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金色の悪魔

 外へ出ると、肌を刺すような寒さと、濃厚な土の香りが鼻孔を刺激する。

 日の出からそれほど時間が経っていない所為か辺りに人気はなく、風の音以外にこれといった物音がしないのが却って不気味だった。

 この街の何処かで、何かしらの事件が起きているとは夢にも思えなかった。

 ジャンヌは寒さに震える体を抱きながら、今後の予定をライルに質問しようとするが、


「――っ!」


 隣を見たジャンヌは、質問をするのを忘れて思わず息を飲んだ。

 ライルの顔は、まるで能面の様に一切の表情が消え、空虚に目の前を凝視している。何か考え事をしているようにも見えるし、現状に対し怒りに打ち震えているようにも見える。

 だが、その冷酷な眼差しに、ジャンヌは直感的に一つの想いを抱いた。

 戦争を無くす為に、国を一つ滅ぼし、多くの人を不幸にしたライルの過去の所業。目的の為ならば手段も犠牲も厭わない、冷酷無比な魔王と呼ばれた男のイメージと合致した。


 もしかして、この騒ぎを起こしたのは――


「……ううん」


 そんなことない。ジャンヌは脳裏によぎった悪い予感を振り払うように頭を振る。


「……先ほどから貴様は何をしている?」


 すると、直近で凝視され続けたことに気付いたライルが怪訝な表情でジャンヌに向き直る。


「あ、その……そうだ。こ、これから向かうのは、ラパス公爵の屋敷でいいんだよね?」

「無論だ。と言っても、行くだけ無駄かもしれんがな」

「そんな事無いよ。オルブライト様はきっと無事だって!」

「…………」


 ライルはそれに応えず、無人の街を早足で駆けるように進む。


「……もう」


 これ以上は何を言っても無駄だと感じたジャンヌは、無言でライルの後に続いた。


 それから二人は無言で町を歩き、万が一を考えて目抜き通りを避け、裏道を使って街の中心にあるラパス公爵の屋敷を目指した。


「……あれ、何だろ?」


 ラパス公爵の屋敷まであと少しというところで、ジャンヌが周囲の異変に気付く。

 人の慌てふためく声や、すすり泣くような声が聞こえてきたのだ。

 ジャンヌとライルは顔を見合わせると、声のする方へ一気に駆け出す。

 ラパス公爵の屋敷すぐ目の前の通りへ出ると、門前に人だかりが出来ていた。

 周囲に危険が無い事を確認しながら進み、門前まで辿り着いたが、人が多すぎて中の様子を伺う事が出来ない。


「……何があったんだろう?」

「わからないのなら、確認すればいい」


 ライルはそう言うと、人を押し退けて前へと進む。

 その余りにも乱暴な振るまいに顔をしかめる人もいたが、ライルは臆することなく前へと進み続ける。

 当然ながら、ジャンヌはライルと同じ様に行動できるはずも無く、何度も人にぶつかり、その度に平謝りしながら必死に前へ向けて進むしかなかった。


「すみません。ちょっと通してください。お願いします」


 何度目かの謝罪の後、ようやく人ごみの最前列に辿り着いたジャンヌは、


「な……な……」


 目の前に飛び込んできたものを見て、全身から血の気が引くのを感じた。


 門を抜けた先に広がるラパス公爵の庭園、その庭園の至る所に人の死体があった。

 一体、何人の人が殺されたのだろうか? 身なりを見る限り、殺されたのは昨日、ラパス公爵の夜会に呼ばれた貴族と、ここに務めていた者たちのように思われた。

 人々の死体の先には、木製の十字架が立てられており、そこに手足を切り落とされ、驚きの表情でこちらを見つめるオルブライト卿の変わり果てた姿があった。

 死体は殺されてからそれほど時間が経っていないのか、切り口からは今も血が滴り落ち、地面に赤黒い池を作り続けている。


「そ……んな。オル……ト……様…………」


 目の前に広がる凄惨な光景と、敷地内から漂う纏わりつくような血の臭いに、ジャンヌの視界は徐々にその色を失っていき、


「おい、しっかりしろ」


 その場で失神しそうになるジャンヌをライルが横から慌てて支える。

 忠誠を誓った主の余りにも醜悪過ぎる有様に、ジャンヌは堪らず目を背け、ライルにもたれかかるようにして質問する。


「どうして……どうしてなの?」

「わからん。ただ、ラパス公爵が裏切ったということだけはなさそうだ」


 どういうこと? と疑問符を浮かべるジャンヌに、ライルはラパス公爵の屋敷を指差す。

 ジャンヌが目を向けると、屋敷の二階、バルコニーの欄干部分に何かがぶら下がっていた。

 目を凝らし、それが何かを確認したジャンヌは、


「ヒッ!?」


 溜まらず目を背けた。

 かろうじてそれが人だとわかるのは、どうにか人の形を成しているからで、顔は原形がわからないほど変形し、首を吊られた所為か身長が不自然に伸び、血液が下腹部に溜まって、まるで今にもはち切れそうな水風船のようになった男の死体があった。


「顔が潰されているが間違いない。あれが、ラパス公爵だ」

「うっ……」


 ジャンヌは口元を押さえてライルから身を離すと、後ろに居た人々を突き飛ばすようにしてその場を離れる。

 人が少ないところまで逃げるように移動すると、壁に手をついて胃の中の物を戻した。しかし、今日は目が覚めてから何も口にしていないので、出てくるのは苦い胃酸だけだった。

 これが本当に人間のやる事だろうか?

 これほどの残虐行為を平気でやってのけるまだ見ぬ犯人の姿を想像し、ジャンヌは恐怖で身を震わせ、訳もわからず涙を流した。


「大丈夫か?」


 人目も憚らず涙を流すジャンヌを心配してか、ライルが神妙な顔で優しく声をかけてきた。


「何なのよ……一体、この街で何が起きているの?」

「正確な事はわからん。だが、この状況は予想以上にマズイかもしれん」


 ライルは珍しく焦った口調で呟くと、悔しげに親指の爪を噛んだ。


「…………」


 ジャンヌは口元を乱暴に拭いながら、少し冷静になって状況の分析を試みる。

 はっきり言って、状況は最悪を通り過ぎて、もはや何と表現してよいかわからない。

 守るべき主が殺され、その犯人と思われる第一候補であるラパス公爵もまた、何者かの手によって殺されていたのだ。

 こうなると、一体誰がこの惨劇を起こしたのだろうか?

 ライルの様子を見る限り、その犯人の検討はついていないように見えたが、どうしても先程のライルの顔が忘れられない。一度はそんなはずはないと結論付けたはずだが、どうしても胸の片隅に産まれた不安が拭いきれない。


「本当に……知らないの?」


 不意にジャンヌの口からそんな言葉が洩れた。


「……どういう意味だ?」


 ジャンヌの言葉にライルは不機嫌な表情を隠すことなく睨む。

 ナイフのように鋭い眼光に晒され、ジャンヌは思わず怯みかけるが、それでも歯を食いしばり、ライルに向き直る。


「言葉通りよ。本当はこの事件を起こした犯人を知っているんじゃないの?」

「それはつまり、我が誰かを扇動してオルブライト卿とラパス公爵を殺させた、とでも言いたいのか?」


 その質問に、ジャンヌはゆっくりと顎を引く。

 それを見てライルは、


「はぁ……」


 かぶりを振って、盛大に溜め息をついた。


「……もしかして、違った?」

「もしかしなくても、だ。大体、何の為にそんなことをするのだ? 我に何の得がある? 少し考えれば、その可能性の有無くらいどんな阿呆でも気付くと思うのだがな」

「え……あ、ご、ごめんなさい!」


 ライルからの苦言に、ジャンヌは平謝りするしかなかった。

 それから何度も謝罪するジャンヌを冷めた目で見つめていたライルが、


「いいか、貴様に一つ言っておくが……」


 口を開くのと同時に、


「きゃあああああああああああああああああああああああっ!」


 突然、絹を裂くような悲鳴が辺りに響き渡る。


「な、何!?」


 驚いたジャンヌが目を向けると、


「それそれ! 逃げ惑えよ。ウジ虫共!」


 馬に乗り、黄金の鎧を身に纏った騎士が、身の丈ほどもある槍を振るって逃げ惑う女性を串刺しにしているのが見えた。


「な……あの者は!?」


 騎士の姿を見て、ライルが愕然とする。


「ライル、知っているの?」

「その前に少し移動するぞ」


 ジャンヌの質問に、ライルは流れてきた汗を乱暴に拭うと、ジャンヌの手を引いて近くの路地へと身を隠す。

 路地を暫く進み、辺りに敵の気配がないのを確認した後、ライルは苦々しく口を開く。


「知っているも何も、あの黄金の鎧をまとった騎士は、この国の騎士の中でもエリート中のエリート。国王直属の部隊、アンペラールシュヴァリエの人間だ」

「な、何ですって!?」

「マズイな。まさか、奴等が動いているなんて……」


 そうこうしている間にも、遠くから黄金の騎士によって殺されている人達の断末魔の悲鳴がここまで響いてくる。

 男も女も、老人も子供も関係ない。

 黄金の騎士は、人を手に掛けることを純粋に楽しんでいるように思えた。


「こんなの……絶対に許せない!」

「待て! 何をするつもりだ」


 いきなり駆け出したジャンヌを、ライルが慌てて止めに入る。


「離して! 困っている人たちを助けないと!」

「なっ!? 貴様は馬鹿か?」

「ちょっと馬鹿ってどういう意味よ!」

「そのままの意味だ」


 騒ぎ、喚き散らしながら、今にも飛び出しそうなジャンヌをライルが諫めていると、


「あっ、いた! ダンナ、ジャンヌちゃん、無事でよかった」


 血相を変えたミシェルが行きも絶え絶えといった様子で駆け込んで来て、勢いそのままにジャンヌに抱きつこうとする。

 ミシェルの様子から、嫌な予感がしたジャンヌは、ライルの腕を強引に振り解き、間一髪のところでミシェルの魔の手から逃れる。


「……って、キャッ!? ミ、ミシェル、何をするつもりよ!」

「何って……感動の対面のつもりだけど?」


 ジャンヌに避けられた為、狭い路地の壁に盛大に自身の体を叩きつけた姿勢でミシェルがしれっと言ってのける。


「こ、こんな時まで一体何を考えているのよ!」


 ジャンヌから、まるで汚物を見るような目で睨まれても、ミシェルは臆することなく体についた埃を払うと、乱れた髪を整えながら笑う。


「いや、だってさ。ジャンヌちゃん、今にも飛び出しそうだったからさ」

「え?」

「駄目だろ? 気持ちはわかるけど、あんな所へ飛び出して、一体何をするつもりなのさ。まさか、あの人たちを助ける、なんて言わないよな?」

「そ、それの何処がいけないのよ」

「駄目だよ。ジャンヌちゃんに与えられた任務は、オルブライト様の救出だろ? その様子だとオルブライト様は既に殺されていた、ってとこだろ? オルブライト様のことは残念だけど、速やかに撤退するのも任務のうちじゃないかな?」

「ミシェル……それ、本気で言ってるの?」


 愕然とするジャンヌに、ミシェルは当然と謂わんばかりに頷く。


「勿論、本気さ。この場で俺たちが何よりも優先するのはオルブライト様の命だった。だが、それが失われた今、次に守るのはジャンヌちゃんの命なんだ。この街の人間には悪いが、彼等は見捨てさせてもらう」

「ミシェル! なんてことを!!」


 怒りで顔を真っ赤にしたジャンヌは、ミシェルの胸ぐらを掴んで額を思いっきりぶつける。


「目の前で罪もない民が殺されているのに見殺しにするなんて、それが騎士の言葉なの!?」


 衝撃で目の前に星が飛び、涙で目が潤むが、それでもジャンヌはミシェルを睨み続ける。

 対するミシェルは、涼しい顔一つ崩さずにジャンヌの視線を真っ直ぐに受け止めていた。


「どれだけ凄んでも、俺は考えを変えるつもりは無いよ。それに、ダンナも同じ考えだろ?」

「無論だ」


 ミシェルの言に、ライルも神妙に頷く。


「貴様もいい加減、自分のやるべきことを自覚しろ。目の前の人間、一人一人を全てに手を差し伸べていては、大成を為す前に力尽きるということが何故、理解できない」

「わ、私が間違っているとでも言うの?」


 その言葉に、ライルとミシェルは揃って頷く。


「そ、そんな……」


 ライルとミシェルに自分の考え、騎士道を否定され、ジャンヌは鈍器で頭を殴られたような気持ちになる。

 初の任務で主を死なせてしまうという最大の失態を犯し、更に敵を前にして、民を守る事を放棄し、逃げ出すことが正義だとでも言うのか。

 自分が目指した騎士は、その程度のものだったのか。


「そんなの、絶対に間違っている!」


 ジャンヌは腰に吊った剣を勢いよく引き抜くと、二人を押し退けて一歩踏み出す。


「待て! 何をする気だ」


 動き出そうとしたジャンヌを、ライルが手を掴んで引き止める。


「何って、困っている民を助けるに決まっているでしょ」

「ふざけるな! そんなの許可できるわけないだろ!」

「何でよ!? 弱きを助けるのが騎士の務めでしょ?」

「だとしてもだ! 状況が悪過ぎる。この場は逃げるんだ!」

「嫌よ! 敵に背中を向けるなんて、騎士として最低の行為よ。騎士ならば、敵と勇敢に戦って名誉の死を遂げるべきよ! それが、騎士としてのあるべき姿よ!」

「ハッ、なんだそれは。それが貴様の目指す理想だというならば、騎士の名誉なんてそこら辺の犬にでも食わせた方がマシだ」

「なっ、なんですって!?」


 その言葉に、どれだけ悪態を吐かれても耐え続けたジャンヌの堪忍袋の緒が切れた。

 ジャンヌはライルの手を乱暴に振り払うと、目抜き通りに向けて歩き出す。


「ちょ、ちょっと、ジャンヌちゃん!?」


 無言で立ち去ろうとするジャンヌに、ミシェルが慌てて追いすがる。


「どいてよ! 私は無抵抗でやられる民を助けなければならないの!」

「だ、駄目だよ。ダンナの物言いに怒るのはわかるけど、ここは少し落ち着いて……」

「うるさい! 騎士を愚弄する奴のいうことなんか聞いてやるもんか!!」


 ジャンヌは声を荒げると、手にした剣をミシェルへと向ける。


「ミシェル、今すぐそこをどいて」

「ちょ、ちょっと……本気かい?」

「私はいつだって本気よ。騎士の誇りを……民の安全を第一に考えているわ!」


 そう言うと、ジャンヌはミシェルの首筋に剣を当てる。

 もし、これ以上邪魔をするならば、この首を切り落とすという決意を込めて。

 ジャンヌの真剣な眼差しを受け、決意が本物だと感じたミシェルは、


「……参った。お手上げだよ」


 肩を竦めて両手を上げると、ジャンヌに道を譲った。

 ジャンヌは剣を鞘に収め「ゴメン」と一言告げると、ミシェルの脇を抜けて一気に駆け出そうとした。


 ――が、


「なっ!?」


 駆け出そうにも、どういうわけか足がまるで棒にでもなったように動かなかった。


「調子に乗るなよ。小娘」


 すぐ後ろから響いた声に、ジャンヌはビクリと身を震わせた。

 どうにか動く上半身を使い、ジャンヌがおそるおそる後ろを振り返ると、


「ラ……イル……」


 ジャンヌに向かって手を掲げ、恐ろしいほど冷めた目をしたライルが立っていた。


「これまで貴様の勝手な行動に目を瞑ってきたが、今回の事はとてもじゃないが看過できん」

「わ……た……しに……なにを……したの?」


 その質問に、ライルは口の端を吊り上げて笑うと、ジャンヌの耳元へ口を寄せる。


「よもやその体、誰が用意したものかを忘れたわけではあるまい?」

「ま……さか!?」

「そのまさか、だ。貴様が暴走した時を想定して、その体には我の裁量次第で、体の自由を奪えるように細工が施してある」


 ライルは驚愕に目を見開くジャンヌの目を手で塞ぐと、耳元で囁く。


「ここは我に任せて、貴様はゆっくりと寝ているんだな」


 ライルに視界を防がれた途端、強烈な眠気がジャンヌを襲う。


「いや……よ。わたしは……」


 必死に眠気に抗おうとするが、ジャンヌの意識と関係なく、まるで体から精神だけが切り離されたかのように、深い闇の中へと沈んでいった。

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