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おつかい道中記  作者: Ash Rabbit
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解放(2)

 広場に立つ何か。シルエットは人のように思えた。

 差し込む光が強く、姿かたちがはっきりしない。


 しかし、不思議だった。

 明るい場所に立っているにもかかわらず、その姿は陰惨としていた。

 何がそう判断させるかはわからない。


 あえていうならば、そのシルエットが背負う不気味な雰囲気だ。


 人の踏み込まない深い深い森の奥、魚も住みつけない、植物でさえも生えないほどに不純物のない冷たく暗い泉の縁に立ってしまったような感覚におちいる。恐ろしいほど澄んだ水なのに、底が見えない。


 ビーも、シャイナも、エチルスも、その不可解な人影に釘付けになった。

 動けなかったといってもいい。

 少しでも動けば、何かがあっけなく壊れる気がする。

 それは、本能にも似た警告だった。






 ドッドッドッドッ!

 ビーの身体は何か重い枷でもつけられているかのように、動かない。それなのに、早鐘のような鼓動だけが、内側に響いている。銃をにぎる手がじんわりと汗ばむ。


 ――怖い――


 唯一つの感情だけが、堰が決壊したかのように噴き出していた。

 逃げ出せるのならば、脱兎のごとく今すぐにでも駆け出したかった。

 自分の経験則では測れない何かが、すぐそこにいる。






 突っ立って天を仰いでいるシルエットの横で、猫は甘い鳴き声で呼びかける。


 人以外の何かは、関節が錆びているようなぎこちない動きでゆっくりと首をひねると、支えを失ったかのように顔をがっくりと猫のほうに向けた。やけに手が長く、バランスが悪い。


 黒猫に、特に動じる様子は見られない。


 それは長い時間ゴールドアイを凝視すると、不自然に遅い動きで首をかしげた。


「……オ……マェ、だれ……ダ」


 地の底から誰かを呪うような、うめくような低い声だ。


 それに対して、優雅にしっぽをくねらせながら、猫が答えた。


「お待ちしておりました、ムーデナール様」


 そういうと、小さく黒い生き物はポンと煙に包まれると、人間の女性へと姿を変える。華奢な身体に細い手足、黒と紫を基調としたひらひらと風になびく服装はとても奇抜だ。


「ね、ねこじゃないっ!?」


 エチルスが驚いて声をあげた。


 女性は、顔だけでビーたちのほうをふり向く。

 バイオレットのミディアムヘアがふわりとなびいた。猫の時と同じ、黄味がかったゴールドアイがこちらを見つめて微笑みを浮かべる。


「あなたたちのおかげで、ようやくここまでたどり着けた。お礼をいうわ」

「俺たちの、おかげ……?」

「どういうことでしょう……」

「オレたち何もしてないよ」


 言葉の意味をはかりかねて、ビーたちは戸惑う。

 その様子を見て、女性はからかうように笑った。


「あなたがいなければ、この場は開けなかった。ずっと、ずぅっと……この機会を待って

いたのよ」

「……?」

「まあ、あたしたちにとってそんなに長い時間じゃなかったけれど」


 猫だった女性は軽く地面を蹴ると、一つ飛びでビーのすぐ目の前に音もなく降り立った。


「!?」


 身体が反応する前に、彼女の人差し指がビーの額を指さす。

 長い爪の先端が軽くあたったそこが、急激に冷えたように感じた。


「あなたよ。この場所を開放してくれてありがとう」

「――なんの、こと、だ……」


 ビーは、彼女の手を払いのけることができなかった。

 少しでも攻撃の姿勢を示せば、長い爪が易々とビーの額に突き刺さるだろう。

 

そう感じるほど、彼女のプレッシャーはただならぬものがあった。


 シャイナもそれを察して動かない。

 ビーに何かあったときは、事が成される前に飛び出せるように構えているものの、それさえも彼女の手のひらの上のようだった。


 彼女が見据えているのはビーだけのはずだが、その存在は三人を飲み込むほど大きい。


 ビーの安全を最優先するため、エチルスも歯がゆい思いでその場に立っていた。


「知ってるわずっと見てたもの。

 ちょっといたずらしすぎたかもしれないと思ったけど、全然問題なかったわ」

「――っ! あの視線、魔獣の不自然な襲撃もお前のせいか?」


 ビーの質問に彼女は答えない。ただ、赤いルージュの口角があがる。


「封印を解くにはあなたたちの血が必要だった。いろいろツイてたのよね。

 まあ、書状をすり替えるのはちょっと大変だったけど。

 きちんと、手順通り、指示に従ってくれてありがとう」


 ――あなたたち? 俺の血? どういうことだ!?

   あの書状、隠されるように設置された印……――


「あの、呪文は……!」

「もう少しあなたに知識があれば、わかったかもしれないわね」


 にっこりと笑うと、女性はビーの頭を帽子の上から撫でた。


「忌々しい封印も、これでおしまい」


 ――封印? 何を封印してたんだ!? 何かを解放してしまった!?――


 おそらくあの奇妙な動きをしている、何かだった。

 人ではない、魔獣とも違う。そして、目の前に立つこの女も、猫でも人でもない――


 ギギ……ギギィ――ギギギ……


 後ろの何かが、古いドアが軋むような、心をひっかく音をたてた。


「あぁ、おしゃべりしすぎちゃったわね」


 女性は踵を返してビーから離れる。その後ろ姿には、余裕さえ感じられた。


 彼女が去って、ビーはようやく呼吸ができるようになる。

 息をつめていないと肺まで凍りつきそうなほど、そのプレッシャーは厳しかった。


「ビー、大丈夫……?」


 心配するシャイナの顔も青ざめている。


 ビーは、かろうじて小さく頷いた。


 ――全く動けなかった――


 先程の光景が頭のなかで再生される。

 すべて見ていたのに、油断したつもりもなかったのに――

 

 足が地面に縫い止められたように、何もできなかったのだ。

 呼吸さえもままならない、少しでも動けば、今自分はここにいなかったと思わせるほどに、彼女の存在は脅威だった。


 ――このまま、ここにいてはいけない――


 ビーは、そう確信した。

 彼女から逃げることなどできるかもわからない、未知数の相手だ。


 しかも、もう一人(?)得体の知れない何かがいる。

 それは、彼女よりさらに只ならぬ気配を醸していた。

 彼等がこちらを標的にする前にここを脱出しなければ。

 

 疑問は残るが、この場所にいることは危険でしかない。


 ビーは、再びシャイナを見た。


 いつも輝いている太陽色の瞳が、これまでにないほど険しい。

 シャイナも同意見のようだった。


 目が合うと、互いに頷き合う。


 エチルスは震えていた。何かに祈るように両手を組んで、下を向いている。

 シャイナが音もなく、気配を消して、そっとエチルスに寄り添った。


 ビーは、奥の二人を注意深く監視する。

 何か動きがあれば、すぐにシャイナとエチルスに知らせるためだ。


 シャイナがエチルスの肩に軽く手を添える。

 びくりとエチルスは肩を揺らしたが、声は上げなかった。


 黙ったままシャイナはエチルスの後ろ、入ってきた洞窟を指さした。

 エチルスは振り返ると、無言のまま首を縦に振る。


 ビーは、彼女たちを見据えながら、頭のなかで考えていた。


 この広場への出入り口はすぐそこにある。走れば数秒でたどり着く距離だ。

 山の表に出るまでに、分かれ道は解呪を行ったあの一箇所だけ。

 ほぼ一直線に伸びた道だった。

 残念なことに身を隠すような場所はない。


 スピードは、先程の行動から考えてもあの女性のほうが上。

 得体の知れない方は、まだわからない。


 彼等は自分たちを追ってくるだろうか。

 もし追いかけられれば、すぐに捕まってしまう。

 自分たちの技が彼らに通用するのかも不明だ。


 彼等に自分たちを追う理由はあるか。

 封印を解いたのであれば、自分たちはもう必要はない。こちらのことは無視して、そのままどこかに行ってくれれば一番いいのだが、そんな都合のいい展開になるとは思えなかった。


「ビー」


 小声でシャイナに呼びかけられる。

 彼等に注意をはらいながら、ビーは後ろに少しだけ視線を動かした。

 エチルスも逃げる準備ができたようだ。


 ――行こう――踏みだそうとした時だった。


「我らが夢魔王様のために」


 ギチギチギチギチッッ――!!


 女のうれしそうなささやきの直後、気味の悪い音が広場に反響する。堅くなった筋肉を無理やり力任せに引き裂くような、心をかき乱す音だ。


 三人の足が止まった。

 全身に鳥肌がたつ。思わず耳を塞ぎたくなるような音に身体が強ばる。


 あの得体の知れない何かが、こちらを見た。


 目が合ったと思った瞬間、それはビーの横を通り抜け、背後の壁に勢いよく追突した。

 激しい衝突音とともに、砂塵が巻き起こる。






 誰一人、目で追えなかった。


 ビーも、一連の動きをすべて捉えたわけではなかった。

 ただ、底なしの虚ろな瞳を認識した途端、赤黒いものが目の前を通り過ぎた。


 いや色さえも見えてはいなかった。

 通り過ぎた後に風が追ってきたから、激しい音に無意識に振り返ったから、何が起きたのかを想像することができただけだ。


 壁がえぐられ、へこんでいる。その何かは、顔面から岩にめり込んでいた。


 ビーとその者との間は、十数メートルは離れていたはずだ。

 普通の人間や獣、魔獣でさえも、その距離で対峙すれば、ある程度のことは反応できる。

 逃げることも十分に可能だろう。


 しかし、それは相手のスピードを捉えることができて初めて成立する。


 今、すぐそばを突っ切ったそれは、その行動さえも見えなかったのだ。

 そんな相手から逃げることなどできるのだろうか。


 シャイナも、壁に埋まったそれに目が釘付けになっている。

 腰が抜けたように、ワンテンポ遅れてエチルスがへたり込んだ。


 ビーの心に絶望が津波のように押し寄せる。



2019年3月3日 加筆修正しました。

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