再会
ひさしぶりにバスに乗った。車が壊れたからだ。
奥の席の窓側が空いていたので、すわった。
長い間ぼんやりと景色を見ていると、いつの間にかとなりに女性がすわった。
私よりおそらく年上の女性。髪に白いものが混じっている。
右の目が一重瞼で、左の目が二重瞼。その特徴のある顔立ちに
見覚えがある。麻美さん。初恋の女性―――。心臓の鼓動
が早くなる。横目でその女性をもう一度観察する。
黒目がちの目やしゃくれた顎にやはり見覚えがある―――。
疲れているらしく、その女性は何度もあくびをかみ殺した。
中学のとき、私はバスで学校に行った。附属の中学に通っていたのだ。
通学のときに本を読むのが楽しみだった。SFやミステ
リーだ。ませていたので大人向きの本も読んでいた。
ある日バスの中で本を読んでいると、声をかけてきた女性がいた。
それが麻美さんだった。当時彼女は大学生で、バスで大学に通って
いたのだ。私と同じような本が好きだったので、自然と友達に
なった。朝、同じバス停からバスに乗っていたので一緒になる
ことが多かった。バスの中で、私たちは読んだ本のことについ
て、夢中になっておしゃべりした。時には夢中になりすぎで、
ほかの乗客にじろじろ眺められることもあった。
あるとき、朝、母と喧嘩をして家を飛び出した。
途中で雨が降り出し、すぐに土砂降りになった家に帰ることもできず
バス停で立ちつくしていると、「濡れたら、風邪をひくわよ」
と緑色の傘を、こちらへ差し出してくれる人がいた。麻美さ
んだった。いわゆる相合傘の中でバスを待つことになり、私の
胸は高鳴り始めた。麻美さんはいい匂いがした。黒い髪は流れ
るようでつややかだった。初めて麻美さんを女性として意識し
たのだ。
それから、私は麻美さんとお喋りするときに、どうしてもぎこ
ちなくなってしまった。顔がほてる。口ごもってしまうことも
あった。麻美さんは私の変化に気づかず、相変わらず目を輝か
せて、自分が読んだ本のことについて、話してくれた。
知り合って一年が経ち、麻美さんは大学を卒業して、都会で就職する
ことになった。最後に会ったときに、『長いお別れ』というレ
ーモンド・チャンドラーの本をプレゼントしてくれた。それは
私の宝物の一つで、本棚の片隅にいつも置いてあった――-。
物思いに耽っていると、肩のあたりに急に何かが触れた。それ
は麻美さんの頭だった。彼女はバスの中で居眠りを始めたのだ。
口をかすかにあけ、くうくうと可愛らしい寝息を立てている。
疲れているんだな、と私は思った。麻美さんも結婚して、家
庭を持っているだろうから、いろいろと苦労もあるだろう―――。
そんな思いがふと湧きあがってくる。麻美さんの首はがくん
と傾き、とうとうこちらの肩にもたれてしまった。ときどきは
っと目を覚まし、首を真っ直ぐに伸ばそうとしたが、すぐに元
の位置に戻ってしまう。
私は苦笑いしながら、麻美さんを少しでも休ませてあげようと
思った。やがて、第一高校前というバス停で、麻美さんははっ
と目を覚まし、立ち上がった。はずかしそうに、私にごめんな
さいといって、乗車口に歩いて行った。私のことに気づいた様
子はなかった。
バスが走り出した後、私はどういうわけか窓の外の麻美さんに
手を振った。彼女はそれに気づくことなく、うつむいて、とぼとぼと歩き出した。