決じゃ。ふぉふぉふぉっ」
「何がだ! 人の話を聞けっ」
今にも掴みかからんとするビーを、シャイナが何とか抑える。
「ちょ、ビー、落ち着けって」
ビーが如何に拒もうとも、祖父は聞く耳を持たず、先の発言を覆す気はさらさらないようだ。
むしろさらに畳みかける。
「よろしく頼むぞ、ビー」
親指をぐっと押し出して、齢七十にもなる老人は可愛らしくウィンクをした。
「勝手に決めんな! 話になんねぇ、俺は絶ーーっ対に行かないからな!
いくぞ、シャイナ。朝飯くいっぱぐれる」
「お、おう」
ビーはこれでもかとドアを勢いよく閉めて、台所へと向かった。
部屋には、怒りにまかせた足音が遠ざかっていくのが聞こえていた。
2018年11月25日 修正を加えました。