生き延びる為に
次にジャンヌが目を覚ますと、見知らぬ天井が広がっていた。
「ここは……」
ジャンヌは自分の体に自由が戻っているのを確認して身を起こす。
薄暗く、埃の臭いが充満した部屋はベッド以外何もない、非常に手狭な部屋だった。
ここが何処だかわからないが、おそらくマリータたちが避難したという避難所だろう。
「……また、守れなかった」
ジャンヌはゆっくりと身を起こすと、両手で顔を覆って静かに泣き始めた。
憧れだった騎士にようやくなれた。だが、忠誠を誓った主は守れず、自分身を守る為に敵を前に民を盾にして逃げ出す事しか出来なかった。
圧倒的不利な状況で、退却を指示したライルの言葉が尤もだというのは十分理解している。だが、あの場で命を失おうとも、民の為に最後の時まで誇り高き騎士として敵に立ち向かいたかった。それに、あのような場面を切り抜けてこそ、真の英雄ではないのだろうか?
「……私、本当に英雄になれるのかな?」
ジャンヌはひとりごちながらベッドから這い出ると、重い足を引き摺るようにして部屋の出口を目指す。
立て付けが悪く、今にも壊れてしまいそうな木の扉を抜けると、
「あっ、ジャンヌ!」
「うわっ!?」
ジャンヌの顔を見つけたマリータに思いっきり抱き付かれ、驚きで目を見張る。
「大丈夫かい? ジャンヌったらここに来た時、まるで死んだみたいに動かなくて、あたし、気が気でなかったんだからね?」
「うん、心配かけてごめんね」
喜ぶマリータに、ジャンヌは笑顔で応える。
同時に、マリータの顔を見て大切な事を思い出した。
自分にはまだ守るべき大切な人がいるのだ。マリータを、ルシオを……ついでにミシェルがまだ生きているのに、こんなところで弱気になっていられるか。
こうなると、暫しの邂逅に浸っている場合ではなかった。
「ありがとう、マリータ。もう、大丈夫だから」
ジャンヌはマリータに心配してくれた礼を言って身を離すと、辺りを見渡す。
決して広いとはいえない部屋の中、敵から身を隠すように部屋の隅で固まる仲間から外れ、部屋に空いた穴から外の様子を伺うライルの姿があった。
ライルの姿を見た途端、ジャンヌの動悸が早くなる。
また意識を奪われるのではないかという恐怖から身が竦みそうになるが、ジャンヌは勇気を振り絞って深呼吸を一つすると、ライルの前へと進み出る。
「ライル、あの……」
「何だ? 騎士を愚弄するような人間とは口をきかないんじゃないのか?」
「そ、それは……ごめんなさい!」
ライルの前に出た時点で、ある程度の罵詈雑言を覚悟していたジャンヌは、一にも二にもライルに謝ろうと思っていた。
「でも、謝るのはこれでお終い。今はそれより大事な事がある。そうでしょ?」
腰を折り曲げた姿勢から勢いよく顔を上げると、ジャンヌは挑むようにライルを睨む。
ジャンヌの思わぬ反撃に、ライルは目を瞬かせるが、
「……フン、小娘が言うじゃないか」
口の端を上げて不適に笑うと「状況を確認するぞ」と口にした。
あれからライルたちは、気を失ったジャンヌを連れてこの避難所にやって来た。
そこには既に各地から情報を集めてきた仲間が揃っており、そこで得られた情報は、絶望的な内容だった。
一人の貴族の裏切りにより、オルブライト卿の裏切りを知った国王がここ、プラトーへと国王軍を派遣したという。明け方に到着した国王軍は、そのままラパス公爵の屋敷へ突撃、何も知らずにラパス公爵の屋敷で休んでいたオルブライト卿は、ラパス公爵、更には同盟の為に集まった貴族諸共、皆殺しにされてしまったという。
しかし、第一目標のオルブライト卿の抹殺任務を終えた国王軍はそこで撤退せず、街の四つの門を制圧すると、まだ眠りから冷め切らない街の人々を襲い始めたのだった。
その目的は二つ、今や民の希望の星とも呼べる存在となった聖女、ジャンヌ・ダルクの抹殺と、王への反逆行為を企てた者はこうなるという見せしめだという。
「まあ、一部の者は純粋に殺戮を楽しんでいる節もあるようだがな」
「楽しんでいるって……人を殺して何が楽しいのよ!?」
ジャンヌの悲痛な叫びに、部屋の隅で丸まっていた女性が「そういえば」と口を開く。
「黄金の鎧を着た騎士が、笑いながら狩りの時間とか言っているのを聞きました」
「狩り……」
その単語に引っ掛かりを覚えたジャンヌは、眉根を寄せるが、
「それで、肝心の敵の規模についてだが……」
ライルの言葉で現実に引き戻され、次の報告に耳を傾ける。
「今は先行してきた一部の敵が街の人間を殺して廻っているだけだが、南から本隊がやって来てこの街を包囲しようとしている。その数、千はくだらないだろうと報告があった」
「せ、千……」
圧倒的過ぎる数字を告げられ、ジャンヌは膝の力が抜けそうになる。
ジャンヌたちは総勢で百にも満たない。まともにぶつかればどうなるかなんて、考えるまでも無かった。
ラパス侯爵を警戒させない為、王に余計な詮索をさせない為に必要最小限の人員でやって来たことが完全に裏目に出た形だ。
「泣きそうな顔をするな。既に手は打ってある」
「そう、よかった……って、泣きそうな顔なんてしてないわよ!」
流れてきた涙を乱暴に拭いながらジャンヌが反論するが、全く説得力がなかった。
「そ、それで、一体どんな手を打ったというのよ?」
「ああ、敵が街を完全に包囲してしまったら、逃げ道はなくなるからな。故に敵を分散させる為、我らの退路を確保する為に連中には囮になってもらった」
「……………………え?」
「幸運な事に連中はジャンヌの容姿を知らないからな。容姿が似た人間を何人か見繕い、それに護衛を付けて各門へ向かわせた。上手くいけば、多少は時間を稼げるはずだ」
「え……あ……」
ライルの言葉を聞きながら、ジャンヌは目から涙が溢れてくるのを自覚した。
まただ。また、自分が守らなければならない人から守られてしまった。
囮役として選ばれた時点で殺されるのは必定。そんな命令を、非戦闘員である彼女たちは二つ返事で了承し、ジャンヌに革命の成功という未来を託して笑顔で死地へと向かって行ったという。
まだやり残した事がある。こんなところで死にたくない。
そういった感情を全て押し殺して死地へと向かった仲間たちの事を考えると、何も出来ない無力な自分が悔しくて、悲しくて、今すぐに消えてしまいたい気持ちになる。
涙を流しながら呆然と佇むジャンヌを見て、ライルが溜め息をついてかぶりを振る。
「やれやれ、言っておくが……」
「感傷に浸っている暇は無い、でしょ!」
ライルの言葉に、ジャンヌは挑むように食って掛かる。しかし、声は震え、目から涙が絶えず流れ、手足は生まれたての小鹿のように頼りなく揺れていた。
「今の状況がどうしようもなく絶望的だということを理解しているわ! この場を切り抜けるのに、誰の犠牲も出さないで全員無事にソルに帰れないことも十分わかってる。だからせめて私は……」
絶対に生き延びて見せる。
言葉にならない言葉で語るジャンヌの様子は、誰の目から見ても強がりであることは明白だったが、仲間の死に対して正面から向き合い、乗り越えていこうとする姿勢を、他人の為に涙を流せるジャンヌの純粋さを馬鹿にする者は、ここにはいない。
むしろ、そんなジャンヌだからこそ、仲間たちは自分の命を差し出す選択肢を取れたのだ。
「心配するな。我も連中に無駄に死んでもらっては困るからな。出来る限り生き延びる可能性の高い作戦を伝えた。運がよければ、生き延びる可能性は充分ある」
ライルは俯くジャンヌの頭に手を乗せると、乱暴に撫でた。
「……うん」
ライルの思わぬ優しさに、ジャンヌは更に溢れてきた涙を隠すようにライルの胸に顔を埋めると、そのまま泣き始めた。
狭い室内に、ジャンヌの泣き声だけが静かに響く。
だが、先程までの重い空気はなく、そこには確かな強い思いがあった。
「あ~、ダンナがジャンヌちゃんと抱き合ってる!?」
「「なっ!?」」
突然響いた空気を読まない発言に、ジャンヌとライルは慌てて身を離す。
声のした方を見やると、ミシェルが扉に寄りかかった姿勢でニヤニヤとこちらを見ていた。
「逃げる算段が整ったから呼びにきたけど……邪魔だったかな?」
「そんなわけないだろう。準備が出来たならとっとと行くぞ」
ライルは何事もなかったかのように言い捨てると、ミシェルにさっさと案内しろ、と謂わんばかりに足早に部屋から出て行った。




