サルサン村
村に近づくと、段々と人々の活気も伝わってくる。
街道はそのまま村の中へと続いていた。
通りには商店や飲食店が軒を連ねる。
決して大きな市場ではないが、ビーとシャイナは初めて見る光景だった。
山積みになった色とりどりの野菜、くだもの。所狭しと並べられた食材。
商品を守るため設置された布張りの日よけ屋根は、端が波のようなデザインになっていて、風にはためいている。
その店先で何やら交渉をする人々、買い物にきておしゃべりに興じる主婦たち、はしゃぐ子どもたちは村では手に入らないおもちゃで遊んでいる。
ビーとシャイナは道の真ん中で立ちつくしていた。
二人の頬はにわかに色づき、瞳は大きく見開かれている。
その様子に、エチルスが気づく。
「どうしました、ふたりとも」
ソルも立ち止まる。
「……すっげー! なんか知らないのがたくさんある!」
シャイナは目を輝かせて大声で叫んだ。
そして、叫んだかと思うと一目散に近くの店に駆けよった。
エチルスが慌てて追いかける。
「ちょ、ちょっと、シャイナ君。一人で先に行っちゃだめですよ」
その声は彼の耳には届いていないらしく、店から店へ渡り歩いていく。
ビーはまだ往来に佇んだままだった。
何度もまばたきをしている。
シャイナとエチルスが先に行ってしまったので、ソルは少し不安になってきた。
「あ、あの、だいじょうぶ、かい?」
ソルに声をかけられて、ビーは我に返った。
「あ、いや……大丈夫だ」
そういいながらも、ビーの心臓はまだ騒いでいる。
もし外聞も体裁も気にしなければ、シャイナと同じようにはしゃいでいただろうと、ビーは思った。
森で動物の赤ちゃんを目撃したときや、誰も知らない木苺のたくさん実る場所を発見したとき。
思いがけないものに遭遇すると、心の奥からなにかふつふつと湧き上がってくる。
喜びやうれしさ、緊張感や高揚感といった感情がごちゃ混ぜにミックスされて、自分を突き動かそうとするのだ。
今感じているものは、ビーがこれまで経験した中でも上位に入るほどの力を持っていた。
自分の想像をはるかに超えたものに触れた瞬間、心は身体より先にもう動き出している。
遠慮がちにソルが聞いた。
「こ、こういうところに来たのは、あの、その、初めてなのかい?」
「……あぁ、今まで村から出たことなかったから」
ビーは額の汗をぬぐう。妙に身体が熱かった。
「そう、だったのか。き君たちは森に馴れているから、よく来るのかと」
「森は普段から遊んでたから。でも、他の村に来たのは初めてだ」
周囲を気にしながら、ビーは話す。
本当は今すぐシャイナのように見学して回りたかったが、理性がビーを抑えた。
「こ、ここよりもっと大きな街は、たくさんある。……もっと驚くことがたくさんあると、思うよ」
「もっと?」
「お、王都はここよりかなり大きいんだ。人も物も街も、比較にならないくらいたくさん集まってる」
「……まち……」
普段なら、ビーはこんな風に会話を続けることもなかっただろう。
雑踏の中、たくさんの音が耳に飛びこんできているのに、ソルのたどたどしい会話がやけにすんなりと頭に入った。それらは、ビーの記憶に確実に書き加えられたのだった。
なにかを思い出したかのように、ソルは後ろに背負っていたカバンから、がさがさと小さな包みを取り出した。
「これ、少しだけど……」
ビーはソルの大きな手から包みを受け取る。手のひらサイズの布袋は、少し重かった。
「これ、なんだ?」
「た、たいしたものじゃない。あとで、みんなで食べるといい」
――食べ物か? 金属っぽい音と他にも何か入ってる。
ビーは受け取っていいものなのかどうか、迷う。
「じ、実はこのあと人と待ち合わせをしてて、もう行かなきゃいけない、んだ。
シャイナ君やエチルスさんには直接挨拶できなかったけど……あ、あと、その、君の、その銀髪と瞳、
とてもきれいだと……」
「……は?」
「あ、いやっ、ああの変な意味じゃない。ただ何となく、純粋にそう思っただけで……」
「……」
「……じ、実は、わたしには、き君と同じ年くらいの子どもがいてね。めったに会えないんだけど」
「そう……なのか」
「だ、だから君やシャイナ君を見てると、少し、思い出しちゃって……すまない」
ビーにはわからない感情だった。
子を思う親の気持ち、それは自分が祖父母を心配することと似ているのだろうか。
そう思うと邪険にはできなかった。
「別に。あやまることじゃねぇだろ」
「……ありがとう」
ソルは申し訳なさそうに笑う。
その寂しそうな微笑みに、包みをつき返そうとすればもっと困った顔をしそうだ、とビーは思った。
「わかった……。この包みは受け取る、ありがとう」
ソルは嬉しそうに笑った。
ビーが改めてエチルスを助けてくれた礼をいうと、彼は慌てふためいた。
そうして道行くひとにぶつかりながらも足早に、シャイナたちが行った方向とは別の道へ去っていった。
「何してんだ、お前ら」
店がまばらになった通りの端で、ビーはようやく二人を見つけた。
二人もこちら気づく。
シャイナは何やら口をもごもご動かしていた。
「ふぁ、ひー」
「シャイナ、口に物入れたまましゃべんな」
「すみません、あんまり食べたそうだったのでつい」
「こいつがねだったんだろ」
「んんーーー!」
抗議の声を上げるシャイナだったが、口を閉じたままなのでくぐもってうまく二人に伝わらない。
ビーの後ろや周囲を見回しながら、エチルスが尋ねた。
「あれ? ビービー、ソルさんはどうしたんですか?」
「別れた」
「え!? 置いてきちゃったんですか?」
「ビー、ひどー」
「なんで俺があいつを置き去りにしてきたみたいになってんだ! 人と約束があるとかであいつが自分から去ったんだ」
「そうだったんですね。すみません、てっきり……、いえっ、早とちりしちゃって」
ビーから睨まれて、エチルスは慌てて言い直す。
「助けていただいたお礼もあまりできませんでしたし、一言ご挨拶だけでもしときたかったですね」
「何か急いでたから、約束の時間が近かったんじゃないか」
「もう行かれてしまったのならば、仕方ないですね。またご縁があるといいんですけど」
エチルスが少し項垂れる。
確かに彼がいなければ、ここまで来れなかったかもしれない。
普段ならそんなことはしないのだが、今回は引き留めておけばよかったと、ビーは少し後悔した。
「はい」
ふいにビーの目の前に、湯気の出ている茶色いかたまりが現れる。
琥珀色のたれのようなものが、白くて弾力がありそうな丸いかたまりにかかっていて、香ばしい匂いがした。
「これ、めっちゃうまいよ」
差し出されたほうにビーが目を向けると、口の周りにその琥珀色のたれがついたままのシャイナが串を持っている。
「てめーはいつまで食べてんだ」
「なんとかだんご、っていうんだって。村にこんなのなかったし、ビーも食べた方が絶対いいって」
確かに美味しそうな香りが、食欲をそそる。
「新しいの買いましょうか?」
財布をだそうとしたエチルスを、ビーは制した。
「いや、いい」
「えー、おいしいのに」
シャイナが口をとがらせる。
「先に買い物がしたい。マー、ビー球とか売ってる店を知ってるか?」
これから先に進むにしろ留まるにしろ、まずは使ったビー球を補充する必要がある。
レフュジ村では祖父が切り盛りする雑貨店の店先に並んでいたので、ビーは他の村でもどこかで購入できるだろうとふんでいた。
「たぶん、ここですよ」
エチルスは自分の後ろの壁を示す。
「?」
ビーは壁伝いに視線を走らせた。
左手側の奥のほうに、サンシェードのついた入口らしきものがある。
看板もあるが、ここからは見えない。
ビーはシャイナたちのほうに視線を戻すと、
「ちょっとのぞいてくるから待っててくれ」
「オレも行く!」
食べ終わった串を高々と掲げて、シャイナは宣言する。
もともとビーの雑貨屋にいる時でも、興味津々だった。彼の好奇心がさわがないわけがない。
「じゃあ、みんなで行きましょう。僕も買いたいものがありますし」
「ああ。シャイナ、さっきみたいに騒ぐなよ」
「おう!」
ダークブラウン色の重厚な扉を押し開くと、ぎぎぎと木がきしむ。
「いらっしゃいませー」
入ると、気だるげな声が出迎えてくれた。
カウンターの中の女性は、何かの書類に目を通している。
ビーたちのほかに店内に人気はなく、彼女一人だけのようだった。
ほかに店員も見当たらないので、おそらくこの人に声をかけられたのだろう。
エチルスは慣れた様子で、カウンターへ足を向ける。
ここには、ビーの祖父が営む店よりも多くの商品が並べられていた。
品物がかごに大量に盛られていたり、天井にまで届きそうな棚には所狭しと怪しげな本や道具が陳列してある。棚に入りきらないものもは通路にはみ出していた。
かろうじて扉付近の開閉スペースだけは、ぎりぎり確保されているといったところだ。
うず高く積まれている商品の中には、ビーたちが普段手にしているものもあったが、何に使うのかわからないもののほうが多かった。
あらかじめビーの注意されていたこともあって、シャイナはちゃんと黙ってついてきている。
しかし、興奮は抑えられないようで、太陽色の瞳は忙しそうにあっちこっちに飛んでいる。
ビーもあまり態度には出さないが、商品を凝視したり、妙にそわそわしていた。
二人の保護者という形で、エチルスが店内を先導して歩く。
「すみません」
「はぁい?」
ゆっくりとした動作で女性は書類から顔を上げる。
「あの、ビー球を購入したいのですが」
「何色がご入用? うちは比較的手広くそろえてますよ」
「……えーと、僕は白と水色を。ビービーはどれにしますか?」
エチルスは、ビーに優しく尋ねた。
「色なしでいい」
「「え?」」
店員とエチルスの声が重なる。
ついてきただけだと思っていた子どもが答えたので、店員の女性は思わずカウンターから身を乗り出す。訝しそうにビーを見た。
「……ほんとうに、無色でいいのかい? 遊び道具じゃないよ」
「わかってる」
エチルスも信じられないといった顔をしている。
「あのビービー、黄色とか赤色とかじゃなくて、無色でいいんですか?」
「……? ああ、問題ない」
エチルスにまで再確認されるので、ビーは逆に首を傾げた。
精霊のついていない水晶球を買うだけなのに、なぜこんなに驚かれるのだろうと、ビーは不思議に思った。子どもが購入してはいけない、という決まりはなかったと思う。
自分の家が特殊なだけで、実は外では水晶球はあまり手にしないものなのだろうか。
しかし、聞いている様子から別に買えないわけではないようだが……。
店員がさらに念を押してくる。
「お兄さんじゃなくて、君が使うの? おつかいか何かかい?」
「いや、俺が使う」
「オレもオレも」
ビーの後ろから、シャイナがその場でぴょんぴょん跳ねながら顔を出す。
シャイナも無色のビー球を求めるので、店員とエチルスは唖然とした。
「あの、ほんとうに無色の購入でいいんですよね? ビービー、シャイナ君」
ビーはだんだんとこのやり取りがめんどうくさくなってくる。
大きなため息をひとつつく。
「色なし、がいいんだ。精霊の呼込みは自分でやった方が調子がいいし」
「オレはビーに一緒に作ってもらう予定」
頼んだ、とシャイナはビーの両肩に手をおく。
当然そういう流れになるだろうと思っていたビーは、小さく頷く。
エチルスは理解するのに少し時間がかかった。
耳をすり抜けた言葉を、引き戻してもう一度咀嚼する。
「精霊……――えっ、精霊を呼ぶ!? 作っちゃうんですか、ビー球を?」
「え、作るの? 作れんのかい!?」
店員も思わず大声を出す。でもすぐに気まずそうにして、手で口元をおさえた。
何度目かになる問いに、ビーは不機嫌そうに答えた。
「ああ、問題ない。だから、無色のビー球を買いたい」
2019年1月11日 一部修正しました。




