02話『パラノイア』-6
紙は一枚一枚に分かれたものの、そんなに散ることなく近くにぱさぱさと落ちた。
「椅子に座った人が事件・事故に巻き込まれた日、貴女と厨房の彼は毎回出勤していた。でも、椅子に座ったのに何も起こらないときは『どちらかが欠けていた』。これに悩んだわ」
でもね。
先輩は言い、バルバラさんのそばに寄って黒い布を引っぺがす。
中はきちんと服を着ていて少しだけほっとした。布を巻いてるということは中が裸体のこともあるらしいから。
でも、その手には長いナイフが握られている。
「厨房の彼って体格良いじゃない? 格闘技もやってたらしいし。怒りっぽいけど、殴るまではしない人だと周りでは評判だった」
そういえば、僕を押しはしたけど殴りつけてはきてないな。
「貴女は全く怒りもせずに優しい。明るくて非の打ちどころがなかった」
じゃあなんで悩んだんだ?
「最初、彼と付き合ってたのよね? でも他の女子従業員が彼を横取り。何故かその子の浮気の噂が流れたところにうまい具合にバズビーズチェアが匿名で送られてきた。その椅子に彼がその子を座らせたら、その数時間後に通り魔にあったそうよ。貴女は友人でもあったらしく悲しみ、何度もお見舞いに行ってるわね。その最初の被害者に話を聞けたの」
バルバラさんはびくっと体を震わせた。
「でも、一瞬のことだったからあまり覚えてないらしいの。彼女は小柄だったわ。彼ならナイフなんて使わずに体を折ることもできるくらい」
先輩はなおも続ける。
「椅子を彼が送ったのならネジくらいは考えるわね。歴史専攻らしいから。まあ、だいたい貴女はあの椅子が偽物ってどこかで露見すると分かってたのではないかしら? そのために周到に彼の気性も利用して、自分はどこまでも聖女のようにふるまうことで彼を犯人にしたかった。車でのひき逃げが多いのもそうね。恐らく車が特定されたら、彼のものだって分かるはず」
「さっきから聞いてると、全く悩んでないよね、リースちゃん」
「そうね。一つだけ悩みたかったのよ」
先輩はバルバラさんから数歩離れる。僕の手を持った。
少し、震えてる?
「あまりにもくだらない理由だったから。人を傷付け、元カレを犯人にして人生潰すにはあまりにも」
「あんたに何が分かるのよッ!!」
一気に先輩との間を詰め、バルバラさんはナイフを突き出した。
「馬鹿ね」
先輩は地面を足で蹴り上げる。先輩の前に金属のようにも見える板が浮かんだ。
その板を先輩はバルバラさんの前に押し出し、彼女がひるんだすきに板をさらに蹴りだす。
ナイフを取り落とした瞬間を逃さず、先輩は彼女の腕を後ろでひねりあげた。
残念ながら、ここまで僕は何もしていない。
「用意周到なのね。まるで分かっていたみたい」
「当然よ。犯人を呼び寄せるのに何の用意もしないなんてことあるわけないじゃない。何も考えていない彼ならともかく」
壁に彼女を押し付け、先輩は体勢を整える。強く腕をひねったのかバルバラさんから小さな声が漏れた。
「危険はある程度承知していたけれど。彼が泣きついているのにわざわざ人気のない路地に移動すると思う? ある程度対策しているに決まっているでしょう。貴女は短絡的に攻撃してこないで逃げ帰れば痛い思いせずに済んだかもしれないのに」
バルバラさんはすっかり大人しくなってしまった。
うなだれて壁にもたれる。先輩は手を緩めはしない。
「被害者はみんな貴女の気に入らない人ばかり。バイト代を払いたくないと言い出す店主でもなさそうだったからあの雑誌も貴女が記事をでっちあげて載せてもらったんでしょう。でもどうしてこの子を狙ったの? それだけが納得いかないわ」
先輩は僕を見た。
それを狙ってたんじゃないのか?
「店主が犯人なら、確かに仕事ができない『うーくん』を狙うと思った。犯人ではないと確信してからは彼が狙われるはずがないと思ったわ。でも、なんだか引っかかった。厨房の彼がこの子に怒ってたのは何か裏でもあったのではないかって」
「貴女を泣かせたかったって言えばいい? 本当はこんなところじゃなく彼の家で襲いたかったの。でも、彼の家を突き止めようとしたらリースちゃんってば一晩中連れまわすから困っちゃった」
家を突き止める?
なんて恐ろしい計画だ。
バルバラさんの乾いた笑いが壁に反響し、先輩は苦笑する。
「そう。そういうことなのね」
「どういうことなんですか、先輩」
さっぱり分からない。だいたいなんで狙われたんだ。
「私のシフトが今日無かったのは彼女から聞いたのよ。そして、初日に彼女が貴方のことが気になるって厨房の彼にずっと言っていたみたいね。厨房の彼は元カノとはいえバルバラが貴方のことばっかり言うのが気に入らなかったみたい」
「え? バルバラさん僕のこと?」
「馬鹿!」
先輩にまた怒られる。
「言葉通り取らないで。彼女は貴方を彼が攻撃するように仕掛けた。そして、私の手出しできないところで貴方を椅子に座らせていつも通り処刑すれば、私が悲しむと思ったのよ」
「はい、わかりません! 先輩は僕が怪我しても笑うだけだと思います」
「人のことどんな目で見てるのよ……」
先輩の呆れたような目が僕を一瞥する。間違ってはないと思うんだけど。
バルバラさんは舌打ちをした。
「貴女ってどっちの状態でもむかつくのね。結局うーくんとラブラブしたいだけじゃない。私はこんなに苦しんでいるのに」
「残念ね。人の苦しみが分かるほど私には感受性は備わっていないの。ただ、バズビーズチェアをくだらないイベントに利用したこと、私の唯一無二の執事を狙ったこと、あと、貴女がたいして仕事が出来なかったことが気に入らないだけよ。まあ、警察にでも行きましょう。そこでお話すればいいわ、悲劇のバルバラさん」
「偉そうに。貴女何者よ」
憎々しげに呟くバルバラさんに先輩は笑いかける。まあ、後ろにいるからバルバラさんにはその笑顔は見えてないと思うけど。
「私? 私はリース。リース・リアーネ。誇り高き女王の国の貴族よ」
先輩はそのまま彼女を連れて歩いて行き、僕は落ちているナイフを拾って後を追った。
その後すぐに入った警察署で真っ先に拘束されたのはナイフをむき出しに持って二人を追いかけてた僕だけど。