無縁---2
少々短め
(う~ん、素敵なもふもふ)
真っ暗闇の中で、瑞希の意識だけが揺れていた。
しかし彼女の感覚器官はしっかりと仕事をこなしており、温かくもふもふしたなにかが、自身を取り囲んでいる事実を提示してくる。そのもふもふが、とても気持ちいい。
船か、あるいはゆりかごのように揺れるその感覚も、気持ちがいい理由のひとつだった。
「………………」
「………や……」
「……助け………」
「困った………」
視界が段々と赤みを帯びてゆく。
血の気を帯び、暖かい熱や拍動を視覚的に伝えてくる。
そこで唐突に、瑞希は自分が寝ていることに気付いた。
今までは、上下左右も分からないまま揺れていたのだ。
そこから先は早い。
開かない目蓋は後回しにして、身体を動かし、大きく息を吸い込む。
もう少しで目蓋が開きそうに感じるが、とりあえず瑞希は上半身を起こした。
そして……
「あぁぁ!?」
バランスを崩して倒れ込んだ。
どさっ
頬に感じるのは、ひんやりとして固い、土の感覚。
目の前に広がっているのは、上に土、下に空。土から足が生えている。
……そんなはずもなく。
「あ、みずきちゃん起きたんだね!!」
真っ先に耳に届いたのは、喜色に富んだ織姫の叫び声だった。
「ほんじゃま、いい頃合いでもあるし、今日はあそこで野宿しようかぁ」
「そうだねぇ、今日は久しぶりのお客さんがいるんだし、豪勢にいかないとねぇ」
「ぃよっ! 宴だぁ!!」
「「あははははは」」
途端に周囲がガヤガヤとわき始め、瑞希を置いて先へと進んでしまう。
その足取りは、徒歩であるにもかかわらず、山道を抜けるロードバイク並に速い。
瑞希は呆然としながらも、とりあえず上半身を起こした。
すると、オオカミに乗った織姫と一真の二人が、瑞希の下へと寄ってきている!
「大丈夫? 何があったかとか覚えてる?」
オオカミから降り、瑞希の前にしゃがみ込む織姫。傍らに自分の銃を放り捨てている。
その身体を包んでいるのは、見慣れたセーラー服ではなく、貫頭衣のような粗末な服。
その隣でオオカミに跨がったままの一真も、似たような服装をしていた。織姫と違うのは、胸の前で十字になるように提げた、自身の鞄と瑞希の大剣程度。
「ううん??」
見たこともない服を前にして、眉根にシワを寄せ、首を傾げる瑞希。
それを視線で察したのだろう。
一真が瑞希に言い聞かせる。
「服について等、あとでまとめて話します。どこか痛んだりしませんか。どこまで覚えてますか?」
ひとまず自身の疑問は脇に置いて、織姫は口を開いた。
「えっとー、大っきな蛇が襲いかかってきたんだよねー。で、三人とも逃げるためにあたしだけ残って、二人には先に逃げてもらって……」
「なるほど、その辺りで緊張の糸が切れて気絶したわけか」
一真が安堵に胸をなで下ろす。
織姫は瑞希に抱きついた。
「はぁ……。心配したんだよ、みずきちゃん」
「あはは、ちゃんと戻ってきたでしょー? 約束したからね」
「離れて欲しくないって思っちゃう。だけど三人で生きてくために、あえて離れていかなくちゃいけないこともあるんだね」
「あはは、今回はかなりの極限状態だったと思うけどねー」
「でも今後同じことがないとは言い切れない!!」
「それはそうだ。どうやって生計立てていくかとか、まるで決まってないもんねー」
「……とりあえず、流れに乗りましょう。道すがら、こちらの出来事を説明します」
「そうだね! ほら、みずきちゃんも乗りなよ。もふもふして気持ちいいよ~」
そう言うと織姫は、銃を拾い、自身が跨がっていたオオカミに再度跨がり直す。
顎で背後を示し、ニヤリと笑う一真。
瑞希が後ろを振り向けば、乗れとばかりに寝そべっている、大きなオオカミが一頭。
先程はどうも、このオオカミの背中で眠っていたらしい。
おっかなびっくり、オオカミの背中に跨がる。
片目だけちろりと開けると、オオカミはすくっと立ち上がった。
「あわわわわ」
体勢を崩し、フラフラと上体が揺れる瑞希。
「あはは、心配しなくてもこの子たち賢いから、自然にしてれば乗せこなしてくれるよ」
「それもそれで不思議な話だねー……」
しかし織姫の言う通り、揺れるに身を任せてぼーっとしていれば、オオカミの方が歩き方を調整してくれて、どんどん乗り心地がよくなってゆく。
「ほえー……、すごいねこれ」
「でしょー!」
なぜか誇り始める織姫。気分は某有名アニメの主人公、山犬のお姫様といったところか。
「さて、実務的な話になりますが……」
キリのいいタイミングで、一真が口を挟んだ。
「河伯さんが気を失ってからの流れを確認しておきたいと思います」
「話の腰を折ってごめんなんだけど……」
話が軌道に乗りかけた状態で、瑞希が言う。
「なんで口調が戻ってんの? そんなにあたしの裸が見たい?」
一真の顔が盛大に歪んだ。
「あー! そうだった!!」
「そんなことあったなこんチクショウ……」
「いやん、そんな熱視線を向けないでー、この変態」
自身の身体を抱く瑞希。
「いや、現状況でその動きは洒落になってないですからやめてくださいお願いします」
「え?」
そう言って自身の身体を見下ろす瑞希。
自身を包んでいるのは、毛布のような布きれ。
嫌な予感に突き動かされて布の中を確認すれば、その下には何も着ていない。
「きゃぁぁ!?」
身をすくめて布をキツく身体に巻き付ける。
下のオオカミが、急な揺れに迷惑そうな顔をして、瑞希を見上げた。
「ご、ごめんなさい話をお続けください……」
「かずまはため口でおねがいね~」
「結局そうなるのか……」
一真は肩を落とすも、気を取り直して口を開く。
「えっとー、我々二人は川に飛び込んだのちー、下流へ向けて川のド真ん中を進んでましたー」
「語尾伸ばさなくていいよ。みずきちゃんとキャラが被って分かりづらい」
「……しばらくそうしてたら、川岸に目の前の彼らが見えたんだよ。どうも川へ飛び込めっつーあの声も、彼らの出したものらしくてな。彼らに拾われて、しばらく行動を共にする事にしたと、そういう流れ。相談する暇はなかったわけだが、事後承諾になることを本当に申し訳なく思っている」
「みずきちゃんったら。川の真ん中を桃みたいに流れてくるんだからビックリしたよ」
「川を流れてきた河伯さ――」
「――み、ず、き、ちゃ、ん!」
「……はぁ。瑞希ちゃんに手当を施したのも彼らだからー、キチンと感謝しておくことー。その後の流れとしては、しばらく介抱に時間を当てて、私ら二人の着替えとかも頂いて、身繕いをしてから移動開始。そして今に至る」
視線をやると、置いていかれた瑞希ら三人以外は、野宿をするポイントについた様子で、テントもどきの準備などをしている。
それらを眺めやる瑞希の瞳には、深い感謝の念が映っていて。
「とりあえず……」
瑞希が口を開く。
「どうしてあたしには服を着せなかったのかな?」
どうも感謝とは別に、羞恥心から来る怒りが堪えきれないらしい。
「あー、やっぱりそうなるよね。ちゃんと理由があるんだよ? ねー、かずま~」
織姫が一真に視線をやる。嫌そうな顔をする一真だが、律儀にも瑞希の疑問に回答を示す。
「川を意識がない状態で流れてきた瑞希さんは、身体が完全に冷え切っていて、何らかの方法で身体を温める必要があった。それに服の着方を自分で覚えてもらう必要もあるだろうという話になったため、移動などの効率も考えて、服は着せずにオオカミの背中に乗せた」
その話に、赤く染まった顔をめいっぱいしかめ、あさっての方向を見る瑞希。
「……みた?」
か細い声が、瑞希の口から漏れる。
その様子にあてられて、一真の返答も若干のどもりを含んでしまう。
「そ、そんなわけないでしょう……」
「ふ、ふーん……。いまは……信用しておいてあげるね」
「当然……!」
「いまどき中学生でもそんな反応しないよ~? 二人とも繊細すぎはしないかい?」
「「イマドキの中学生マセてんなぁ!?」」
「ほらほら二人ともキャラが崩れてるよ。冷静に冷静に」
ひとり織姫は、テクテクとマイペースに進んでゆく。
振り回された二人は、その顔をお互いに赤らめてから、オオカミに拍車を掛けて織姫に追いついていくのだった。
三人が一団に追いつく頃には、既に野営の準備はとうに終わり、火を焚いて宴会の準備を終えるところであった。
「やぁやぁやっとおいでだね? とりあえず服渡すから、お嬢さんこちらにいらっしゃい」
声を掛けるのは、一団の中では比較的年嵩な男。一団の長に近しい立場なのか、落ち着いた貫禄を備えているのだが、見た目は未だ青年の域を超えないという、年齢不詳な感じの不思議な男だった。
彼の指差す先を見れば、テントの中から女が一人、手招きしている。
「行ってらっしゃ~い!!」
瑞希の後ろには、満面の笑みを浮かべる織姫の姿が。
服を着ないわけにも行かず、瑞希は狼から降り、テントの中へと消えていった。
残ったふたりの相手をするのは団長だ。
「さてさて、改めて歓迎するよ。しばらくは一緒に旅する仲だ。なんて呼べばいいかな?」
その言葉に、ふたりは顔を見合わす。
二人同時に狼から降りて、先に一真が口を開いた。
「まずは何か非礼があってもご容赦ください。なにぶん三人で逃避行の最中のため、この辺りの常識や礼儀などには――」
「――ウン知ってる」
長々と続きそうな一真の言葉を、さっさと遮る団長。
「キミらどう見たって堅気の人間じゃないの。そんな人達がこんな流れ者の真似をしてるっていうことは、きっと話したくないこととか、話せないこととか、たくさん抱えてるんだろうさ。そんなことはボクの、ボクらの知ったことじゃない。面倒事ならむしろ話さないで欲しいくらいさ」
ひらひらと手を振りながら、団長はおどけて肩をすくめる。
「今ボクらに必要なのは、キミらを呼び分けるための名前、それだけだよ」
二人は顔を見合わせる。
人が良すぎると言おうかなんと言おうか。
出身その他は伏せておきたい現状から見れば、拾われるのに理想的すぎる集団なのだ。
団長は肩をすくめる。
「名乗れる名前もないのかい。あるいは逃避行に都合が良すぎて疑心暗鬼に陥ってるのかな? まぁいいよ。それなら先にこちらの話をしよう。ちょうどもう一人の女の子も帰ってきたところだし」
おいでよ、といいながら、団長は中心の大きな焚き火に向けて踵を返す。
二人が振り向けば、テントから出てきてこちらへ走り寄ろうとしている瑞希の姿。
貫頭衣のようなトップスに、単純なズボン。色黒なのも相まって、アイヌの少女のようにも見える。
もちろんとても似合っていた。
「おまたせー。……なんかあったの?」
「いえ、名前を聞かれたんですよ」
「かずまが非礼なこととかあったら許してねって言おうとしたら、めんどくさいことはきらいだから、名前教えてっていってるだけでしょっていわれたの」
「ふーん。自己紹介したらいいじゃん」
「今からするんだよね?」
「……こちらから自己紹介させていただきますね」
あくまで固い一真に、顔をしかめて肩をたたき始める団長。
「敬語もいらないのに。自己紹介って言うけど、名前だけで問題ないからね」
三人は顔を見合わせ、それぞれ口を開く。
「ミズキっていいます」
「カズマです」
「オリヒメです! よろしくおねがいします!!」
そんな三人に向き直り、笑顔をこぼす団長。
「うんうん、ミズキにカズマにオリヒメね。しばらくの間だけだけど、楽しくいこうよ」
目線でついてくるように促しながら、団長は揚々と話し始めた。