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不本意な婚約の末路(周囲の積極的な後押しで婚約者になってしまった少女と、心底彼女を愛している婚約者の男の話)

不本意な婚約をしてしまったセリーヌは、話が進む中で自分の生き方を模索する。シモンはそんなセリーヌの心をどうにか解きほぐしてやりたいが、どうすれば良いのか悩む。

キーワードは、婚約、すれ違い、戸惑い。ほんのり甘酸っぱい初恋の話のようなもの。

 ああ、こんなに美しい青空が見えているというのに、今はそれが何処か憎らしい。

 季節は春。

 温かな日差しが降り注ぐテラスでセリーヌは恨めしそうに空を見上げた。

 人払いのされたテラスでセリーヌの行動を諌める人間は居ない。いや、厳密には一人居るけれど、セリーヌに対してだけはどこまでも甘い彼がセリーヌを叱責することは無かった。

 ああ、空が恨めしい。

 テラスのガラス越しにじっと空を見上げていると、対面に座るシモンが手元のソーサーにティーカップを戻し、不思議そうにセリーヌを見つめた。

 視線が絡み合った瞬間、その目に浮かぶ好奇心を滲ませたからかいの眼差しにセリーヌははっと背筋を正す。

 こんなにも見つめられていたら、居たたまれない。例え相手が幼い頃から共に育った幼馴染であっても。


「どうかした?」

「いえ、空が綺麗だなと思いまして、思わず見惚れていましたの」

「ああ、そう言えば常になく透き通るような青空だね」


 先程のセリーヌと同じように今気が付いたと言わんばかりに空を見上げる婚約者を前にして、セリーヌはそっとため息を吐いた。

 セリーヌの婚約者、シモン・アーデルハイトは、シュバルツ王国の宰相子息であり王家に近しい血脈を持つ侯爵家の嫡男だ。

 対するセリーヌは王家の心臓とも呼ばれる近衛騎士団の団長を代々務めているオレリス伯爵家の令嬢である。

 家柄の釣り合いが取れていないにも関わらず二人が婚約に至ったのは一重に、この婚約に関して積極的にシモンの父であるアーデルハイト侯爵が後押しした事が大きい。


 幼い頃からの友人であり幼馴染みでもあるシモンは、昔からセリーヌに対して優しい心遣いで接してくれていた。

 とても紳士的で常に柔らかな春を思わせる空気を纏うシモンの隣は酷く心地よかったのだ。

 けれどそれはあくまでも友人として、幼馴染みとしてのもの。決して婚約などという大それた希望は端から持ち合わせていなかった。


 それでも同年代の子達には無いシモンの冷静で知的な落ち着いたその雰囲気は、常に側に居たセリーヌにも多大なる影響を与えていた。

 その結果、我が儘で狡猾な――一般的な貴族の令嬢であればある程、己の欲望に忠実な――世間の欲に塗れた同年代の少女達とは比肩することも無いほど掛け離れた深層の令嬢。侯爵子息たるシモンと並び立っても遜色無いほどの、知的で落ち着いた美しい淑女へと成長していった。


 全く持って良い影響ばかりを相互に与え続けていたセリーヌとシモンは、とても相性が良かったのだろう。まるで対のようにぴったりだと、二人を見て囁く大人達にセリーヌはいつも内心でため息を押し殺していた。

 何が対だ等と、呆れ果てていたのだ。

 確かに二人は仲も良く、思考も似ている。だから同じような行動を取ることは自然で、それが何故「まるで小さな恋人同士ね」などと含み笑いで揶揄やゆされなければならないのか。


 シモンはそんな噂を耳にしても、ただ微笑んでその話題を黙殺するから更に噂が助長するのだ。

 セリーヌ自身、シモンに対して不満はない。

 あるとすれば些か距離が近いということ位でとても好ましい性格をしていたし、セリーヌにとって一番の親友を挙げるならば先ず真っ先にシモンの名を挙げるだろう。


 でもそれは恋ではない。

 家族や友人に向ける最上の親愛だ。

 まだ初恋もしていないのにそのような噂が立ってしまったことで、すっかりと同年代の子達から距離を置かれてしまった。

 お陰で同性の友人からはからかわれ、或いはその仲を揶揄されて、友人達が一時の恋に花を咲かせる様子をただ黙って見ていることしか出来なかった。


 だって父であるヨアン伯爵ですら二人を積極的に近付かせ、あわよくば恋人同士にならないかと事あるごとに二人をくっつけようとするのだ。

 セリーヌの心中を察してくれる人など一人もいなかった。

 けれどそんな中でもセリーヌがシモンを責めることが無かったのは、シモン自身になんら落ち度が無かったためだろう。

 シモンはいつだってセリーヌの感情を慮って常にセリーヌの望みが叶うよう手助けしてくれていた。そんな優しい人に詰め寄ることなど大馬鹿者の所業でしかない。


 されどもセリーヌは、ただシモンと親友という関係でいたかった。友人の枠に留まった、親しい友として。

 ただそれだけだったのに。

 もう一度深くため息を吐いたセリーヌは憂鬱な感情を押し殺してゆっくりとティーカップを傾けた。





 私の婚約者、セリーヌ・ヨアン伯爵令嬢が物憂げに紅茶を飲むのを眺めながら、私もまた紅茶で満たされたカップに口を付けた。

 鼻を抜ける芳香なアッサムティーの味わいは、心を落ち着かせてくれる。

 だが目の前に座るセリーヌには、その効果も薄いのだろう。未だ晴れぬ霧の如く、セリーヌの表情は曇ったまま。その心中を探るためタイミングを見計らってシモンは口を開いた。


「所でセリーヌ、今度の婚約パーティーの事だけれど」

「…ええ、何かしら。シモン」


 さっと顔を強張らせたセリーヌは、私の目をちらりと見つめ、そっとカップに視線を落とした。

 まるでそれが、自身にとって不味い話題であるかのような苦味を感じる表情を浮かべる。

 ここまでくれば分かるように、セリーヌは私との婚約パーティーに、不快感を抱いている。というよりもこの婚約自体、あまり好意的には受け止めていないのだろう。

 それも致し方無いと思う。セリーヌはこれで、貴族の令嬢達にありがちな恋の話に花を咲かせることもなく、また惚れた腫れたという恋愛そのものすらも忌避してきた珍しい少女なのだから。


 淡雪のような白い肌に桜色の唇、淡いブルーグレーの柔らかな髪は緩く結い上げられ、美しい水色のドレスは繊細な刺繍が施され、襟元や袖口にレースが付いている。

 セリーヌが選ぶドレスは、甘い砂糖菓子のような、と形容詞が付くドレスはあまり好んでおらず、専ら繊細な刺繍が施されたドレスや華美な装飾を避けたドレスを着装している。女性らしい装いが嫌いというわけではないようだけれど、大ぶりの宝石が連なるペンダントよりも小ぶりのものを用い、ドレスも必要最低限のものを装飾品やボタンを変えて手直ししつつ大切に着用しているようだ。

 それは何もセリーヌの生家がドレスを新調する資金が無いという事では無く、一着一着のドレスを大切に着ていきたいという思いが故のことらしい。


「お母上と相談したんだが、婚約パーティーは小規模にしようと思っているんだ」

「まあ、そうなの。その、アーデルハイト侯爵様はそれで良いと仰っておられるの?」

「勿論。父上は二人の好きなようにしたら良いと全面的に快諾しているからね。セリーヌはそれで良いかな?」

「ええ。大勢でのパーティーは緊張してしまいますもの。私もお手伝いする事があれば仰って下さいませね」


 小さく微笑んだセリーヌは再びティーカップに視線を落とし、目を伏せた。

 正式に私達の婚約が決まってからセリーヌは沈痛な表情を浮かべる事が多くなった。その憂いを払ってやりたいとは思うけれど、そうなればこの婚約を破棄するしか道は無くなってしまう。

 それだけは、どうしても嫌だった。ああ、分かっている。これが私の一人相撲である事くらい。セリーヌが私を友人として好いてくれている事くらい、私にも分かっているのだ。

 でも、それでも、私は幼い頃からずっとセリーヌの事を愛している。


「セリーヌ、今日の予定なんだけど、」


 何も知らない振りを決め込む事が段々辛くなっている。

 一度、きちんと話をするべきなのかもしれない。


 沈痛な表情を浮かべるセリーヌを見つめ、私はそう思った。



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