激流
「ふう、これで消せましたかね」
エチルスはビー球を握っている手で、汗を拭った。
反対側の手でランタンをかざし、火種が残っていないか念入りに見て回る。
辺りは真っ暗で、地面や周辺の木々は湿っている。
慌てて四方八方に水を振りまいたので、雨が降ったあとのように、木の上からも水が滴ってくる。
緊急事態ということもあり、ランタンには最後に残っていた光球の一つが入っていた。
何かあった時にと、とっていたビー球だ。
まさか消火活動に身を投じるとは、エチルス本人も想定外のことだった。
不幸中の幸い。
魔獣たちも他の獣と同じく炎が苦手とみえて、襲ってくる気配はなく、無事消火活動に専念できた。
この暗闇だ。炎が消えていないところがあれば、すぐわかる。
「おーい、エチルス、そっちどう?」
シャイナがエチルスを呼んだ。
声がした方に視線をやれば、同じくランタンの灯りがちらついて、その傍らに小さな影が二つあるのがエチルスの目にはいった。
「はーい、こっちは大丈……」
大丈夫です、とエチルスが二人のほうに一歩踏み出した時だ。
ミシッ、と足元で妙な音がした。
それは、すぐに次の音に繋がり、大きくなっていく。
「エチルス!?」
シャイナがエチルスのほうに駆け出してくる。
その時点でエチルスの身体は、すでに傾いていた。
シャイナの両手がエチルスの伸ばした手を捉える。
しかし、シャイナも同じくエチルスとともに傾いていく。
「バカッ」
ビーもすかさず、シャイナの脚を掴んだ。
しかし、一人の力では、大人と子ども二人分の体重を支えられるわけもない。
激しい土砂崩れの音とともに、三人は深いに闇底へと堕ちていった。
岩や土と一緒に、三人は川へと落ちた。
ビーはすぐに浮上する。
「――ッ! げほっ、シャイナッ! マー!?」
ビーのすぐ前に何かせり上がってきた。
「ぷっはっ!」
「シャイナ!」
「はあっ、――ビー……、エチルスは?」
「まだ」
「ぼ、ぼくはここにっ」
後ろからエチルスの声が聞こえる。
幸い三人とも土砂に巻き込まれず、近くに着水したようだった。
しかし、落ちた川は深く、しかも流れが速い。
なんとか息ができるよう、顔だけは水面に出した体勢を維持する。
エチルスほどの身長があればと思ったが、彼も二人と同じように流されている。
「これ、わっぷ、あの川かな?」
「ああ、たぶん。――っ、街道沿いに流れてた川だろ」
ビーはシャイナの奥、自分たちより少し先を流れているランタンを見つけた。
暗闇の中、川の激しい波間にちらちらとそこだけが光っている。
「なあ、流れ早くないか」
「うん……確かにっ」
互いの硬い声色に、表情は見えないものの、同じことを考えていると二人は思った。
願わくは、その考えは当たってほしくない。
「あの、何か音がっ……」
エチルスも異変に気付く。
会話もままならないほどの激流の音、逆らえない水流。
先を行くランタンの灯りがふいに消えて無くなる。
「やばい、滝だ!」
三人は慌てて流れに逆らって泳ぐ。
しかし、時すでに遅し。
木の葉で作った小舟が川面をすべるように、なすすべなく流されていく。
「二人とも僕につかまって」
エチルスが二人に手を伸ばす。
その大きな手で、ビーとシャイナを引き寄せた。
「どうする気?」
エチルスの首にしっかりと捕まって、シャイナは叫んだ。
「二人とも、絶対離れないでくださいっ」
ビーの肩を抱くエチルスの手に力が入った。
視線を前にやれば、自分たちが今いる流れがそこで寸断されているように、先がない。
ただ暗い空と真っ黒な闇が広がっている。
ビーは、エチルスの服とホルスターに収めている銃をぎゅっと握りしめた。
「もう落ちるっ!」
シャイナがそう喚いた瞬間、三人の身体は宙に浮いた。
時が止まったかのような不思議な浮遊感を感じた刹那、重力と水流は容赦なく、三人をその支配下に引きずり込む。
浮いたと思われた身体は、真っ逆さまに落下する。
シャイナは思わず目をつぶった。
そしてエチルスの首にしがみつく。
――落ちている――
ビーは、目を見開いた。
滝つぼへ落下しようとしている自分を、冷静に観察している別の自分がいる。
その時、エチルスが動いた。
水に飲み込まれる前に、腕を振り上げる。
「逆巻けっ! 水精霊の狂騒曲」
エチルスの放ったビー球は、自分たちよりも先に激しい流れに飲みこまれた。
そしてビーたちの身体も押し流される。
一瞬にして前後左右わからなくなった。
確かなのは、自らの手で掴んでいる互いの存在感だけだ。
叩きつけられる――幼い二人はそう思った。
急に身体がふわりと浮いた。
落下が止まり、水の中を漂っている。
ビーが顔をあげると、エチルスもシャイナも無事だ。
不思議な感覚に、シャイナはきょろきょろと周囲を見まわしている。
エチルスと目が合うと、彼は大きく頷いた。
ビーは外のほうに目を向けた。
まるで滝の裏側にいて外を眺めているように、とても静かだった。
水を通してみる世界は多少揺らいでいるが、位置は把握できそうだった。
ビーたちはゆっくりとではあるが、下降していた。
月に照らされた森の輪郭が、凸凹から徐々になだらかになっていく。
確かに、上から下への水圧も感じる。
しかしそれと同時に、下から突き上げるような水流が足元から上がってくるのだ。
おそらくエチルスが繰り出した魔術が、そうさせている。
ふと足元の水の勢いが、最初の時と比べて弱くなっているように、ビーは感じた。
身体が浮いているので勘違いかと思ったが、外の景色が変わる速度が確実に速くなっている。
ビーは、二人のほうを仰ぎ見た。
シャイナが心配そうにエチルスの顔を覗き込んでいる。
先程までと違って、エチルスの顔は白い。
苦しそうに目をつぶって項垂れている。
水の中なので、声はかけられない。
下降スピードは加速し始める。
ビーとシャイナは、それぞれエチルスを肩にかつぐ。
バシャアアーーーン
三人は着水した。
「――っは!」
「ぶはっ――あっぶねー」
三人は揃って水面に顔を出した。
エチルスのおかげで、滝つぼに叩きつけられて致命傷を負うという事態は回避できた。
しかし二人を助けたことにより、エチルスはぐったりしている。
ビーとシャイナに両脇を抱えられ、なんとか水に浮かんでいるような状態だ。
シャイナがエチルスの耳元で叫ぶ。
「エチルス! しっかり」
しかし、反応は薄い。
「どうしよう、ビー?」
「ひとまず川から上がるぞ。このままじゃ、身体が冷える」
「うん」
川から上がり、エチルスを近くの木の根元に運んだ。
幹を背もたれにして、座らせる。
ビーは川の端に、ともに流され岸に引っかかっているランタンを発見し、取って戻ってきた。
エチルスの顔をランタンで照らす。
煌々とした明かりのもとだと余計に、彼の顔は陶器のように青白かった。
唇は紫色になり、肌には血色が感じられない。
「ビー、どうしよう」
「魔術の使い過ぎだ」
「エチルス、オレたちのために……。ビー、なにしてんの?」
ビーはエチルスのカバンの中を覗きこんでいた。
「こいつ、白いビー球持ってたろ」
「え、ビー使えんの!?」
「……わからん」
カバンの中から白濁色のビー球を取り出す。
わからない、といったのは本当だった。
回復魔術は成功した試しがない。
祖父もあまり上手ではなかったし、知識もほとんどなかった。
それはシャイナも同じだ。
唯一まともに見たのはさっき。
エチルスが使っていたのを、見様見まねでやってみようと思ったのだ。
おそらくエチルスは、術を使い過ぎて魔力と体力が底をつきかけている。
分不相応な術は、魔力を消費する。
個人差はあるが、人間の使える魔力には上限があった。
コップに入った水と思ってもらえばいいだろう。
それぞれ持っているコップは、大きさも形も質も違う。
そして中に入る水の量もさまざまだ。
総じて人は他の種族に比べて、コップも小さく、水(魔力)も少ない。
コップの中に入っている水は、術を使うと消費されていく。
その少ない水の消費をできるかぎり抑え、効率よく使うための道具がビー球だ。
魔力がなくなったとき、次の代替燃料は体力、そして命だった。
山火事に続けて、滝を凌駕するほどの水柱の発動。
術の連続使用が、彼を疲弊させた。
魔力を回復させるには、休養が一番なのだが、今はそんな場所も時間もない。
ここでのんびりしていれば、またいつ魔獣に襲われるかわからなかった。
ビーは瞳を閉じて、握ったビー球に力を集中させる。
シャイナが息を殺して不安そうに見守っていた。
「……アディメイアの慈悲、ナキュルスの癒し、サーバストの涙――我に汝らの恵みのひとかけを与え、彼の者を癒せ。回復!」
力強い言葉とともに、ビーは球をぎゅっと握りしめた。
すると、手のひらから白い靄が立ち上り、たちまちエチルスを包む。
キンッと高い音がして、白い靄はきらめいて消えた。
「や、やった! 成功?」
「……」
ビーは黙って、再びランタンでエチルスの顔を照らす。
先程よりも顔色がよくなったように見えなくもないが、エチルスがやった時のように劇的な回復には至らない。
「まだ、足りない」
「え、失敗!?」
シャイナが両手を頬にあてて叫ぶ。
「失敗はしてない、とは思う。ただ使い慣れてないせいか、力が足りない」
これ以上続けても、あまり効果が上がらないような気がした。
そこに時間や能力をかけるより、もっと確実な手を考えた方がいい。
ビーが思案していると、シャイナがビーの後方を指さした。
「ね、ビー! あそこ、光が見える」
ビーが振り返ると、かすかではあるが川沿いはるか奥に明かりがちらついている。
必死に目をこらして、ようやく見えるほどだ。
この状況でよく気づいたものだと、ビーは感心した。
「オレ、行ってくるよ」
「いや、いい。お前もさっきの技で疲れてるだろ。マーを見ててくれ」
「わかった」
シャイナがうなずくのをみて、ビーは大地を蹴った。
ごつごつとした岩場を跳躍しながら進む。
下っていくにつれて、ゴウゴウと激しかった水の流れも穏やかになっていった。
しばらくすると、わずかに見えていた明かりが確かなものとなっていく。
そして、その光は一つではなかった。
2021年10月11日 修正しました。




