グロエブ採石場(1)
ビーたちは早朝、イールストに後ろ髪を引かれながら出発した。
時間があれば、いろいろと街中を散策したり、店を回ったりするところだが、今回の旅で手に入れなければならない物は別の場所にある。
イールストから北東に約半日。景色は、草原から白い岩が屹立する谷へと変わる。
木々が生い茂る谷間を歩きながら、エチルスは授業をするように二人に語りかけた。
「イールストの街並みが白かったことを覚えていますか?
周りを見ると、白い岩の山がたくさんあるでしょう。イールストの人たちはこの白い岩を建築資材として使っているんです」
リンゴを入れたリュックを背負い、両手を後頭部で組んだまま、シャイナはエチルスの後ろを歩く。
「へー、そうなんだ」
「だから、見たことない建物が多かったんだな」
その隣で、ビーが木々の間から見える風景を眺めながら答えた。
ビーのカバンも初日と同じように膨らんでいる。
今日はエチルスが先頭を行く。
背中にあるカバンの端からリンゴが少し顔を出していた。
整備された道ではないが、ある程度人が通っているらしく、足元は地面が露出し草が生えていない。
比較的平坦な道が続いていた。
天気は良く、陽の光が葉をすり抜けて、いい塩梅で三人に届く。
エチルスのまめ知識を、へーとか、ほーとかで聞いていたシャイナが、思い出したようにいった。
「あ、そだ。はいはーい、エチルス先生。一回聞いておきたかったんだけどさ」
「何でしょう、シャイナ君」
冗談めかしてきりりとして、眼鏡がないのに眼鏡を片手で持ち上げるような仕草をしながら、エチルスは振り返る。
「んとさ、店のおっちゃんがいってた、モンスターとか魔獣って何がちがうの?」
「……お前、さんざん戦ってきてそれかよ」
「え、ビー区別ついてんの?」
「前にも教えただろうが」
ビーがあきれた様子で、シャイナをジト目で睨む。
「んー、覚えてないかも」
あっけらかんと答えられ、ビーはため息をついた。
目線でエチルスに説明するよう促す。
「そうですね、わかりやすく説明すると、魔獣もモンスターのくくりに入ります。
モンスターというのは、動物とは異なる性質を有した生物。見かけもそうですが、パワー・能力などが動物と比べて突出して高いというところでしょうか」
シャイナの首が横に傾く。
「うーん?」
「うーん? じゃねぇ。要するに、森にいるクマとかオオカミと違って、めちゃくちゃパワーが強かったり、でかい角がついてたりするのがモンスターだ」
「そのモンスターの中でも、人間や他の種族に敵意を持つもの、まあ人間に対してが多いですかね、それが魔獣と呼ばれるものです。必要に応じて、ないしは生きる死ぬかがかかった戦いではなく、他者を傷つけることを好みます。昨日河原でシャイナ君が戦ったゴブリンや夜の森の中で追いかけてきたのもそうですね」
「ふーん」
わかったような、わかってないような、シャイナは曖昧な相づちをうつ。
ビーがエチルスの説明を補足する。
「無駄に争いを好むのが魔獣だ。その場合、自分たちより非力な人間を襲うことが多い。
お前の感覚でいうところの、森の中で暮らしてる動物のちょっと強そうなやつがモンスター。寒気を感じるくらいの悪意、殺気を持ってんのが魔獣」
「んー、ちょっとわかった、かも……?」
「マー、こいつに覚えさせようと思うなら、結構骨が折れるぞ」
「まぁ、学校の授業じゃそんな詳しくは説明されないでしょうしね。何か絵や図鑑があれば、もっと視覚効果に訴えられるかもしれません。村に戻ったら探してみましょう」
エチルスは人に教えるのが楽しいようで、ビーほど落胆した様子はない。
むしろ、より意欲が増したようだった。
シャイナが不満そうに頬をふくらませる。
「オレだってちょっとはわかってるよ。モンスターの中でも強いのが魔獣だろ」
「……間違ってはない」
二人の説明をだいぶ省略しているものの、彼の認識は正しい。
「魔獣もモンスターも戦ったことあるし、旅の間はその二つに気をつけとけば問題ないんだよね」
「ま、おおよそな」
「エンフリードさんのお話では、このあたりに盗賊が出たって話もないみたいです。
あと気をつけるとしたら、夢魔ですかね」
聞きなれない言葉に、シャイナが聞き返す。
「むま?」
「夢の悪魔と書いて、『夢魔』です。
はるか古の時代、この大地の覇権を争う戦い聖魔大戦の魔王の配下といわれています」
「せいまたいせん?」
「おとぎ話とかで聞いたことあるだろ。
要するに、めちゃくちゃ悪いヤツの親玉が魔王、その子分が夢魔。
夢魔はまだこの世界に残ってるんだ」
「おし、わかった」
ビーの簡潔かつ簡略的な説明に、シャイナは大きくうなずいた。
今は覚えていても、またあとで教える羽目になるだろうなとビーは心の中で思う。
「まあ、出くわすことは滅多にないと思います。念のための念のため、ぐらいでしょうか。
それにしても、ビービーはよく知ってますね」
エチルスの感心した声に、ビーは少し肩を揺らした。
「……いや、何回も同じやつ読んでるから」
「本読みあさり過ぎて、昔じいちゃんに取りあげられてたもんね。子どもが読むもんじゃなーいって」
「よく覚えてんな」
驚きと恥ずかしさを含んだビーの表情に、シャイナはVサインで得意げな顔をする。
「よかったら、僕が持ってきてる本お貸ししましょうか?
個人的な勉強用もありますが、それ以外に僕の住んでいた街で流行ってた本とかもありますし」
「…………!」
白銀の瞳が一瞬輝いた。しかし、ビーはすぐに帽子を深くかぶり直す。
そうして少し間があってから、小声で返した。
「……貸して、ほしい」
その返事に、エチルスはもちろん満面の笑みを浮かべた。
「はい、よろこんで!」
「よかったじゃん、ビー」
シャイナは、ビーがエチルスに対して少し心を開いているのがわかり、ついにやにやしてしまう。
隣を歩く幼馴染に自分の心が見透かされているようで、ビーは素気ない一言で追及を逃れた。
「うるさい」
グロエブ採石場は、もうすぐそこだ。
しばらく歩いていると、正面に小高い岩山が現れる。
エチルスが地図と周辺を交互に確認しながらいった。
「たぶん、あの山がグロエブ採石場のある山みたいですね」
「ふーん、そうなんだ」
「見た感じ、周りの山とあんまり変わりばえしねぇな」
「限られた人しか入れないみたいですし、わかりにくくしてあるんじゃないでしょうか。
山の中腹ぐらいに洞窟があるとのことでしたから、とりあえず行ってみましょうか」
そびえ立つ白い岩山に挟まれた、谷のような森。
その森の緑の中、谷の中心点にグロエブ採石場はあった。
頂上までは、山肌を縫うように細い一本道が続いている。
傾斜もあまりなく、軽いピクニック程度の高さだ。
毎朝学校に向かう山道で慣れているビーとシャイナは、どんどん先に進んでいく。
一方、先程まで前を歩いていたエチルスは、二人の背中を見失わないように必死でくらいついていた。
時折シャイナが気づいたように、振り向いて声をかける。
「おーい、エチルス。だいじょうぶー?」
「ぜぇぜぇぜぇ……は、はい。……な、なんとか」
シャイナは登ってくるエチルスを、立ち止まって待つ。
「エチルスって上り坂苦手?」
「……え? あ、そうですね……はぁはぁ。普段、こういうとこには、来ないので……」
きれいに折りたたまれたハンカチで汗を拭きながら、エチルスは答えた。
「昨日泊った街には、山とかないもんね」
「そ、そうですね」
「そっかー。でも村の学校は山の上だから、今後は慣れるんじゃない」
「え!? そうなんですか?」
エチルスの顔が、急に陽が陰ったように暗くなる。
「うん。学校まで長い上り坂だよ」
「……」
「……知らなかった?」
「ま、まだ学校にはお邪魔してなかったので……」
エチルスは、山登り以上の労力を使ったような感覚になる。
その時、先を行っていたビーが戻ってきた。
「おい、いつまで休憩してんだ。入口らしきもん、見つけたぞ」




