二日目の朝(2)
ビーは、出されたスープを口にする。
喉から体の真ん中まで線をひくように熱が通り抜けて、奥からじんわり身体が温まるのを感じた。
お腹が満たされていくにしたがって、会話にも花が咲く。
相変わらずのコミュニケーション能力を如何なく発揮し、シャイナはすでにソルと打ち解けていた。
おそらく、エチルスを助けてくれた恩人というのも大きいのだろう。
「それで、おっちゃんの探してる薬草は見つかったの?」
あぐらをかいた膝の上に乗せた猫の頭をなでながら、シャイナは尋ねた。
「いや、じつはまだ……」
「まだ見つけてないんだ」
この猫は、やはり昨日の昼間お弁当を食べている時に出会った猫と同じ猫のようだった。
シャイナはすぐにわかったらしい。
猫も一飯の恩を覚えていたようで、すぐになついてきた(ただ単にシャイナが動物に好かれやすいからなのかもしれないが)。
この猫の件もあって、ソルとシャイナは打ち解けたようだ。
ソルは目的の薬草を探しにこの森に来て、さ迷い歩いているところ猫に出会った。
なぜ一緒にいるかというと、昨晩一人で過ごすのが嫌で、一生懸命餌付けしたらしい。
ソルは、頬を赤くしながらカミングアウトした。
エチルスはソルにおかわりを注ぎながら尋ねた。
「あまりない薬草なんですか?」
「そんなことは、ないと思うんだが……。き、昨日は、あの、道に迷って、それどころじゃなくて……」
ビーは、ふと疑問に思った。
ソルの話の中には、魔獣という言葉がでてこない。
森の中で道に迷って、帰る方向も行く方向もわからなくなってという話ばかりだ。
それにこの臆病な男が、こんな危険な森の中を探索するとは思えなかった。
「あんたは、この森で魔獣に出くわしたりしなかったのか?」
食事を始めてからビーは初めて口を挟んだ。
三人の注目がビーに集まる。
正面に座っているソルは、一瞬きょとんとした。
「……まじゅう? え、魔獣って、あ、あの獰猛なモンスターたちの、こと?」
「ああ、俺たちは昨日魔獣どもに襲われたから、あんなことになったんだ」
「滝に落ちてから、気配は感じないんだけどね」
「そういえば、そうでしたね……」
エチルスが苦笑いをする。
「……え? え? この森に魔獣!? ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな、そんな話」
ソルの顔がみるみる青くなって、冷や汗があふれ出した。
事実を否定するかのように、首をぶんぶんと横にふる。
ビーはさらに尋ねた。
「魔獣が出るってことは知らなかったのか?」
「そ、そんな情報、聞いてないよ。き、きっちり下調べもしたし、来る前に近くの村でちゃんと聞いてきたんだ。こ、ここらへんの森一帯は、安全だって……」
そう、森に入る前エチルスも同じことをいっていた。
祖父だってそんな危険な森の情報を一切いわないなんてことはないだろう(……たぶん)。
何かがおかしかった。
ソルを安心させようと、シャイナは話題を変える。
「ま、今のとこ大丈夫だよ。あれからそんな気配ぜーんぜん感じないし。
朝もちゃんと確認したから」
「え、え、あ、そうなの、かい? それなら、よかった……」
彼はほっと胸をなでおろす。
「ソルさんはどちらから来られたんですか?」
「え、えっと、あの、この近くの村、数日前からサルサン村に……」
「へー、じゃあ戻るならそこなんだ。オレたちといっしょだね」
「え、ほんとうかい?」
シャイナが首肯する。
「ほんとほんと。最終目的地はそこじゃないけど、オレたちが最初に目指してるのはサルサン村だよ。ね、エチルス」
「ええ、僕たちはサルサン村に向かう途中なんです」
ぱん、っと両手を合わせる音がした。
音のした方に目をやれば、ソルが頭を下げている。
三人は不思議なものを見るように、ソルを眺めた。
「こ、こんなこと、出会ったばかりの君たちに頼めた義理じゃないんだけど、あの、無理を承知で……、えっと、サ、サルサン村まで……同行、いや一緒に連れてってほしい」
ビーとシャイナは顔を見合わせた。
「……おっさん、サルサン村から来たんじゃないのか?」
「オレら、サルサン村に行くのは初めてなんだよ。おっちゃんのほうが道知ってるんじゃないの?」
「……い、いや、私は、昨日迷って戻れなかったくらい、だから……」
恥ずかしそうに、ソルの口調はだんだん小さくなっていく。
「でも薬草探しはもういいの?」
頭を何度も大きく振って、ソルはうなずく。
「あ、ある程度は採取できたし。そ、それに、そんな魔獣の話なんか聞いたら……」
「いいよ」
誰にも相談せずに、シャイナが即座に応えた。
ビーは一瞬、スープ皿を取り落としそうになる。
エチルスもシャイナと同様、少しも躊躇することはなかった。
「もちろんですよ。助けていただいたご恩もありますし、喜んで」
「今度はオレたちが力にならないとね」
――それはそうなんだが、少しは相談しろよ――ビーは心の中で愚痴る。
「ね、ビーもいいよね」
シャイナの一声で、三人の視線はビーに集中した。
そして、ビーもその流れに抗えるほど薄情ではない。
実際エチルスを助けられたのは彼のおかげである。
「……あぁ……」
小さくそういって、頷いた。
しかし、釘は刺しておく必要はある。
「……一緒に行くのは構わねぇ。
ただ、俺たちが魔獣に追われてたのを忘れるなよ。朝になれば問題が解決するわけじゃない。
現に昨日は昼間にゴブリンの群れに出くわしたんだからな」
さぁっとエチルスの顔が青くなった。
ゴブリンと聞いて、ソルも固まる。
昼間の襲撃のほうはたまたまな可能性もあるが、多少の心づもりはしておいてほしい。
自分もシャイナも万能ではない。必ず守りきるとはいえなかった。
エチルスがショックを受けているのに対して、シャイナはきょとんとしている。
そして、すぐに歯をみせて、にっと笑う。
「ま、あんまり心配し過ぎても仕方ないじゃん。
その時はその時、なんとかなるよ。な?」
そういって、隣に座るビーの左肩に手を置いた。
「『な?』じゃねぇ。毎回毎回、都合よくことが運ぶわけねぇだろうが」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
「お前な……」
「ほら、二人がびびって固まってるじゃん」
見ると、右隣のエチルスは目が泳いでいるし、向かいのソルに至ってはまた頭を両手で抱えている。
ビーは溜息をついた。
「わかった、わかった。お前も全力で手伝えよ」
「えー、いつもちゃんと手伝ってるじゃん」
焚き火の始末やテントの片付けを済ませると、四人は出発した。
昨日の夜のように、シャイナが木に登り上から最適なルートを探す。
シャイナが軽々と木に登る様子を見て、ソルは感嘆していた。
エチルスと二人で、すごいですよね、と興奮気味にいい合う。
昨日進んでいた道で方角はおおむね合っているらしく、シャイナを先頭に、エチルス、ソル(+黒猫)、ビーの順番で歩く。
アップダウンはほとんどななく、森の中を抜ける街道に無事合流できた。
整備されているというわけではないが、馬車も通るルートらしく、比較的広い道だ。
昨日とは打って変わって、魔獣などに出くわすこともない。
四人はそのまま街道を行くことにした(ようやく正規のルートに戻ったことになる)。
そうして太陽が再び真上に届くころ、視界は徐々にひらけ、再び草原地帯に出る。
無事に森を抜けたのだ。
草原の少し向こうの景色。進んできた街道の延長線上に、小さく家がいくつか立ち並んでいるのが四人の目からも確認できた。
シャイナがバンザイするように両手を上げる。
「やったー! 森ぬけたー」
「これで少し安心できるな」
ビーも、肩から力が抜けていくのを感じた。
額の汗をぬぐいながら、エチルスも安堵する。
「いやぁ、思ったより大変でしたね」
「お、おおお、ほ本当だ。無事森を出れたよ」
ソルは森の外の光景を久しぶりに見たかのように、しばし呆然としていた。
彼のカバンに大人しく入っていた黒猫は、風に揺れる草原の中に何か気になるものを発見したのか、飛び出していく。
ビーはカバンを背負い直した。
「さあ、あともう少しだ」
目的地であるサルサン村を視界にとらえてから、四人の気持ちはかなり楽になった。
これまでは、いつ出られるともわからない森の中だったため、同じ時間でも長く感じたり、少しの距離が倍以上に思えたり、道がどこまでも続いているような感覚を味わった。
少しずつだが確実に縮む距離に、不思議と蓄積された疲労が分解されていく。
サルサン村はそんなに大きな村ではない。
ビーたちのいたレフジュ村と同じか、少し大きいくらいだ。
違いがあるとすれば、街道沿いかどうか。
サルサン村が街道沿いにあるということは、それなりに人や物が行き来する場所であるということだ。
街道を歩いて行くと、時折人や荷車とすれ違う。
村の人々なのだろう、ビーたちを見ると会釈する。ビーたちもつられて軽く頭を下げた
「なんか、へんなの」
互いに通り過ぎたあと、シャイナがぽつりともらした。
「何かありました?」
「いや、何かっていうか……、なぁビー?」
エチルスの問いかけに、シャイナは首を傾げてビーを見る。
ビーも今感じている違和感をどう表現したらいいか、わからなかった。
「……あんま見られないっていうか、興味を持たれない、か?」
「そう、それ!」
「興味、ですか?」
「そう、エチルスもオレたちの村にきた時に感じたと思うんだけど、みんなからめっちゃ注目されない?」
エチルスはしばし考えて、両手をパチンと合わせる。
「ああ、何かたくさん訪問を受けましたねぇ」
「だろ? オレたちの村では他所から来る人なんてめったにいないからさ。一つ事件があったらあっという間に広がるし」
「何かあると好奇の目で見られるし、変に情報収集もされる」
「そうそう。今すれ違った人たちからは、そういうの感じないなぁって。
むしろオレのほうがガン見してたかも」
「うーん……」
エチルスはいまいちその感覚がわからなかったようだった。
それまで静かに後ろを歩いていたソルが口をはさむ。
「お、おそらく、ここは街道沿いの村だし、他の土地からたくさん人が来るから、じゃないかな……」
「そういうもんなのか?」
ビーは立ち止まって、ソルのほうを振り返った。
その動作だけで、ソルは少し後ろに下がる。
「え? あ、あぁ、うん。き、気にしてたら大変だからね。こ、この村は、旅人も来るし、通りすぎるだけの人もいる。そ、それで物資も比較的豊富にあるよ」
「へぇ~、やっぱ他の村ってオレたちとちがうなあ」
「ふーん……」
ビーは改めて、少し向こうにあるサルサン村を見据えた。




