交渉
この空気に誰もが口を開くのを憚っていたが、ただ一人、ジャンヌはこっそりライルの傍まで行くと、後ろからライルの袖を引っ張りながら口を開く。
「……ねえ、ちょっといいかな?」
遠慮がちに小声で喋るジャンヌに、ライルは怪訝な顔をする。
「なんだ。聞きたい事があるならはっきり喋らぬか」
強い口調で言われ、ジャンヌはおずおずと口を開く。
「うん……わかった。聞きたいのは、あの人達が落ち込んでいる理由なんだけど……」
「我が持っていた銀食器を見ただけで、取り乱すなんて可笑しいと?」
その言葉に、ジャンヌは小さく頷く。
その後ろで、ルシオとミシェルの二人も頷いているのを確認したライルは嘆息すると、スプーンを手の中でくるくると回しながら説明を始める。
「ふぅ……どうやら後ろの二人もわかっていないようだから教えてやるが、答えはいたってシンプルだ。この銀食器は、元々オルブライト卿の持ち物だった。といえばわかるだろう?」
「え? それをライルが旅の行商人から買った……ということは」
「最初は私財を投げ打って税の肩代わりをしていた卿だったが、それに限界が来て私物を売るにまで至った、というわけだ」
「じゃあ、オルブライト様は自分のお金がなくなりそうだから反乱を起こすつもりなの?」
「端的に言えばそうだが……事はそんなに単純な話ではない」
ライルは、膝をついて泣いているリバルと、それを宥めているオルブライト卿をちらり一瞥すると、ジャンヌ達三人を集めて話を切り出す。
「この国は今、今わの際に立っている」
「今わの……際?」
「ああ。このままいけば、この国は半年も経たずして滅んでしまうだろう」
「なっ!?」
「……マジかよ」
ライルの言葉に、ルシオとミシェルの二人は絶句する。
自分たちの置かれた現状が決してまともじゃないのは把握していたが、まさかそこまでの事態に陥っているとは思わなかったという顔だ。
「で、でも、国が滅ぶなんて言われても、そんな急に滅ぶものなの?」
いち早く正気に戻ったジャンヌが、探るようにライルに質問する。
「今の状態が続けばな。考えてみろ。各地の貴族が、王同様、自身の生活を守る為に掠奪行為をしているのだぞ? ジャンヌ、貴様も言っていただろう。国は、民あっての国だと。民を蔑ろにするような国が存続出来る筈がない」
しかも、掠奪している相手は、自分達の生活を支えてくれるはずの民なのだ。その民がいなくなってしまっては、今後の生活が成り立たなくなってしまうのは必定だ。
「守るべき民を失った貴族が取るべき行動は、限られている。おとなしく死を受け入れるか、爵位を捨てて何処ぞの貴族に従属するか」
そして、
「残るは、私兵を引き連れ、他の領地へ攻め込むか、だ」
「そんな!? それじゃあ、まるで……」
「この場合は戦争、というよりは内乱と呼ぶがな。だが、民からしたらどちらも同じだ。襲い掛かってくるのが、敵国の兵士ではなく、守ってくれるはずの貴族に変わるだけの違いだ」
そして、一度内乱状態に陥ったら、後はなし崩し的に崩壊が始まる。
内乱を鎮める為、国は当然ながら軍を動かす。
軍を動かす為には大量の金と食糧が必要だ。
しかし、王族の贅を極めた生活の為、金を湯水の如く使い続けてきた国にそんな金があるはずもなく、内乱を鎮める為の新たなる金と食料の徴収が行われるのは明白だが、各地の領主にそれに応える余裕は既にない。
いかに王を神同然として崇め、奉ろうとも、無い袖は振れないのだ。
では、国内に無い金と食料をどのようにして手に入れるのか、
「となると、残された手段は……」
その事実に気付いたルシオが、青い顔で結論を口にしようとするが、
「残念ながら他国へ侵略、というのは不可能だ」
すぐさまライルによって否定される。
「それはやっぱり、不可侵条約があるから?」
「違うな。言っただろう? 軍を動かすには多くの金と食糧が必要だと。他国を侵略できる程の金と物資があるのならば、後、数年は王の贅沢に付き合ってられるし、貴族が民から掠奪行為を行為をする必要は無い。それに、これだけ国自体が疲弊した状態で他国へ侵略しても、あっさりと返り討ちに遭うだけだ。矛先が他国ではなく自国内に向かう理由は、何処もかしこも疲弊し、抵抗する力が弱まっているからに過ぎん」
「それじゃあ、どうするんだよ。このまま黙って滅ぶのを待てとでも言うのか?」
「だから、そうなる前に行動を起こすのだろうが」
「そ、そうか……そうだったな」
ここまでの話は、あくまで過程の話。そう諭され、ルシオはほっと肩を撫で下ろした。
安堵の表情を浮かべるルシオとは対照的に、ミシェルの表情は晴れない。
「確かに、今の話は仮定かもしれないが、これから限りなく高い確率で起こる仮定なんだろ?」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、具体的にどうするんだ? オルブライト様に王に無茶な政策を辞めて下さいって説得してもらうのか?」
「残念ながら、それは既に失敗に終わったよ」
突然、響いた声に驚いた一同が振り向くと、
「すまない。話の区切りがいいと思って割り込ませてもらった」
リバルとの話がついたのか、先ほどの沈痛な表情とは打って変わり、顔のしわを深くした、真剣な面持ちのオルブライト卿がこちらを見ていた。その後ろには、そこにいるのが当たり前のような顔をして、リバルが部下を引き連れて泰然としていた。
超然と佇む主と部下を見て、ライルは満足気に頷く。
「どうやらそちらも話がついたようだな」
「貴様! 大公に向かって……」
「よい、リバル。今はそんなくだらぬ話をしている暇はない」
背中の大剣に手を伸ばしかけたリバルを手で制し、オルブライト卿は深々と頭を下げた。
「先ずは礼を言わせてくれ。そなた等が現れなければ、儂は自分の使命を果たせず、志半ばで倒れ、この国の未来はなかったかもしれぬ。本当に、本当にありがとう」
「オ、オルブライト様!?」
オルブライト卿の突然の行動に、リバルが驚愕の声を洩らす。
一国の大公を任されている人物が王族でも貴族ですらない、ただの平民に頭を下げるなど、前代未聞の出来事だった。
その衝撃はジャンヌたちも同じで、誰もが言葉を失い、口をあんぐりと開けて呆けていた。ただ一人、ライルだけは口の端を上げ、不敵な笑みを浮かべていた。
そんな周りの驚嘆の視線を意に介さず、オルブライト卿は一同を睥睨して口を開く。
「この国の現状を正しく理解し、未来を見据えているそなた等に頼みがある。この国に住む民を救う為、どうか儂に力を貸してくれないだろうか?」
そう言うと、オルブライト卿は再び頭を下げた。
「……私からも頼む。貴公等の力、どうか我が主の為に役立てて欲しい」
リバルもオルブライト卿の隣に並ぶと、同様に頭を下げた。
大公と、その筆頭騎士の二人に頭を下げられ、ジャンヌたちは互いの顔を見合わせる。
「……どうする?」
「どうするって、そんなの決まってるだろ。なあ、ジャンヌ?」
判断を迷っている様子のルシオとミシェルに、ジャンヌは力強く頷く。
これこそ、ジャンヌの望んでいた展開だ。
オルブライト卿という後ろ盾が出来れば、この国に住む民を救うという目標が、延いては英雄になるという夢が一気に現実味を帯びてくる。
ジャンヌは一歩前へ出ると、膝をつき、右手を胸に当ててにこやかに微笑んだ。
「わかりました。その話、謹んでお受けしま……むぐぐ」
「いや、その前にこちらの要求を聞いてもらおう」
すると突然、ライルが横から手を伸ばし、ジャンヌの口を塞いで言葉を遮る。
「我々だってこうして動いている以上、自分の利となるべく動いている。こちらの条件を呑んでもらわないと、こちらとしては悪いが賛同しかねる」
「ちょっとライル! 何を言ってるのよ」
「そうだ! 貴様には聞いていない。邪魔をするな!」
ジャンヌ、リバルが憤る中、オルブライト卿だけは冷静だった。
「いや、その者の言うことも一理ある。聞こう。今の儂がどれだけお主の期待に応えられるかわからないが、可能な限り応えようと思う」
「よし。その言葉、違えるなよ」
オルブライト卿の言質が取れ、ライルは指をパチンと鳴らす。
「その前に一つ確認したいのだが……」
「何かな?」
「民の為に王へ反旗を翻す卿の目的は、王の改心か? それとも、王を打破し、現体制からの脱却を望むのか?」
「ふむ……」
ライルの言葉をどのように受け取ったのか、オルブライト卿は唸り声を上げて顔を伏せる。
この二つは、民を救うという観点では似ているようでその中身は全然違う。
前者は、王を説得し、無茶な政策を取り止めるというもの。後者は、王に見切りをつけ、自分たちで新たな王を選ぶか、それに代わる機関を設立するというものだ。
後者は前例がないわけではないが、方法を誤れば救うはずの民からの信頼も失い、反逆者の烙印を押されかねない、かなり危険な方法だ。
ライルはオルブライト卿に、いざという時、反逆者の汚名を被る覚悟があるのかを問い質しているのだった。
その真意を正しく理解したであろうオルブライト卿は、重い決断を下す覚悟を決めたのか、深く溜め息をつき、意を決したように顔を上げると、鷹揚に構える。
「儂が生まれた当時は、長年苦しめられた魔王が討たれ、念願の平和が訪れた……というのもあったのかもしれないが、魔王討伐軍によって得られた特需で、国全体がお祭り状態だった。それこそ、毎日浴びるように酒を飲み、山のように肉を貪り食べた。女は貴金属で全身を着飾り、男はそんな女を覆いつくさんばかりの金貨で買った。誰もが自分の欲に溺れ、それに忠実に生きる人を謳歌していた」
「………………ゴクッ」
オルブライト卿の話を聞いて当時の様子を想像したのか、ミシェルが出てきた唾を飲み込む。
「だが、そんな生活がいつまでも続くはずが無く、人々は徐々に正気を取り戻し、日々の生活に戻りはじめた。ただ、一人を除いて……」
「それが、この国の王……」
ジャンヌの言葉に、オルブライト卿は「今のではなく、先代の王だがな」と注釈をつける。
「贅の限りを尽くせた時代に生まれた王が、その生活を捨てられないのは理解できる。しかし、夢はいつか覚め無かればならないもの。このままでは国が崩壊してしまうと思った儂は、ここ数年、王へ何度も考えを改めてもらうように願い出た。時には他の有力貴族に協力してもらい、連盟で嘆願書を出したりもした。だが、王は我々の言葉に耳を貸そうとはせず、逆に儂等の代表として嘆願書を出した貴族を捕らえたのじゃ!」
最初は冷静に淡々と話していたオルブライト卿だったが、当時の無念を思い出して感情が昂ってきたのか、額に青筋を浮かべ、ソファの肘掛けを握り潰し、何かに耐えるように怒りに震えながら喋り続ける。
「それから暫くして、王は国中の領主を会食にした。嫌な予感はしたが、断るわけにもいかなかった儂等を前に王が出した料理は、嘆願書を出した貴族と、その一族を殺して作った料理の数々だった。次に王に意見する者が現れれば、有無を言わさずこれと同じ目に遭わせてやるという脅し文句付きでな」
そこまで語った所でオルブライト卿は力なく溜め息をつくと、深々とソファに体を預ける。
その顔は、少し老け込んだようにやつれていた。
「それ以降、王に意見する者はいなくなってしまった。当然じゃ、王に逆らえば一族諸共殺され、辱められるのだからな」
「なんということを……」
主の無念を察したのか、リバルが顔を覆ってかぶりを振る。
リバルだけでなく、ここにいる全員が王の常軌を逸した行動に言葉を失っていた。
「それで、結局の所、卿はこの事態にどう対処するのだ?」
一同が静まり返る中、ライルが急かすようにオルブライト卿に回答を求める。
オルブライト卿は顔を上げると、ライルを射抜くように睨む。
「抑止力を失った王の横暴は、留まる所は知らない。この国の未来を守る為には、最早、一刻の猶予も無いと儂は思っている。ならば儂の取る道は、言うまでも無いだろう?」
「それは、王を倒すと解釈してよいのだな?」
ライルの確認に、オルブライト卿は鷹揚に頷く。
それを見たライルは、犬歯をむき出しにして笑う。
「確かに卿の意思は確認した。では、交渉に移ろうか?」
「何が交渉だ。儂の意思を確認したかったとか言うが、そなたは儂が王に屈するようなら、そこの娘を連れて、今すぐにこの場から立ち去った。違うか?」
「さあ、どうだろうな?」
オルブライト卿に睨まれても、ライルはその余裕の笑みを崩さない。
「……フン、食えない男だ」
これ以上、ライルを問い詰めても時間の無駄だと判断したのか、オルブライト卿が乱暴に手を振って話を切り替える。
「それで、お主は儂に何を要求するというのだ?」
「なに、そう難しい話ではない。我の望みは、王を倒し、新体制を築く時、民にこの国の現状を全て包み隠さず話して欲しい。というものだ」
「……それに何の意味があるというのだ?」
ライルの真意がわからないのか、オルブライト卿は推し量るように尋ねる。
「わからないか? 我はこの国がここまでの窮地に陥った原因を語って欲しいと言っているのだ。王が贅沢三昧な生活を維持する為に金を湯水の如く使い、それに連なる貴族も王を止めるどころか、守るべき民に掠奪行為を働いた結果、現状に至ったという話だ」
「な、なんと!? そんな馬鹿げた話を……」
「確かに馬鹿げた話だ。だが、事実であろう?」
「む、むぅ……」
ライルからの追求に、オルブライト卿は言葉を失う。
「我には前々から思っていたことが一つある」
絶句しているオルブライト卿を蔑むように見下ろしてライルが続ける。
「貴族が保有する一切の権力は、敵国から民を守るという大義名分を盾に、民の無知に付け込んで甘い生活を享受するものであり、平和な世には無用の長物、害悪でしかない、とな」
「無礼な! いくらなんでも言葉が過ぎるぞ!」
辛辣すぎるライルの言動に、オルブライト卿が顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
「そうかな? この国は魔王によって人口は著しく低下したが、戦時特需によってかつて無いほどの繁栄を極めた。だが、戦争が無くなって半世紀近く経つが、その間貴族達は一体何をしてきた?」
「そ、それは……」
「民が政に口を出してこない事を理由に、優雅な生活を謳歌していただけではないのか? 本来の仕事である民を守り、国を繁栄させる為に蓄えた金を国の復興に使って来たか? 戦時下の広がりすぎた軍備の収縮を今日までにしっかりと行っていれば、兵士の暴走を阻止出来たのではないか? そんな状況で隣国から攻め込まれたら、国を守りきれるのか?」
「…………クッ」
矢継ぎ早に繰り広げられるライルの言葉に何も言い返せず、オルブライト卿は悔しげに目を逸らした。
そんなオルブライト卿をライルは勝ち誇ったように見下ろし、拳を振り上げて熱弁を振るう。
「もはやこの国を立て直すのは民の協力無しでは不可能だ。今こそ民は真実を知り、全てを貴族任せにする時代と区切りをつけるべきだ。これからの時代、国を担っていくのは貴族ではない、民なのだ!」
一人熱く語り続けるライルを前に、誰もが絶句していた。
それだけライルの言葉は衝撃的だった。
政は貴族の仕事。それは何処の国でも揺るがない常識だ。
それを覆して民が政に口を出すというのは、正気の沙汰とは思えない常軌を逸した発想、もはや気でも狂ったのかと思われてもおかしくない言動だった。
「……なるほど。それがそなたの思い描く未来か」
睨み付けるようにライルを見ていたオルブライト卿が重い口を開く。
「だが、そう簡単にいくのか? 儂が全てを話しても民が後に続くとは限らないのだぞ? 現に民等は生活が貧窮を極めても、領主たる貴族への不満は洩らしたりはするが、反旗を翻す、ましては自分たちが王に変わって政を行うなど微塵も考えていないだろう」
「それは承知の上だ。ただ、前例が無いから、出来るはずが無いからと決め付けて可能性を潰す様な真似はしたくない。どんなものでもやってみなければわからないだろう? やり方がわからないなら、我等のような人間が導けばいい。少しずつ変えて行けばいい。違うか?」
「むぅ……だが、しかし」
「何を迷う必要がある。なら、逆に問うが、卿に現状を打開できる妙案でもあるのか? 王からの税金を肩代わりしていた所為で、碌に資産も残っていない卿に?」
「うむむ……」
ライルからの言及に、オルブライト卿は苦虫を噛み潰したような顔で唸ると、腕を組み、目を閉ると黙考し始めた。




