01話『ガスライティング』-2
「…………」
中は雑然としていた。
すぐに入ることが出来たように窓は枠だけだ。長い間降り込んだであろう雨が、窓のすぐそばまで敷かれているカーペットを黒く変色させていた。
確かに何か出てもおかしくなさそうな雰囲気がしている。暗く沈む奥の棚、鳥の糞がそこらに落ち、こびりついている。
なんとも言い難い臭い。
「……!?」
音が聞こえた。
帽子を取ってきたことを今更後悔する。聞こえにくくしている方がマシだったんじゃないか。
廊下を歩く音が微かに。本当に耳を澄まして聞こえるくらい。
僕はとにかく気にしないように先輩のネックレスを探した。
窓枠そばに落ちている写真の通りのネックレスを見つけた。ついでに同じ場所に散らばっている指輪や宝石なんかもポケットに突っ込む。
別に盗もうと思っているわけじゃなく、返そうと思っているだけだ。
全てを回収した時、小さく木の扉が開く音がした。目を凝らして部屋の入り口の扉を見ても動いていない。
「……三階の十字架」
外はまだ明るい。日暮れまで時間は十分にある。それなのに部屋全体がさっきより暗く感じ、いよいよ恐怖が僕の中に分かりやすく芽生えた。
今度は部屋を歩く音がして、僕はもう限界だった。
窓に手をかける。そのまま真下の三階に降り立った。
「十字架……」
誰にも見せられないような顔をしていたと思う。耳はすっかり寝て、尻尾も力なく垂れている。そして、音を聞いたときに立った鳥肌はまだ収まりそうにない。
ただ、動くことが出来ただけでも立派だと褒めてあげたい。
「こんなところ、もう二度と来るか。あの先輩見つけたら今後は即逃げてやる」
怖さを紛らわせるためにわざと声に出して呟き、僕は十字架を探した。
三階は四階と違い綺麗だった。
雨に打たれていた窓枠そばにはカーペットはなく、鳥の糞もない。
埃は多少あるものの、今でも住めそうな雰囲気だ。
十字架は壁にかかっていた。
触れようと手を伸ばす。
上で聞いたよりも大きな音がした。廊下を歩き、扉が開く。
その時、僕は決して気付きたくなかった事実に気付いてしまった。
「四階のあんな微かな音、人間に聞こえるはずがない」
僕の聴力はきちんと狼族のものを受け継いでいる。
『とても耳が良い』だ。
その僕の耳に微かに届いたような音が、人間の耳に届くはずはない。
そう、ここで聞こえるくらいの音じゃないと。
僕の十字架に伸ばした手の先にひやりとした空気の塊が触れた気がした。
次の瞬間、僕はそのまま窓から飛び降りていた。
「お疲れさま」
気が付いた僕の顔を覗き込む先輩の顔。
長い金の髪が重力のまま顔の横を垂れている。ということは、僕は寝ているのか。
「どうだった?」
「どうだったもこうだったもないですよ! 四階で先輩のいう音を聞いたから三階に行ったらそこが本場じゃないですか!!」
「ちょっと、起きるなら起きるって言いなさい!」
起き上がった僕に驚いたのか、先輩は後ずさる。
「なんで嘘を教えたんですか!」
「そっか」
先輩はにやにやして僕の顔を見ている。
この笑顔がとてつもなく不快だと僕は彼女と会った時から思ってるようだ。
「あそこは貴方の言う通り、三階が出るスポットよ。ただ十字架の部屋じゃなく隣の部屋ね。危害も何もないんだけど」
先輩は唖然とする僕を横目に続ける。
「勝手に入りこむ自称幽霊ハンターが後を絶たないから四階をスポットにしたのよ」
「嘘の情報を作ったってことですか? しかもその嘘で僕もだましたということですか?」
少しだけ語気を強めて先輩に言うが、先輩は僕の言葉に全く反応を示さなかった。
「適当に怖がって、何も出ないならそれはそれで帰るでしょ? もしも噂通り幽霊が歩く音が聞こえた気になったら、対策だと言われている通り何も出ない三階の十字架の部屋で祈って帰るでしょ? 幽霊は安心なわけよ」
あそこは私の所有物だから。
先輩は笑い、僕の膨れたポケットから拾って来たものを掴み上げる。
「これは本当よ。厳密に言うと私の物ではないのだけれど。カラスに盗まれたって被害届を受けて回収しなきゃって思ってたの。他のも取って来てくれるなんて優秀ね」
この人はどこまで僕を中途半端な情報でだますつもりなんだ。
深いため息が出た。
「貴方は騙されなかった。怯えていたのはとっくに分かっていたけど。その心に呑まれることなく、つかみどころのない情報にも囚われず、冷静に四階には霊現象がないと分析できた。三階のことは、まあ、貴方の耳が良すぎたから隣の部屋の音をそのまま聞いてしまったのね」
僕は返事ができない。
腹立ちはもうない。呆れももうない。
ただ、十字架の部屋での冷たい空気を思い出していた。
あれは、ただの勘違いなのか?
「とにかくお疲れさま。合格よ」
「え?」
「これから貴方を私の専属の執事にして色々付き合ってもらうわね」
「執事!? 先輩、何言って……」
「私はリース・リアーネ。誇り高き女王の国の貴族よ」
ふふっと不敵に笑う先輩は、心底『執事ごっこ』を僕に求めているようだった。