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契約的結婚に至るまで(モテる恋人と冴えない少女、謀略の為に少女に結婚を迫る男の話) 男視点 1

 ルードヴィッヒ・アルメニア、二十六歳。

 アルメニア公爵子息にして次期アルメニア公爵。

 些か冷たい印象を受けるアッシュブルーの瞳と艶やかな漆黒の髪を切り揃えた白皙の美貌を持つアルメニア公爵子息は、謎めいた魅力と公爵子息として申し分の無い能力を有した合理主義として広く名を知られていた。

 貴族の令嬢達は私生活を一切公表せず、親しい一握りの貴族以外には一切笑みを浮かべることが無いというアルメニア公爵子息。

 人を寄せ付けない空気を放つアルメニア公爵子息を密かに〝氷の貴公子〟と呼び、『その氷の如き冷たい瞳を私が蕩けさせてみせる!』等とより一層熱を上げる令嬢が後を経たない程に年頃の令嬢から未亡人に至るまで多くの女性達から人気を博していた。


 そのアルメニア公爵子息が先日突如としてフェロー伯爵令嬢と婚約を交わし急ぎ足で結婚したことで、社交界に激震が走った。

 何故、アルメニア公爵子息とは釣り合いの取れない家柄であるフェロー伯爵令嬢がアルメニア公爵子息を絡めとるに至ったのか。社交界では多くの噂が飛び交っていたが、そのどれもが推測の域を出る事は無かった。それは一重に、アルメニア公爵家とフェロー伯爵家が今回の縁談について何一つ口を割らなかった事が大きい。

 だが社交界での交友関係を照らし合わせてみると、その縁談が表に出るまで少なくともアルメニア公爵子息とフェロー伯爵令嬢は決して色好い関係ではなかった事が分かる。寧ろ接点が見出だせない程に遠い存在だったのだ。実際、二人がそれまで恋仲にあったという話は一つも無かったのだから。

 然しながらアルメニア公爵家とフェロー伯爵家に近しい人々から漸く手に入れた話では、この縁談の背景にはアルメニア公爵子息の熱烈なアプローチがあったのだという。


 当時フェロー伯爵令嬢には長年交際している恋人が居たという噂がある。これに関しては恋人と噂されていたサルサティ伯爵子息も明言は避けているものの、交際について否定はしていない。

 しかしフェロー伯爵令嬢は恋多き子息として知られる恋人と別れを告げた後、アルメニア公爵子息の熱烈な求婚を受け入れたらしく、一部の貴族の間ではアルメニア公爵子息がフェロー伯爵令嬢に惚れ込んだ結果、当時の恋人から略奪した結婚であるらしい等と噂するものも少なくない。

 当のアルメニア公爵子息は現在、シーズン社交界を終え溺愛する新妻と共に長閑なアルメニア公爵領で静かに新婚生活を過ごしている。


 ―――というのが一般的な世間での見方である。


 ルードヴィッヒは客室で眠る彼女の寝室をノックして入室する執事を横目にダイニングルームに向かった。この屋敷はアルメニア公爵領にある屋敷ではない。シーズン社交界を終えた今、殆どの貴族は各々の領地に帰っているが、王都で事業を展開しているルードヴィッヒにとって両親が隠居しているアルメニア公爵領に向かうよりも王都に留まっている方が何かと都合が良い。

 何より、低俗なゴシップ記者達が向かうのは恐らくアルメニア公爵領付近だろう。勿論王都の屋敷も監視対象の一つではあるが、派手な動きをしなければゴシップ記者に話題を提供することも無くなる。

 もう暫く経てば、適当に王都から遠い領地に新婚旅行へ向かっているという噂話を流せば、ゴシップ記者を更に遠ざける事にもなるだろう。

 アルメニア公爵領から届いた両親の帰省を促す手紙を握り潰し、ルードヴィッヒはダイニングテーブルに付いた。


 早いもので、カトリーナと結婚して一月が経った。カトリーナは本格的にこの屋敷の女主人として采配を振るう為、日々屋敷の中で様々な勉学に励んでいる。

 元々カトリーナを選んだのはその勤勉さと貴族の令嬢としては飛び抜けた頭脳を活かし、このアルメニア公爵家を陰日向から支える主柱となって欲しいという打算的な考えからの結婚であった。勿論それにはカトリーナの承諾があったからこそ成立し得たものだけれど、カトリーナが私に求めた事は一つも無く、ただ名誉と地位だけは守って欲しいと頑なに念押しされた事が唯一のカトリーナの願いだった。

 無論、私がこれを否定する謂れは無い。

 カトリーナは実に実直で真っ直ぐな人間性を持った、たおやかな女性であった。

 彼女は貴族にありがちな選民意識も、自身の地位に甘え、傲慢に権力を用いて使用人達を虐げることも無かった。


 使用人達は口を揃えて彼女をこう評している。

 『貴族の中の貴族。貴婦人たる自覚と徹底した丁寧な振る舞いは、人の心を解きほぐす力を持っている』と。

 カトリーナ自身は自分の容姿が如何に平凡であるのかを痛感し、極力華やかな装いを避けて清楚な落ち着いた装いを好んでいる。年若い令嬢達が求める流行のドレスも宝飾品も彼女にはすべて同じに見えているのだろう。


 カトリーナは、実際とても魅力的な女性だ。

 周囲の人間は彼女の容姿とぱっと見た地味な印象によって彼女を避け、或いは遠ざけているが、そのような事実は問題にすらならない。

 彼女の魅力は内面にこそ現れている。

 周囲に流される事なく時に進言し、人の意見にもきちんと耳を傾けて時に改める事の出来る素直さと柔軟性。誰もが避けて通る地味な事務作業でも手を抜く事なく丁寧に処理し、問題があれば即座に処理する事の出来る応用力。

 どんな仕事をやらせても完璧に、それでいて傍目からは簡単そうに手早く仕事を終わらせる事の出来るカトリーナは、実に有能だった。

 カトリーナさえ良ければ直ぐにでもアルメニア公爵家の一部門を任せたいと考える程には、カトリーナの手腕は見事で素晴らしかった。


 ハウスメイドが入れた紅茶を優雅にゆったりと飲んでいると、数分の後にダイニングルームにカトリーナが姿を現した。

 ゆったりとした簡素なドレスは目にも優しいクリーム色で統一され、緩やかに編んだストロベリーブロンドの髪を自然に背中に流している。


「お待たせ致しまして、申し訳ございません。ルードヴィッヒ」


 淡い笑みを携えたカトリーナは私の対面に座り、ハウスメイドが運んできた温かなパンを手に取った。同じように運ばれてくる朝食に手を付けつつ、静かに朝食を堪能する。

 カトリーナと私は結婚に際し幾つかの契約を交わした。

 その一つには今回の、『極力一緒に朝食を摂るようにすること』と定めたものもある。

 私は基本的に朝食以降はアルメニア公爵家の仕事や個人的な事業の執務に当たる事が殆どで、執務の処理速度や問題が起こった際の適切な処理などの為に必然的に食事の時間帯が不規則になる。

 私自身は別段問題ではないものの、妻であるカトリーナとは昼食も夕食も一緒に摂ることは難しくなるという事から、お互いの意見を擦り合わせた上で朝食だけはどうしても時間帯が合わない事態が起こった場合を除き、同じテーブルに着いて朝食を摂るようにしているのだ。


 とはいえ朝食を摂っていても互いに何か話を振る訳でもなく、かといって険悪な雰囲気でもなく、お互いがお互いを尊重しつつマイペースに食事を楽しむという今のスタイルが確立しつつある。

 それはわざわざ夫婦だからとコミュニケーションを重んじる仲睦まじい両親とは違い、カトリーナは私に無用な話し相手を求めず、朝食を摂る 私の様子に気兼ねする事もなくごく自然とゆったりとした空気で朝食を摂っている。

 それはまるで、そう在るべくして育てられたといわんばかりに。

 余計な言葉を重ねて囀ずる貴族の令嬢が多い中、静かに食事を堪能する令嬢は貴重である。何より私自身の反応を何かしら求める事が無いというのは大きな美点だ。


 他人との共同生活に些か不満と緊張を持っていた私にとって、この何とも言えない落ち着いた空間に奇妙な温かさを感じている。それまで食事とは単なる栄養補給だと思っていたにも関わらず、今は驚くほどリラックスして食事を心底楽しむ事が出来ているのだ。本当にこれは劇的な変化といえた。

 食事は適当で良いとばかりオーダーしていた為、シェフのやる気を根こそぎ奪ってしまっていたようだが、この機会に食への関心を高め、少しずつ好みの食材等をオーダーしていった結果、これまでとは違う趣のソースや伝統食が出されるようになり、それもまた食事の楽しみの一つとなっている。

 思いの外、うちの屋敷のシェフはチャレンジ精神が旺盛であり、伝統に捕らわれない大胆さを秘めているようだ。

 これもカトリーナと結婚した事によってアルメニア公爵家のこれまでの慣習を改善した一つの事例なのかもしれない。


 ……いいや、アルメニア公爵家ではないか。

 私こそがカトリーナと接する事によってどんどん変容させられているというべきかもしれない。


「私は執務室に下がるが、用があれば執務室に来るように」

「分かりましたわ。何かお手伝いすることがあれば、また仰って下さいまし」

「ああ」


 あっさりとした返答に私はただ頷いた。

 カトリーナと共に過ごす穏やかな時間が少しずつ私にとってとても愛しい大切な時間になりつつある。

 勿論、カトリーナにとって私は単なる契約の上で結婚をした戸籍上の配偶者でしかない筈だ。私自身も当初は合理性でのみ判断した配偶者という点で、カトリーナを選んだのだから。

 カトリーナの恋人だという青年がカトリーナに詰め寄った、あの日の夜会を思い出す。青年はカトリーナが好みそうな優しげな風貌を持つ青年だったが、カトリーナは既に青年ときっぱりと別れたつもりでいるようだった。その潔さにはいっそ惚れ惚れする程の堂々たる振る舞いだった。

けれども青年は、カトリーナをまだ諦めたつもりは無いのだろう。そう感じさせる憎悪を滲ませた視線を私に向けていた。

 心底愛し合っていた恋人であった二人に何があったのかなど全て把握している。カトリーナの勘違いによって起こった悲劇だということも。だがその勘違いを私は正すつもりなどない。


 ―――私は、カトリーナを愛してしまったのだから。





「本日のご予定は如何なさいますか?」


 家令のアトランタが朝食を終えてパーラー(居間)に移動した私とカトリーナにふとそう聞いた。執事のヒューイはハウスメイドと共に静かに壁際に控えているが、直ぐに動けるように神経を張り巡らしている。

 カトリーナはちらりと私を見つめ、「執務でお手伝いする事があればそちらを優先させて頂きます」と貴婦人の鑑とも言うべき返答を返した。


「今日は特にするべき仕事は無い筈だ。そうだな、ヒューイ?」

「はい、旦那様」

「左様でございますか。それでは本日はごゆっくりお過ごしになられるということで宜しいですか?」


 家令のアトランタが物言いたげな視線を送ってくる。カトリーナに視線を戻すと、「ルードヴィッヒにお任せしますわ」と答え、居住まいを正した。


「カトリーナが良ければ今日は視察に行こうと思う。丁度新しい事業を始めたばかりだからな。客の入り込み具合や現場の改善点を見ておきたい」

「お供致しますわ」

「畏まりました。それでは直ぐに手配致しましょう。ヒューイ」


 家令のアトランタの呼び掛けに即座に答えたヒューイはルードヴィッヒを促し、カトリーナはハウスメイドの先導でそれぞれの私室へと向かった。


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