転生した先で、暗殺家業を営む(猫被り少女と、腹黒強引貴族令息の攻防)TwitterSS 2-3
ノエルの先導で馬車に乗り込んだグラディウスは、腰を落ち着ける間もなく冷淡に指示を出した。
「グラディウス様、どちらに?」
「エンライ伯爵家の商会本部だ。乗り込むぞ」
「エンライ伯爵家当主に、ですか」
「ああ、そうだ。手抜かりのないようにな」
「畏まりました」
ノエルは御者台と箱を隔てた小窓を薄く開け、御者に指示を出す。エンライ伯爵家の商会までは、ここから馬車で向かっても半刻は掛かる筈だ。
馬車がゆっくりと動き出した。グラディウスは対面に座るノエルに幾つかの書類を用意させ、馬車に揺られながらそれらを読み込んでいく。そうして思い出すのは、先程まで直ぐ傍に居たユリアナのことだ。
怪我を負った、と聞かされてはいたが、まさか女性の柔肌に一筋の切り傷が滲んでいるなどと、許せることでは無かった。特にユリアナは、基本的に外で活動するよう義務付けられた女性だ。暗殺者としても、そして伯爵令嬢としても、人前に立つ以上は、常に人に見られても良い状態でなければならない。
奥歯がぎしりと嫌な音を立てる。実際、彼女は恐らく暗殺を止めることはないだろう。当然、今までは人目に触れない場所に怪我を負ったこともある筈だ。けれどもこれからは、それを止めなくてはならない。私が彼女を手に入れる以上、その体は常に安全な場所に身を置いて貰わなくてはならないのだから。
「グラディウス様、エンライ伯爵家からの返答はまだ頂けておりませんが、本当によろしいのですか?」
「…何か問題があると思うのか?」
冷たい眼差しでノエルを見れば、ノエルは慌てた様子で否定する。
「いいえ、そういう訳ではありませんが、ヴィッツ公爵家から正式に送った縁談の返答もまだ頂いてはいないのに、乗り込んでも構わないのかと思いまして。も、勿論、エンライ伯爵家も諸事情を鑑みて返答を渋っているのだろうとは思いますが」
「まあそうだろうな。だがエンライ伯爵はもしかするとこの機会を好機としてオレリス子爵の息子との縁談を進めてしまわないとも限らない。こちらも二の足を踏んでいる暇はない、ということだ」
「オレリス子爵令息、ラングレー様ですか。しかしエンライ伯爵家は彼の方とは正式に婚約を結んでいる訳ではありませんよね?」
「その通りだ。だが、今は婚約を結んでいないだけで、既に婚約者と変わらぬ振る舞いをしているのだ。現実としてラングレーとユリアナ嬢が婚姻関係を結ぶということは十分にあり得るだろう」
腹立たしい事ではあるが、口にしてみればやはりそれが現実的か。
「成る程。公式には既に婚約を済ませた事になっていたけれども諸事情でその手続きが遅れていたと、そう発表し、その後に婚姻を結ぶという事ですね」
「ああ、そうだ。大方、既に婚約と変わらぬ待遇をしていたのだから、問題はない筈だとごり押しでとんとん拍子に縁談が進むだろうな。周囲とて、それを反対する者はいまい」
「とんだ策略家ですね」
策略家だと?とんでもない。ある意味それ以上の存在だ。
感心した様子で呑気に頷くノエルを、グラディウスは一喝する。
「ただの策略家だと侮るな。道化役と策謀家、その両方をエンライ伯爵は持っているんだ。気を引き締めていなければ、あちらのいい様に話が進みかねない。お前も従者として恥じぬ働きをしろ」
「は、はい! かしこまりました!」
途端に気を引き締めて居住まいを正したノエルを横目に、グラディウスは馬車の外を眺めた。エンライ伯爵家の商会までは、もう目と鼻の先だった。
*
「ようそお越し下さいました。我がエンライ商会へ。主人は直ぐに参ります。恐れ入りますが、こちらで暫しお待ち下さい」
一礼して部屋を出た商会の副会長だという男は、実質この商会を取りまとめている長なのだろう。エンライ伯爵自身にも伯爵としての仕事があり、商会に掛かりきりでいられる筈もない。
何気なく出されたティーカップを持ち上げる。応接室らしきこの部屋の調度品といい、このティーカップといい、ヴィッツ公爵家の屋敷にも勝るとも劣らない最高級が集められている。しかもそれらが下品ではなく、あくまでも自然に品良く纏められているのだ。
エンライ伯爵家の商会は今や飛ぶ鳥を落とす勢いである、という噂は伊達ではないらしい。
「とても落ち着く空間ですね」
「ああ。貴族の商談向きの部屋だな」
洗練された内装、そしてそれに付随する人の心理を左右する―――例えば、無意識に威圧感を感じたり、心を暗くさせる効果などを持つ―――灯りの配置や明るすぎず暗すぎないよう調整された光量、何気なく配置された絵画などは、人の気を解きほぐし、無意識に人の内面をリラックスさせる効果を生んでいるのだろう。
自然に出来る事では無い。これは、緻密な計算をして自然にそうなるように作り上げられた空間だ。
「流石はエンライ伯爵家の商会だな」
「はい」
「これがいち従業員が成し遂げた事であれば、公爵家に欲しい所だが」
それは無いだろうな。やはりエンライ伯爵は油断ならない人物だと改めてその身に刻みながら、グラディウスは静かに待ち人の訪れを待った。
エンライ伯爵がやって来たのは、それから直ぐのことだった。
「お待たせして申し訳ない。お久しぶりですね、ヴィッツ公爵令息グラディウス殿」
「お久しぶりです。エンライ伯爵。本日はお忙しい中お時間を取って頂き、感謝申し上げます」
「構いませんよ。どうぞお座り下さい。今、新しい紅茶を持って来させましょう」
エンライ伯爵の合図で、商会の事務員がティーカップを下げ、ワゴンを押して新しい紅茶を注ぎ込む。
その間、エンライ伯爵は隙なくグラディウスを観察していた。実の所、今回の訪問にアポは取っていない。門前払いされる、という想像は一筋も無かった。恐らくエンライ伯爵は、此度の訪問の理由も既に承知の上の事だろうから。
そうでなくては王家の暗部など長年担える筈もない。
礼儀を欠いているという自覚はある。しかし今日ここにグラディウスが来た意味でさえ、エンライ伯爵はとっくに理解しているように思えた。
新しい紅茶に口を付けたグラディウスは、「さて」と口火を切ったエンライ伯爵に居住まいを正した。




