目覚め
視界がぼんやりと薄暗い部屋を映し出す。 その映像が一秒毎にクリアになり瞳に映り込んだ。 視界は良好、だが未だに、意識は視界とは逆にハッキリとはせずに、頭に靄がかかってボヤけている。
酒の飲みすぎだろうとも思ったが、頭痛はないので二日酔いというわけでもないらしい。 だが、そんな状態でも、この部屋に見覚えがないことぐらいは理解が出来た。
「何処だ?」
思わず、呟いた言葉とともに徐々にだが意識が覚醒する。
周囲を見渡す。 その部屋は俺が寝起きしている男特有の小汚い部屋とは違う白く塗りつぶされた部屋だった。 普段使わない頭をフルに使い考え込む。
「酔いつぶれて、留置所に連れていかれたか?」
一番可能性が高そうだが、そもそも先ほども結論づけたように、飲みすぎ特有の頭痛がないことから考えて留置所に入れられたとは思えない。 それに、あそこには何度かお世話になったが、基本的に留置所は刑務所と変わらない、このような綺麗な部屋ではなく埃まみれのベッドに鉄格子を組み込んだ汚い部屋しか無かったはずだ。
「そもそも・・だ、俺はここに来る前に何をしていた?」
考え込んでもここが何処なのか分からなかったので、今度は目覚める前に何をしていたのかという事に考えにシフトする。
たしか簡単な物資の運搬を司令官から命じられたことは覚えている、そしてその道中にドラゴンが・・・・。
「あれ? 俺、殺されなかったっけ」
俺の発した間抜けな声が部屋に反響する。
そして声に出すと同時に今まで記憶に掛かっていた靄が晴れてドラゴンに殺される前の感覚、思考、感情が鮮明に蘇った。
「いや・・いやいや、ありえないだろ、そうなると俺は死んだことになる」
言葉に出してみて改めて自分で馬鹿なことを言っていると思う。 なぜなら手は動くし感覚もある、これが死んでいる状態とは考えにくい。
だが、ドラゴンに嬲られ、何もできないまま無力に殺された感覚を覚えている。 だったら死んだという事になるのか? だが死んでいるのに生きているように振舞えるとか支離滅裂すぎるだろ。
「そうなると・・・・俺は死霊にでもなったのか?」
自身が死んだと仮定して、考えられる選択肢を声に出す。 だが、冷静に考えると、その可能性も低い事にすぐに気がついた。
死霊はゾンビなどが有名な未練を残したものが生を持つものを襲う魔物だ。 生きる者全てを襲うため、そこに思考は存在しないとされている。 つまり考えるといった行動のとれている自分は、死霊といった人間のなれの果てとは考えられないだろう。
「じゃあ、夢だったのか?」
ドラゴンもしくは高位の魔物に襲われる夢というのは兵士ならば一度は見る夢だ。 今回もその類だったのだろうか?
「いや、それも違う、あの記憶や痛みはリアルさがあった」
傭兵歴が長いから断言できるが、あの痛みや感覚に不自然な点は見当たらなかった。 夢だった可能性を自身の経験を踏まえた上で否定する。
「幻術、幻覚の可能性はどうだろうか?」
記憶を混乱させる幻術はあるにはある、だがそれは複数人の魔術師が何日もかけて詠唱を唱え続ける必要がある大規模魔術だ。 わざわざそんな大がかりな術式を展開する理由がないのでこの考えも現実的ではないだろう。
「では奇跡的に助かったという事なのか?」
もっとありえない、体の四肢をもがれミンチにされた状態の人間を回復させる秘薬や魔術は存在しない、仮にあったとしても生贄として捧げられた人間を蘇生させることはしないだろう。
そんな調子で、しばらく様々な可能性が頭をよぎるが、どれもしっくりこない。
「・・・考えても、 分からんな」
軽くこめかみを抑えつつ結論を口に出す。 さんざん考えてみたものの結果は振出し。 目覚めたばかりの状況と何ら変わらない状態に思わずため息を吐いた。
「時間の無駄だったな・・・・んっ?」
そこでようやく、自分の右手に違和感があることに気が付いた。 目を凝らして見ると、手には透明なチューブが突き刺さり先端には液体の入った袋が垂れ下がっている。
「薬剤を直接体内に入れているのか?」
なぜ今まで気が付かなかったのか不思議だが、混乱していたので些細な変化に気が付かなかったためだろう。 それよりも体内に直接薬剤を投与する意味が分からない。 最新の治療法か何かだろうか。
この未知の技術もそうだが、今更ながら、俺が目覚めた部屋も不思議な場所だった事に気が付く。
改めて周囲を観察すると、ベッド一つにしろ俺達庶民が使うような硬い木をくりぬいて作った物ではなく、貴族が使うような押し返すタイプのベッド、フカフカの布団に枕、木造ではなく石で作られた床に、ひたすらに白で塗りつぶされた壁、 さらに下町と違う埃っぽくはない、清潔さがここにはあった。 それらは俺の持つ常識とはかけ離れている淡白で無機質な部屋だった。
「死後の世界なのだろうか?」
無意識的に出た言葉だったが、これに関してはバカバカしいなどとは考えられなかった。 むしろ一番しっくりくる。 しかし同時に現状が把握できていない今の状況では死後の世界といった結論は少し早すぎるだろうと考える。
「なんにせよ、部屋を出て調べてみない事には何とも言えないか」
自分でそう結論づけ、ベッドから飛び起きた。
「ん?」
そこで初めて部屋の隅にいる女性に気が付く。 見ると女性は椅子に座りながら壁に寄りかかり寝息をたてている。 カツンカツンと足音を立て彼女に近づくが、よっぽど疲れているのだろう彼女は近づく俺に警戒して起きる様子は全く無く、変わらず寝息を立てていた。
いや・・・・自分を基準に考えすぎだな、気配を読んで近づく者がいたら目が覚めるのは兵士だけだ。 一般人であるならば近づいてくる存在があっても眠り続けるのは普通だった筈だ・・・・多分。
頭を軽く振って考えをまとめようとするが、何故だか上手く考えがまとまらない。 先ほどまでゴチャゴチャと現実味のないことばかりを考えていたからだろうか、自分の中の常識が分からなくなってきた。 子供の頃って気配って読めていたか? それ以前に、気持ちよさげに寝ている彼女を起こしてもいいのだろうか? 熟睡している名前も知らない他人を起こすのは失礼にあたった気がするが――。
様々な思考が交錯する、そしてしばらくその場で考え続けて彼女を起こさない事には何も始まらないという結論に落ち着き、覚悟を決め彼女の肩を軽くゆすった。
「・・・・んぁ?」
「寝ているところすまない、少し聞きたいことがあるんだが」
椅子に深く腰掛けている女性は、寝ぼけているのか焦点が定まっておらず目が虚ろだ。
トロンとした目で頬けている彼女は、かなりの美人だ。 黒い髪は綺麗な光沢を帯び、顔は大人びている。
身長は160センチほどだがすらりと伸びた手足が彼女の身長をより大きく感じさせ、加えて着衣しているスーツは無駄がなく引き締まった体のラインにピッタリと重なり、カワイイよりカッコイイタイプの女性だった。
大都で、これほどの美人ならば噂くらいは流れるものだが、俺の記憶には彼女の様な美人の情報は無い。 そうなると予想通り、ここは俺の住んでいる大都では無いのだろう。
「菊池さん!!」
まじまじと観察しているうちに完全に目覚めたのだろう彼女は、大声をあげ立ち上がりガバッと俺の体に抱きついてきた。
「うぇ!! ちょっ!?」
そして予想外の彼女の行動にアタフタと狼狽える俺。 実に情けなく感じるが、目もくらむような美人に脈絡もなく抱き着かれたら、むしろこれが普通のリアクションではないだろうか?
しかし、慌てている様が彼女には伝わっていないのだろう、俺を包み込む腕の力が弱まるどころか次第に強くなって離れる気配が感じ取れない。
「とりあえず落ち着け」
突然の美人の抱擁で自分にも言い聞かせる意味も含めた言葉だったが、彼女は、その言葉で少しだけ力を緩めると名残惜しそうに未着させた体を離した。
「目が覚めたんですね」
「・・まぁ」
「よかった、本当に良かった」
彼女の歓喜が含まれている声に対し思わず眉をつり上げる。 この女性とは面識がないハズだが。 何で彼女はこんなにも喜んでいるのだろうか。
「菊池さんが魔族に襲われたので私が運んだんです。 でも目覚める可能性は限りなく低いと言われて―――」
俺に抱きつきながら笑顔で言葉を続ける。 彼女は口ぶりからして俺を知っているのだろう。 だが俺は彼女を知らない、いくら頭の中の記憶を探っても彼女の情報が出てこないのだから俺と彼女は初対面のはずだ。 そしてなにより俺は”キクチ”?という妙な名前では無い。
「・・俺はキクチって名前じゃないけど、人違いじゃないですか?」
「えっ?」
さりげなく言った人違いという言葉に対して、彼女は大きく目を見開き一瞬で表情を青ざめさせた。
「えっと、大丈夫か?」
顔が青くなりワナワナと震える彼女の様子に俺は再び狼狽えつつ声を掛ける。
「まさか魔族に襲われたことによる後遺症が・・すいません菊池さんすぐに医師を呼んでくるので待っていてください」
一人で勝手に納得した彼女は、それだけ言うと乱暴にドアを開け、走って何処かへ行ってしまった。
「・・・・何となくだが、凄く面倒なことに巻き込まれそうな気がする」
背中を見送り、部屋に一人取り残されてた俺は思わず呟く。 俺の嫌なことに対する予感は結構な確率で的中する。 今回は人違いから面倒ごとに巻き込まれる典型的な例だろうと、ぼんやりと自分の中で考える。
しかし、キクチなる人物は少なくとも俺の知る限りでは名前すら聞いた事がない。
「それに、聞き覚えのない発音だった事を考慮すると。 未開の土地の可能性もあるのか」
俺の住んでいる大都は、確かに多数の国と貿易をしているが、すべての国と繋がっているわけではない。だが、先ほどの女性は名前のイントネーションこそ違和感を覚えたものの、言葉が伝わらなかったわけではない。 ならば、この場所は、過去に大都とつながりのあった国と考えるのが一番可能性が高いのではないだろうか。
「加えてキクチなる人物の身分だが恐らく高位だろう可能性が高いな」
この自分で発した言葉は、素直に受け取ることが出来た。兵士や一般人なら日常的に魔物に襲われている。 それ自体は何処の国でも同じはずだ。 にもかかわらず、先ほどの女性は襲われたと言葉にしてそれがまるで失態のような口ぶりだった。 だとするとキクチという人間が俺と同じ庶民出身とは考えにくい。
「可能性としては貴族や爵位といった地位がしっくりくるな」
この部屋の見たこともない設備を考慮すると妥当なところではないだろうか? だとしたら、先ほど予想した通り、とてつもなく面倒くさいことになる気がする。
「・・・・トンズラするべきだろうな」
どう考えても高位の身分の人間に間違えられることがプラスに働くとは思えない。 ならば、これ以上ややこしいことになる前にこの場から居なくなってしまった方が面倒にならないだろう。 考えがまとまったので早速この建物から出ようとドアに手をかけたが、一つの不安が頭をよぎって動きをピタリと止めた。
「冷静に考えると、この土地の事を全く知らないんだよな」
恐らく大都とは繋がりを断っている未開の地だろうという予想は出来たが、一文無しに加えてこの国についての情報もないとなると、トンズラしたところで野垂れ死ぬのが関の山ではないだろうか。
「・・・・予定を変更しよう」
野垂れ死には嫌なので、考えを改める。
トンズラをするのに必要な情報はこの国の位置情報、 周囲の魔物の種類、せめてこの二つは知っておかなければ大都に帰ることは難しいだろうな。
・・・・仕方がない、しばらくキクチという人物になりすまし国の事をそれとなく聞いて、それからどうするか考えることにしよう。
「寝起きなのに、 いきなりストレスがたまるなぁー」
ハァと溜息を吐き、頭の中の不安を払拭するかのように軽く頭を振る。
「菊池さん、 おまたせしました」
物思いにふけっていると再びドアが勢いよく開き、 先ほど出て行った女性が、別の女性を引き連れて戻ってきた。 今度は白衣を着た女性が近寄ってくる。
この人も、すごく綺麗だった。 身長は先ほどの女性よりやや高く髪は肩に掛かる程度で色は淡い青色、そして、かけている眼鏡は彼女の大人の魅力をより高めていた。
「菊池君、 記憶が混乱しているらしいけれど私の名前はわかるかしら」
思わず”分かるわけがないだろう”と喉まで出てきた言葉を飲み込み、顎に手を当て一応考えていますよとポーズをとって答える。
「・・・・分かりません」
「そう、 じゃあ彼女の名前は?」
俺が目覚めた事を自分の事のように喜んでいた女性を指さし質問される。
「いえ、 分かりません」
「そう、 じゃあ菊池君が覚えていることで良いので教えてくれるかしら?」
この質問にはポーズではなく本当にわずかに考え込んだ。 どのように回答することが正解だろうか? 覚えている事の回答、この質問でボロが出て、人違いだと気が付かれると、この場をすぐさま追い出されるだろう、それだけは避けなければならない。
「すいません、本当に何も覚えていないんです。 キクチと言われましたが馴染みのある自分の名前でさえ違和感を覚えるほどこの体には違和感しかありません。 何か思い出すきっかけになるかもしれないので俺のことも含めて、あなた達のことも教えてもらえますか?」
相手も記憶の混乱と言っているので、この場はその言葉に便乗させてもらうとしよう。 こう答えておけば、キクチという人間とズレた行動をとっても、多少は目を瞑ってもらえるはずだろうし、加えてキクチが何者なのかの説明を求めたのも、キクチという人間を偽る上では重要になってくるはずだ。
そう考えると短時間で出た返しとしては、 この返答はなかなかに良いのではないだろうか。
「分かったわ、ではまず私たちの自己紹介をするわね、私の名前は木乃美 紗枝あなた専属の医師よ」
専属医師ときたか・・そうなると、キクチなる人物が身分が高いのはほぼ確定だな。 やはり当面は黙っておいた方が良い。
「次にあなたの近くで看病をしていたこの子だけど」
「椎名 茉莉、私はアナタ専属の魔術師です」
初対面の時の笑顔とは違い、こちらに鋭い視線を向けている。 初めの頃の彼女との表情の変化に少しだけ戸惑いを覚えた。 寝起き直後の笑顔はなんだったのだろうか、もしかして今のやり取りで俺がキクチ本人じゃないと感づいてしまたのだろうか。
椎名さんの視線に思わず肝を冷やしつつも、表面上は、あくまでポーカフェイスを装い質問する。
「魔術師? ・・何をするのか教えてもらってもいいですか」
「菊池さんに呪詛が降りかかった時や外傷を負ったときに癒しを行うのが私の役目ですね」
説明を聞く限りの彼女の立ち位置は、医者では対応出来ない事態が起こった時の予備要員というところだろうか? 険しい表情はそのままだが一応、丁寧口調で接してくるので俺がキクチでは無いと、バレてはいないようで少しだけホッとする。
「あとは、 ここにはいないけれど直接、菊池君と関わりの無い人達も説明はした方が良い?」
椎名さんの睨むような表情とは対極的にニコニコとした笑顔で接してくる木乃美さんが訪ねてきた。
「いえ、記憶が混乱しているので今日のところはアナタ達二人で結構です、それよりも自分がどういった経緯でここにいるのかと、自分自身の事などを教えてもらえると嬉しいのですが。」
とりあえず、二名の自己紹介だけで、キクチという人間が高い身分と確定したので他の情報がほしい。このへんで紹介はやめてもらって他の事を教えてもらった方が良いだろう。
「分かったわ、 それじゃあまず菊池君の自身の事を話そうと思うけれど、菊池君は自分の事をどこまで覚えてるの? 些細な事でも良いから覚えがあったら教えてくれないかな?」
「何も覚えていません」
短くハッキリとした声で答えた。 こういう事は少しでも覚えているといったら必ずボロが出る。 そのため最初からボロの出しようのないように、覚えていることは何もないと言った方がキクチという人物を偽る上では好都合だろう。
「そう・・・・じゃあ簡単な説明になるけれどそれでいいかしら?」
その言葉に俺は頷く、 実際に説明してくれと頼んだのは俺なので断る理由がない。
「アナタの名前は菊池竜也、 年は17歳で現在、 宮本高校の2年生そしてこの世界に近親種族の男性も含めた5人しかいない男性の一人よ」
「・・・・・・・・えっ?」
思わず間抜けな声が出る。
木乃美さんは、何と言った、 17歳という年齢や聞いたことのない高校生なるワードも気にはなるが、それ以上に無視できない言葉が出てきた。
この国ではなく世界に5人しかいない男性の一人? ドラゴンのような強力な魔物の数が増えて世界の人口自体が極端に減ってしまったとしても男が5人という数はあまりにも少なすぎる。
「あの、 男性が5人しかいないとおっしゃりましたが女性はどのくらいいるんですか?」
「女性の人口は10億人ぐらいだったと思うわ、あと人としての男性は菊池さん1人だけです。 他4名は近親種族になります」
何それ? もう理解不能だ、兵士になって様々な町や村を行き来して中には女性が多いい村などもあったが、それでもここまでバカげた男女比ではなかったぞ。 いや、それよりも先ほどから言っている近親種族ってなんだ。 人じゃないのか?
「木乃美さん近親種族とは?」
「近親種族は、人間に近い種族でエルフ、ドワーフ、獣人の事です」
木乃美さんが、さも当然といった口調で答える中、俺は内心かなり動揺していた。 伝承や物語の中でしか聞いたことない種族が、この世界では実際に存在しているのか? しかも3系統も。 若干興奮を覚える俺を差し置いて、木乃美さんは言葉を続ける。
「まあ、近親種族は、各種族で国を構えているので、菊池さんが会う機会はあまり、ないかもしれませんが」
その言葉に少しだけ肩を落とす。 エルフにドワーフ、獣人といえば騎士物語には必ずと言っていいほど出てくる主要の種族であり、いわゆる空想上の種族である。 俺としては、ガキの頃から憧れていたファンタジー世界の住人と出会える可能性が低くいと告げられた事で情けないが大人ながら落胆してしまった。 だが落胆したままではいられれないので、すぐに気持ちを切り替える。
「でも近親種族を入れても男性が5人って、おかしくないですか? なにか原因でもあるんでしょうか?」
とりあえず聞かなければならない疑問を木乃美さんに投げかける。
真っ先に考えたのはこの世界における国のあり方である。
5人という男性は各国の代表、 つまりは王のように一つしか席のないポストとして扱われ、指定を受けた者以外の男が生まれたら殺されているのでは? と考えたが、すぐにバカらしいと考え却下す。 もし仮に国が一人の男しか置かないような方針をとっているとすると死んでしまった場合は、その国の男性がいなくなる。 それはつまりはその国の緩やかな死だ。 流石にそんな考え無しな事は国としては行わないだろう。
「はるか昔になるので記録は僅かですが魔王と呼ばれる魔物の王がこの世界に存在しました。 そして勇者と呼ばれる男が魔王を滅ぼしたとあります」
「魔王?」
真剣な表情で胡散臭い話をする木乃美さん。 にわかには信じがたいので微妙な表情を作った俺を無視して木乃美さんは言葉を続けた。
「そうです、 そしてとどめを刺された魔王は絶命する前に二つの魔法を放ちました。一つは人間の男が生まれにくくなる種の魔法、もう一つは生まれてきた男が成人まで生きられない魔法、それらが作用して男性の人口が減り続け今に至ります」
魔王と勇者、そういった類の話ならば俺の暮らしていた国にも物語としていくつかあるが、驚くべきは空想ではなく魔王と呼ばれる存在が実際にいたという事実だろう。
何の冗談だと笑い飛ばしたくなるが目の前で説明をする木乃美さんは、ふざけている様子は一切ない、おそらくは本当なのだろう。 先ほどから話を聞くたびに俺の知っている世界とは全く違う場所だという事を自覚させられる。
・・・・だがそうなると一つの問題が出てくる。
「今までの話が本当だとすると、男って基本は成人は迎えられないんですよね? じゃあ俺はどうして生きているんですか?」
俺は周りからは年のくせに若いと言われていたが、それでも外見は20代半ばにしか見えない、 その時点で菊池という人物とは違うと判断できると思うのだが、何故この人たちは成人していないガキと俺を間違えているのだろうか?
「・・どういう事でしょうか?」
「いや、どう見ても俺は20代にしか見えないだろ?」
「・・なるほど、椎名、確かに菊池君は混乱していますね、呪いの類ではないんですか?」
「それはない、記憶の喪失でもしかしたらと思い先ほどから体内を呪詛で侵されていないか探知しているんだが、菊池さんから呪いの類は感知できないんだ。 魔物に襲われたことによる一時的な記憶障害なんじゃないかと思ってアンタを呼んだんだけど違うのか?」
なるほど、先ほどから睨まれていると感じていた椎名さんの視線は体内の魔力感知に集中していたからか。
「その可能性も考慮したんだけど、受け答えがハッキリしすぎているのよね。魔物に襲われた事が原因なら、普通は受け答えに詰まるはず。 こんなにスムーズに会話を続ける事はできないわ」
「二人とも俺は正常ですからね」
何か話がややこしくなってきたので二人の会話に割って入る。
「俺からすれば木乃美さん達がおかしく感じるんですけど」
「むっ、それは心外ね、椎名、鏡はある」
「魔術で作っていいか」
「構わないわ」
魔術で鏡を作る? 何を言っているんだ? 疑問に思った俺を無視して彼女はパチンと指を鳴らす。
「なっ!?」
「作ったぞ」
「ありがとう椎名、さて菊池君。 どうぞ鏡の前に」
彼女の目の前には巨大な一枚板の鏡が出現していた。 一瞬で現れた鏡に俺は思わず驚きの声をあげたが、彼女たちは特に驚いた様子もなく俺に鏡の前に立つように催促してくる。
俺は意味の分からないまま、言われるがままに鏡の前に立った。
「さあ、菊池君。 自分の姿を見て。 私には成人したようにはとても見えないんだけれど自分自身は何歳ぐらいに見えるのかしら?」
「・・・・あれ?」
そこに映し出されている姿は、乱暴に跳ねた黒髪に鋭く吊り上がった目、大まかな部分は変わらない。顔、体格、背丈。 どれもが俺の良く知っている俺である。 だが同時に俺ではないような違和感が生じる。 言っていることは矛盾しているのは分かっている。 だが鏡の中の俺と俺の知っている俺の矛盾点。それは―――。
「・・・・10代の頃の俺じゃないか」
言葉に出したように違和感を感じた原因は兵士になりたての頃の俺にそっくりだった事が原因だろう。 何故、若返ってしまったのだろうかと真剣に悩んだところで分かるわけがない。
「ちょっと待って、マジで待って。 これはどういうことだ? 何がどうして俺は若返ってるんだ?」
現状が理解できずに、たまらず狼狽える。 瞬間的に様々な可能性が脳裏を過るがどれも現状を受け入れるには足りない。
「菊池君、落ち着いてください」
木乃美さんが目に見えて取り乱した俺の肩を掴んで叫んだ。 先ほどまでの落ち着いた雰囲気とは違い大声を出した彼女のおかげで少しながら落ち着きを取り戻す。
「・・すいません、少し動揺したみたいです」
「いえ、無理もないわ、私こそごめんなさい」
掴んでいた肩から手を離すと木乃美さんは一歩引いて謝罪の言葉を口にした。
「・・少し一人にしてもらってもいいですか?」
今は考える時間と気持ちを整理するための時間がほしいので懇願する。 その言葉に対し木乃美さんは申し訳なさそうに首を横に振った。
「それはできないわね、 大丈夫だと思うけれど、また魔物が襲ってくる可能性もあるわ。 混乱して一人になりたい気持ちも分かるけどせめて椎名はそばに置いてあげて」
「・・・・分かりました」
確かに彼女達からすれば俺は護衛対象なのだから当然だろう。 それでも護衛役を一人しか付けなかったのは彼女なりの譲歩だったのではないだろうか。
「それじゃあ椎名、菊池君をよろしく頼むわね」
黙って頷く椎名を確認すると木乃美さんが部屋から出ていく。 バタンとドアが閉まるのを確認してとりあえず俺はベッドに横になった。
「菊池さん、 大丈夫ですか?」
さきほどの一連の会話で不安を感じたのだろうか、 椎名さんが心配そうな表情を浮かべ話しかけてきた。
「大丈夫、 少し気持ちを整理しようと思っただけだから」
「分かりました、 菊池さんが大丈夫というのでしたら私は何も言いません」
「ありがとう椎名さん、 助かるよ」
「私の事は椎名でいいです」
「えっ?」
それは少し拗ねたような物言いだった。 カッコイイ女性が上目遣いで拗ねる仕草をする。 それだけで女の体制があまりない俺にはズキューンと胸を撃ち抜かれたような衝撃を受ける。
「いつも椎名と呼んでいたじゃないですか、」
「そうだったかな・・・椎名?」
恥ずかしい気持ちを抑えて絞り出した俺の間の抜けた声に満足そうに頷くと椎名は部屋の隅にある椅子に座った。 アレが所定の位置なのだろうか?
ベットに再び横になり、 この世界の俺(菊池)について考えを巡らせる。
先ほどの会話の流れで恐らく昔からこの体は存在した事は予想が出来る、ならば何らかの方法で体ごとこの世界に来た可能性はほぼゼロだ。 だとすると菊池という人間が魔物に襲われた時に魂が喰われて空っぽの体に俺の魂が入ったと考えるのが自然ではないだろうか。 その時点で悪霊やアンデットの類となって魔物化しそうなものだがよほど体の相性が良かったのだろうな、俺は自我があるし体も異常が無い。
とにかく帰ろうにも帰れない。 少なくともこれからはこの世界で生きていくのは決定事項であり”キクチリュウヤ”という新しい名前を早く受け入れていかなければならない。 恐らく俺の住んでいた場所とは常識や文化も違うんだろうが、とりあえず今は寝よう。
自分の中の疑問に終止符を打つと重い瞼を閉じて夢の世界へと旅立った。