グロエブ採石場(2)
その洞窟の入り口は岩陰に隠れていて、知っていないと、また探していないとわからないような場所にあった。
口のようにぽっかり開いた穴の奥は、光が届かず真っ暗な闇が続いている。
どこかに繋がっているのか、時折冷たい風が吹き抜けて奇妙な音を奏でた。
「山の中腹ぐらいっていってたし、少し先も見てきたけど他にこんな洞窟はなさそうだ」
「ありがとうございます、ビービー」
「結構、奥までありそうだね」
「そうだな。採石場っていうくらいだから、そこそこあるんじゃないか。
シャイナ、ランタン貸してくれ」
肩掛けカバンから袋を取り出しながら、ビーは答える。
「おう。ちょっと待って」
リュックの横にぶら下がったランタンを器用に外すと、シャイナはビーに手渡した。
ビーの手の中には、すでに光球が握られている。先日サルサン村で作成したものだった。
「光よ(ライト)」
ビーが呟いて光球を指ではじくと、薄黄色の球はにわかに光を発し始める。
それをランタンの中に放りこんだ。
「マー、エンフリードに貰ったあの書状を出しておいてくれ」
「わかりました」
エチルスは書状を手にしっかりと握りしめた。紐はまだ外れていない。
「進むぞ」
「は、はい、行きましょう」
「洞窟探検にしゅっぱーつ」
洞窟の中は、多少曲がりくねっているが分岐はなかった。
ビーを先頭に、ランタンの灯りで闇を一時的に退けながら進んでいく。
やがて、道は突き当り左右に分かれた。行き止まりの壁に、何も印らしきものはない。
「どちらに……」
エチルスが何かいいかけた時、手の中の書状がぼんやりと赤い光を帯びる。
それと同時に天井部分に光が走った。
光は円を描き、その中に複雑な模様を描く。
「魔術印……」
マーが上をあおいで呟いた。
みるみるうちに魔術印が完成する。
書状を覆う赤いもやのような光は、吸い込まれるように紐に集約され、次の瞬間はらりとほどけて落ちた。
時間にしてほんのわずか、三人はその不思議な光景に目を奪われ、言葉をなくした。
最初に、シャイナが声を洞窟に反響する。
「え、ええええええーーー! なに、なに今の!?」
「……ほんとですね、僕もこんな風になるとは思ってもいませんでした」
二人が興奮気味に話している間、ビーは消えた魔術印のあとをまじまじと眺めた。
届くはずもないのに、自然と天井に手が伸びる。
今すぐにでも走り出したいような気分だった。
いても立っても居られない。
何がどうなっているのか、どんな仕組みで動くのか、探求心に手足がはえて自意識が芽生えたかのようだ。遠くから俯瞰的に眺める自分と、騒いで止まらない全く別の自分がいた。
「ビー! ね、ビーってば」
シャイナの呼び声で、ビーは我に返る。
「何してんの、手なんか伸ばして」
指摘されて、ビーは慌てて手をひっこめた。
「何でもない……」
「すっごいよね、こんなこともできるって知らなかった。帰ったらじいちゃんに教えてもらおうよ」
嬉々として話すシャイナに、ビーはうらやましさを覚えた。
時折、自分もそういう風に感情を素直に表に出せればとも思う。
そんな思いとともに、シャイナのきらきらと輝く太陽のような笑顔に、心が温まる。
「そうだな、帰ったときの楽しみが増えたな」
「おう。抜けがけはなしだかんな」
「お前がその勉強に耐えられるかどうかだな」
「エチルスにも聞くもん。ビーだって教えてくれるだろ」
「ちゃんと教わる気があるならな」
しゃがみこんで書状を真剣に読んでいたエチルスが、顔をあげた。
「お二人とも、少しいいですか?」
エチルスの両脇に二人は移動する。ランタンを掲げて、解放された書状をのぞきこむ。
そこにはここから先に行う手順が箇条書きに示され、その文章の下にまたもや不思議な印と呪文が書き込まれていた。
エチルスが二人に説明する。
「書かれている内容は、エンフリードさんがおっしゃっていた、採石場への入り口を開く方法ですね。
この道は山の中をぐるりと一周しているみたいです。
分かれ道を反時計回り、つまり右に進み、封印を解く条件を整えて、またこの場所に戻ってくるようにと書かれています」
シャイナが明るい声で先を促す。
「じゃあ、早いとこすませちゃおうよ」
「そうだな、そんな難しいことじゃないんだろ?」
「はい。作業はそんなに煩雑ではないんですが……」
エチルスが言いよどんだ。
「どうした?」
ビーが尋ねると、エチルスが少し困った顔をした。
「あの、この最後の項目のところなんですが……」
エチルスの指さした個所に、ビーは目を通した。
「……あのおっさん達筆すぎだな……」
「ほんとだ、読みづら……」
「えーと、『三叉路の中心に立ち、印に血を一滴ささげ、下記の呪文を唱える』」
ビーが箇条書きの一つを読み上げると、三人は一瞬口をつぐんだ。
「……え? 血って……」
「……誰かが、意図的に傷をつくらなきゃならないってことか」
神妙な顔でエチルスはうなずいた。
「はい、そう書かれています。しかも、その誰かは呪文の中で指定されています」
「誰がすんの? まさかオレ?」
シャイナが数歩後ずさる。
「いいえ、シャイナ君ではありません。この文言を読んだときは、僕がやろうと思ってたんですけど……」
ビーには何となく予想がついていた。
「俺か」
「はい……。呪文の中に『ビーの血族』って言葉があるんです。
血をカギとする魔術は、強めの結界に用いられる手段なんですけど、今回は中に入る人間を限定する意味でも使われていると思います。契約している人間の血でないと発動しないようになっているのではないかと」
「エンフリードの親父が、孫の俺なら問題ないだろうっていってたのは、そういう意味も込められてたのか」
「すみません、もっとよく聞いておけばよかったんですが」
「マーのせいじゃない。説明をめんどくさがったあの親父が悪い」
「血をささげるって、ビーどうすんの?」
心配そうにシャイナが尋ねる。
利き手を口元に持っていくと、ビーは少し考えた。
「――まあ、一滴って書いてあるから、ちょっとナイフで傷を作るぐらいでいいだろ」
「ほんとに、ほんのちょーーっとでいいですからね」
エチルスが涙目で力説する。
その大げさな心配の仕方に、ビーは少し圧倒された。
ここまで心配されるとは思っていなかったのだ。
「……あぁ、わかってる」
「オレ、その時直視できないかも」
両目を覆う幼馴染に、ビーは嘆息する。
「大げさな、すり傷切り傷なんてしょっちゅうだろうが。
それに、そういう術があるのは、見たことがないわけじゃない」
「そうなの?」
「昔、じいちゃんがやってるところをちょっとな。マー、他に準備が必要なんだろ?」
「はい。えーと、道沿いに五カ所ありますね」
「一先ずそっちを片づけよう」
「おう。それじゃ、再びしゅっぱーつ」
三人は、右側の道を進んでいった。
「えーと、たぶんこの辺りなんですけど……」
エチルスの言葉に、ビーとシャイナはそれぞれ壁や地面を見まわす。
歩いて五分ほど、最初のポイントについているはずだった。
外観上、普通の洞窟・岩穴と変わりない。
「ねー、どんなの探したらいいの?」
「えーとですね、どこかに魔術印があるかと思うんですが……」
シャイナの疑問に、エチルスは見逃しがないようにエンフリードから貰った書状を凝視する。
「何か特徴とか書いてないのか?」
「うーん、特には……。見つからないように隠してあるとは思うんですが……」
エチルスが、ビーの方に高くランタンを掲げた。
背の高いエチルスが持つと、多少光の範囲が広がる。
「あ、あそこ。ビービーの少し後ろの」
ビーが後ろを振り返ると、先に進んだ壁際に不自然に小さな岩が積み重なっている箇所があった。
近づいて、いくつか石をどかしてみる。
すると中から魔術印があらわれた。
「あった」
丸くくぼんだ穴に、五芒星が記された魔術印。
その真ん中に球状のものが埋め込まれており、土ぼこりを払うと、透明なビー球だとわかった。
中に不思議な模様が描かれており、普段ビーたちが使っているものとは違う。
「これをどうするの?」
「えーとですね……」
エチルスがカバンをおろして、水筒を取り出した。
「このくぼんだ穴に、水を入れるそうです。魔術印が埋まるくらいまで」
静かな洞窟のなかに、ちょろちょろと水を注ぐ音が響く。
「それだけか?」
「ええ。これと同じものが洞窟内にあと四つありますから、それぞれ順番に水を入れていけばいいようです」
「なんだ、簡単じゃん。血が必要っていうから、もっとなんか凝ってるのかと思った」
シャイナが安心したようにいった。
水を入れ終えたエチルスは、水筒の蓋をしめる。
「そうですね。他の場所もこんな風に簡単に見つかれば、問題ないですね」
「その場所って、もっと特徴とかないのか?」
「それがですねー……」
苦笑いを浮かべながら、エチルスは再び書状を開いて、ビーに手渡す。
「小さく洞窟の地図も書いていただいているんですが、ざっくりとこのあたり、としか。
一本道なので迷うことはないんですが、自分たちが今どのあたりにいるのか判断するのは、ちょっと難しいかもしれませんね」
ビーとシャイナは、みみずがのたくったような文字と落書きのような地図を見て唸った。
虫眼鏡のような図形の、円の部分に点々と等間隔に印が打ってある。おそらく印がある位置に、先程のような魔術印があると思われた。
「……地道に探すか」
「そうだね、その方が早いかも」
解読をあきらめた三人は、洞窟内を慎重に歩く。
先程のようにわかりやすいものもあれば、壁や地面に埋まっているところもあった。
エチルスは二人に、こういう仕掛けは順序が大事だと説明しながら進む。
水を入れる順番が前後してもいけない。
左側の壁を注意深く観察しながら、ビーはエチルスに尋ねる。
「あの透明なビー球はなんなんだ?」
「僕も初めて見ました。たぶん、秘密の通路を開くための術が組み込まれてるとは思うんですが……」
地面に目を凝らしながら、エチルスが答える。
「あの紐も驚いたけど、今度はどんな仕掛け何だろうなー」
右側の壁を眺めていたシャイナが、勢いよく振り返る。
「ぶっ!」
シャイナが背負っていたリンゴを詰めた大きめのリュックが、しゃがんだエチルスの顔にクリーンヒットする。衝撃に、エチルスは尻餅をついた。
「わつ、ごめん! エチルス」
「……い、いえ、大丈夫です。僕も前見てなかったので」
エチルスが顔をおさえて立ちあがる。
「お前気をつけろよ。そのリュック、結構でかいんだからな」
「うん。ごめん、エチルス」
「大丈夫ですよ。さ、進みましょう」
しょげるシャイナに、エチルスは気にさせまいと笑顔で先を促した。
「……リンゴはおいしいけど、ちょっと量多いよね」
「帰ったら、とりあえず一回じじいシめる」
「まあまあ。ほんとはご自分で持ち帰るおつもりだったんですから」
三人はそれぞれ別の方向に視線をめぐらせながら、会話を続ける。
「こんだけあったら、しばらくはこまんないね。ビーのばあちゃんに、おやつ作ってもらおうっと」
「……アップルパイだな」
「あ、それそれ。それいい!」
「おいしそうですね」
「うん、これもぜっぴ」
ドタッ
絶品、とシャイナがいいかけてセリフは途切れる。
代わりに別の音が聞こえて、ビーとエチルスは思わずそちらに目を向けた。
つい先程までシャイナの顔があった位置に彼の姿はない。
大きなリュックが存在を主張していて、ふたが開いてぽろぽろとリンゴがこぼれてしまう。
シャイナはリュックの下敷きになっていた。
つまずいて転んだようだ。
「大丈夫ですか?」
エチルスがすぐにシャイナに手を差し伸べる。
「下見てなかった……。大丈夫、一人で立てるよ」
「お前が持ってるリンゴの量が一番多いからな」
「それでか、足ひっかっかった時動きづらかったんだよな」
普段の身軽なシャイナであれば、転ぶ前に体勢を立て直せただろう。
ビーはリュックから落ちたリンゴを、ひとつふたつと拾い集める。
周囲に散らばったリンゴの中に、小さな球も転がっていた。少し疑問に思って、それを手に取る。
透明なビー球、精霊を呼び込む前のものだ。
――なんでこんなところに……――
「あ゛っ!」
球を眺めていると、ビーの背中側からシャイナのきまりの悪い声が上がった。
ビーが視線を投げると、シャイナはすぐに顔をそらした。
それはまるで、悪いことをした人間が事をごまかそうとする時の見本のようだ。
ビーは、手元にある透明球がどこからきたのかに瞬時に悟る。
「――これ、お前が持ってたのか」
ビーの少し低く静かな声に、シャイナはささっとエチルスの背後に回る。
「いや~……、あとで返すつもりだったんだけど」
「道理で数が少し足りないわけだ。あと二つくらい持ってんだろ」
「……うん、ポケットに入れっぱなしだった」
はあ、とビーは普段より大きめにため息をつくと、あきらめたようにいった。
「今は使い物になんねぇだろ。ほら、出しとけ」
「ん、ごめん」
「別にいい。どうせまた作る時に一緒にすれば問題ない」
「……あの、何が、どうなってるんです?」
二人の間に挟まれたエチルスが、困ったように顔をキョロキョロさせる。
「シャイナが、水晶球のままビー球を持ち出してたんだ。あの時気づいて、聞いときゃよかった」
「ちょっと触ってて、忘れてた」
バツが悪そうに、シャイナは頭をかく。
「じゃあ、お店で買った時のままなんですね」
「ああ、今は何も宿ってない。ただの水晶球だ。
昼間は精霊宿しの儀はできないし、村に帰ってからだな」
「仕方ないですね」
エチルスの言葉にビーはうなずいた。
シャイナは胸を撫でおろす。
「もうちょっと怒られるかと思った」
「ビー球の手持ちは十分あるし、三つぐらいなくてもどうってことないだろ」
「こけて、ビーの怒られかけて、ついてないなーって思ったけど、一ついいことあった」
「なんだ?」
「いいことですか?」
「俺が蹴つまづいた石の下、ほら最後の印みーっけ」
二人から感嘆の声が上がった。
2019年2月19日 一部加筆修正しました。




