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甘い恋なんて知らない(幸薄い女性と自ら望んで縛に付く男)

見合いを断るためにホテルから飛び出した麻里絵は、森の中に落ちていた。

主人公が不憫、暗め、ヒーローは人嫌い(異世界トリップ要素有り)

雪梅シュエメイ、芳貴妃様のお手元にこれを。お父上からの献上品のようですから、確実にお渡しなさい」

「畏まりました」


 宮女を束ねる女官、鈴麗リンユーから手渡された重厚な飴色の箱をそっと絹の手布に包み直し、恭しく額前で掲げてしずしずと回廊を進む。

 歩く度にふわふわと揺れる両腕から垂らした柔らかな被帛がゆるりと風 にたなびいた。色鮮やかな朱色の欄干と古代の中国めいた出で立ちの宮女達がそこここで入れ替わり立ち替わり忙しなく歩いていく。

 それらはこの世界が私の住んでいた日本ではないこと、況してや私の知る世界の何処でも無いことを示しているのだ。


 私の名前は安芸麻里絵、二十二歳独身。これといった特徴の無い黒髪と黒目を持つ十人並みの容姿と、可もなく不可もない偏差値の学校を卒業した学歴をを有する、まあ端的に言えばどこにでもいる地味で平凡な女の一人だった。そう、『だった』だ。

 そんな私が何故、こんな状況に至っているのかというと、それにはまず、私の身の上話を聞いて欲しい。





 私は地元の高校を卒業して直ぐに両親の猛反対を押し切って親元を離れて就職し、実家から遠く離れた都市で念願の一人暮らしを始めた。

 一年の内に少しでも長い休暇があると実家の母から折に触れて矢の催促を受け、帰省を促されること二年。三年目の今年、逃げ道を塞ぐように会社経由で受け取った伝言を元に渋々実家へ帰省をすると、スーツケースを引いた私を待ち受けていたのは両親が勝手に決めてきたお見合いだった。


「女はね、早く良い人と結婚して、若い内に子どもを産むのが一番幸せなのよ」


 母はいつもそれこそが正しい真実のように膝を付き合わせて麻里絵に言い聞かせる。

 柔和な笑みを常に浮かべ、父の背中から一歩、二歩下がった場所で頑固で昔堅気な父の横暴を止める事無くただひらすらに空気のように父に付き従い、父が去ると私と膝を付き合わせて懇々と諭す母の姿は、思春期を迎える頃にはいっそ哀れでもあった。

 母はもうずっと、六十年も時を遡ったかのような時代錯誤な価値観と考え方の中で二十一世紀の現代には最早絶滅危惧種にもなっている、良妻賢母という鏡を追い続けている。

 何がそこまで母をこんなにも歪めたのかは分からない。

 けれども私は、そんな狭く矮小な価値観の中でなど生きたくは無かった。


 ああ、本当に何が幸せなものか。

 自由に恋愛して、最終的に結婚に至ったとしても、子どもを持つのは夫婦が決めることだ。若い内に子どもを産む事こそが女の幸せだと語る母の陶然とした表情も、それをただ当然のように受け止めている父と周囲の人々に私はほとほと嫌気がさしていた。

 私の生まれた町は、平成の大合併に際し近隣の村々と合併した山奥に位置する農業と林業が主幹産業でもある田舎町だった。高校を卒業して直ぐに嫁入りする子も珍しくない、時代遅れの町。

そんな町にも思い出はあった。勿論、良いことも含めて苦々しい嫌な思い出もあったけれど、それらはすべて今の私を形成する記憶群だ。


 まあそんな事よりも今は駅だ、駅。

 実家の母に無理やり押し付けられたベージュに近いライトピンクのフォーマルスーツをその身に纏い、肩で風を切ってせかせかと足を動かす。


「お見合いだなんて、誰がするもんですか!」


 私は見合いはしないとあれ程言ったのに、騙し討ちのように見合い会場に連れてこられたのは十数分前のこと。

 幸いにも相手方は到着が遅れているらしく、母がトイレに立っている隙に見合い会場である町で唯一の寂れたホテルを抜け出し、小さなハンドバッグに入れた貴重品だけを持って私は駅へと向かっていた。


 足元のピンヒールがぐらぐらと頼りなく、歩く度にぐにゃりと曲がる感覚がして中々歩く速度が上がらない。

 これだからピンヒールは嫌いなのよ。細っこいヒールが折れないか不安になってしまう。

 さて、実家に置いてある荷物はこの際諦めるとして、自宅へ帰ったら携帯電話を変えなければいけない。それも直ぐに、速攻で。取り敢えず手持ちの携帯電話は後で着信拒否設定をしておかないと。

 そうそう、念のために住民票もブロックして、また引っ越しもしないといけないなもしれない。

 ああもう本当に、急がないと。


「なんでタイトスカートってこんなに歩きにくいのよっ」


 スカートの裾が体の線に沿った形のタイトスカートは、歩幅を制限し、大股で素早く歩く事なんて出来ない。だから小さな歩幅でせかせかと足を動かすしかないのだ。

 ああ、漸く駅が見えてきた。

 駅が遠目にも視認できる距離まで来た時、正面から向かってきた一台の車が私の側で勢いよく停車した。


「麻里絵!」


 停車した車から大声を上げて降りてきたのは、ここには居ない筈の母本人だった。

 どうやら私が居なくなったとみるや急いでホテルから飛び出してきたらしい。運転席に座っているのは見慣れない女性だから、彼女がこのお見合いをセッティングした仲人なのだろうか。


 逃げなきゃと踵を返した瞬間、ここまで酷使していたピンヒールが折れ曲がり、その勢いで足が縺れて私は派手に転んでしまう。まるでスローモーションのように母が駆け寄ってくる姿と自分の体がゆっくりと傾いていくのが分かる。

 ああ、アスファルトに叩き付けられるのは痛いだろうなと何処か頭の片隅で冷静にそう思った次の瞬間、私は右肩から地面に叩きつけられていた。


「痛っい、」


 地面に叩き付けられた衝撃でずきんと痛む体をゆっくりと起こす。地面に付けた手がざらっとしてーー。


「えっ?」


 見るとそこは、アスファルトではなかった。視界も若干薄暗く、どう見た所で先ほどまでいた景色とは全く異なっている。


「どういう事なの…?」


 剥き出しの地面は整地されていないのか所々ぼこぼこと隆起していて、回りにぐるりと立つ木の幹は森の木々の如く太く長い。一見しただけでもそこには人の気配も近代的な建物もなくまるで、ではなくここが本当に森の中なのかもしれない。

 でも森の中ってどこ? 確かに私私の故郷には森が沢山あったけれど、何処と無く雰囲気が違う気がするのは気のせいだろうか。

 まさか別の世界に飛ぶだとか、そんな夢物語ではないのだろうし…って万が一にも有り得ないわよそんな事! 第一私は平々凡々な一般人なんだから。

 ……もしかしたらさっきのは記憶で、母に森の中に置き去りにされたのかな? そうだとするならば、これは犯罪だ。誘拐未遂だ。そもそも親子間で誘拐が成立するかは分からないけど、こんな森の奥深くに放置したのだ。客観的にみればこれは悪意の遺棄に該当するのだろうから、訴えれば接近禁止令がとれるかもしれない。


 頭ではそう考えていながらも、体は止まっていたようだ。 

 呆然と、ただ回りを見渡す事しか出来なかった私は、少し動いた瞬間、足を擦りむいたのか、ぴりっとした痛みを覚えて我に返った。見ると膝下から血が滲み、足元にあったピンヒールは見事なまでに折れていた。時代遅れの肩パッドが機能したのか、右肩はそれほど痛くは無く、強かに打ち付けた肘がじんじんと痛む位のものか。

絶対、返ったら訴えてやる!と萎えそうな心を奮起させる。そしてそのまま絶縁コースだ! それにしても深い森だな。一体どんな奥まで連れて来られたのやら。

 途方に暮れ挫けそうになる心を叱咤して立ち上がり、私はゆっくりと歩き出した。


 どれ位歩いたのか。

 遠くの方に川のせせらぎを聞きながら緩やかに上昇している道を上へ上へと登って行く。

 恐らくは森の中といってもそこは田舎。山奥に位置する筈だから、一旦山頂を目指して登り、そこから遊歩道なり登山道を使って下りていくのは、遭難した際の基本中の基本である。

 ただ、若干薄暗いせいで足元が覚つかず、その歩みは遅々として進んではいない。もしかするとここで一晩夜を明かさなければならないのかもしれない。それだけは勘弁願いたいものだ。

 必死に歩いて登って行くと、時折休んで体力を温存しつつまた登る。

 ピンヒールを脱ぎ捨てて、裸足で歩く――実際にはストッキングを穿いているけれど、殆ど裸足のようなものだ――人の足では全く進まない。焦りだけが生まれていく。


「何なのよ、ここは!」


 怒りのままにそう叫んだ瞬間、後方にあった藪ががさがさと揺れて、思わず悲鳴を飲み込んだ瞬間、にゅっと深い年輪を刻む老婆の顔が現れた。


「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊?!」


 すっとんきょうな声で咄嗟にそう叫ぶと老婆は訝しそうな顔をして藪を掻き分けて出てきた。

 あっ、ちゃんと足がある。草を踏むさくさくという音も聞こえた。ということはこの老婆は本当に人間なの?! いやいや、まだ山姥やまんばという可能性も捨てきれないけれど。

 私が老婆を観察していたように老婆も私を観察していたのか、じいっと見つめる老婆の視線とぶつかり思わず後退った。


「お前さん、こんな森で何をしとるか?ここは神聖な蓬山ほうざんぞ。まさかお主、野盗などではなかろうな?」


 老婆の全身は薄汚れた黒く長い服…ローブのような上着に包まれ、髪は伸ばしたい放題であちこち跳ねている。その姿はさながら絵本に出てくる魔女そのものだった。まあ、本物の魔女のように鷲鼻でもなく、鉤爪のように爪が伸びている訳でも無いけれど。

 ただ、老婆特有の嗄れ声と妙に格式張った物言いだとか、老婆にしては背筋がぴんと伸びている様子は不思議でならなかった。

 ともかく、老婆が人間ならば話は早い。ここは山道を知っていそうな老婆に助けて貰う他あるまい。


「や、やとう ?ほうざん…? ごめんなさい。私にはよく分かりませんけど、この森を抜けたいんです。怪しい者ではありませんから、どうか助けて頂けませんか?」

「おお恐ろしい。そのような事を言うて、わたしを殺す気であろう? 最近の野盗は知恵付いているものじゃ。くわばらくわばら」

「あの、そのやとうって何ですか? 私、こう見えても都心で働くOLオフィスレディなんです。身分証明書は今手元にありませんけど、怪しい者じゃないですから!」

「野盗も知らぬとな? おふぃす…なんちゃらと申したか、お主、やりおるのぅ。話を逸らして知恵比べとは。よし、吾がお主の知恵比べに勝って成敗してくれる!」

「ちょっ、ちょっと待って下さいお婆さん。だからその、やとうっていうのを教えて下さいよ!」


 ざんばら髪を揺らして私に迫る老婆にドン引きしつつ大きな声を上げてしまった。今や老婆に向けるのは、親しみではなく得体の知れない恐怖。話が通じないというのは恐ろしい。そして老婆の唐突な行動に心の底から引いていた。

 けれど何となくであるけれど老婆の発音から、やとうというの政治的なあれではなく、もっとこう犯罪者に向けるような物だということは分かった。


「野盗とは、そも盗賊よ。ならず者が行き着く果て。女子供が慰み物となっても仕方の無い場所よ」

「とっ、盗賊!? 違います、本当に私は盗賊なんかじゃありません。というより、本当に盗賊ならこんな格好で森の中になんて入りませんよ!」

「ふむ…言われてみれば野盗にしては身綺麗に過ぎるか。何とまあ裸足でよくも歩いておるの。ではお前さん、野盗の野営地から逃げてきた女子おなごかえ?」

「……すみませんけど、野盗から離れて頂けません?」


 肩を落としてげんなりする私が珍しかったのか、老婆があひゃひゃと笑い声を上げた。その笑い声がまた何とも言えず不気味だ。

 老婆は何か得心がいったのか、「仕方ない。奇妙なえにしじゃがお主を助けてやろうよ」と踵を返した。


「蓬山に残りたくなくば着いて来るが良い。ここから抜けるのは暫く時間が掛かるだろうからのう」

「ありがとうございます、お婆さん!」

「お婆さんかえ、あひゃひゃ。吾の事はおばばで良いぞ、おふぃすよ」

「おばばさん、私の名前はおふぃすではなく、麻理絵です。安芸 麻理絵(あき まりえ)

「ほう、お前さんうじ持ちかえ。あきとはどのような字を書くのかえ?」

「安いの安にげいと書いて安芸、麻にことわりに絵と書いて、麻理絵です」

「そうかえ。麻理絵のう、あまり耳慣れぬ名じゃ」

「そうなのですか?」

「まあ良い。ここを抜ければ里は直ぐじゃ。さくさく歩くのじゃぞ」

「…はい」


 すたすたと前を歩いていく老婆、じゃないお婆さんの足は速い。お婆さんはこう見えて健脚らしい。森の中をさくさく進んでいくお婆さんの背中が今はとても頼もしく見える。

 危機感が薄れていた訳ではない。けれども私は森の中で出会ったお婆さんを既に信頼しきっていた。この出会いがまさか私の運命を決める事になるだなんて、この時の私には知る由も無かった。





 里に下りて暫く歩くと、お婆さんは町の中へ向かうべく歩いて行った。不思議な事に町の明かりは少なく、光量も随分と抑えられている。というよりも、ひと昔前のあばら家の如き家々が頼りなく建っているのが不思議でならない。町中を過ぎると今度は光量の多い密集した裕福そうな家々が見えてくる。

 頭の中で警鐘が鳴り響いた。ここは、私の知る町とは随分と違う。まるで、まるでそう、三国志だとか清朝時代を描いた読み物のように何処か中国めいた作りだ。

 私が倒れた時には確かにまだ日本だった筈だ。あの一瞬で日本から中国へ渡るのは不可能に近い。なのに、その筈なのに、どうしてこうも古い中国を思わせる作りをしているのか。

 そしてまた本当に中国なのであれば私は何故、お婆さんの言葉を理解することが出来るのか。

 疑問は泡のように浮かんでは消え、不安の芽がどんどん大きくなっていく。

 怖い、怖い、怖い。


「麻理絵よ、ここが吾の家じゃ。ん? 何じゃお主泣いておるのか。まあ蓬山に居ったのじゃ、泣いて当然じゃの。あそこに行くのは仙になりたいとかいう奇特な連中か、野盗のように秩序なき者達くらいだからじゃからのう」


 泣いている私をどう思ったのか、お婆さんはそんな勘違いと共に家に招いてくれた。怖い、というのはそういう意味ではないのだけれど、一度沸き上がった生理的な不安は中々消えてはくれない。だって、考えだしたら怖い事ばかりなのだ。お婆さんとの会話でその無意識の恐怖は抑えられていたけれど、安心した今、ばあっとそれらが一気に噴き出していた。

 涙を拭う事無く意気消沈とする私をどう思ったのか、お婆さんは私を部屋の椅子に座らせて湯を持ち、丁寧に足を拭ってくれる。その手つきはまるで貴人にするようなものだった。


「玉のような肌じゃ。労働を知らぬものの足じゃな。足の裏は柔らかく、傷一つない。この手もまあなんと滑らかなものよ。麻理絵は貴人の娘だったのじゃな。母と父はどこぞへ行ったのじゃ?」

「はぐれて、しまったんです。多分もう一生会う事は無いと思います」

「ほう」


 お婆さんの瞳がきらりと煌いた。けれども沈む私にはその意味が分かる事など無かった。少なくとも、この時は。


「ならば暫し邸に滞在するが良かろう。お主も傷を癒さねばならぬだろうからのう。あひゃひゃ」


 お婆さんがそう言って湯を取り換えてくれるのを見ながら、私はただ頷いた。



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