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契約的結婚に至るまで(モテる恋人と冴えない少女、謀略の為に少女に結婚を迫る男の話)

モテる恋人が居るカトリーナは、恋人が信頼を寄せてくれていない事に気付き、一方的な別れを告げる。

キーワード、勘違い、すれ違い、契約、結婚

 ―――私の恋人は、私以外の女性を愛している。

 最初は親友、その次は友達、知人、侍女、最後に妹。

 私なんて、彼にとってはその他大勢と同じ。平凡な結婚、平凡な恋愛関係なんて望めない彼と、いつまで付き合い続けるのだろう?

 私の名前は、カトリーナ・フェロー。フェロー伯爵の娘にして、アンデレ・サルサティ伯爵子息の恋人でもある。


 さて、ここで問題となる恋人である。マロンブラウンの髪を柔らかく靡かせた彼は、透き通る様な淡いブルーグリーンの瞳を持ち、上品な可愛らしい容姿をしている。女性的という雰囲気ではないが、常に物腰柔らかな彼は、理想的なフェミニストの紳士そのもので数多の女性達から思慕の念を向けられている。

 彼自身も、周囲から自身がどのように見られているかなど、とっくの昔に承知しているようだ。

 流石に、恋人が私の妹に懸想した時には、親密そうな様子から、もう別れ時かと思っていたけれど、結局数か月と経たずに二人は離れ、私は今も彼と付き合っている。

 貴族同士の恋愛など、然程重いものではない。いずれ家の為に決められた人と結婚するのだから。

 けれど私自身は、アンデレのご両親たるサルサティ伯爵家とは知己の仲であり、家格も釣り合うのだからいずれは添い遂げる事が出来るのかもしれないと淡い希望を抱いていた。

 無論、アンデレ自身が今後の事をどのように考えているかなど分からない。それでも私はこの温かくも虚しい時間に今暫く浸っていたかった。


「カトリーナ」

「アンデレ、どうしたの?」


 久方ぶりにフェロー伯爵家を訪ねて来た彼は、侍女の先導の元、 にこやかな微笑みを浮かべてカトリーナの対面席に座った。

 中庭に面した明るい日差しが降り注ぐテラスは、彼が「二人だけにして欲しい」と慌てて飛んで来た執事にお願いしたため、侍女が二人分のお茶を淹れて下がった今はひっそりと静まり返っている。

 幼い頃からの幼馴染であり、恋人でもある彼をフェロー伯爵家の執事を始め侍女や使用人は深い信頼を寄せている。そのため彼の願いを受けても何も言う事もなく、下がって行った。

 目の前に置かれた紅茶を飲んだ彼は、何処か憂いを帯びた眼差しでふっと息を吐いた。その艶やかさといったら、無垢なご令嬢であれば一目で恋に落ちる程だ。


「アンデレ、何かあったの?先触れも無く来るだなんて、あなたらしくも無い」

「ああ、すまない。少し急いでいたものだから、先触れを忘れていたよ」

「……そうなの」


 それにしては髪も乱れていないし、着ている服だって皺一つ見つからないけれど。

 そうした突っ込みは、紅茶と共に喉の奥に流し込んだ。口にしたって、良い事など何も無いのだから。


 今日はモスグリーンのフロックコートを纏い、中には同色のベストを着装している。袖口から覗くカフスボタンはシルバーのボタンホールに大粒のダイヤモンドがあしらわれ、襟元にはシルバーグレーのアスコットタイを締めている。

 対する私は、白いレースと小粒のパールで彩られた淡いブルーのドレスを身に纏っている。

 彼が来ると分かっていれば、侍女なりが気を遣ってそれなりの装いをするけれど、華美な装いを日々避けている私のドレスは質素で地味なものばかりだ。髪だって結わずに流している。

 だというのに彼は、女性に対して徹底的な紳士を心掛けているからか、こんな姿の私でも、「今日もとても美しいね」と賛辞を口にした。ほとほと嫌気が差すけれど、ここでムッとしていても始まらないので、いつもの如く「ありがとう」と受け流した。


 まあこれが、所謂彼と私の儀礼的な前置きである。

 彼はすっと背筋を伸ばして殊更真剣な表情で私を見つめた。


「所でカトリーナ。先日、私の家が主催したパーティーで、ガバナンス子爵子息とダンスをしていただろう?」

「ガバナンス子爵…ああ、グレーの瞳の方ね。それがどうかしたの?」

「彼から、その後何か言われてはいないかい?」

「ええ、何も無いわ。でもどうしたの、急に?」

「いや、何でも無いなら良いんだよ」

「そう」


 アンデレは、重要な時こそ口を閉ざし、内々に処理をしてしまう癖がある。それに慣れてしまったとはいえ、やはり私自身が相談し、話をする人間に値しないのだと感じて途方も無い虚脱感に襲われるのだ。

 だってアンデレと私は対等な存在等ではない。私自身はアンデレと対等で居たいと考えているけれど、アンデレ自身の振る舞いを鑑みれば私自身は、単なる近しい気安さをもって過ごせる相手というだけだ。


 それはアンデレ自身が私を一部分では疎んでいるとも言える。

 信用はされていても、信頼はされていないのだろう。


「邪魔をしたね。今日の所はこれで失礼するよ」

「ええ。お気をつけて」


 紅茶を一杯飲み干した後、アンデレは辞去の挨拶をして慌ただしく帰っていった。

 結局、今日は何の用だったのだろうと首を傾げてみるが、答えなど出ては来ない。

 少しだけ、奇妙な感覚に囚われながら私はアンデレが座っていた椅子を暫くの間眺めていた。





 そうして時が過ぎたある日の事。アンデレと私は常ならば共に馬車に乗って夜会へ行くのだけれど、今日ばかりは何故か珍しくも別々に同じ夜会へと出席し、そこで私はアンデレの本音を聞く事となる。


「レディ・フェローとは結婚しないのか、アンデレ。あれでもう良い年齢だろう?」


 そんな声が聞こえてきたのは、夜会が始まって間もなくの事だった。珍しい事は続くもので、彼は夜会では珍しく彼を慕う女性達ではなく男性の友人達の輪の中心に立っていた。


「良い年齢といっても、まだカトリーナは17歳だよ」

「でもお前はもう21歳だろう? サルサティ卿は何も言わないのか?」

「サルサティ卿はあれで頭が固い所があるから、まだ先なんじゃないのか? まあ、お前の取り巻き達と比べればレディ・フェローは地味だしなあ」

「そうそう。まあ大人しさは美徳だと思うけど派手さは無いし、愛嬌のある顔立ちではあるけど野暮ったいよなぁ」


 散々に扱き下ろす友人達に、アンデレは苦笑していた。

 その様子は何処か他人行儀なもので、積極的に否定をする様子は見受けられない。

 胸の奥に、冷たいものが流れていく。


「あれで可愛い所もあるんだけれどね」

「まあレディ・フェローと結婚するつもりがないなら、早めに別れとけよ。女の嫉妬は怖いからな」

「俺が見るにレディ・フェローは別れたからといって相手に何かする勇気なんて無いだろうけどな」


 下品な笑い声を上げる友人に、アンデレはただ一言「そうだね」と答えていた。


 居たたまれなくてその場を逃げ出したのは幸運だったのかもしれない。

 昔から、私はよく嘲られていた。地味だの野暮ったいだの、今ではもう耳タコでもある。

 一応は、私なりに流行のファッションを追い、それなりに身に付ける物や髪型等にも気を使っていたけれど、直ぐに入れ替わってしまう流行を追うのは中々骨が折れる。

 その為、大抵の夜会では今時の流行的なドレスではなく、クラシカルな伝統的な型のドレスに少し手を加えて体裁を整え、大抵の夜会ではそのようなドレスを身に纏っていた。


 多くの女性と関係を持つアンデレにとって私は、そこいらの女性達より劣る存在だということは分かっていた筈なのに。

 彼が私と別れたがっているだなんて思いもしなかった。

 いいえ、きっと思いたくなんて無かっただけだ。これまでもその兆候はあったのだから。


「私、アンデレに愛されてなんて無かったんだ。馬鹿だなあ、どうして気付かなかったんだろう?」


 涙が溢れて止まらない。焼けるように熱い滴が後から後から溢れていく。

 彼が女性に優しく微笑み、耳元で何事か囁く様子が浮かんでくる。


「ひぐっ……うっ」


 馬車に飛び乗って帰る途中、私はひっそりと泣き伏した。

 こんなにも切なくて苦しい思いを味わうのは初めてのことだった。





 それから一月。

 あれから、アンデレとは会っていない。先触れが来ても体調不良を理由に全てお断りし、見舞いの品は中身を見る事無くすべて返送している。部屋に籠りがちで塞ぎ込む私に、両親も何事か悟ったのだろう。

 久方ぶりに家族水入らずでディナーを食べた後、両親は私にその話題を切り出した。


「縁談、ですか?」

「ええ、お相手はアルメニア公爵子息よ。五日後にはお会いする事になっているから、貴女も準備なさい」

「分かりました」


 突然私の元へともたらされた縁談。

 それは先方から強く望まれた縁談でもあった。これまでお父様もお母様も、アンデレという恋人が居る私に縁談を持ってくる事など無かった。けれどもう両親は私とアンデレが正式に別れたのだと思ったのだろう。

 ここいらが、潮時なのかもしれない。

 私はアンデレに別れましょうという旨をしたためで手紙で送り、今までアンデレから手渡された贈り物すべてを封印した。

 アンデレからは、私の手紙に対する返事は終ぞ来る事もなく、私はそれが彼からの返事なのだと悟った。勿論それは悲しい事ではあったけれど、同時にほっとしている自分も居て、彼にとって私はそれだけの存在だったのだと改めて再確認させられた。


 ―――そうして、アルメニア公爵子息との面会日はあっという間にやって来た。


 アルメニア公爵家をお母様と訪問した私は、アルメニア公爵子息と夫人に挨拶をした後、お母様とアルメニア公爵夫人に見送られて二人だけでお茶を飲んだ。

 儀礼的な挨拶もそこそこに、アルメニア公爵子息は私にこう切り出した。


「お前が欲しい。何よりも、次期アルメニア公爵として」


 強いブルーの瞳が私を射抜く。その力強さに、私は笑った。理由なんて分からない。高位貴族であるアルメニア公爵子息が何をもって私を選んだのかなんて、知る由も無かった。そして彼は、説明すら省いて私に「妻となれ」と言うのだ。

 暖かく大きな手を差し伸べた彼の手に、私はそっと片手を滑らせた。


「そのお話、乗りますわ」


 私達の間に甘い空気感などない。彼自身も私を愛してなど居ないだろう。私を見つめる彼の眼差しは熱い。けれどもそこに愛だとか恋だとか、およそ甘ったるい熱は見えて来ない。

 けれどもそれは私とて同じこと。

 私はアンデレに別れを告げられる前に、こちらから別れを告げてやるのだ。

 醜い女の矜持と笑うならば笑えば良い。けれど私とて貴族の令嬢。誇り高い貴族の矜持は私自身も持ち合わせているのだ。


 ゆるりと、目の前の彼が笑う。アンデレとは全く違う、カリスマ性に溢れた、けれども冷徹で酷薄そうな眼差しは、今は静かにこの状況を楽しんでいるように見える。

 お互いの利害が一致している今、ただお互いの利益の為だけに私は彼と結婚という契約を交わした。

 自棄になったわけでも、次期アルメニア公爵を愛している訳でもない。お互いがそれを承知の上で私はその話に乗った。


 その三ヶ月後、私は正式にアルメニア公爵子息、ルードヴィッヒ・アルメニアと婚約を結んだ後、駆け足気味で結婚した。そうして今は、アルメニア公爵家の次期夫人としてルードヴィッヒの隣に並び立って居る。


 今夜の夜会は、伯爵以上の爵位を持つ高位貴族の集まりだった。当然そこには、フェロー伯爵家の子息であり、私の元恋人たるアンデレも出席していた。

 遠目から見たアンデレは以前よりも少しばかり線が細くなっていたけれど、憂いを帯びた眼差しは艶めいていて、多くの女性達が熱い視線を送っていた。


 その彼の視線が私とぴたりと合わさった。一瞬で表情を変える彼は、ふらふらと覚束ない足取りで私達の前に躍り出た。


「これはロード・サルサティ。良い夜ですね」

「……ロード・アルメニア。ええ、本当に良い夜です。この度のご結婚、お慶び申し上げます」

「ありがとう、ロード・サルサティ」


 二人の会話を邪魔せぬようひっそりとルードヴィッヒの隣に立つ私に、アンデレがチラチラと視線を送る。

 胸の奥にしまっていた感情が少しばかり溢れだして来るのを感じ、私はルードヴィッヒの腕に置いた手を強く握り締めた。ルードヴィッヒが心得たと言うように話を切り上げ、アンデレは少しばかり焦った様子で私を見つめた。


「ではこれで失礼する」


 ルードヴィッヒと同じく踵を返した私に、アンデレは声を抑えて叫んだ。


「お待ち下さい、レディ・アルメニア!」

「何か御用がおありでしたか?」


 僅かに半身だけ振り返ってそう問えば、アンデレは蒼白な表情で呻くように声を上げた。


「レディ・アルメニア。…いや、カトリーナ。何故、何故私と別れたい等と仰ったのですか? 私は、私はカトリーナと、貴女と別れることに同意していない。私を愛してくれていたのではないのですか?」


 衆目の的となっているにも関わらず、アンデレは言葉を重ねる。


「私は貴女を愛していました。生涯を添い遂げるに相応しい恋人だと、そう思っていたのに」

「…さようなら、ロード・サルサティ」


 ルードヴィッヒの腕に軽く手を乗せ、私は激情をぶつけてくる彼の前から静かに立ち去った。

 隣に並び立つルードヴィッヒは動じた様子もなく私をエスコートしてくれた。だから存分に今は悲しみに暮れる事が出来る。胸がずきずきと痛む。緩い涙腺が目を熱くさせるけど、視界の端に僅かに盛り上がった涙はそれ以上溢れる事なく視界を歪めた。

 ああ、やはり私は彼の事を愛していたのだ。ずっと、今日ここに至っても。

 けれどこの痛みも、もうすぐ消えて無くなる筈だ。彼はフェロー伯爵子息であり、私はもう既にルードヴィッヒの妻、次期アルメニア公爵夫人なのだから。

 彼の愕然とした表情がいつまでも瞼の裏に焼き付いていた。


カトリーナ・フェロー:フェロー伯爵家の令嬢。アンデレとは恋人同士だが、アンデレが友人達と話しているのを立ち聞きし、彼がカトリーナを愛していない、別れたがっている事に気付いて一方的に別れを告げ、両親から勧められた縁談でルードヴィッヒから次期アルメニア公爵として求婚(契約)され、それを受けてルードヴィッヒの妻となる。


(ネタバレ)

すべては壮大なカトリーナの勘違いであるが、カトリーナはまだ気付いていない。


アンデレ・サルサティ:サルサティ伯爵家の令息。カトリーナの恋人。


(ネタバレ)

カトリーナを心底愛しているが、カトリーナの周囲の女性達に協力を仰ぐために親密的な交流をしていたら、カトリーナに自身は別の女性を愛していると誤解され、一方的に別れを告げられた挙げ句、その隙にカトリーナを結婚という形で奪われてしまった哀れな青年。


ルードヴィッヒ・アルメニア:アルメニア公爵家の令息。カトリーナに契約結婚を迫った男。その理由と背景については定かではないが、カトリーナをどうしても自分の妻として引き入れたかった理由があるようだ。


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