甘い恋なんて知らない(幸薄い女性と自ら望んで縛に付く男)3
彼との再会はそれから直ぐにやって来た。
というよりも、私が会いに行ったという言葉の方が正しいか。どうして会いに行ったのか、なんてとても簡単な事。ただ彼と話して見たかったからだ。
勿論、それがどれ程までに愚かな行為かなど分かりきった話である。けれども彼を知るには、会って話すしか恐らく手段が無いだろう。だから――と私は私自身の意思で危険を侵す。
「あら、雪梅は今日も外回り?」
「はい。紅花様、少しばかり行って参ります」
「貴女も大変ね。気を付けて」
「はい」
彼が収容されている宮は後宮の中でもどちらかと言えば外宮に近い場所にある。彼が貴人であることを考えると本来であれば衛士達の警備はかなり厳しい物となっている筈だけれど、何故か彼の周囲には不自然な程に警備は緩い物となっている。
―――もしかしたら彼を暗殺させる為に国の警備が緩いのではないか。
そう思ったのは、彼の素性を漸く突き止める事が出来た時だ。
彼の名は、李 瑛洛、この国の天子様の兄であり、元皇太子。そして数年前に現皇帝である天子様の父、即ち彼の父でもある前皇帝を弑虐した大罪人でもあるのだ。
彼が貴人であるとは思っていたけれど、それほど迄に地位の高い男性だとは私自身その時まで思いもよらなかった。けれども考えれば考える程、その待遇に納得する他無かった。彼が弑虐した前皇帝は、民からの評判こそ悪くは無かったけれど、後宮をどんどん大きくし、内政に目を向ける事無く後宮で一日中自身の貴妃達と堕落した遊びに興じていたという。
前皇帝は権力に溺れ汚職に走り、私腹を肥やす官吏達にとっては体の良い傀儡であり、何事もなければ間違いなく良き王として生きていけたのだろう。何せ国としては上手いこと回っていたのだ。少なくとも、数多の官吏達は己の本分に忠実だった。
けれどもそれも、国の財政を傾ける迄の事。国庫にまで手を伸ばしつつあった前皇帝は、官吏に全ての裁決を丸投げし、更なる遊びに興じようてしていた。それを許さなかったのが彼、瑛洛だ。
国が傾く前に汚名を被ってまで前皇帝を弑虐した彼は、正しく英雄と言っても良い。あくまでも表面上は、であるけれど。けれども彼は独断専行してこれを実行した。根回しなど何も無く、突然の凶報に官吏達は右往左往していたらしい。
それもその筈だろう。少なくとも前皇帝は民にとって悪い皇帝ではなかったのだから。本来根回しが済んでいれば彼は前皇帝を悪者とし、これを倒した英雄として華々しく新皇帝として即位していた事だろう。
けれども彼は、その胸の内を明かすことも無く、そしてまた民の心情に寄り添う事も無かった。
この為、私腹を肥やした官吏達はまだ何の罪も犯していない前皇帝を私怨によって弑虐した大罪人として、彼を逆賊と認定する。
当然、彼は皇太子を剥奪され、数多の私的な財産をも奪われた上に結果的に虜囚の身となって後宮の片隅に封じられた。
彼は、正義の味方等ではない。少なくとも、そんな綺麗事で実の父たる前皇帝を弑虐している筈が無い事など、無知な私にだって分かる事だ。
けれども彼は死刑に処される事も、元の生活に戻れる事もなく、ただ生涯をこの後宮の片隅で国に飼い殺されて生きていくしかない。それは永遠の責め苦を背負わされている事と同義だ。
それを哀れだと思いはすれども同情はしない。何故ならこれは彼が自ら選び取った現実なのだから。
下世話な興味と言われればそれまでの事。けれども私は、侍女としての役目としてではなく、私人として、一個人として彼と相対したかった。
それは無論、私のエゴに他なら無かったのだけど。
*
彼に会いに行ったからといって最初から上手く行く筈も無く。
何をするでもなく、ただ彼と距離を取って座り、ぽつぽつと話をするだけの関係は、知り合いですらない。身分だとか、そういった物以前に、彼は私の事を知らなかったし、私も彼の事を知らなかった。
半ばストーカーと化してしまった私と何度目かの邂逅を果たした彼はうんざりした様子でため息を吐いた。
「またお前か。もうここには来るなと言ったはずだが、お前には考える頭というものが無いのか?」
「申し訳ありません」
「まあそんな事はどうでも良い。―――お前は何者だ? 何故、後宮等に居る?」
涼しげな相貌を冷ややかに煌めかせた瑛洛は人目を忍んでこっそりとやって来た私を見るなり冷笑を浮かべて嗤った。
「お前は暗殺者ではないのだろう?」
私は直ぐ様頷いた。彼は「だろうな、」と言ったきり口を閉ざしてしまう。
その様子を離れた場所で見つつ、私は追い返されなかった安心感でそうっといつもの定位置に座った。それに彼が眉を寄せるものの、何も言わないのであればそれは了承の意味だと勝手に捉えている。
彼と会う時にはすべての雑用を終えて、斥候の仕事を行っている次いでとして足を運んでいるのだ。これが中々大変で、斥候役であるのだから人目を避けて行動するよりも渦中に飛び込んだ方が情報は得やすい。けれどもどうしても重要な情報が欲しい場合には忍んでいかなければならないのだけれど、そういった時には芳貴妃様と敵対関係にある生家の斥候役とニアミスする時があり、お互いに少しでも有利な情報を得る為にあらゆる伝手を総動員して静かに隠密行動をせねばならず、これがまあまた骨が折れるのだ。
けれどもこういった時間があるからこそ、こうして彼の元まで行けるのだから有難いのだけれど。
「菫 雪梅、二十二歳。芳夫人の侍女にして斥候。後ろ暗い事にも手を染めている、だったか」
「どうして、私の事を……」
「馬鹿か、貴様は? 敵の情報を収集するのは当たり前の行為だろう」
「それも、そうですね」
「全く分からない人間だな、そなたは。少しも警戒してはいないというのに、用心深さは郡を抜いて強い。何故侍女等をしているのか分からぬ人間だ」
「それしか、私に道は無かっただけの事です」
「……まあ、お前の事などどうでも良いか」
成程、彼にとってはやはり私は胡散臭い敵でしかないという事なのだ。
別に、それが悲しいという訳じゃない。だって私達は別に何の関係も無い人間なのだから。
「もうここには来るな。これが最後の警告だ」
そう言って、さっさと腰を上げて去っていく背中を見つめる。彼と居ると私が見るのはいつも背中ばかりだ。本来であれば言葉を交わす事すら出来ない人なのだから、こうして多少距離があっても叩頭せずに見送れる場所があるだけで感謝せねばならない事だ。
彼は天性のカリスマ性を持った人。だからこそ、彼に惹かれずにはいられないのだ。
別に彼が私に何かしてくれた訳でも、私自身が何かした訳でも無い。
「でもせめて、こうして少しだけでも話せる位置に居させて欲しい」
好きっていう言葉は簡単に言える筈なのに、愛しているというと嘘臭く感じてしまう。けれども私は彼がどんな人でも構わないから、ただ側に居たい。
ただ、それだけ。
恐らく私はこの時、彼と会う時間を縫う為に不審な行動をしている事に本当は気付いて居なかったのだろう。
だから愚かにも私は気付かなかった。彼以外の人間が私の事をどう見ているかなど。
芳貴妃様に毒を盛った暗殺犯として私が投獄されたのは、それから三日後の事だった。




