解放
三人は洞窟内をぐるり一周し、元の三叉路に戻ってくる。
重い荷物を背負って歩いていたシャイナは、一旦リュックをおろして背伸びをし、身体をほぐす。
ビーは書状にある呪文を何度か小声で繰り返していた。
思っていたより文言が長く、変なところでかんだり、うまく読み上げられなかったら恥ずかしい。
エチルスが心配そうに尋ねた。
「わかりにくい部分とかなかったですか?」
「たぶん、問題ない。――にしても、解除するだけなのにやけに長い呪文だな」
「そうですね。こういうタイプの魔術は僕もあまり詳しくないんですが、よっぽど厳重に管理されているみたいですね」
首をかしげながら、ビーの目線は再度呪文を追う。
「あんまり気持ちのいい文じゃねぇんだよな……」
「やっぱり僕が最初にやってみましょうか」
「……いや、いい。俺も知ってるわけじゃないから、そんな風に思うんだろ。こういうもんなんだろうな」
ビーはカバンを地面に下ろして身軽になると、フォーディングナイフを取り出した。
それを見たシャイナが、先の痛みを想像して両手で目を覆う。
「うわー、いたそー」
「まだやってない」
「ちょーっとだけですよ、本当にちょっとだけですからね!」
「わかってる」
ビーは何度もエチルスに念を押されていた。
幼い子どもに小さくとも自ら傷を負わせることや、本来ならば自分がやるべき立場であることに責任を感じているようだった。
右の人差し指に、ビーはナイフを軽く押しあてた。
ピリッと小さく電流が流れるような感覚のあと、エッジを肌から離すとその場所からじんわりと赤い血がにじみ出す。
書状に描かれた魔術印に血を一滴たらした。
三叉路の中央、入口から正面の壁の前に立つ。
二人は固唾をのんで見守った。
「――すべての杯は満たされた
光の化身とともに 水の女神の御胸に抱かれ
堅く閉ざされた大地に眠る 抗う者よ」
ビーの低い声が洞窟内にこだまする。
つむぐ言葉に呼応するように、まず手元の魔術印が光りはじめた。
「――今こそ呪縛より解き放たれる時 来たり
ここに我が血族の証を捧げん」
通路が一瞬にして金色に輝き、真昼のような明るさになる。
「――その身朽ち果てようとも
その心 未だこの世に留まりて
再び肉体を得て相まみえん
解呪!」
力ある言葉と同時に、地鳴りがおこった。
三人は咄嗟に身構える。
山全体が揺れているようだった。
天井からはパラパラと砂塵や岩の欠片が落ちてくる。硬いものどうしがこすれ合い一際大きい鈍い音とともに、ビーの目の前の壁の一部がせり上がっていく。
「なっ……!」
予期していなかった出来事に息をのむ。
大地が再び穏やかな表情を取り戻すと、そこにはさらに奥へ続く洞窟の入り口ができあがっていた。
「……な、なんだ、これ……」
「まじで……」
「す、すごい……」
ヒュオォォォオオオーーーー
不気味な音を立てて冷たい風が吹き抜ける。
ビーの背中に、ぞくりと悪寒が走った。
「?」
いい知れぬ不安が心に押し寄せる。
――なんだ……?――
思わず、ビーはシャイナを見た。
シャイナも同じように、こちらに視線を送っていた。
何か嫌な感じがしているのは自分だけではないようだ。
太陽色の瞳には戸惑いがあった。
これまで(主に祖父のせいで)様々な場面を経験してきた二人にとって初めての感覚。
得体の知れない上下左右さえもあいまいな真っ暗な闇のなかに放りだされたような、自分が急に赤ん坊にでもなって置き去りにされてしまったかのような、漠然とした不安が心を占めていた。
どうしたらいいのか、判断できない。
直感だけでいうのならば、進んではいけないような気がする。
その時、ビーはまたあの視線を強く感じた。
これまでのようにぼやけたものではなく、今度ははっきりとその存在がわかる。
ビーは、慌ててふり向いた。
シャイナも洞窟の入り口方向を注視する。
二人の行動につられて、エチルスも戸惑いながら、もと来た道に視線を移した。
視線が近づいてくる。
その姿は見えない。
だが確実に距離は縮まっていく。
ビーは銃を構えた。
視界の端で、シャイナが剣に手をかける。
ビーが感じているものを、シャイナも同じように嗅ぎ取っているようだ。
ゴクリと、生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。
エチルスも状況を察して、息を殺して微動だにしない。
ようやく視線の正体がわかる。
知りたかったような、知りたくないような。
激しい風に吹かれて回る風見鶏のように、相反する気持ちが絶えず心の中で入れ替わった。
ランタンの灯りは、ビーたちを中心に二、三メートルの範囲を照らしている。
中心から離れれば離れるほど、光度は落ちてしまう。
光の届かない洞窟は、どこまでも闇が続いているように思われた。
直に、その正体はビーたちの目の前に現れる。
そう思った次の瞬間、気配は掻き消えた。
「――なっ!?」
「消えた?」
ビーが消えた気配を追おうと駆け出そうとする。
しかし、シャイナがそれを制した。
「待ってビー!」
ビーは急ブレーキをかけるように、自分の足を踏みとどまらせる。
闇のなかに動きはない。
何が起きても、何が来てもすぐに対応できるよう、三人は身構えたまま、しばし様子をうかがった。
それは、足音もなく現れる。
「ニャーォ」
鈴を鳴らすような可愛らしい鳴き声で、一匹の猫が出てきた。
光球の灯りに照らされ、研ぎ澄まされた黒曜石のような毛並みが光沢をはなつ。
色の濃いゴールドの瞳が、何度かまばたきを繰り返した。
「……ね、ねこ? ですか……」
エチルスが脱力したように、その場に座りこむ。
ビーは戸惑いを隠せなかった。
たしかに直前まで気配があったのに、そこから姿を現したのはただの野良猫だ。
確かに人や動物ではない何かの視線を感じていたのに――。
今目の前にちょこんと座っている黒猫だったというのだろうか。
シャイナも拍子抜けした顔をしている。
「この猫さんって、途中ついてきてた猫さんですかね……?」
エチルスの問いに、ビーはソルと一緒に居た猫を思い出した。
彼と別れてから猫も姿を消したので、てっきりそちらについていったのか、どこかへいってしまったのだと考えていた。
シャイナは、腕組をしてうーんと唸る。
「……いっしょ? うーん、いっしょ……なの、かな……?」
動物に好かれるのも、見分けるのも得意なシャイナが、判断しかねていた。
しかし、違うともいわない。
猫は、戸惑う三人を尻目に、もう一声鳴くと、まっすぐにそのまま走り出した。
猫の進む先は、先程開かれたばかりの新しい道のほうだ。
「ちょっと待てっ!」
反射的にビーはその後を追った。
すぐにシャイナも続く。
「え? わっ、あっ、お二人とも、待ってください」
エチルスがランタンを掲げて、慌てて二人を追いかける。
洞窟内は暗いはずだった。
外に通じる穴も、光が射すような裂け目などない。
もちろん、人工的な明かりが設置してあるはずもない。
しかし、ビーの目は猫の姿をちゃんととらえていた。まるで、猫の周りに薄い光る膜でもついているかのように、暗闇のなか輪郭だけははっきりとしている。
後ろからシャイナとエチルスの足音がついてくる。
猫は絶妙な速さで駆けていた。
簡単には追いつけない、しかし見失うほどではない。
時折、走りながらちらりと後ろを振り返って、こちらを視認している。
ついて来いという意味か、ついてきてくれなければ困るという事なのか。
その意味深な瞳は、漆黒の中でより一層映えた。
ビーは、この猫の正体が判明すれば、この旅で起こった不可解な出来事の理由がわかる気がした。
エチルスも祖父も、旅のあいだ魔獣に出くわすことはないといっていた。
森の中で出会った男もそんな情報は聞いていないと。
それなのに、なぜ魔獣に襲撃されたのか。
人を襲うにしても、あんな群れの形をとるのだろうか。
まるで何かに操られているかのように、ピンポイントで自分たちを狙ってきた。
この猫だって、シャイナは迷っていたが、きっとずっとついてきていたのだ。
とらえれば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。
奥に白く輝く出口が見えた。
猫のスピードが上がる。
逃すまいと、ビーはその出口を一気に駆け抜けた。
視界がまぶしさに一瞬白んで、ビーは足を止めた。
暗闇に目が慣れていたシャイナ、エチルスも同様に立ちすくむ。
そこは、巨大な広場になっていた。
岩山の中身だけが綺麗さっぱりくり抜かれたように、空洞化している。
数十メートル上の天井部分はおそらく、この山の頂上付近だと思われた。
高くなればなるほど、先のほうがすぼんでいる。峰の部分に壁はなく、青い空が顔を出して燦々と真昼の太陽が降り注ぐ。
この空間だけが、陽の光を浴びて暖かい。
岩肌を見れば、所どころがきらきらと輝いている。
それが、ビーたちが目的としていたクリスタルの原石だった。
思いのほか広い空間と明るさに、三人はしばし直前の行動を忘れる。
「ここが、グロエブ採石場……」
――ニャーン――
離れた場所から聞こえる猫の声に、はっとした。
ビーは、すばやく周囲を見回す。
障害物がほとんどないので、猫の行方はすぐにわかる。
スポットライトのように照らされた広場の中心に、小さい黒い点が動いていた。
そして、その傍らに何かが立っている。
「……?」
疑問に思った次の瞬間、ビーの心臓は大きく脈打った。
そして、全身の肌が泡立つ。
2019年3月3日 加筆修正しました。




