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おつかい道中記  作者: Ash Rabbit
17/55

旅人

 旅人か、盗賊たちのねぐらか、はたまた何かの集落なのか――。


 ビーは、旅人という可能性が一番低い気がした。


 光は複数あり、範囲もそこそこ広い。

 集落であれば、目指していた村かもしれない。森も抜けられて、エチルスも助けられる。


 一番避けたいパターンは、盗賊や野盗の拠点だ。

 そうなった場合、更に慎重に行動する必要がでてくるし、エチルスを助ける術をまた考え直さなくてはならない。盗賊だとわかった段階ですぐに戻ろうと決めた。


 光がある場所は、川辺から少し離れていた。


 地上から行くには、藪や木が密集している場所を通らねばならない。

 藪の中を突っ切れば速いが、どう頑張っても音を立ててしまう。


 ビーは上を見あげた。


 ――こっちから行くか――


 すぐそばの木に足をかける。


 シャイナほどではないが、ビーも木登りが得意だった。

 足裏に力を入れると、そのまま木の幹を蹴り上げる。

 隣接した二本の木を素早く交互に蹴って、駆けあがるように登っていく。

 ある程度の高さまでくると、さるのような身のこなしで今度は枝から枝へと飛び移る。


 そうやって、灯りのある場所のそばまで来た。




 木の上から、様子をさぐる。


 そこは村でも、集落でもない。

 ましてや、盗賊たちのねぐらという最悪の展開でもなさそうだった。  


 その場にいるのは、ただ一人。


 ビーたちが最初に野宿して場所よりもひらけていた。

 そこに男がテントを張って、焚き火の前で暖を取っている。


 不思議だなと思ったのは、灯りの数だった。

 大の大人ひとりに対して、置かれている灯りは二十前後もある。

 広場のいたるところに置かれているし、その周辺にもばらまかれているようだった。

 道理で明るいわけである。


 ビーは黒い長髪の男を観察するとともに、周囲も余念なくチェックした。

 自分が知らない罠の可能性は捨てきれない。魔獣の追っ手も気になる。

 シャイナとエチルスも、長い間同じところに留めておくのも危険だ。


 ――あの男をひとまず気絶させるか?


 いや、シャイナと二人だけでは、エチルスをここまで運んでくるのは難しい。

 大人の手が必要だった。

 

 ビーは深呼吸をすると、意を決して飛び降りた。

 着地すると、ベシャリと濡れた靴が重たい音を立てる。


「うわ、わあああぁぁぁーーーー!!」


 男は突如現れたビーの存在に驚いた。

 大声で叫びながら、広場の端の方まですごいスピードで後ずさる。

 身に着けた生成り色の外套を翻し、男はそばにあった大木にしがみつくと、震えながら叫んだ。


 「わ、私はお、おいしくないっ! 断じておいしくないぞっ! お金もないっ! 

 どうか食べないでくれ、殺さないでくれーーーー!!」


 ビーは男から目を離さず、周囲の様子を窺った。

 広場に降り立ってから、特に目立った動きはない。


 ここにいるのは、この男だけのようだった。


 怯えて、こちらを見ずにわめいている。どうやらただの旅人のようだ。


 ビーが男に近寄ろうと数歩進むと、目の前に小さな黒い影が躍り出た。


「……猫、か」


 それは、昼間シャイナが餌付けしていた猫と同じ黒毛の猫だった。

 同じ猫かどうかは、ビーには判別がつかない。


 黒猫は毛を逆立ててシャーと低いうなり声をあげる。


 こんな時にシャイナがいれば、難なく手なずけただろうに。

 生憎、ビーはそんな術など持ち合わせていなかった。

 むしろ動物に好かれることのほうが稀なのだ。


 外敵から守ろうとするほど男が動物に好かれている――――ビーはこの男が悪い人間ではないのかもしれないとも思えた。


 まあ、さっきから怖がっているやつが何かするとは考えにくい。

 演技にも見えなかった。


 ビーは、猫をひと睨みして下がらせる。


 男はずっと木の幹にしがみついたままなので、顔はわからない。

 長く伸びた漆黒の髪を後ろで一つに結んでいる。

 見え隠れする横顔や声の調子から年上、シャイナやマトたちの親ぐらいの年代だろうか。


 助けてくれとか、食べないでほしいとか、ずっと懇願している。


「おい」


 ビーは男の肩に手を置いた。


 すると、その瞬間男はさらに悲鳴をあげる。


「ふうわああああぁぁぁぁぁああーーーー!!」


 首を激しく横に振りながら、ビーとの距離を少しでも離そうと、大きな体を縮こませた。


 ビーは思わず舌打ちしそうになった。


 この状況と似たような経験がある。

 だだをこねて癇癪を起している祖父にそっくりだ――子どもの自分よりも泣いて喚いて、祖母と一緒になだめようとするが、こちらの話など聞きもしない。


 ビーは眉間にシワがよった。

 とてつもなく面倒そうな予感がひしひしとする。


 やはり一発殴って気絶させといた方が良かったかとも考えてしまう。


 いや、だめだ。今は大人の手が必要なのだ。


 その考えを払うように、かぶりをふる。

 両手をぎゅっと握りしめて堪えた。

 長く息をはくと、もう一度男に声をかける。


「おい、おっさん。ちょっと手を貸してほしいんだ」

「わああぁぁ、すみませんすみませんすみません。なにも持ってないんだ、殺さないでくれ! 私を食べないでくれーーー!」

「おい、人の話を聞け」


 男はこちらをふり向きもせず、張り上げている声にはだんだんと涙声が混じりはじめる。


 こんな時、シャイナやエチルスならもう少しうまく相手の警戒心を解く方法をしっているのかもしれない。しかし、二人ともこの場にはいない。


 シャイナは大技で体力を消耗しているし、エチルスは安全な場所での休息が必要だ。


 動けるのは自分だけ。

 自分が何とかしなければならない。


 一向に話が通じない相手に、時間だけが無駄に過ぎていく。

 ビーはイライラを募らせた。


 もう一度心を落ち着けて、努めて冷静に男に声をかける。


「……急に驚かせてすまない。手を貸してほしいんだ」


 精いっぱい、慎重に言葉を選んだつもりだった――が、男の態度に変化はない。

 相変わらずブツブツと呟いたり、思い出したように泣きわめいていた。


 ビーの堪忍袋は短い。

 頭で考えるよりも先に手が伸びていた。


「どいつもこいつも、人の話を少しは聞きやがれっ!!」


 ビーの手は男の首根っこを乱暴につかむと、無理やり木から引きはがした。

 そして、チンピラが因縁をつけるように相手の顔を凝視する。

 凝視するというより、睨みをきかせたという表現のほうがあっているだろう。


 ビーの低い声が男の目の前で響く。


「よく見ろ。俺は魔獣でも盗賊の類でもない。ただの人間だ」


 はたから見れば、大人が子供に脅されている、立場が逆転していた。


 ビーの凄んだ声と怒りをはらんだ目は、男を黙らせる。


 しばらく沈黙が続いたのち、黒縁めがねがずれたままの男は、喉の奥からようやく一言漏らした。


「…………は、い……」


 男が小さく頷くのを見て、ビーはふと我に返った。

 助けを乞うはずが、焦りと苛立ちでつい怒りを爆発させてしまった。

 決して祖父を重ねたわけではない。


 ――やべっ!――


 どう考えてもモノを頼む態度ではない。ビーは右手のひらを握りしめた。


 「手を離すぞ」


 できる限り、静かに伝える。

 頭の中では、自分を叱責するシャイナがいた。


 男が再び頷いたのを確認してから、ゆっくりと解放した。


 男はぺたんとその場に座りこんだ。

 うつむいたまま、両手でめがねをかけなおす。その手は震えて、おぼつかない。


 すぐに猫が心配そうに寄り添う。


 どう考えても怖がらせてしまった。

 もうすべてなかったことにして、すぐにでも逃げ出したい衝動にかられた。

 また、ここにはいないのに、いつも助け船を出してくれる幼馴染をつい期待してしまう。


 口の中に苦いものが広がる。


 ビーは再び長いため息をつくと、濡れた髪をガシガシとかいた。


 こんな深夜に、突然上から人が降ってくれば誰でも驚く。しかも魔獣うろつく森だ。


 どうしたらいいかと考えあぐねて、身近な人間を参考にすることにした。

 こんな時、あのおせっかいはどんなふうに接するだろうか。

 あんなに明るく笑って対応はできないにしても、このまま対峙しているよりはマシなはずだ。


 ビーはその場に片膝をついてしゃがむと、男の目線に合わせる。


 その動作だけでも、男はびくりと肩を震わせた。


 よっぽど脅かしてしまったらしい。


「……乱暴なことをして悪かった。あの、友人が滝つぼに落ちて意識がないんだ。

……少しだけ手を貸してほしい」


 この言葉が、今のビーがひねり出せる最善のセリフだった。


「……」


 男は黙ったまま、おずおずと顔を上げる。


 伸びた前髪に見え隠れする瞳は、吸い込まれそうな黒瑪瑙のような色をしていた。

 目が合うと、すぐにまた下を向いた。


 ――ダメだな――


 これ以上、無関係なこの人を怖がらせてはいけない。


「びっくりさせてすまない。俺たちはもうここには来ないから、安心してくれ」


 そういうと、ビーは立ちあがって男に背を向けた。

 再び川を辿ってシャイナたちのところに戻ろう。

 なんとかエチルスを助ける方法を考えなければならない。

 もう一度回復術を使ってみようか、それとも他に何か方法があるだろうか。


 男のことはすでにビーの頭のなかにはなかった。

 ビーが再び木に登ろうとジャンプした時だった。


「ま、まちなさいっ」


 男が初めてビーに向かって叫んだ。


 ビーは器用に空中で近くの枝を掴むと、すぐに手を離してそのまま着地した。


「わ、私は薬師だ。少しは、その、友達を助けられるかも……」


 男はしゃべっているうちに自信がなくなるのか、だんだんと声が小さくなっていく。


 それでも、今のビーには救いの言葉だった。






 男の名はソルといった。


 筋肉量の少ない細い身体で、背はエチルスと同じくらいあるのだが、猫背のせいかいくぶん小さく見える。この森には薬草を探しに遠くからやって来たらしい。


 ビーは、ソルを連れてシャイナたちのところに戻った。


 戻る道中、ソルは暗い森の中を進むのをとてもとても嫌がったので、彼の野営地に置かれた明かりを取りに戻ったりして時間がかかった。


 ビーが滝つぼの近くまで戻ると、シャイナが小さな火を起こしてエチルスを介抱していた。


「絶対戻ってくるって思ってたけど、遅いからちょっと不安だった」


 そうビーに告げたシャイナの顔は、疲労の色がうかがえた。


 ビーはシャイナにソルを紹介する。


 ソルは、また子どもがいると驚いていた。

 そして、傍らにいるエチルスに近づくと、ぶつぶつとつぶやきながら、首元や手首を触ったり、全身を眺めたり、顔色を観察したりしていた。


 その様子を、ビーとシャイナは後ろから眺めることしかできない。






 ビーは妙に心臓がさわいでいた。


 それは不安だった。


 エチルスの身を案じることだけからくるのではない、無理をさせた負い目もあった。

 そして先程会ったばかりの人物に対する信頼の程度、そして彼に託さなければならない自分のふがいなさもあっただろう。

 自分には足りないものが多い、とビーは思った。






 シャイナも珍しく黙って、ソルの行動をつぶさに見つめる。

(あの人見知りで無愛想な)ビーがどうにか人をつれてきてくれたことには、驚きもあったが安心が勝ったのはいうまでもない。


 ビーの姿が視界に入ったとき、重たい荷を下ろしたように身体が軽くなるのを感じた。 


 一人で待っていた間、火をおこす以外に自分は何もできなかったのだ。

 不安は布を広げるように、すぐに心を覆いつくそうとした。

 シャイナは、ビーは必ず戻ってくると何度も心の中で念じた。


 普段ならば、すぐそばにいる幼馴染が解決策を講じてくれる、バカやってもドジをふんでもフォローしてくれる。でも、今は自分だけでエチルスを守らなければならなかった。


 エチルスが自分たちを助けようと気力を尽くしてくれたことに感謝し、また幼馴染の存在の重さを実感する。そして、自分も強くならねばと思った。






 ソルがエチルスを介抱する時間はそう長くはなかったが、二人には何倍にも感じた。


 しゃがんだまま顔だけを二人のほうに向けたソルは、命に別状はないようだと告げた。

 テントに戻れば薬もあるという。


 二人はそろって安堵した。


 出会ったばかりではあるが、第三者である大人(しかも薬師)が下した判断は、二人にとって大きな意味をなす。


 ソルは二人の手を借りてエチルスを背負うと、歩き出した。


 正直なところ体力的な部分はあてにならないとビーは思っていたが、案外そこは大人の男性だった。


 




 三人はソルの作った焚き火を囲んで座っている。 

 エチルスはソルのテントの中で横になっていた。


 ちょうどこの場所に着いた頃、エチルスは一度目を覚ました。

 彼が意識を取り戻したことに、ビーもシャイナも喜んだ。

 ようやく人心地ついた気がした。


 ソルはテントの中から薬草を取り出して手際よく煎じると、エチルスに飲ませる。


「薬を飲んで、しっかりと休息をとれば、体力・魔力ともに回復するだろう」

「……どなたかしりませんが、ありがとうございます」


かすれた声でそういったエチルスは、どんな時も礼儀正しい。


「明日になれば、少し身体も楽になる」

「す、すみません……」


 エチルスは小さい声で詫びると、そのまま眠りについた。


 ビーは、ソルの手際のよさに内心驚いていた。

 ここまで薬師というのも半信半疑だったし、出会いの印象が濃すぎたからだろう。

 思っていたより、ちゃんと薬師だった。


「君らも飲むといい、身体が冷えているだろう」


 煎じたついでにと、ビーとシャイナも薬湯を渡される。


 飲むかどうか一瞬迷ったが、エチルスを助けてもらった手前、突き返すことはできない。


 最初にシャイナが一気に飲み干した。

 続いてビーもコップをあおる。


 まずかったが、身体に危険なものではなかった。

 昔、体にいいといってよく飲まされた味を思い出す。


 二人とも苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


 先に飲み終えたシャイナがコップをソルへと返す。


「おっちゃん、ありがとうな。エチルスを助けてくれて。

オレたちだけじゃ何もできなかった」

「い、いや、そんなことないよ」

「マーを、……友人を助けてくれて、感謝している」


 ビーは深く頭を下げた。


「本当に助かったよ、おっちゃん。ありがとう、…ございます!」


 シャイナもビーに続いて、深々とお辞儀をした。


「いや、力になれて、よ、よかった」

「びびら……、いや、いろいろと驚かせて、悪かった」

「あ、ああぁ、気にしないでくれ。わたしが、そ、その、臆病すぎる……んだ」


 先程までのテキパキとした対応とはうってかわって、ソルの口調はきれが悪い。

 目線も変に泳いでいる。


 ビーと出会った初めの姿勢に戻りつつあった。

 だんだんと背も丸くなってきていた。

 人と話をするのが得意な方ではないのかもしれない。


「あの、今更なんだが、今日はここで一緒に休ませてほしい」

「エチルスのこともあるし、お願いします。おっちゃん」

「う、うん、私もその方が助かる」


 渡りに船だと、快く受けてくれる。

 ソルは、むしろこちらからお願いしたいところだったともいった。

 見ず知らずの森の中、一人で過ごすのは心細すぎる、と。


 もう夜も遅いので、三人は眠りにつくことにした。


 焚き火を消しても、ソルがありったけの光源を周囲に置きまくっているので、明るさは保たれた。


 それぞれが外套に身を包んで、好きな場所で横になっている。


 ビーは、手近な木の幹に背中を預けて座っていた。


 シャイナがすぐそばで寝転んでいる。

 もう彼は夢のなかにいるようで、規則正しい寝息が聞こえた。


 ソルはテント近くで眠りについている。


 寝る直前、シャイナと魔獣の件で少し話した。

 滝に落ちて以降、魔獣の気配は感じない。

 

 それは、シャイナも同じだった。

 エチルスを一人で見ている時も、そういった類は現れなかったそうだ。


 ビーもソルと会うまで、会ってから今までも、ずっと周囲を警戒していた。

 しかしあれだけの殺気は、煙のように、雪が溶けてなくなるように、きれいに消えている。


 油断はできないが、こちらの体力も無限ではない。

 エチルスだって、動ける状況ではないのだ。

 休める時には休んだほうがいい。


 ビーは、空を見あげた。

 手を伸ばすように四方から広がる枝葉に囲われた花紺青色のキャンバスには、まだ多くの星が瞬いていた。

 森は、ただじっと朝を待っている。


 ビーは、目を閉じた。

 まぶたを通しても、広場に置かれた輝きは届く。

 意識はまだはっきりしている。

 眠れたとしても一瞬だろう、とビーは思った。


 そして、明日は今日よりましな一日であってほしいとも願った。



2021年10月11日 修正しました。


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