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弓の名手

 オルブライト卿の別荘は、別荘と呼ぶには余りにも大きかった。

 大公という立場から命を狙われる機会が多い所為かもしれないが、別荘には建物を囲む高い城壁に、見張り台も兼ねた尖塔まで建っていた。ここまで来ると別荘というよりは、城と呼ぶに相応しい建物だった。

 その城壁の上、一人の兵士が欠伸をかみ殺しながら見張りに立っていると、


「ん……何だ?」


 前方、地平線の彼方で灯り見えた。

 この辺りは貴族の別荘が立ち並ぶ地域なので、平民の集落はない。人の出入りも殆どなく、不安定な情勢の中、わざわざ別荘まで遊びに来る風変わりな貴族もいない。

 いや、百歩譲って風変わりな貴族がいたとしても、こんな夜遅くにやってくるはずがない。

 そう考えた見張りの兵士は、光の正体を見極める為、身を乗り出して灯りを見つめる。

 すると、灯りに変化が現れた。

 一つだった灯りが二つに増えたのだ。

 二つに増えたかと思った灯りは更に増え、その数はどんどん増えていく。

 気が付けば見張りの騎士の目には、百近い数の灯りが映っていた。

 しかも灯りの束は、この別荘を目指して移動しているようだった。


「な、何だ。あれは……」


 見張りの兵士は予想外の出来事に混乱しかけたが、自分に与えられた責務を全うしようと、それが何かを見極めようと目を凝らした。

 そして、灯りの正体が何であるか気が付いた。

 あれは火だ。何者かがたいまつを手にこちらにやって来ているのだ。

 しかもあの数だ。今から迎え撃って間に合うかどうか微妙な所だった。


「て、敵襲! 敵襲だ!」


 見張りの兵士は、敵の来襲を知らせる為、必死の形相で別荘内へと消えていった。


「何だか中が騒がしくなってきたわね」


 ライルが作戦開始を告げてから結構な時間が経ったが、ルシオが後からやって来た村人らしき人物に指示を出し、別荘の中の様子が確認できる位置まで移動した以外には特に何もしていなかった。

 不安に思ったジャンヌがライルに指示を仰いでも、


「ここで待っていれば向こうに動きがあるから待っていろ」


 自身満々にそう言われては仕方がないので、ジャンヌは大人しく別荘の様子を観察していたのだが、どうやら本当に動きがあったようだ。

 さっきまでは所々にしかなかった灯りがそこかしこで焚かれ、中は玩具箱をひっくり返したかのようにあちこちから怒号が響いていた。


「フッ、奴等、相当慌ててるな」


 ライルは、まるでここから中の様子を伺っているかのようにほくそ笑んでいた。

 隣で別荘内の喧騒を唖然と見つめていたジャンヌは、喋るのを思い出したように口を開く。


「ラ、ライルはあそこで何が起きてるかわかるの?」

「ああ、奴等は今、寝ている者を叩き起こして大慌てで出撃の準備をしているだろうさ」

「大慌てって……普通、敵襲くらい予想しているんじゃないの?」

「何を言ってるのだ。奴等は山賊や、野盗を相手にするようなただの兵士ではない。由緒正しい騎士様だぞ? 奴等は綺麗な戦争しか知らない。玉砕覚悟で正面から激突するしか能が無いような連中だ。奇策や奇襲を仕掛けられると、こうも簡単に冷静さを失うのさ」


 ライルの言葉を象徴するように、正面の門が開いてわらわらと騎士が出て来るが、騎士と呼ぶに相応しい整然とした姿ではなく、甲冑を着ながらだったり、自分の武器を忘れて取りに戻ったりと、騎士とは思えない醜態を晒していた。

 それでも五分ほどで二十人くらいの騎士が整列すると、隊長らしき人物の号令によって、騎士たちは一糸乱れぬ姿勢で出撃していった。


「よし、我々も動くぞ」


 城門前の騎士がいなくなったのを確認したライルが立ち上がろうとするが、


「待った旦那。まだ、見張りの兵が上にいる」


 見張りに気付いたミシェルによって、首根っこを摑まれて引き倒された。


「ぐえっ、な、何、本当か?」

「ああ、どうやら上で見張ってた奴は出撃しなかったようだ」


 そう言ってミシェルが指差す方を見てみると、たいまつを持った見張りの騎士がいた。

 その騎士は他所から敵が攻めてくるのではないかと、しきりに辺りを見回していた。

 襟を正しながら起き上がったライルは見張りの騎士を見やり、おとがいに手を当てる。


「ふむ、根城を空にしないとは……どうやらまともな指揮官がいるようだな」

「どうするの?」

「無論、ここで引くわけないだろう。ミシェル」

「あいよ。任せておくれ」


 ライルの指名に意気揚々と立ち上がったミシェルは、背負っていた弓を取り出した。

 弦の張り具合を確認しているミシェルを見ながら、ジャンヌは怪訝な表情を浮かべる。


「……ミシェルなんかに任せて大丈夫なの?」

「ジャンヌちゃん酷いな~。こう見えても俺、やる時はやる男よ?」

「全然、信じられない!」


 ジャンヌの歯に衣着せぬ言葉に、ミシェルは苦笑しながらもその手を止めずに作業を続ける。

 弦の確認を終えると、次は矢を取り出して羽を部分的に削っていく。


「……さっきから何やっているの?」

「これかい? フフフ、それは見てのお楽しみということで」


 ジャンヌの質問をはぐらかし、ミシェルは鼻歌を歌いながら作業を続けた。

 こんなんで大丈夫かな? と不安げなジャンヌに、ルシオが語りかける。


「大丈夫だよジャンヌ。兄貴の性格はアレだけど、弓の腕前は凄いんだ。兄貴が獲ってきてくれる兎や鳥のお陰で、俺達はどれだけ助かっていたことか……だから安心して待とう」

「う……ルシオがそう言うのなら……」


 ジャンヌはルシオの言葉に大人しく従い、ミシェルの邪魔にならない位置に移動した。


「って、弟の言うことならあっさり信じるのかよ!」


 ジャンヌの殊勝な態度に思わず声を荒げたミシェルを、全員で「シーッ」と黙らせる。

 それから暫く身を伏せて様子を見たが、どうやら気付かれた様子はなかった。

 見張りの騎士の姿が見えなくなったところで、ミシェルは再び立ち上がると、


「まあ、ちゃっちゃと仕留めてみせるから大船に乗ったつもりでいてくれ」


 ジャンヌに向かって笑って親指を立て、成功を約束した。

 ミシェルは悠然とした足取りで前へ進み、弓を構えると、深呼吸を一つする。矢を弓に番え、準備が整った所で振り返ると、ジャンヌを見てニッコリと笑う。


「ジャンヌちゃん、安心していいからね」

「……何が?」

「今から使う矢は非殺傷の矢だから。ジャンヌちゃん、無駄な殺生嫌いでしょ?」

「え、あ……いいの?」


 ミシェルのとんでも発言に、ジャンヌが確認の為に思わず見た相手はライルだった。


「……仕方あるまい。こやつが、この条件でなければ手を貸さないとか吐かすからな」


 ライルに三白眼で睨まれてもミシェルは何処吹く風で、ルシオと目を合わせて頷くと、二人で話し合って決めたという自分たちの方針を語る。


「結果がどうあれ、俺はあの時、ジャンヌちゃんが村を襲った奴等に下した決断は正しかったと思っている。その気持ちは今も変わっていない。だから、なるべくなら人を殺さない道を俺も選ばせてもらうのさ」

「ミシェル……」

「それだけじゃない。もし手を汚さなければならない場面が出て来たら、その時は俺と兄貴が請け負うから、ジャンヌは出来るだけ手を汚さないでくれ。それこそが、俺たち兄弟の理想とするジャンヌの、聖女の姿なんだ」

「ルシオも……ありがとう」


 アルブル村での悪夢のような出来事があったにも関らず、ミシェルとルシオの二人は、あの時のジャンヌの決断を今でも支持してくれるというのだ。

 こんな嬉しいことがあるだろうか? ジャンヌは感動のあまり思わず涙が出そうになった。


「ちなみにこんな俺どう? 俺ってば年中恋人募集中だよ?」

「あ、ごめんなさい。それはいいです」


 ミシェルの軽口をジャンヌがさらりと返すと、二人は同時に笑った。


 ひとしきり笑い合った後、ミシェルは一人前に出ると目を閉じ、精神集中に入った。

 あれは耳を澄まして相手の動向を探っているんだ。というのはルシオの言葉だ。

 場が静まり、風が草を撫でる音だけが辺りに響く。

 緊張で息が詰まりそうな時間が暫く続いたが、


「………………そこっ!」


 何かを察したのか、ミシェルが目を見開き、短く声を発して構えていた矢を射た。


「あ……」


 矢が飛んでいった方向を見て、ジャンヌが小さく声を上げる。

 ミシェルが放った矢は、真っ直ぐ城壁へ……ではなく、城壁の右斜め四十五度くらいの角度で飛んでいったのだ。

 あらぬ方向へ飛んでいった矢を見て、ジャンヌは心の中で小さく嘆息した。

 やはり、ミシェルは頼りにならない、と。

 そして、程なくして再びたいまつの明かりが見え始める。

 見張りの兵士は、先程と同じ様に辺りを見回していたが、一点を見て立ち止まる。


「あ、見つかった」


 見張りの兵士に見つかったミシェルは、あろうことか呑気に騎士に向かった手を振った。


「馬鹿っ!」


それを見たジャンヌは、咄嗟に飛び出そうとするが、


「待った」


 ルシオに肩を掴まれ、ジャンヌは既の所で立ち止まった。


「放してルシオ。このままじゃ……」

「大丈夫。あれはわざとだから。ここは兄貴を信じてくれ。頼む」

「うっ、ルシオがそう言うなら……」


 ルシオに諭され、ジャンヌはおずおずと引き下がる。

 元の位置に戻ったジャンヌがハラハラと見守り続ける間にも、ミシェルは陽気に手を振る。

 それを見た兵士は馬鹿にされたと思ったのか、憤った様子で城壁へ身を乗り出そうとした。


「ハハッ、そうだ。そこで止まるんだ」


 ミシェルが呟くと、調度そこへ狙い澄ましたかのように、先程放たれた矢が見張りの兵士の左側頭部に鈍い音と共に的中した。

 矢に当たった見張りの兵士は、何も言わずにその姿を消した。

 ミシェルは肩を大袈裟に竦めると、軽く嘆息する。


「あいよ、いっちょあがり。ま、運が悪くなければ生きているだろう」

「す、凄い……矢がまるで生きているかのような動きをしてたよ」


 何でもないように語るミシェルに、ジャンヌは素直に賞賛の言葉を送る。

 羨望の眼差しを受けたミシェルは、髪を爽やかにかき上げると、白い歯を見せて笑う。


「あれは羽を少し弄って矢の飛ぶ軌道を変えたんだ。まあ、俺様くらいの天才なら朝飯前だけどな」


 あ、今は夜だから夜食前か? というミシェルの言葉は、全員一致で無視しておいた。

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