02話『パラノイア』-2
次々人が死ぬとかいう危ないものに座れだなんてどういう冗談だ。
「そう。オーナーは不出来なバイトでもバイト代を払わないといけないことに立腹して、この椅子をバイトに次々座らせていってるそうなのよ。座らせられたバイトはその後、必ず事故や事件に巻き込まれたりしているわ」
「嫌ですよ、そんなの! 何考えてるんですか!!」
先輩は表情を全く変えずにふーんと呟いた。
「人間の幽霊が怖くないなら、人間の呪いなんてのも全然怖くないでしょ? 誇り高き狼種族のオオカミくん」
いやいや、先輩は何を言ってるんだ。
全員死んでるんじゃないのか?
「とにかく、我が国の呪いの椅子がこんなところのパブで処刑に使われてるのも不満だし、それ以上に無実のバイトが危険にさらされてるのも黙っておけないわね」
「僕はどうなんですか!」
先輩はうーんと唸り、考え込む姿勢を見せた。
「胡散臭いのよ。バズビーさんの椅子がどうしてこんなところにあると思う? 何の関係が? それに処刑に使ってる割に堂々としすぎてない?」
「とにかくお断りします」
胡散臭いネタは自分で調べてほしい。嫌々ながらでも図書館にこもってレポートしている方がマシだ。
先輩はうつむき小さくため息をつく。前にも見た気がするその表情に僕は一瞬戸惑った。
眉を少し下げ、かげりを見せる先輩は、僕から顔をそらし呟く。
「件の椅子はもう誰も傷付けないようにって博物館が宙づりで展示しているのよ。なのにそれが偽物で、このパブにあるものが本物だなんて。悲しいのよ。椅子に罪はないのに」
「あーはい。分かりました、分かりました。このパブの椅子が偽物ってことですよね。その偽物だということを僕が体を以て証明し、この椅子にも博物館の椅子にも罪はないって分かればいいんですよね」
意味が分からない。
僕自身が言ってることも、先輩が言うことも、そして使えないバイトを処刑しているパブのオーナーも。
強引に進められたり、情に流されたり。そういうつもりでいるけれど、本当は僕自身が理不尽なことを嫌っているだけかもしれない。
どういう理由があっても、人知の及ばない力のせいにして誰かを傷付けようとするということが。
僕の言葉にとたんに表情を元に戻した先輩は、さっさと話しを進めだす。
ああもう、またか!
前にも見た表情、これは僕を自分の意図する方向に進めようとするときの顔だ。
「じゃあ早速バイトに応募しましょう」
レポートはもう絶望的だな。
先輩の満面の笑みと僕の落ち込む気持ちの対比があまりにもひどすぎる。
僕はもう冷え切ってしまったドーナツを口に押し込み、ため息と一緒に飲み込んだ。
*****
「そのアクセサリーはなんとかならんのか」
イベントで忙しいらしく、ちょうど連休時だけバイトを募集していた『淀みの底』に僕と先輩は面接に来た。
「だぁってぇー、宗教改革記念日のイベントでしょー? そして私と彼が付き合って一年目の記念日でもあるの。私と彼でラブラブバイトしながら記念日をお祝いしたいの。彼のこのアクセサリーは私があげたのだから外してほしくなくてー」
は?
先輩は僕の肩に寄りかかり、僕の尻尾を撫でる。背中から寒気がしたが、ぐっとこらえて大人しくした。
面接は店内入ってすぐのテーブル席。横を向くとカウンターがあり話題の椅子はそこに置かれている。
「このお店のウリってぇー、従業員が仮装して接客するって聞いたのにぃ。うーくんはオオカミで私は魔女が良いなって」
うーくんって誰だよ。本名に何一つかすってもないぞ。
「しかも数日っぽっちも認めらんないって。全然ダメ。頭カタイ。うーくん、帰ろっ」
椅子から立って僕の手を引く。帰っていいなら喜んでそうするけど。
「ちょっと待て。今回はバイトの募集がないからな……仕方がない」
オーナーはしぶしぶ僕と先輩に採用を告げ、明後日から来るようにと伝えた。
「……なんなんですか、うーくんって。大体何が一年目の記念日ですか。一年前の僕は先輩なんて知らずに必死で受験勉強してましたよ!」
店を出て軽やかに歩く先輩の後ろから僕が放つ文句に、先輩は振り返る。
「何言ってるのよ。貴方だけじゃ心配だから私も一緒に勤労してあげようとしているのよ」
「先輩が出来るなら先輩だけでやってくださいよ、もー」
「私がやったら出来損ないで座らせられるなんてことにならないでしょ? だいたい貴方はオオカミだから大丈夫でしょうけど私は人間だから」
いやいや、だから狼でも怖いし、呪いとかに種族関係ないよ!?
「でもやっぱり呪いの椅子がみんな怖いんですね。バイトの応募がないなんて。結構良い給料なのに」
ふと通りの向こうを見ると、新装開店のケーキ屋が派手な看板を掲げていた。
学生バイト、正社員を大量募集しているらしく、面接もやっているようだ。
「あそこも連休から始めるんですね」
「そうよ」
そうよ?
そうね、だろ。
貼り紙を見ると、募集要項の時給は淀みの底より高かった。
「こっちの方がいいなぁ」
僕の呟きに先輩は「短期じゃなくなるわよ」と返してきた。
「バイトとなる予定の子たちの安全確保よ。もちろん長期で雇うつもりだし、これから営業は続けるつもりよ」
「へ?」
先輩は「結構お金かかったんだから」とへらっと笑った。
この照れ隠しにも見える緩い笑顔は嫌いじゃないな、なんて頭によぎる。
「なんでそんなにやろうとするんですか?」
「え? 何が?」
僕の問いに先輩は店を眺めながら返事をした。
「お金持ちかも知れないですけど、お店で稼げるかも知れないですけど。パブの犠牲者を増やさないためにお店を急遽作ったり、自らバイトしようとしたり。僕をからかうにはやりすぎだし、そこまでしてみんなを救おうとする理由が分かりません」
「理由、いる?」
先輩は振り返る。
夕焼けに金の髪が照らされて光を振りまいているようにも見えた。先輩の動きに一瞬遅れてなびく輝きは、僕の時間をほんのわずかに止めた。
「貴方は何かをしようと思った時にいちいちその理由を自分に問いただしているというの? 思った時に行動しないと手遅れにならない? 理由を考えるより、先に行動して自分の心の欲求に従った方が明確に理解できるものじゃない?」
矢継ぎ早に質問をしてくる。
先に質問したのは僕なんだけど、それよりも先輩の質問の方に頭を悩ませてしまった。
「とにかく私は、自己満足と言われようが暇つぶしと言われようが、これからも思い立ったら即行動の精神でいくから。責任を放棄するつもりもないわ。最善の手は行動を起こしてからでも考える余地が必ず存在するはずよ」
ふふっと笑い、先輩は僕に手を差し伸べた。
「その従者に貴方を選んだのだから。拒否権はないけれど、私に苦言を呈する権利は差し上げるわ。うーくん」
「そのうーくんもやめてください! 僕の名前は……」
「オオカミくん」
「もういいです!」
差し伸べられた手を取らずに僕は進む。
先輩は手を伸ばしたまま口をとがらせていた。