騎士になりたい少女
大陸中央部に位置する小国、エヴァンジル王国。
国を縦断する巨大な河川と、その恩恵による肥沃な土壌によって得られる農作物で戦乱の時代に繁栄した国があった。
早朝、土の濃厚な匂いが辺りに立ち込め、まだ朝露も乾いない時間。王都の外れにある王族の別荘の一つで、豪奢な白亜の宮殿を背に、二つの影が甲高い金属音を響かせながら激しくぶつかっていた。
「はあああああっ、やあっ!」
裂帛の気合と共に相手へと斬りかかったのは、腰まで伸びた長い金髪を先のところでリボンで結び、小動物のようなクリッとした目を忙しなく動かしながら剣を振るう様は、見目麗しいというより可愛らしいという言葉が似合いそうな少女。
少女の名前はプリマヴェーラ・ヴァルミリョーネ。エヴァンジル国王パトリオータ・ヴァルミリョーネの娘で、王族に連なる一人だ。
「ほっほっ、まだまだですな」
プリマヴェーラの渾身の一撃を軽々といなしてみせたのは鬚を蓄えた老躯。この国の近衛騎士団長のクラフト・リッターだ。
二人は朝の鍛錬を行っている最中で、プリマヴェーラがひたすら攻撃を繰り出し、それをクラフトがいなし続けるという攻防を繰り返していた。
「クッ、このっ……こうなったら」
大降りだけでは埒が明かないと悟ったプリマヴェーラは一旦距離を取り、腰を落とすと左手を前に出し、剣をまるで弓を引き絞るような姿勢で構える。
「参ります!」
プリマヴェーラは矢の様に飛び出し、クラフト目掛けて高速の突きを繰り出した。
それをクラフトは長槍をだらりと下げた姿勢で眺めていたのだが、
「ほっ!」
その攻撃を受け止めるわけでも、いなすわけでもなく、首を捻るだけで回避してみせた。
「っ……まだよ!」
この一手は想定内。プリマヴェーラは体制を崩すことなく剣を引くと、次の突きを繰り出す。
その攻撃もあっさりと回避されるが、それでもプリマヴェーラは止まらない。
「む、これは……」
何かに気付いたクラフトの顔から笑みが消える。
「いくわよ! エトワール・フィラント!!」
烈火の叫び声と共に、プリマヴェーラが放つ刺突の速度が更に増す。
それに伴い、刺突のバリエーションも豊富になり、正中面を中心に狙っていた攻撃が左右へと散りばめられ、クラフトの回避行動を阻害する。
まるで、天を埋め尽くさんばかりの流星群を思わせるその圧倒的攻撃量は、相手の行動に制限をかけ、更には反撃に出る間も与えない。
この攻撃に、クラフトは早々に回避行動を諦め、一転して手持ちの長槍でプリマヴェーラの攻撃を弾いていく。
冷静沈着に、老兵はプリマヴェーラの攻撃一つ一つを子供あやす様に丁寧に捌いていく。
「ほぅ……やりますな姫」
「そう思うならその余裕面、少しは歪めたらどうなの……よ!」
いくら攻撃してもクラフトの防御を崩せない事に業を煮やしたプリマヴェーラが、大きく踏み込んで渾身の一撃を繰り出した瞬間、
「甘い!」
それまで受け身一辺倒だったクラフトが、プリマヴェーラの剣を槍の柄の部分で受ける。そして、そのまま長槍を剣の柄目掛けて滑らせた後、大きく振るった。
すると「きゃん」と可愛らしい悲鳴と共に、プリマヴェーラの剣が空高く待った。
剣を弾き飛ばされ、溜まらず尻餅をついたプリマヴェーラに、クラフトが快活な笑みを浮かべ、自慢の鬚を撫でながら手を差し伸べる。
「ほっほっ、随分と腕を上げたようですが、この爺を倒すまでには至らなかったようですな」
「むぅ、せっかく身につけた必殺技で爺の度肝を抜こうとしたのに、爺の必殺技の前にあっさりと破れてしまうなんて……」
「いやいや、姫。儂のは技ではなく、ただの捌き、パリィです。残念ながら、儂にはこれといった技は持ち合わせておりませんので」
「何ですって……じゃあ、私は必殺技でも何でもないただの技術に負けたの?」
プリマヴェーラはクラフトとの差を見せ付けられ、がっくりと項垂れる。
「そんな、今日こそはいけると思ったんだけどな……」
今にも泣き出しそうなプリマヴェーラに、クラフトは膝を着いて肩を抱くと、満面の笑みを浮かべて語りかける。
「いやいや、そう落ち込む必要はありませんぞ。今日の鍛錬で姫が見せた技には少しヒヤッとしました。それにしても、いつエトワール・フィラントを?」
「……先週よ。これなら爺に勝てるかもってマーサが教えてくれたわ。知ってた? マーサって実はとんでもなく強いのよ」
「はあ、それは……一応、儂の妻ですので」
クラフトは苦笑すると、十年以上前に現役を退いた自分の妻の姿を思い描く。
遠い昔、自分と同じ近衛騎士であったマーサとの直接対決で、クラフトは先程プリマヴェーラが繰り出した刺突技「エトワール・フィラント」に敗れ、その対決に負けた罰として、彼女との結婚を余儀なくされたのだった。
別にそれに異義を唱えるつもりはないし、これまでの結婚生活は幸せそのものだった。
子供が出来なかった事が唯一残念でならなかったが、それもプリマヴェーラが産まれてからは、全く気にならなくなった。
身分違いも甚だしいが、クラフトはプリマヴェーラの事を実の娘のように思っている。
きっと妻のマーサも同じ思いなのだろう。
だからこそ、健気に頑張るプリマヴェーラを応援しようと、年甲斐もなく物置から剣を取り出し、プリマヴェーラに技を伝授したのかもしれなかった。
「あの……ひょっとして、爺以外から剣を教えてもらうのダメだった?」
黙考するクラフトに何を思ったか、プリマヴェーラが子犬のような縋る目で問いかける。
その愛くるしい姿に、クラフトは破顔すると、プリマヴェーラの頭をくしゃりと撫でた。
「そんな事ありません。マーサなら儂も安心して姫を任せられます」
「でも……あれだけ強力な技を教えてもらったのに、まるで爺に歯が立たなかったわ」
「そうお気を落とさずに、技の切れは申し分ありませんでした。ただ、攻撃の一つ一つが軽いお陰で助かっただけです」
「そんなこと言われても……あのスピードにあれ以上の力は乗せられないよ」
「それは姫が並の騎士に比べて筋肉の総量が少ないからです。でも、姫はまだ発達途中の身、そっちの方はすぐに追いつきますし、技術の方は文句なしです。姫が正式に騎士になる日も決して遠くない。そう思いますぞ」
「本当?」
「はい、この爺が太鼓判を押して差し上げましょう」
クラフトが満面の笑みでそう告げると、プリマヴェーラの顔に笑顔が戻る。
「フフッ、やった。やっと爺からその言葉が聞けた」
「いやいや、これも姫の日々の努力の賜物です」
「ありがと。でも、それも元を正せば昔、爺から言われた一言が大きかったんだよ?」
そう言われてクラフトが首を傾げる。
「はて……何て言いましたかな?」
「えー、私の大切な思い出なのに……酷いよ」
「いやはや、すみませぬ。よかったらこの爺に教えてくださいませんか?」
「むー、仕方ないな」
プリマヴェーラは「コホン」と咳払いをして、右手の人差し指を立てて話し始める。
「これから騎士を目指す姫の前には沢山の壁が現れるでしょう。ですが、どんな壁が立ち塞がっても、諦めず最後まで足掻き続ければ壁はいつか乗り越えられる。やってやれない事は無いのですぞ、って言ってくれたんだよ。私、その言葉を胸にここまでやって来たんだから」
初恋の人を見るような目でプリマヴェーラに見つめられ、クラフトは大きく頷いた。
「なるほど。流石は儂です。良い事をいいますな」
「え~、それ自分で言っちゃう?」
そう言って二人は目を合わせると、声を揃えて笑った。